帰還
バイクを駆っているとき、身体は風と一体化する。
時に心地よく、時に激しくこの身を打ち付ける風に身を任せる。
何処までも続くかのような一本道をただ、真っ直ぐに走る。
あれからもう一年になる。
あの日を境に、アタシは街を出た。
理由は色々ね。
色んな事を考えたかった。
父の事。
ずっとアタシの身を案じてきた育ての親の事。
それから――――自分自身の事を何よりも。
特に目的があった訳じゃない。
ただ、気の向くままにバイクに跨がり、風の向くままに日が落ちるまでアクセルを吹かして、晴れの日も、雨の日も走った。
綺麗だった車体はすっかり撥ねた泥で汚れちゃった。
昔、カラスと一緒にあちこちの街を巡った事もあったけど、子供だったアタシに見えていた事なんて、どれ程の物だったんだろうか? そう思ったら、気が付くと昔の自分が見ていた物を改めてこの目で確認してみたくなった。
実際のところ、もう一度見る各地の姿は、何て言えばいいのかな、懐かしさっていう物を感じるのかも、とか思っていたけど。
何も感じなかったわ。
昔の、ほんの少しの時間しか、そこにいなかったからかな。
思っていた以上に何もね。
近くにあった食堂のおばちゃんには会えたけど、向こうからすればまだほんの小さな子供だったアタシだと気付く訳もない。
ただ、滅多に来ない余所からの客の一人なだけだ。
昔食べたチャーハンの美味しさだけは記憶通りだったけどね。
そうそう、昔と違っていたものが一つだけあったわ。
それは、【夜の姿】。こうとも言えるわ……【裏の姿】ってね。
子供だったアタシには、暗い部分は見えなかった。
ううん、違うか。多分、カラスが見せなかったのかな。
お嬢は見ちゃいけない、とか何とか言ってね。
何処の街にも悪い奴等が巣食っていた。
彼等は、様々な場所に入り込み、弱い人を食い物にしていた。
何処の街でも同じね。
連中は、強欲に蠢動し、獰猛に奪い、仮初めの繁栄を謳歌する。
それが如何に脆弱な物なのかを理解している。だからこそ、絶えず他者を虐げる。只々自分の為だけに、貪欲に、狡猾に。
昔と違うのが、もう一つあったわね。
それは、アタシにもそれなりに力があったってコト。
別に善人ぶるつもりは無かった。
場合によっては、関わらない場合もあった。自業自得である事に関与はしなかった。
でも、何の咎も無い、善良な人達が理不尽な暴力に脅かされるのだけは許せない。
そういう連中はアタシがぶっ壊してやったわ。
小さな組織のボスを叩きのめした事もあった。
強盗をしようとしていた連中の襲撃を食い止めた事もあった。
分かってる、こんな事をやっても所詮は一時凌ぎに過ぎないって事はね。この世から悪党が消える事なんて有り得ない。
でも、少しだけ、本当に少しだけは時間を稼ぐ事は出来たはず。
その僅かな時間で、少しでも備えるコトが出来れば、少なくとも被害を未然に減らすコト位は出来るハズ。
出来るコトはしたわ、護身術を教えたり、地域の皆で団結するコトも。少しでも皆が安心して暮らせれば幸いよ。
あちこちを巡っている内に、クロイヌからは何度か連絡が届いた。だから、塔の街がどういう状況なのかは大まかには把握出来ていた。皆、それぞれ頑張っている姿が目に見えるようだったわ。
でも、そんな中で一人だけ、記述が極端に少ないヤツがいた。
アイツのコトだけ、露骨に現状が分からない。
これは意図的なのか、それともアイツが何もする気力を失くしたのかは分からない。
そうこうしていく内に、一年が経とうとしていた。
繁華街に、【バー】が再建された、とリス君から連絡が届いた。
資金を出したのは、クロイヌかと思っていたら、イタチ君がその殆どを払った、と聞いて驚いた。何でも、クロイヌが出そうとしたお金を突き返したそう。
リス君からは、こう綴られていた。
――オーナーの帰りを皆待っていますよ、とね。
だから、帰ってきた。
この懐かしい故郷に、愛すべき汚れた街に。
長大な壁に覆われた検問を抜け、バイクを走らせるコトおよそ三十分。景色は、殺風景な印象の兵舎だらけの境界から、豊かな田園風景、そして、見えてきた。
