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イタチは笑う  作者: 足利義光
後日談
152/154

守ったもの、失ったもの

 

 ああ、世の中ってのは必ずしも、公平なンかじゃない。分かってるさ、ンなことな。

 でも、心の何処かで期待していたンだな。どうか、誰かオレの願いを聞き届けてくれって、さ。

 よくよく考えりゃ、ほンとテメェ勝手な話だっての。

 これまでの人生で、神様なンてものを信じて来なかったオレに、祈りが届くも何もあるワケが無いよな。

 そうだよ、当然じゃねぇか。

 マンガとか映画の世界じゃあねぇんだ。

 何もかも全部救えるなンて展開、そうそうあるものじゃねぇよ。

 だよな…………リサ。

 仕方ねェンだよな――チクショーが。



 ◆◆◆



「イタチ、今日も来たのか?」


 第十区域、繁華街の一角。

 闇医者は、この一年で病院をでかくした。

 それで、今は、合法的な病院を経営している、クロイヌの助力で。

 とは言え、現在も裏社会の客も相手にしてる。勿論、割高料金でだが。金になるなら善悪も貴賤も無い、それがこの男の人生の真理だったから。

 彼の言葉に、来客は何も答えない。黙って、ベッドに寝かされている患者の静かなその寝息を聞きながら、自分も眠っている様だ。

 裏社会を長年生きてきた、この抜け目ない医者は、基本的に情を信じない。情というのは、時が経てば移ろい、変わっていく物だからだ。だから、彼には友は極めて少ない。信じるに足る人間等、そう多くない。

 そんな彼が、どうして一年もの間、病院で一番いい個室を彼に、彼女に使わせているのかは、正直言って本人ですら分からない。

 勿論、今、すぐ横で椅子に座ったまま眠っている、少年から青年になりつつある男が何処から集めたのか、とてつもない大金を積んだ事も理由の一つではあった、が。



 この少年、いやこの一年で青年になりつつあったイタチは、病室で寝かされている患者に毎日会いに来る。

 そして、一日も欠かさず、毎日患者の好きだった【薔薇】を持ってくる。

 しかも、その薔薇が枯れる前にドライフラワーにして飾っている。おかげで、今じゃ病室中が薔薇に彩られてしまった。

 それは多分、彼女が常に大好きだった香りで部屋を満たしてやりたい、そういう思いからだろう。


「もう一年か、随分経ったもんだな」


 闇医者は思い出す、一年前の事を。


 一年前。

 イタチは、ヤアンスウを始末した後に直ぐに闇医者の病院へと直行した。リサは危機を察した闇医者が病院の地下に作っていたシェルターに移されており、無事だった。

 イタチは、自分の体内に残されている【ナノマシン】を血液毎提供し――輸血した。

 瀕死の状態だったリサの身体は、みるみる内に回復。

 あれだけ全身に刻まれた切り傷も、多臓器不全も、あらゆる怪我がまるで嘘の様に修繕されていく。

 闇医者は、自分の、医学の常識を覆す光景を目の当たりにした。


 だが――。

 何事にも【例外】が存在する。

 リサの傷は全て無くなった。だが、彼女は目を覚まさなかった。


「何でだよ、治ったンだろ? 何で…………!!」


 イタチはそう言いながら、崩れ落ちた。


 ナノマシンは【劇薬】だった。

 闇医者が、解析を試みて判った事は、【コレ】が一言で言えば、イタチの為だけに処方されたとしか言えない代物だった、という事実。ナノマシンは、最初からイタチにしか適応しないように製造されており、他の人間がそれを体内に入れれば、【拒絶反応】が起きる事になるだろう、という結論に達した。

 それでも、他者にこの劇薬の恩寵を与えるのだとすれば、長期的に何らかの薬品で、接種者の肉体を徐々に慣らし、その上で使用する以外の方法は無いだろう、と。

 寧ろ、リサの今の状態自体、奇跡に等しかった事になる。

 ナノマシンが適応者の体内に入った事により、変異した事も理由かも知れない。だが、少なくとも彼女の肉体には拒絶反応は出なかった、これが事実だ。


 しかし、彼女は目を覚まさなかった。

 医学的に言えば、彼女の肉体は生きている。

 脳波も、出ているから、完全な植物状態にも該当しない。

 呼吸器を付けずとも、自立呼吸が出来ている。

 にも関わらず、その【意識】だけが戻らない。

 こんな症例は初めてだった。

 医学的に言えば、彼女は間違いなく生きている。だが、現状を見る限り、一見すると植物状態。

 闇医者は、様々な医師と意見を交換した。

 その中には世界有数の脳医学に精神医学の権威もいた。

 そうして、出た結論。

 それは、彼女は【覚めない夢の中】にいるのでは無いのか?

