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イタチは笑う  作者: 足利義光
第十三話
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目覚め

 

「……三下? それはおれに言ったのか?」

「……アンタ以外に誰がいるのよ!!」


 レイコの怒声が響く。

 キン、と甲高い、しかし強い意思を含んだ声だ。

 その場の時間が一瞬凍りついた、そんな感じだった。

 それまで余裕の笑みを浮かべていたヤアンスウですら、思わぬ展開に少し驚いている。


「お前、おれを舐めてるのか?」


 殺戮人形はそう言い放つと目の前の相手に持てる殺意の奔流を、その塊を叩き付けた。

 レイコの全身が泡立つ。それはおおよそ、人間とは思えない。かといって、野生の獣とも明らかに違う。

 それは、殺意という形を取った【無数の怨嗟】だった。

 イタチという器に強制的に流し込まれた数十万という人々の。

 その怨嗟がまるで一つの生き物として、動いている。

 それこそが今、この場を蹂躙したあの殺人鬼の本質。そう、レイコは理解した。

 心底恐ろしかった、こんな相手に自分が何を出来る訳でも無い。

 間違いなく、待つのは確実な死だろう。

 それでも、退くつもり等無かった。

 レイコは震える全身に喝を入れる様に「あああっっっ」と声を張った。退きそうになる身体を無理矢理押し戻す。


「へぇ、逃げないんだ……」


 殺人鬼は、この活きのいい獲物が今の殺気を前にして堪えたのが、意外だったらしく、思わずヒュウ、と口笛を吹く。


「逃げるワケないでしょ、アンタみたいなヤツを相手に。アイツに……イタチ君に変わりなさいよ、さっさとね」

「何だって? …………何だか気に食わないな」


 殺人鬼がその表情をピクリ、と僅かにひきつらせた。

 ダルそうに首を回し、上半身を後ろに引き……不意に一気に前に飛び出し――右掌を張り手の様に繰り出す!

 その場にいた全員がその一瞬、右掌に黒い靄の様な物を見たかの様な錯覚に落ちた。それはまるでドス黒い殺意を掌に凝縮した様に見えた。

 レイコにもそれは一瞬見えていた。背筋が冷たくなるのが分かる。近寄ってくる人の形を取った【殺意と怨嗟の塊】が恐ろしい。迫る掌に触れられでもしたら、全身がバラバラにでもされそうにすら思える。


『でも、逃げない。そう決めたから。叩き起こして……アイツに一発喰らわす』


 息を僅かに吐く。後ろ足を伸ばしながら荷重を前に加え――左手を繰り出す。その左手の肘で殺人鬼の右手を反らしつつ踏み込むと、縦拳を顔面にめり込ませた。


 それは思わぬ反撃だった。

 決して油断していた訳では無かった。

 だが、殺人鬼は、何が起きたのかが分からなかった。

 目の前の獲物が、思っていた以上に殺し甲斐のある相手だとは理解出来た。それでも、動きは【観えていた】。いくら無駄のない動きだとしても、観えている以上、何とでも出来たはずだった。


 なのに。

 縦拳が今、顔面を直撃している。何の対応も出来ずまともに喰らった一撃はカウンターとなり、衝撃が全身を震わせ――脳を揺らせる。

 いくら【スイッチ】に【リミッター】が常時ONになっていようとも、いくら【ナノマシン】の効能により、擬似的に【不死】とも思える回復力を得ていても、ナノマシンを完全に機能させる為に【フォールン】を投与されていようとも、関係無い。

 脳からの指令が途切れ、膝ががくり、と落ちる。レイコはすかさずに追撃をかけていく。

 右掌底を相手の顎に叩き込む。そのまま手を回し首を掴むと引き寄せながらの左膝をさらに鼻先へ。更に腰に手を回すと一気に投げを繰り出す――――「とっとと起きろバカイタチッッッッッ」と吠えながら。



 ◆◆◆



≪な、何なんだ? 何が起きてるんだ≫


 ソレは激しく動揺していた。

 何が起きてるのかが全く理解出来ない。

 あの女の攻撃が悉く直撃していく。

 観えているのに、避けられなくとも、何とでもやりようはあるはずなのに。顔面への連撃は確実に脳を揺らせ、動きを物理的に遮断していく。避けられるハズなのに、身体が上手く動かない。

 動かない……いや動けない。

 動けない、何でだ?