「はあ、久し振りねぇこの街も」
たった一年だったけど、随分久し振りな感じだった。
表通りは前よりも騒々しいかも知れない。
たくさんの露店が並んでいて、美味しそうな匂いが鼻孔を刺激したり、少し怪しげな品物を扱う店もあった。
彼らがアンダーからの出稼ぎで、自分達と周りの人々の評判の為に必死に働いている。それは、とても好ましくて、楽しくなる光景だったわ。
「見つけたーーーー、レイコさあぁぁぁぁん」
顔馴染みの声が聞こえてきた。
彼だけはこの一年間、何も変わっていない。
相変わらず、クルクルと何がそんなに嬉しいのか小躍りする様に回りながらこちらへと向かってくる。
「久し振りね、ホーリー君」
「貴女がお帰りになるのを首を長ーーーくしてお待ちしておりましたよ♪」
そう言いながら、バカ、いえホーリー君は顔をスリスリ近付けてくる。ほんっとうに鬱陶しいわ。そう思ったら思わず手が出た。左のアッパーがきれいに顎を捉え、「ひでぶ」と変な声を出して身体が宙に舞った。地面を転がったホーリー君は、ゴミ箱に突っ込む。
ガラガシャン、とハデな音。
「い、いやぁ、相変わらずのいい攻撃。ああたまらない」
「あのさ、アンタ避けれるんでしょ? あの位は」
そう、前から疑問だった。
ホーリー君は普段は隠しているみたいだけど、本当はかなり強いハズ。チャラチャラしているから誤魔化せている部分も多い。
でも、時折見せる動きの端々に、明らかに訓練された物が入っている。それもかなり本格的に、ね。
だからこそ、アタシも気遣いなくこうしてブッ飛ばせるんだけどね。
「まさか、そんな訳無いじゃないですか」
ホーリー君はさっきのアッパーなんか何それ、って感じで跳ね起きる。全く……呆れる程にムダにタフなのよね。
「だって、レイコさんからの愛情を避けるなんてバカなこと出来るハズが無いじゃないないですかッッッッ」
目を爛々と輝かせながら、無邪気な笑顔を浮かべた。どうでもいいケド、頭にゴミを被ったまま来ないで欲しい。……臭いから。
もうどうでもいいわ。
とりあえず……。
「死んどけーーーーーッッッッ」
「ぶへららっっっ…………幸せだ、ぐふっ」
こうして顔馴染みとの挨拶が一つ終わった。
全く、変わらないってのも困り物よね。
◆◆◆
「さて、と」
バーに近付くにつれ、心臓の鼓動を感じる。
たった一年なのに本当に懐かしく、もう何年か振りみたい。
周囲の景色もこの辺りはあまり変わっていないみたい。
でも、少し気になるのは、少しだけど空気が重いコト。
この空気はこの一年間で、散々吸った。
うしろ暗い誰かが、ここいらにいる。犯罪の匂い。独特の重苦しい空気。
クロイヌからの連絡で、大まかには聞いていたけど、確かに少しキナ臭いわね、ここいらも。
とにかく、細かいコトは後ね。まずは久し振りの我が家よ。
外見は前よりも少し大きくなっているみたい。
壁の色は前と同じ、ドアに付けられた鳩の飾りを見ると、前の物をそのまま使っているのかな。
ドアを引くと、ガララアン、というあの鈴の音。
「あ、レイコさん」
音を聞いてカウンターの奥から出てきたのは、ウサギちゃん。
前よりも何だか柔らかい雰囲気で、綺麗。
「ウサギちゃん、久し振り――それにしても」
「な、なんです?」
目が向くのは、彼女のお腹。連絡で聞いていたけど、まだ特に目立たない。
「お、お腹……気になりますか?」
「う、ううん。でも、何て言うかウサギちゃん、前よりキレイだよね。やっぱり幸せ者は違うなぁ」
「そうかな? 嬉しいです。レイコさんにそう言ってもらえて」
はにかみながら見せた彼女の笑顔は、本当に眩しくて、優しい。うん、これならお店を始めたら、きっと好評に違いないわね。
「どうした? あ、オーナーお帰りなさい」
リス君が地下からお酒を運んできた。彼も一年間で大分逞しくなっているみたい。これなら、ちょっとやそっとのチンピラじゃ相手にもならない。
「リス君、悪いわね。お店の準備させちゃって」