 という突拍子も無い物だった。

 ナノマシンが間違いなく何かしら彼女に影響を与えた事が要因だった。だが、そもそもナノマシンについての医学的な情報が無い。

 かつての政府機関が行った実験である事をイタチから聞き出し、クロイヌにも手伝ってもらった。

 彼には許せなかったのだ。自分に治せない病気や疾患が存在する事が。どんな人物であれ、自分を頼ってここにやって来た患者を見捨てる事が。そういう意味では、彼は紛れもなく【医者】だった。


 闇医者は、彼女について徹底的に調べた。同時にナノマシンについても、何よりも精神医学について。

 手がかりを、というよりは取っ掛かりを見つけたのは、彼女の脳波をモニターしていた時だった。

 ある日、彼女の脳波に普段とは明らかに違う波形が映った。

 最初は何かの偶然なのかとも思ったが、その脳波の波形は、よくよくチェックしてみると、毎日短時間ではあるが、発生している事が分かった。そこで、その時に何があるのかを確認してみた。

 理由は単純明快だった。

 その反応は病室にイタチがいる時だけだった。

 彼女は無意識下であっても、自分を求める人物が傍にいる事を理解していたのだ。


 その事をイタチに話した。

 それ以来、彼は毎日彼女に話しかけた。その手を握り、髪を櫛で整え、耳元で話しかける。

 彼女に戻って来てほしい、そう願いながら話し続ける様子は傍目から見ていても痛々しかった。

 そうしている内に、一年が経った。


 彼女は、リサは未だ目を覚まさない。

 イタチは、今日も病室にいた。

 その日、思い詰めた顔をしたイタチは、覚悟を決めた様に、「よし」と呟くと不意に彼女に近寄る。

 そして――。


「……ちょっと行ってくるよ、待っててくれ」


 穏やかな笑顔を浮かべると、病室を後にした。

 そして、闇医者は目にした。この一年で、初めて患者の顔に穏やか笑みが浮かんでいるのを。微かな兆候を。



 ◆◆◆



 赤い髪の少年は、アンダーが嫌いだった。

 この街に登ってきたのは、知らない世界を見てみたかったから。

 アンダーの状況は少しずつ変わっていた。

 開発があちこちで始まった事で、職を手にする住民大勢出来たし、彼らが得た賃金で経済も活発になっている。

 食うものに困り、明日をも知れない毎日からこれでようやくオサラバだ、と少年の住んでいた集落の皆は安堵の表情を浮かべていた。


 だが、彼のような未成年の孤児は話が別だ。

 アンダーの執行部の決定で、孤児は教育施設で基礎教育を学ぶのが優先、らしい。教育施設には寮もあり、そこで衣食住は無料。まさに至れり尽くせりの話に殆どの孤児はそこに入った。

 流される様に少年もそこに入った。


 その施設では、読み書きに始まり、様々な知識を教えてくれた。

 謳い文句の通りに、衣食住はキチンと保証されたし、毎日ふかふかのベッドで眠れた。シャワーまであり、身体も清潔さを保てる様にもなった。誰もが満足していた…………彼以外は。


 教育施設に対して、不満が特にあった訳ではない。

 勉強が嫌だったのでも、苦手だった訳でもない。

 彼は施設でも指折りの成績を出していたのだから。

 ただ、違和感があったのだ。

 このまま、自分は流されたままでいいのか? と。

 そう思った時、もうそこにいる事が出来なかった。


 気が付くと彼は施設を飛び出していた。

 特に何処か当てがあった訳ではない。

 ただ、上の街に行ってみたいと、そう漠然と思った。

 開発されたアンダーには各区域への往き来の為の通路が無数にある。人の往き来の物、物資搬入用の物等と各々に用途役割が決まっており、身分証明書さえ持っていれば往き来は可能だと。

 だが、少年には身分証明書等は無かった。

 困った彼が思い付いたのは、アンダーから行商に出る商人の荷物に潜り込む事だった。

 幸い、その商人はかなり名の通った人物だったのか、あっさりと上の街に入る事が出来た訳だが、問題が起きた。


 その潜り込んでいた荷物には【麻薬】が隠されていた。

 彼が何故、それに気付けたかは簡単だった、彼は以前、麻薬で正気を失った余所者に自分の兄を殺されたのだ。あんな粉のせいで人が死ぬのが許せなかった。麻薬が憎くて、憎くて仕方が無かった。だが、それ以上に何も出来なかった【自分自身】が憎かった。

