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イタチは笑う  作者: 足利義光
後日談
153/154

狩りの時間

 

「はぁ、はぁ――――!!」


 赤髪の少年は闇を切り裂く様に、足を必死で動かした。無数の明かりが自分を見つけようと辺りを照らす。

 物陰から手が伸びてくる。大柄で髪も髭も伸び放題、如何にも浮浪者の様相の男だ。

 少年は「しっ」と小さく息を吐くと相手の手を右手刀で弾き、拳を握るとそのまま突き出す。相手は、自分よりも小柄な少年の反撃を予想だにしなかったらしく顎先にマトモに喰らい失神する。

 まさに秒殺だったが、運が悪い事に男が倒れ込んだのはごみ箱だったらしい。

 ガシャアアン、という派手な音を立てた事で、追跡者達の注意を完全に引き付けてしまった。

 思わず「くそっ」と舌打ちしながら少年の逃走は続く。

 もう隠れようにも視線にライトは完全に少年を捕捉した。

 しかもだ。

 一体何処から持ち込んだのだろうか、大型のサーチライトで照らされ、それが幾つも向けられた。まるで環境最悪の刑務所の様に。

 もっとも、映画と大きく違うのは、脱獄者は少年一人で、残りのキャスト全員が極悪看守達、という所だろう。

 まるで逃げ場の無い鬼ごっこの気分だった。

 彼らは、見た所銃などを持っている様子は無い。それも当然だろう。彼らは、一様に着ている服はボロ切れ同然。遠目ではあるが、明らかに不衛生なのは、さっき倒した大柄の男で確認した。

 まるで、以前のアンダーの住人だ。


「は、くはっっっ」


 どの位走っただろうか、元々逃げ足には自信があった事もあり、まだ誰も少年に追い付く者はいない。

 サーチライトからも何とか逃れる事が出来た。あの狩りの開始を宣言した時から、この廃墟のあちこちに明かりが付いた事は、却って好都合だった。

 何処までが、この趣味の悪い刑務所の敷地なのかが明白だったから。真っ暗闇に包まれた場所が見えてきた。まず、間違いなく出口だろう。


『もう少し、もう少しだ』


 そう思いながら、重くなってきた手足を精一杯振り、動かす。

 そして、出口に出た、そう思った時だった。

 思わず足が止まる。

 カララッッッ、と音を立て小石が転がっていく。

 そこは真っ暗だった。真っ暗な闇に包まれた【崖っぷち】。

 誰もいないのは当然だろう、この先は地面にまっ逆さまなのだ。スリル満天の立ちションでもしたいなら別だが。


 バララララッッッッ。

 さらに最悪な事に銃撃された。

 確信した、自分が逃げ場の無いここに誘導されたのだと。

 これでこの鬼ごっこは、圧倒的に少年にとって不利になった。相手の中には銃を持った奴がいるのだから。

 ジリジリ、足音が近付いてくる。

 連中が走ってこないのは、今の銃撃が原因だろうか?

 少年は、その僅かな時間で、今出来る事を精一杯考える。

 何が何でもこんな最悪な場所から逃げる為に。

 何としても生き延びる為に。


「へ、へへ。何処だ子猫ちゃん。無駄だぜ、隠れてたって分かんだよ」


 下衆な声を上げながら姿を見せるのは、片目が潰れた男。

 他にも、顔には様々な切り傷が無数に付いており、どう見ても堅気ではないのが明らかだった。

 あれだけいたはずの大勢の看守達――追跡者が他に進み出て来ない事が気になった。恐らくは連中の中でこの相手が一目置かれているからだろうか。

 どのみち、ここにいるのがバレているなら、先制攻撃。

 そう思った少年が仕掛けた。

 カツン、小石が転がる音。

 片目が潰れた男は音に反応し、暗闇の中に踏む込む。

 隠れられる様な場所は、岩陰くらいだ。迷う必要すらない。

 岩陰に躍りかかり、手に持っていたサバイバルナイフを突き出すべく構えた。


「あー?」


 しかし、肝心の野良猫がいない。

 どういう訳だか理解出来ずに、周囲をキョロキョロ見回す。

 そうして相手が背中を見せた瞬間。

 少年が飛び出した。

 彼は、崖にぶら下がっていたのだ。

 一歩間違えば、確実に死ぬその行動を相手は予想だにしなかった。全力で飛びかかり、丸太の様な首筋めがけ飛び蹴り。

 相手は、勢いよく岩に激突。そのままズルズルと崩れた。


「は、はーはー」


 だが、今ので少年の疲労も頂点に達しようとしていた。

 そこに大勢いた残りの連中がにじり寄ってくる。

 彼らは、片目が潰れた男がアッサリ倒された事に驚きつつも、相手が疲労困憊で、今にも倒れそうなその様子に安心したのか、笑みを浮かべていた。


「なろいっっっっ」


 だから、少年がこの後に及び自分から仕掛ける事を考えていなかった。まるで弾丸のように肩から思いっきり――手前にいた男に身体毎ぶち当たり倒す。さらに「ああああ」と絶叫しながら取り囲む集団に蹴りを、拳を、頭突きを繰り出す。


