疑問と報酬
酒の飲み過ぎにはご用心あれ(笑)
「今回もお疲れ様だね、カラスさん」
モグラが愛想良さげな笑みを浮かべながらカラスに話し掛けた。
カラスは淡々とした面持ちで
「俺は火の粉を払っただけだ」
と言葉を返した。
俺がモグラと会う場所はいつも同じだ。バーの近くにあるマンホールから下に潜り、さらにしばらく歩いた場所。アンダーの入口。
温和そうに見えるがモグラは【ギルド】の元大幹部の一人。塔の組織とも対等に渡り合っていた奴だ。そんな奴がアンダーにいる理由は権力闘争に敗れたからだ。
権力闘争というのはいつの時代も似たようなもので敗者は権力を失い、命すら危うくなる。モグラも塔から落ち延び、迷わずにアンダーへと逃げ込んだ。 アンダーは貧困層だけではなく、モグラの様な元権力者や犯罪者も数多く潜伏しており、それがアンダーをより無法地帯と化させている。
「素っ気ないねぇ、君には感謝してるよ、針使いのリュウを【始末】してくれたのだからね」
「アンタに確認したい事がある」
「何でも聞いて下さい、カラスさん」
「アンタ、裏でクロイヌと手を組んだのか?」
「成程、そうだね……」
俺は今回の件に幾つか疑問があった。クロイヌの倉庫から盗まれた荷物がすぐ近くの幹部の倉庫の中に置いてあった点。
ウサギという名の泥棒に会いに行くとすぐにギルドの暗殺者に狙われるタイミングの良さ。極めつけがクロイヌが去ってからの襲撃だ。
これが誰かが考えた計画なのだとして【誰が】一番得をするのか?
クロイヌは目障りだった幹部に対して今後は主導権をとれるだろう、奴の荷物を材料にして。
ならモグラは? ギルドの暗殺者が死ねば自分を狙う敵が減る。
これをキッカケに俺とギルドをぶつければ自分の手駒を使わずにギルドに打撃を与える事が出来る。しかも自分は一切、金を払わずに【タダ】でだ。
だが一つ腑に落ちない点があった。【ウサギ】についてだ。それを確認するつもりだ。今、奴にこの場で。
「答えは君が考えている通りだと思うがね」
奴は事も無げにあっさりと肯定した。
「ウサギは何者だ? あいつは自分がギルドの標的だと認識していた。あいつが何をした?」
「何もしてないさ、彼女に罪はないよ。ただ彼女はある男の娘なんだよ。ギルドの最優先ターゲットの、ね」
いつもは飄々としたモグラも最後の言葉だけは微かな感情のブレがあった。
「そいつは自分の娘を囮にして暗殺者を呼び寄せて別の殺し屋に始末させたという訳か」
「いずれにせよ彼女は近いうちに居場所を特定されていただろうさ。ならば信用出来る人間を先に送っておきたかったんだよ、多分父親はね」
モグラがそう言うと「ふぅ」と軽く溜め息をした。奴は俺に手招きをすると歩き出す。敵意は無いので俺は後ろをついていく。
アンダーの入口を越えたらしく人があちこちにいる、イタチの奴が以前話していたが、アンダーにもいくつか集落があるらしい、ここもそうした集落の一つなのだろう。
視線を周囲に向けるとたくさんの人がここに暮らしているのがよく分かる。共通しているのは皆一様に服装はバラバラでボロボロ。表情は暗い。
基本的にアンダーの住人は上の世界から追い落とされた人間なので金銭的に余裕がある訳がない。
地下なので時間の感覚もない為か、寝ている者も入れば重そうに荷物を運んでいる者がいたりとかなり生活面ではバラバラの様だ。
「さぁ、入ってくれ」
前方からモグラの声がしたので前を向くとそこには木造の平屋があった。
ダンボールや掘っ建て小屋ばかりが並ぶ集落の中でこの平屋は目立つ。モグラがここでも一定の権力を持っている事が伺えた。
中では、モグラがカウチに座っていた。外からの外観はともかく中の調度品はかなりの物だ。どこから手に入れたのか気にはなるが敢えて聞こうとは思わない。
その様子にモグラが残念そうにぼやいた。
「少しは驚いてもいいんじゃないかね?」
「少しは驚いたさ、座っていいか」
「どうぞ」
「話を聞こう。クロイヌとの関係を話してもらおうか?」
「君はいつも単刀直入だねぇ。そこが気には入ってるがね」
モグラが指を鳴らすと一人の老人が入ってくる。老人は小綺麗な服装をしており、明らかにアンダーに不釣り合いだった。彼はこちら丁寧にお辞儀をすると奥の部屋へ入っていった。
