第三話 オウル
《今日はいい一日だった》
私は毎晩寝る前にそう呟く。何かの本に書いてあったのを気に入ったので習慣にしたのだ。
私には生きる為のルールが幾つかある。まずは朝起きるのは五時。
起き上がる時には必ず左足から。
歯を磨く時に使う歯みがき粉の量は長さ一センチである等だ。
次に朝食だ。朝は仕事などで余裕が無いとき以外は卵の黄身を抜いたスクランブルエッグ。卵は三個使う、油はお気に入りのオリーブ油だ。
スクランブルエッグだけでは栄養が足りないので、シリアルを大盛りにして食べる。飲み物はオレンジジュース、勿論百パーセントに限る…………。
「あ〜〜、何処まで話したかな。まぁいい」
目の前の相手が何やら喚いているがどうでもいい。
私にとって大事な事は彼を自由にする事だけなのだから。
「安らかに眠れ」
ナイフをスーッと優しく静かに引いた。彼はしばらくじたばたと動いていたが、やがて静かになる。彼は自由になったのだ。
「さて、食材を買いにいかないとな」
その場には、ナイフで喉を掻き切られた男の亡骸だけが残された。これが私の日常だ。
……ああ、すまない、私の紹介が遅れたね。私の名前は……【オウル】日本語ならフクロウだ。私の仕事は見ての通りだ。
汚れた世の中で、自由を無くした囚われ人を解放する事だ。
「はい」
「ミスターオウル。仕事の依頼です」
「そろそろこの場所にも飽きてきた、別の場所がいいな、で?」
「塔の街で仕事です。依頼主は……」
「塔の街か、……楽しめそうだね。昔馴染みにも会えそうだ」
「では、お待ちしております」
実に、実に……懐かしいなぁ、あの街には色々思い出があるからね。
◆◆◆
「さて、待たせたね」
電話を切ったオウルが振り返るとそこには殺気だった表情の男達がいた。彼らはオウルの今日の【獲物】達だ。
「こ、この野郎!」
「ふざけてやがるぜ、いい気になんなよ!」
「オレらに刃向かって生きてられると思うな」
「ピーチクピーチクとよく喚くね、君達は」
オウルは、そう言うとお気に入りのナイフをまるで指揮者のタクトのように優雅に華麗に振るう。
オウルがナイフを上下左右に振るう度に一人、また一人と鮮血がパッと飛ぶ。どこかそれは一種の芸術性すら感じさせる。
数秒後には、真っ白な大理石で出来たフローリングは真っ赤に染まっている。残ったのは一人だけ。この辺りの犯罪組織のボスである、リチャード。
「さて、ミスターリチャード。次は貴方だ」
「流石、オウルだな。だが私を甘く見ないで貰おうか」
リチャードはそう言うと、窓を破って逃走した。
どうやらまだ元傭兵としての腕は鈍ってはいない様だとオウルはニヤリと笑う。
「ハハハ、なかなか元気があっていいね」
オウルは改めて心底楽しそうに笑う。しかし、その目は恐ろしい迄の殺気に満ちていた。
リチャードは塔の街を牛耳る組織と同盟関係にある犯罪組織のボスだ。規模は塔の組織には到底及ばないものの、短期間で己の腕だけでのしあがった力量を買われ、塔の組織と取引をするうちに同盟関係になった。
リチャードはかつてイギリスという国の特殊部隊に所属した経歴を持ち、これ迄、何人かの殺し屋の襲撃や暗殺をかいくぐって来た。そこで今回、裏社会で凄腕と名高いオウルが雇われたのだ。
オウルは、塔の街出身の殺し屋で、過去の経歴は不明。ナイフ等を用いた近接戦闘を得意としており、銃などは一切使わない。
殺しの標的に、事前に予告状を送るのも特徴で相手の抵抗を最大限引き出した上で殺す、本人曰くその方が殺り甲斐があるから、らしい。
「ミスターリチャード……そろそろ終わりにしないか?」
そこは真っ暗な空間だった。闇に支配された空間。闇の中に殺気が満ちている。普通の人なら気を失うようなプレッシャー。しかし、オウルにとっては心地よい。馴れ親しんだ空気だ。
《さぁ、来やがれ。お前をここでバラバラにしてやる》
リチャードは闇の中で待ち構えていた。ナイトビジョンを着けた彼にとって闇の中は昼間と同じ。オウルの姿もバッチリと見えている。決着までに要する時間は一瞬でいい。右手に握っているのは、彼と共に長年修羅場を潜り抜けてきたショットガン。至近距離でなら全身を穴だらけにできる代物だ。
《早く近づけ、そうだあと五歩、もう少しだ》
ナイトビジョンが写すオウルはこの暗闇を見ても動揺する素振りもなく、何処かおどけた様子ですらあった。暗闇の中に足を踏み込むと迷わずにスタスタと歩き出す。あと二歩…………引き金に指をかける。
不意にオウルが歩みを止める。その場で背伸びをするように両手を伸ばす。
瞬間、キラリと光が見えた。瞬きするような一瞬の後、オウルが突然目の前に迫っていた。
リチャードはショットガンの引き金をひく。これで終わり……のはずだった。
だが、次の瞬間に彼が見たのは全身に散弾を浴びて吹き飛ぶオウルの姿ではなく、ショットガンを握っていたはずの右手が手首から宙に舞う光景だった。ショットガンが宙に舞ったまま散弾を撒き散らす。
オウルは身を低くしてリチャードに体当たりをくらわせるとそのまま倒して喉元にナイフを突き付けていた。ショットガンを握った右手がガチャリ、と音を立てて地面に落ちた。
「ば、バカな何故だっ! 何故こうなった?」
リチャードは飛ばされた右手に視線を向ける。ショットガンの銃身にナイフが一本刺さっていた。狙いが反らされたのだ。
「ナイフが一本だなんていった覚えは無いね。それと一番肝心なのは、私は【梟】。夜目が利くのだよ」
そう言うと自らの目を見せる。瞳孔が異常に開かれていた。
「君は暗闇の中で【オウル】に戦いを挑んだ時点で敗北していたのだよ」
オウルはニヤリと笑みを浮かべるとナイフで喉を切り裂いた。リチャードはしばらくもがいた後、その場から動かなくなった。
「さて、次の仕事は塔の街か。楽しみだよ、レイヴン。是非、君と早く殺しあいたい」
暗闇の中でギラリと光る瞳はまさに猛禽類である【オウル】そのものだった。
かくして塔の街に血の雨が振る。誰がその雨をいつ降らせるのかはまだ誰にも分からない。