「いいんですよ、俺に出来る事は何でもやりますから」
「それにしても、バカが一人出てこないわね?」
アタシはそう言いつつ、周囲を見回す。
ここにいるはずのバカが一人姿を見せない。アイツは何やってるのかしら? 全く……。
すると、リス君がお酒をカウンターに置くと、気まずそうな顔をすると、おずおずと話し始めた。
「イタチさんなら、多分…………今病院です」
「え、何? アイツ、ケガでもしてるの?」
私の問いかけにリス君は、いえ、とだけ言葉を返す。
ウサギちゃんも同様だ。何だか、気まずい空気ね。
「アタシ、悪いコト聞いちゃった?」
「いえ、その。そうかもです」
リス君はふー、と一息入れる。天井に目を向け、何を話すかを考える素振りを見せた。
大体、五秒位だろうか、意を決したらしく、口を開いた。
「隠すつもりは無かったんですけれど……」
そこから聞けた話は、正直今までの明るい気分を反転させるには、充分だった。
イタチ君にとって最も大事な人の話。
クロイヌや、リス君に、ウサギちゃんからの連絡にもあまり触れられなかったから、見落としていた。
「悪かったわね、話をさせちゃって」
「いいんですよ、いずれは分かる事ですし。だから、その、イタチさんをあんまり責めないで下さい」
リス君の目にはうっすらと涙が滲んでいた。
本当に気を使わせちゃったみたい。悪いコトをしたわ。
結局、その日、イタチ君は帰って来なかった。
ウサギちゃんの話だと、アイツは最近、ウチに戻らずにUEOとかいうアンダーにある治安維持組織の本部によく寄り道するらしい。で、一晩経つとまた、病院に通う生活を繰り返してるそう。
店の手伝いはあんまりしないけど、たまに店に戻った際には、お金を置いていく、それもかなりの大金らしい。その話から察するに、まず間違いなくイタチ君は【掃除屋】を一人で受け持っているのだろう。
「リス君、一つ聞きたい話があるんだけど」
イタチ君については時間がかかるだろう。
今度帰ってきたら、ゆっくり話しでもすればいい。
それよりも、今は近所の掃除をしなきゃ、ね。
その日の夜。
バー近くの古物商の店の中。
深夜なのに、明かりがついている。
ここは、ここ半年程で、店主が変わったらしい。それまでは穏やかなお爺ちゃんが店先にいたんだけど、急病で療養しなければ、という理由でやむなくお店を手放したそう。
そこを買い取ったのが、今の店主らしいけど、これがどうにも胡散臭いと評判が高い。
何せ、お店に来るのがどう見ても怪しげな連中ばかり。
マトモなお客さんがたまに来店しても、追い出されるそう。
当然、物が売れないんだから赤字のはず。なのに、店主の羽振りはすこぶる良くて、繁華街のキャバレー等に頻繁に訪れては派手にお金を落とすそう。
しかもタチが悪いのは、塔の組織にも多額の上納金を支払うから、クロイヌが手を出せないそう。
それで、すっかり調子付いたのか、最近じゃ、ここいらの住民に嫌がらせまでかけているみたい。
既に何軒かが空き家になっていて、それを店主が書いとる。そうして、怪しげな連中にその家で住まわせ、ここいらで徐々に存在感を増しているらしい。
何にせよ、ブッ飛ばしてもいい奴なのは間違いなさそう。
今回、リス君とウサギちゃんにはお留守番をお願いしたわ。
何かあっちゃ大変だから。
ガララン。
引き戸を引くと、鈴がなる。
私は身構えて見たものの、誰も出てくる気配は無い。
おかしい? 少なくとも護衛が何人かいるらしい。なのに、誰も出てくる気配が無い。
店の中に足を踏み入れると、すぐに異常に気が付いた。
血の臭いがする。それもかなり濃厚な。
そっと、店を抜けて奥に入る。
すると、そこにいたのは……完全にのされた厳つい男達。
さらに一番奥に手足を折られた貧相な男。どうやら、こいつが店主みたい。口からは泡を吹き、失神している。
そして、立っていたのは一人。
「よ、オーナー」
「イタチ君、久し振りね」
そこにいたのは間違いなくイタチ君だった。
その目には、深い【闇】を称え、何処か暗い翳を漂わせつつ。
アタシ達はこうして、再会した。