しばらくして、老人が奥の部屋から出てきた。その手にはワインとグラス。
このワインもバーに置きたくなる位の上物らしく、グラスに注がれるとその豊潤な香りが鼻孔を刺激する。
「なかなかのモノだろう? アンダーでは入手は難しかった逸品だ、遠慮はいらないよ」
モグラがワインを口に含むと香りを確かめて、ゆっくりとグラスを傾けた。一つ一つの動作が元の暮らしをよく表している。カラスもワインを味わう。
想像以上に素晴らしい出来のワインで自分がアンダーにいる事を忘れそうになった。
「さて、本題に入ろうかな。私とクロイヌさんはいわば同盟を結んだのだよ、少し前からね」
「随分とお互いに思いきったな。下手をすれば互いの組織に殺られるリスクを侵すとはな」
「どのみち私は誰かと手を組まなければならなかったんだよ。【君】が私を殺した事を疑っている奴らがいた訳だしねぇ」
モグラは溜め息をつきながらカラスを見つめた。
「見つかったのは、あんたがアンダーで【目立つ】暮らしをしていたからじゃないのか? ギルドはアンダーにもある程度は顔が利くらしいからな」
俺のせいにされるのもしゃくなので軽く言い返してみる。
「見つかったのは、ウサギだよ。あれが父親についてあれこれと調べたのがキッカケさ。ギルドの連中の一部が私の死に疑問を抱いてねぇ……」
「……まだ連中はあんたが生きているという具体的な確証を持ってないという訳だな。だが、クロイヌと組んだ理由にはまだ弱いな、あいつはあんたが【生きている】事を知らなかったはずだ。あんたがわざわざ教えない限りはな」
グラスにワインを注ぎながら視線はモグラの表情に集中させる。嘘をつかれても分かるようにだ。しばらく沈黙が流れた。
やがて大きな溜め息をついてモグラは続きを話し始めた。
「私も、二度と上に戻ろうとは思わなかったんだよ、何だかんだでここの暮らしにも馴染んだし、権力闘争にも飽きていたからね。君が言った通り生き直していたかったんだよ……。だがね無理だ、無理なんだよ。【娘】がいると分かった。彼女が父親を調べる為にギルドに近付き、その為に泥棒になったと知ってしまった。みすみす彼女を殺させるのは我慢がならなかったんだよ」
モグラは酒の勢いもあってか感情の起伏が激しくなりながら訥々と話した。
「娘を守る為には方法は一つ。私が再び【ギルド】に返り咲く事しかない。その為にクロイヌに接触して、同盟を提案したんだよ」
「慈善事業じゃないんだ、奴は見返りに何を求めたんだ? ギルドの幹部の情報か? アンタが集めた【賞品】の集積場所か?」
俺も酒が入ったからか、いつもより言葉が出る。
だが、巻き込まれた以上知る必要がある。俺はこの【件】についてはまだ【報酬】の交渉をしていない。
クロイヌじゃないが慈善事業でギルドとやりあうのは御免被る。適切な報酬と状況把握の為の情報は最低限必要だ。【依頼人】との信頼関係の為にも。
モグラも当然分かっている。俺の目をじっと見ながらワインを一気にあおる。深呼吸を入れる。
「まずはギルドの収益の一部の提供だ。ギルドと組織は友達ではなく、敵対関係に近いからね。次に、君の考え通りにギルドの幹部の情報だよ。ギルドの幹部については幹部同士でしか知らない情報がある。それが互いにとって【保険】となる。それを押さえれば幹部を操る事すら可能だ。最後に私が返り咲いた際には、彼の敵対者の排除に手を貸す。以上だよ」
今の話を考える。クロイヌにとってはかなり魅力的な提案だ。クロイヌは組織内では目立つ。まず年齢が若い。
次に組織内で誰も出来なかった仕事を成し遂げた。
具体的には俺達がいる第十区域、零区域から収益を得た事だ。古株の幹部からは反発がかなりあるらしい。表には出さないが、倉庫の件もそれに関連がない訳ではない。
だから、モグラに依頼して倉庫を襲わせた。モグラは娘をわざと使いギルドの連中の関心を引く。ギルドからの追手をクロイヌとモグラが俺をウサギへと誘導して始末させる。幹部の倉庫からヤバイ荷物を盗みそれんネタに詰め寄り、脅しをかける。
クロイヌやその幹部の荷物の顧客には組織内外の有力者もいる、彼らと敵対すれば只では済まない。哀れな幹部はクロイヌに屈する以外に道が無くなる。