「こひゅー、こふー」


 数分後。

 まるで局地的な竜巻でも起きたかの様な有り様だった。

 そこに倒れているのは数え切れない程の男達。

 たった一人の赤髪の少年が、膝に手を付きながら辛うじて立っている。もう息も絶え絶えでいつ倒れてもおかしくはない。

 既に足元はぐらついている。肩で息をしている状態だった。

 その様子を見た残りの男達がようやく意を決したのか、距離を詰めるべく動き出す。いずれの目にもさっきまでの様な相手を侮る様な光は無い。


 少年は悟る。もうここまでだと。

 さっきまでの様に自分の事を侮っている内なら何とか出来た。

 だが、残りの連中はもう目の前にいる相手をガキだとは思ってない。隙を突こうにも、この人数相手には手段もない。


『もうダメか、しょうがないか。おれが勝手に上に来たからだし』


 その場にへたり込む。

 もう、気力も失った。手も足もまるで自分の物ではないかの様に重く感じる。ダルくてもう何も出来そうにもない。

 男達はそれでも用心深く少年の様子を確認する。

 転がっていた石ころを何人かが投げ付け、相手が何も抵抗せずに当たるのを目にして、ようやく優位を確信したらしい。


 悔しかった。

 自分の軽率さが、自分の無力さが。こんな連中に命を奪われるなんて思ってもいなかった。アンダーよりも危険な場所なんて無い、そう心の何処かに勝手な基準を付けていたのだ。

 その慢心が招いた必然、自業自得。


「死んでたまるかよ……こんなんで死んでたまるかッッッッ」


 そう絶叫する少年を男達は笑いながら取り囲む。

 そうしてその内の一人が背後から手にした鉄パイプを振り上げ……仕留めようと振り下ろした。

 少年も気付くが、身体がまるで石の彫像になった様にピクリとも動かない。思わず目を閉じた。


「だっせぇな、てめぇら」


 声が聞こえた。

 少年は気付く。まだ、自分が生きている事に。

 目を開くと、鉄パイプを受け止める手が自分の目の前にあった。

 一体、誰が? そう思った少年は乱入者に視線を向けた。


 その男は、まるで野生の獣の様だった。

 獰猛な光を称えた目に、挑戦的な笑み。

 周囲を取り囲む集団と比べても、明らかに身長も低いし、一見すると非力としか思えない。

 赤のフード付きライダースジャケットに赤のシャツ。緑色のカーゴパンツに、ブーツといった装いで周囲の浮浪者同然の連中とは明らかに違う。

 なのに。

 そのまま全身から漂う雰囲気だけで理解出来た。

 この相手は格が違う、と。

 それはこの集団に充分に伝わったらしく、誰もがその場に凍り付いたかの様に立ち尽くす。


「ンだよ、終わりか?」


 少年とも青年とも付かない男は、好戦的に鼻で笑う。

 その挑発を受け、固まっていた男達も、一斉に襲いかかる。

 獣のような男は、軽くへっ、と笑う。そして動いた。

 そこから先は何が起きたのか?

 あっという間だった。少なくとも赤髪の少年にはそう感じられる時間だった。


「ぐ、うう」「あが」「おごう……」


 男達は呻き声をあげ、地面にキスさせられていた。そんな中で獣のような男は、息一つ切らした様子もない。

 見えたのは最初の数人だけだったが、こう動いていた。


 まず、鉄パイプを持った男に左足で金的。一歩踏み込んで頭突き。これで一人、ついでに鉄パイプを奪う。

 続いて鉄パイプを突き出す。それは背後から襲いかかろうとした相手の鳩尾に入る。左肘を背後に繰り出し、前のめりになる相手の顔面を一撃、二人目。

 三人目と四人目はほぼ同時。掴みかかろうとした二人に向け、右足で地面を蹴りつける。砂を撒き散らし、相手に目潰しだ。

 一瞬怯む隙を見逃さずに鉄パイプを一閃。その顔面を殴打。

 そこからはもう目で追い切れなかった。

 恐ろしく実戦慣れしているのが分かる。一体、どんな鍛え方してきたのか想像も付かない。


「ブラボー、ブラボーです」


 そこにわざとらしく拍手をしながら姿を見せるのは、あの商人。

 無論、一人ではなくAKとおぼしき突撃銃アサルトライフルを構えた護衛を引き連れて、だが。

 赤髪の少年は絶望的な気分だった。

 人数は十人。いくら自分の目の前にいる青年が実戦慣れしていようが、この状況では万事休すだ。たった一人が、十人相手に、それも銃を携えた相手に対してどう立ち回ればいいというのか?