 だから、彼は暴れた。近くに麻薬の受け渡しがあると聞き付ければ、そこを襲撃した。武器はそこらに転がっている棒切れで充分。安物の麻薬の取引をする連中は、大した武器も持ってはいない。先手必勝で襲いかかり、容赦なくブチのめした。

 彼が教育施設に入るキッカケも、いつもの様に襲撃しようとしていた所を【執行者】に見つかったからだ。

 銀髪で、隻腕の青年はこう言った。


 ――お前には、まだ【選ぶ権利】がある。まだこっちに来るのは早い。


 そう言われ、気絶させられると、施設にいたのだ。

 後は流れる様に、入所して勉強の日々だったが。


 何にせよ、麻薬は少年が絶対に許せない物だ。

 だから、彼は上の街に上がった事を知るとすぐに動いた。

 荷物から飛び出して、隠されていた麻薬に火を付けた。

 あっという間に火の手が上がり、商人は驚く。何が起きたのかとパニックになりながら、火を消そうとしていた様を物陰で見ていた訳だが、それが仇となった。

 商人は数人の護衛を連れていたが、その一人に姿を見られ、捕まったのだ。


「テメェ、ガキだからって無事に済むなんて思わねぇよなぁ」


 穏やかそうな商人の形相は、一転し、凶悪そのものだった。

 手足を護衛に押さえつけられ、無抵抗の少年に商人は容赦なく暴力を振るった。顔は腫れ上がり、アザだらけにされた。

 それからは、毎日暴力を振るわれる毎日だった。まるでサンドバッグの様にストレスの捌け口にされた。


 この商人は、実際には麻薬の売人だったのだ。それもかなり大物の。しかも取り扱うのは、そこいらに溢れる安物ではなく、元は軍用に開発された【フォールン】。

 ほんの少量でも高値がつく代物で、麻薬の中の【ダイヤモンド】とさえ言われる高級品。


 商人は、毎日様々な連中にそれを捌いた。

 買いに来るのはジャンキーではない。どいつもこいつもシラフ。ただ、その全員、いずれも劣らぬ悪党なのは浮かべている表情で、少年にもよく分かった。


『逃げなくちゃ、逃げて、この悪党を何とかしないと』


 この連中に、自分の手でどうにか出来るとは思わなかった。

 この連中はいずれも銃を持っている。棒切れで何とか出来る様な相手じゃない。それを理解出来る位には、少年は冷静だった。

 だからジッと機会を待った。

 商人や護衛が気を緩める時を。

 自分が縛られている縄を歯で少しずつ、噛み千切る。

 慌てずに、慎重に周囲に気を配り、少しずつ確実に。


 そうしてある晩。

 機会は訪れた。商人達は大口の取引相手が来たらしく、その応対に忙殺されていた。

 少年は縄を一気に噛み切ると、逃げ出した。

 そうして、今、ここに至っている。


「はぁ、はぁ、なんだよここ?」


 外に出た少年が目にした光景は、てっきり第十区域かと思っていた場所は、廃墟の立ち並ぶ区画だった。

 打ち捨てられたコンクリートのビルやマンションには、ところどころに明かりがついており、誰かが住んでいるらしい。

 こんな場所にいる住人がマトモとは思えない。

 どうにかして、ここから逃げようと息を潜めていると、スピーカーから声が聞こえる。


 ――あーー、この楽園にお住まいの皆さん、夜分遅くに申し訳ない。だが、皆さんにお願いしたい。私の飼育していた【野良猫】が逃げ出しました。なかなかに凶暴な奴です。もう飼育するつもりはありませんが、ここの事を外の奴等に話されても迷惑。

 ですので、今から【狩り】をしましょう。

 野良猫を殺して首を差し出してくれた方には特別に【フォールン】を無償で五グラム進呈します。価格にすると、二十万にはなります。宜しければ是非ご参加を。


 少年はゾッとした悪寒を感じる。 

 商人の声からは嬉々とした響きを感じた。

 怒りを通り越して、嬲り殺しにするつもりなのだと理解した。

 何よりも恐ろしかったのは、その放送をキッカケとして、廃墟から大勢の男達が続々と姿を見せたのだ。

 数にして、ざっと百人はいるだろう。

 彼らは、ライトを手に闇に潜む赤髪の少年を探す。

 その無数の明かりが恐ろしい。

 とても逃げ切れそうにない。

 見つかれば間違いなく殺される。


『どうすればいい? 何処に逃げればいいんだよ』


 ガタガタ震える手足。そこに一つの明かりが当てられた。


「見つけたぜーーー、ガキがいやがる……ブチ殺せ!!」


 その狂った様な嬉しそうな声は、狩りの始まりだった。



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