一方でモグラにとっては俺やクロイヌの協力でギルド内の敵対者を排除させる事で復権という訳だ。娘については何処までが本音から断言出来ないが、【キッカケ】なのは間違いない。
「それで俺に何をくれるんだ? 見返りがまだ無いぞ」
タダ働きはゴメンだ。念押ししておいても罰は当たらない。
「報酬なら【最初】に渡したよ、君も試飲しただろう、あれはなかなかの品だったはずだよニ十年物だったし」
モグラが悪戯っぽく笑う。俺も思わず苦笑した。あれは確かにいい品だった、気に入った。
「とんだタヌキだな」
「私は地下のモグラだよ、ただ陽の光に憧れるね」
俺達はグラスを重ねてしばしワインを味わった。
◆◆◆
「少し飲みすぎたな」
あれから二時間経っていた。俺は少しふらつく足でバーに戻る事にした。
【報酬】のスコッチは既にバーに届けてあるとモグラから聞いた。俺はゆっくりと歩きながら、スコッチに合うつまみを考えていた。
「ん? 誰かいるのか」
バーから笑い声が聞こえて来る。そういえば、今日辺りにお嬢とイタチの奴が帰ってくると聞いていたので笑い声は二人の物だろう。
それにしても楽しそうだ。余程いい事でもあったのだろう。
「お嬢お帰りな、さ……い?」
裏口から入った俺は思わず硬直した。目の前の光景に絶句。
「はいはーい、イタチぃアタシに酒を注げ」
お嬢のテンションが高い。物凄くだ。酒を飲んでるらしい。
「うぃーっス、イタチ注ぎまぁーっスッッ」
くるくる回りながら酒を注ぐ奴のテンションもおかしい。何だろうか、物凄く嫌な予感を感じた。
「ちょ、ちょっともうやめましょうよ」
リスの奴が二人を何とか止めようとあたふたしている。間違いなくバーの酒で宴会モードに入っている。
「でもコレは貰ったんれしょ? カラスが貰っだんならアタイが飲んれもらいじょうぶだよオ」
「ですよねぇ、はい一本カラになりましたぁ」
コロコロと今飲んでいた酒のビンが足元に転がってきた。嫌な予感は的中した。
《ん? これは……!》
「あ、か、カラスさん。二人が酔っ払っちゃって、スコッチをがぶ飲みしてるんですよ」
リスの言葉は俺の耳には入らない。いや、入っていたが聞きたくなかった。
俺は二人に視線を送った。二人はあまり酒に強い方では無かったはずだ。 ……だがな、それをわざわざ今、飲まなくてもいいだろう。
「お嬢にイタチお帰りなさい(怒)」
俺は怒りを押さえきれない声で二人に話し掛ける。二人は完全に出来上がっていてヘロヘロだ。
「あ、カラス兄さんたらいまでぇっす」
イタチ……後でブッ飛ばす。
「あれ? アンタ酒臭いわよ、しかも朝帰りたぁ隅に置けないわねぇ」
…………お嬢にもきつく言わなければダメだ。
「何でだ……何でよりによってそのスコッチをがぶ飲みしたぁァァァッッ(激怒)」
俺は遂に怒りを抑えきれずに怒鳴った。報酬のスコッチは全部で十本だった。空になったスコッチのボトルは十本。奴らは二人で全部飲みやがったのだ。
《ヤバイ、ヤバイ。》
俺は止めたんだ。二人がスコッチを飲もうとしたから止めようと努力したが無駄だった。
バーに戻ったらすでに二人宴会で酔っ払いだった。
「はい一気いきまぁす」
イタチさんがスコッチをボトル毎、一気飲みを始めた。スコッチはビールとは違うのに。
「うおぃ、イタチぃなかやかやるらぁ」
レイコオーナーも酒が入ったせいか歯止めが利かない。こちらはグラスギリギリまでスコッチを注いでいる。まるで烏龍茶でも飲んでるかのようにぐいぐい飲んでいる。
かれこれどれくらいの時間が経過したのか、いつの間にかテーブルに突っ伏して寝ていた俺が起きると、悪夢のような光景が眼前に展開した。
スコッチのボトルが全て空になっていた。二人はスコッチ十本を飲み干したのだ……。こんな所をカラスさんにでも見られたら。
その時、振り返るとそこには怒気を纏わせたカラスさんが今にも爆発しそうな様子で立っていた。
「ヤバイ、ヤバイっ」
俺は本能的に逃げ出した。何よりも自分の安全が最優先だ。
「何でだ……何でよりによってそのスコッチをがぶ飲みしたぁァァァッッ(激怒)」
かくしてその日はバーは急遽休店日となった。
酒は飲んでも呑まれるな。二人にかけたい言葉だ。