「へっ」


 だが、青年はそれでも平然とした様子だった。背中越しでしか見えなくとも伝わる。全く動じている様子が感じられない。

 それは相対している商人達も同様らしい。一歩後ろに下がり、寧ろ怯えている様にすら思える。


「つ、強がってもムダです。所詮は一人。蜂の巣になるのがオチ……!!」


 言い終える前に事態が動く。

 青年は突然横っ飛び。そうしつつ左手を腰に回す。銀色に煌くナイフを取り出すと、迷わず近くにいた護衛の腹を一突き。

 早業だった。

 刺された相手が殆ど反応すら出来なかった。

 そしてそれが開戦の合図となる。

 護衛達がAKから銃弾をばら撒く。凄まじい斉射音に壁を撃ち抜く破壊音が轟く。

 思わず目を反らした少年が、その視線を戻す。すると見えたのは、驚愕する光景。


 あれだけの銃弾の中を青年は平然と歩いていた。

 あれだけの銃弾を掻い潜るのではなく、悠々と歩く。

 手にするのは左手のナイフ一本のみ。

 その銀色の刃先が煌めく都度、護衛が倒れていく。

 これ迄の人生をアンダーで過ごし、その大半を泥水をすすってでも生き抜いてきた少年だったが、自分とは、自分のいた世界からかけ離れた光景だった。

 それはまるで、演舞の様ですらある。

 予め、演者が入念にリハーサルを実施した様に。最低限の身のこなしだけで相手を倒す姿は、青年が単に実戦慣れとかそういう尺度で測れない事を実感させる。

 まさに【非日常】の光景が目の前にはあった。


「ひ、ひぃぃっっ」


 たった一人で残された商人が腰を抜かし、尻餅を突く。

 さっきまでの余裕等微塵も無い。

 当然だろう、今、つい今まで周囲を固めていた護衛達がたった一人の、それもナイフ一本の相手に倒されたのだから。


「さて、ンでどうするアンタ……死ぬか、ここで?」

「ひぃぃっっ、やめてください」


 商人はその場で土下座。顔を地面に擦り付ける。

 青年は、へっ、と言うとナイフを腰のホルスターに戻す。

 少年の目には、反対の右手側に金色に輝く何かが一瞬見える。


「ボウズ、お前なかなかやるじゃねぇか。……見てたぜ」


 不意に振り返る青年の顔には感心した、と言わんばかりの笑みが浮かぶ。そしてゆっくりと近付いてくる。

 ほっとした少年だったが、その目に映ったのは、あの商人が起き上がり、右手で懐からリボルバー拳銃を取り出す姿。

 思わず叫び声を出そうとした。


 ガアァァァン。

 一発の銃声。

 ぎゃあああ、と呻き声をあげるのは商人。彼の右手が吹き飛んでいた。

 何が起きたのか一瞬分からなかった。

 だが、気付く。

 青年のジャケットから煙が上がるのを。突風が吹き、ジャケットがフワリと浮く。彼の左手がショルダーホルスターに伸びており、そこから煙が出ていたのを。

 左手が抜き出すのは、銀色に輝く銃。まるで、本物の銀を使っているかのように鮮やかに輝くその銃身は美しかった。

 青年は振り向きもせずに相手の銃と手を狙い撃ったのだ。至近距離とは言え、恐ろしく銃の腕も立つのだろう。


「そんな事だろうと思ったよ……外道はいつも同じ行動を取るからな」


 青年は全く動揺する事もなく、表情一つ変えない。

 商人はいよいよ恐慌をきたしたのか、漏らしたらしい。湯気が地面から上がる。口元がパクパク動いていたが、言葉になっておらず聞き取れない。


「ま、いいや。ガキの前で血祭りってのもよくねぇだろうし」


 やれやれ、と首を振るや否やで、不意に商人の顎先を蹴りあげる。

 どうやら履いているのは、バイカーブーツらしく、ゴンという石でも使った様な鈍い音が少年の耳にも届く。泡を吹きながら、砕け、折れた歯がボロボロ落ちる様が見える。間違いなく口の中はグシャグシャだろう。

 もう商人に対して恨みや怒りは感じない。寧ろ、哀れにすら思う。


「さて、おい。こっから出ンぞ――立てよ」


 青年はそう言いながら手を差し出す。

 その言葉と態度は乱暴で横柄。しかし裏腹に何処か優しい響きと雰囲気を感じさせる。

 その表情も、何処か親しみを与える不思議な愛嬌を持っている。

 今更選択肢はない。少年は素直に従い、立ち上がった。


 その帰り道。

 バイクのサイドカーに座らされた少年は、久々に心から安堵していた。心地よい風を肌に感じ、満点の星空を見ながら……いつしか眠りについていた。



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