化け物とケモノ
オレが第四区域の集落に足を踏み入れた時、ハッキリ感じた。
……濃厚な匂いだ。死の匂いだ。鼻をつくような血の匂いはむせかえる程にキツい。コータ、いやリスの話の通りだ。
家は窓を割られたり、ドアを破られたり、或いは半焼していたりと酷い有り様。
「う、っっ」
思わず手で鼻を覆う。
だかそれ以上に血の匂いがキツい。ここで人が死んだという事だ、しかも一方的な形で。
ざしゃ、という物音。それに下卑た無数の気配。
オレは無言でナイフを左へと投げる。あの野郎の手下が地面に伏した。
狙い通りにナイフは喉を貫いている。その上で声をあげる。
「どうした? ……奇襲のつもりならもう失敗してるぞ」
オレの言葉が連中に届いたらしい。隠れていたてした達が囲むように姿を現す。人数は、六人。
…………問題ない。 奴らの武器を確認。全員が斧。【デモリッション】の手下に相応しく、解体しやすい武器だ。連中はオレを囲んで勝ちを確信したのだろう、ニヤニヤと笑顔を浮かべている。
「バカな奴だ」
「ボスがバカが来るかもしれないから待ち伏せしとけって言ってたけど、ホントに来たぞ」
「一人で来るとはいい度胸だな、あぁん!」
「何とか言えやカスが」
オレの背後にいた奴がオレの肩を掴もうと手を伸ばす……瞬間、体を反転させながら、右肘をソイツの喉元に叩き込むと左手で斧を奪い取る。
それが開戦のきっかけだ。連中が一斉に向かってくる。
《いいか、囲まれるのは戦闘では一番良くない形だ。次に良くないのは…………》
不意に頭に誰かがフラッシュバックする。知らないハズなのに知ってる気がする。
《じゃあ、どうすればいいか分かるか? ○○○○?》
《はい、みんなころせばいいです》
《ははは、正解だけど、正解じゃあないな》
《じゃあ、どうすればいいの×××さん》
《ん?じゃあ教えようか、それはだな…………》
それはほんの一瞬の事だろう。しかしその一瞬はイタチの中で何かを変えた。決定的に。
視界に入る連中をぐるりと一瞥すると斧をその場に捨てる。
手下達は、わざわざ武器をすてるイタチを見てバカにするような笑みを浮かべると襲いかかっていく。
……自分達が返り討ちに合うとは全く考えずに。
◆◆◆
「でも、カラスさん。 イタチさん一人で大丈夫なんですか?」
「気にするな、アイツ一人で問題ない」
「でも、あの集落見たら人間とは思えない。デモリッションは化け物ですよ」
「まぁ、落ち着け。」
カウンターでカラスがリスと話している。リスはカラスが余りに落ち着いているので、逆に不安になった。
ちなみにバーは今日は結局休みにした。オーナー判断で。
「デモリッションって奴がどの位の奴かは知らないが、イタチが死ぬことは無いとは断言出来るな」
「……カラスさんが鍛えたからですか? 確か師匠だって」
「俺がアイツに教えた事は一つもない」
「……どういう事ですか?」
リスがよく分からないといった表情で考えているとオーナーが上から下りてきた。手には、マグカップが三つ。
「今の言い方には語弊があるわね」
そう言いながらマグカップを置いてコーヒーを注ぐ。
「カラスは話を簡潔にしすぎよ、あれじゃいちいち考えながら話を聞かなきゃダメじゃない」
「そうですね、すみませんでした、悪かったなリス」
「い、いえ、気にしてないです」
慌てて注がれたコーヒーを飲む、入れたてで慌てたので、危うく口の中で火傷しそうになった。
リスがしばらく悶絶して落ち着いたのを見て、改めてオーナーが話を続ける。
「リス君、普通強くなるにはどうすればいいか分かる?」
「強い人に習うのが一番じゃないですか?」
「そうね、正解。カラスはイタチ君を確かに鍛えたけど、それは技術的なものじゃないのよ」
「え? じゃあ、何を」
一拍間を置いて、カラスが話を繋ぐ。オーナーはコーヒーをゆっくりと優雅に香りを確かめながら飲む。
「俺が教えたのは、戦いの時の心構えや、極限時の生存術だ。主にな」
「じゃ、格闘は……」
「アレはアイツが【最初から身に付けていたモノ】だ。アイツ曰く、スラムで生き延びるうちに身に付いたらしい」
「そうなんですか」
納得し難いといった表情のリスを尻目にカラスも改めて考える。
そう、アイツは訓練された動きを身に付けていた。何処で習った? と確認したが、アイツは何も知らない様子だった。訓練しなくても強い奴もいなくはない、デモリッションがいい例だろう。
だが、アイツのは違う。アレは訓練しないと出来ない、調べようにも身分証明が無い。まるで…………。
「…………、」
カラスが考え込んでいるのでリスはこれ以上聞けなくなり、コーヒーを今度はゆっくりと飲んでみた。
「! 美味しい」
「でしょ? ウチはコーヒーには自信あるのよね〜♪」
「それに香りが凄くいいです、何だろう」
「そのうち教えるわ、イタチ君は大丈夫よ。そういう事」
オーナーは笑顔でコーヒーを飲む。その表情に迷いや憂いは感じられなかった。
◆◆◆
ドシャ。
生々しい音を立てて男が倒れた。そこには、ちょっとした池があった。
真っ赤な水の池は、倒れている男達の流れる血で出来た血の池だった。そこを無造作に歩く人影。
人影は池を抜けると暗闇の中に溶けるように入っていく、もう一人、血の池に沈めるために。
ランカスターはワクワクしていた。気分が高揚するのが分かる。人を解体するのは楽しい。
指を、腕を、足を、一本ずつ解体しながら、ゆっくりと殺すと、相手はとても豊かな表情を見せる。
声もたくさんの種類がある、恐怖、絶望、懇願にと挙げたらキリがない位。全員に個体差があるからデモリッションは解体した奴の事は詳細にノートに書いていた。
それはこの解体者にとって最高の娯楽を追体験出来る最高の時間。
そこに、一人の人影が背後に姿を見せる。手下達ではない。小柄で何処かケモノの様な奴。
「お、オマエ誰?」
「解体しにきた。……お前をな」
イタチの目の前には一人の巨漢。二〇〇センチくらい、体重は一五〇キロ位だろうか。
巨漢は全身に血を浴びていた。一般人ならその姿を見たら絶叫するだろう。その血は勿論、自身のではない、返り血だ。
「…………、」
イタチの視線はランカスターの背後に向いていた。
それは無造作に捨てられていた。間違いなく、人間だった肉塊だ。
イタチは、自身も人殺しであるから人の生き死にそのものは当たり前の事実として受け止めてはいる。が、目の前の彼らは何故死ぬ必要があったのか?