 そこでソレは気付いた。そんな事が出来る存在がいる事を。

 さっきまで無かったはずのそいつの気配が戻っている事に。



≪!! お前か? お前の仕業なのかッッッ≫


 ソレがこの事態を招いた張本人に向け声をあげる。

 薄暗い空間でどよめきが起きる。

 そこには一人の男、イタチがいた。

 周囲のナニカはその姿形が一定しないのに、イタチだけは反発しているかの様にハッキリと人の形を保っているのは強い自我故だろうか。


≪何故だ? お前の人格はおれに呑み込まれた。もう、【自我】を保てるはずが無いだろ? …………なのに。何故そこにいやがる≫


 ソレが叫ぶと周囲のナニカが一斉にイタチへと飛び付き、まとわりついていく。ドロドロした消化液みたいな分泌物がイタチの何かを溶かしていく。まるで相手の全てを否定し、暗い闇に引き込む様に。形を失い、消えていく。


≪そうだ、お前は所詮、おれが目覚めるまでの【仮初め】の人格。そんな存在がおれに立ち向かえるはずがない。

 ――――このまま溶けて消え失せろッッッ≫


 ソレは、消えていくイタチの姿を満足そうに見ていた。

 だが。


「で、お前は何が怖いンだ?」


 声は後ろから聞こえた。

 ソレが振り替える瞬間、強烈な右肘が鼻先を直撃した。

 がふ、と思わず呻きながらソレがたたらを踏む。


≪ば、バカな? 何でお前がいる?≫

「バカはお前だろ? 自分から言ったじゃねェかよ、ここはオレ自身の頭の中なんだろ? オレの中に詰まっていた数十万人の連中の戦場やら実験やらのデータをビッシリと詰め込んだ、云わば【怨嗟】の記録ってヤツなんだろ?」

≪そ、そうだよ。自分が誰かも分からないお前は、何も知らずにのうのうと生きて来た。その裏でおれはコイツらを手懐けていったんだ。誰がこの【器】に相応しいかを証明する為に……はっ≫


 ソレは気付く。自分がそうしてこの身体の主導権を、器を動かす為に精神を奪った様に。このイタチの人格も同様の事をしたのでは無いのか、と。この無数の怨嗟を。押さえ付け、精神に干渉して来たのでは無いのか、と。

 睨み付ける視線を受け、イタチは不敵に笑い、それを肯定した。


「そういうこった。お前に出来てオレに出来ないハズ無いよな?

 尤も、オレはお前みてぇに、イチイチここの連中を無理矢理従わせたりはしねぇ。……オレはコイツらを自由にしてやるだけだ」


 そう言うと、薄暗かった空間に光が差し込んでいく。

 ナニカはその光を浴びると、消えていく。微かに人の姿を取り戻すのは元の姿なのだろうか、その表情は安堵に満ち、穏やかに見える。

 その光景を目にしたソレは動揺し、叫ぶ。

 消えていく。殺人鬼たる自身の根源が失われていく。


≪や、よせっっ。お前は何をしているのか理解出来ていない。

 コイツらは、おれの……おれたちの【存在意義】だ。

 おれたちが常人を越えた存在である事の証明なんだぞ。

 コイツらを消しちまったら……根本からおれたちが【消える】≫

「へぇ、上等じゃねぇかよ。……試してみようぜ。オレたちが消えるかどうかを、よ」

≪く、ふざけやがってこの出来損ないがッッッっ≫


 ソレが怒りを剥き出しにして、イタチへと襲いかかる。

 繰り出す拳は空を切り、代わりに相手の拳をその身に受ける。

 ピシピシ。

 何かがひび割れていく感覚。


≪くそっ、死ね。死ね。死ねッッッッッ≫


 ソレは焦燥感を感じながら、次々と拳を、蹴りを放ち、敵を偽者の自分を攻撃していく。

 偽者――イタチはそれを悉く受け流し、捌きながら、的確に反撃する。

 掌底が膝がめり込み、手首を捻り――投げを決め、ソレは転がされる。

 それはまるであの腹立たしいレイコの様な動きと反撃。

 あんなのは、人を【殺さない】とか言う甘っちょろいヘタレの技のハズ。

 なのに、どうしてなのか?

 その一撃、一撃がズシリと【重い】。

 殺人技術のみを伝えられた自分の方が、ずっと強く殺傷力の大きい一撃を放てるハズなのに。もっとえげつない技を持っているハズなのに。なのにどうしてだ? どうして倒れない?

 所詮は、蓋をする為の仮初めの人格の癖に。ソレは叫ぶ。


≪くっそおおおおおっっっっ≫


 イタチは、ソレの顔面に全体重をかけた強烈な一撃を叩き込む。

 まともに喰らったソレはゴロゴロと吹き飛び、転がる。

 ピキ、ピシッッ。

 割れたのは、ソレだった。

 正確には、ソレが纏っていた何か。殻の様に砕け、そこに姿を見せたのは――少年だった。

 イタチには少年が誰かハッキリと分かる。

 ソレはかつての自分。あの【虐殺】を行った事に絶望し、自分を嫌悪し、突き放してしまった【心の欠片】。それは後悔と慚愧の念に囚われた自分の一部。

 少年は叫ぶ。


≪何でだよ、何でおれの物にならないんだよ?≫

「気付いてンだろ? オレもお前も一緒だって。オレとお前は同じく、等しくオレなんだって」

≪くっそおおっっっっっっっっっっ≫


 少年が殴りかかる。もうイタチは動かない。

 拳を、蹴りを、その全てを避けずに受けていく。

 少年の心の中にわだかまる思いを受け止めるかのように。


≪何でだよ、反撃しろよっっっ、おれはお前の敵なんだぞっ≫


 少年は叫びながら、膝を付く。その姿は弱々しく、とても殺人鬼と言える様な物では無い。


「いや、な。お前をブッ飛ばしたりでもしたらよ、怒られちまうよ。あの人にな」

≪あの人?≫

「オレが目を覚ませたのも、おっかねぇ姉ちゃんのお蔭なンだ。

 あの人なら、お前の事を知ったらぜってぇ、こう言うぜ。

 四の五の言わずにさっさと助けなさいッッッッッ、てな」


 だから……そう言いながらイタチは手を差し出す。

 少年に、かつての自分に。


「さ、とっとと姉ちゃんがキレる前に起きねぇと、ホントにボッコボコにされちまう。…………さっさと起きンぞ、来いよ」


 へっ、と笑いながらそう話しかけるイタチに、少年の中でわだかまっていた心の壁が崩れ去る。そして浮かぶのは笑顔。

 何年ぶりだろうか、こんなに穏やかな気分は。

 そうだ、レイジ兄ちゃんと一緒にいた頃はずっとこうだった。


≪そう、か。おれ……ずっと待ってたんだね≫


 少年、かつての自分は差し出された手を握り――。

 世界は、砕け散った。暗かった、この怨嗟に満ちた虚構の世界に光が差していく。




「お帰り。遅いわよ」

「へっ、ただいま帰ったよ。レイコ姉ちゃん」


 その拳は直前で寸止めされていた。

 全身が物凄く痛む。どうやら、これまで相当に無理をしたのだろうし、今までボッコボコにしてくれた姉ちゃんの攻撃が容赦なかったのも一因だろう。

 それでも、帰ってこれた。

 拳は開かれ、手が差し出されている。

 その手をイタチは掴み、立ち上がった。

 後ろから笑い声が聞こえた。懐かしい声が。


「はは、俺なんか必要なかったかな?」

「レイジ兄ちゃん、オレ……ごめん」

「いいって。それにどのみち俺の身体は長くないしな」


 その言葉に側にいたムジナの表情が曇る。

 ナノマシンで強制的に身体を【生かしている】と、零が言っていた言葉を思い出す。


「でも、まぁ。それなりに楽しかったぜ。レイコさんだっけ?」


 レイジは、何とか身体を起こす。イタチがその背中を支える。驚く程に軽かった。それは愛すべき兄貴の時間がもう【短い】事を物語っている様だった。


「アンタには感謝してるんだ。このバカ弟を起こせるなんて、アンタ凄いよ。もっと早く会えてたら、デートとかしたかったなぁ。いい女だぜ、全く」

「断るわ、こんなバカ弟の兄貴なんてきっとロクでなしに違いないからね。……もっとも、アタシがいい女なのは事実だけど」

「へへっ、違いねぇや。アンタならコイツを任せても大丈夫だな」


 そのやり取りを見たマスターは思わず破顔する。


「ははっ、驚いたな。なぁ、カラス?」

「俺は別に驚かないですよ、お嬢とアイツの関係を考えれば、ね」


 さも当然、とそう言いながら、カラスはゆっくりと立ち上がる。

 まだ終わっていない、とばかりに視線を向ける。


 そう、まだこの戦いは終わってはいない。

 それは誰もが分かっていた。

 最後の敵がそこにいる。自分達を見下ろす様に。

 全員の視線がその男に、この悪意に満ちた茶番劇を裏から操り続けた男へ向けられる。



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