そう考えると柄にもなく怒りが込み上げるのをハッキリ感じた。
ランカスターもイタチが怒りに満ちているのを敏感に感じ取っていた。ただし、ランカスターにとってはそれは一種の【スパイス】の様なモノだ。
二人は、互いににらみ会う。数秒の沈黙の後に先に動いたのはランカスターだ。
無造作に右の拳を振り抜く。隙だらけに見える一撃だが、その一撃は避けるしかないとイタチは直感的に感じた。
一秒程前に自分がいた場所に拳がめり込んでいる。この巨漢の一撃は人間業ではない。そう判断するとイタチは即座にオートマグを腰から引き抜くと引き金を引く。
狙いは寸分違わずにランカスターの心臓を撃ち抜いた……はずだった。ランカスターの反応速度が予想以上に早い。
側面に避けた自分に対して、ランカスターが即座に左腕を振り向けてきたのだ。
オートマグの銃口がそれて銃弾は心臓にではなく、左手首を撃ち抜いた。一瞬で手首から先が落ちたが、その化け物は気にする事もなく、そのまま噛みつこうと飛びかかる。
後ろへスウェーして回避する。その隙にランカスターの右手がオートマグを弾き飛ばした。
チッ、と軽く舌打ちするイタチ。オートマグを拾うのは後だ、場所が悪いからだ。オートマグがあるのは部屋の奥。ランカスターを避けて拾うのは余裕だが、死体だらけの場所は足場が最悪でランカスターの攻撃をかわすには厳しい。
「オ、マえつよイな」
ランカスターは左手首から先がなくなったのを全く気にしていないようだ。
今度はイタチが仕掛ける。一気に間合いを詰めると、右肘を振り上げてアゴに叩き込む。ランカスターの巨体がグラリと後ろに倒れる。即座に追撃の一撃を入れようとするが、嫌な予感がした。後ろへ飛ぶ。そこを何がが通り過ぎた。
バッと音を立てて、イタチの腹部から血が流れる。
ランカスターの右手には鉈が握られていた。刃は赤黒く染まっている。これがデモリッションの為の解体の為の相棒だ。
「オマエ、バラばらにしてみたい」
ゆっくりと起き上がるランカスターの巨体。
イタチはスーッと息を吐く。深手では無いので傷は気にしない。
今度はランカスターが動き出す。鉈を今度は上段から降り下ろす。
ランカスターは初めての感覚を味わっていた。
かつてない興奮。目の前の獲物を解体したい、解体したくて仕方ない。左手が無くなっても大した事ではない。
思わず叫ぶ。
「お、オれをタノシマせろよ!!」
なら応えてやるよ……逆の意味でな…………。
そう心で思うと降り下ろされる鉈に右の手刀を全力で叩き込む。手刀は鉈の軌道をずらし、鉈はそのまま地面に直撃した。
イタチは左の掌底をランカスターのアゴに再び喰らわせる。ぐらりと一瞬巨体が傾く。続いて右足でランカスターの左膝を踏み台にすると一気に左腕を首に回しクルリと勢いよく後ろへと回り込む。そして一言呟く。
「――死にな!」
全体重をかけてランカスターの首に負荷をかける。ランカスターの体が弓なりに伸び、ボギン。
とそのまま首の骨が折れる。
「が、がが、っ」
ランカスターは声にならない声をあげ、地に伏した。ビクビクと震えている。
ランカスターに初めての感情が生まれた、それは恐怖。身体の自由が無くなっていく。
イタチはランカスターを無視して、オートマグを拾いにいく。少年達に対して、可哀想とは思うが、死んだ者は帰っては来ない。そこにあるのはただ役目を失った、抜け殻。
ならばせめてもの手向けとして、オートマグを拾うとその銃口をランカスターの巨体に向ける。
ランカスターはイタチの表情を見て更に恐怖した。そこには何もない。
快楽も怒りも何もない。
初めて知った。目の前の奴は自分と格が違うと。
「なあに気にすンな――」
イタチはオートマグの引き金を引いた。
「――簡単な話さ。お前よりオレの方がケダモノなだけだ」
誰に言うでもなく呟いた。
そこにあるのはただの肉の塊、ただの抜け殻だけだった。




