獣の軍団
「こ、こいつは」
クロイヌは驚きを隠せなかった。
最早、一方的といって差し支えない。
暴徒と言うにも生易しい、凶悪が群れを為して街を蹂躙している。
クロイヌやジェミニの部下達は抵抗を続けていたものの、さっきまでの様に何処か緩慢だった敵はさっきまでの様な堕落した、怠惰な存在では無い。
それはまさに【獣の群れ】。 凶悪にして獰猛な肉食獣。
その身に銃弾が叩き込まれているにも関わらず、平然とした風で獲物へと向かっていく。
決して不死身の存在等ではない。現に、大通りのあちこちに、もう動きをやめた屍が無数に転がっている。
だが、その屍は凄惨極まる物だった。手足が吹き飛び、それでも獲物への執着が捨てきれなかったのだろう、クロイヌの部下の喉元に喰らいつき命を奪っていた。代価として部下の持つ銃弾が頭を撃ち抜き、脳漿をぶちまけていた。
部下達は、総崩れしたのだろう。連中を足止めする為に立てたバリケードは残らず引き倒され、あちこちの店先から火の手が上がっている。
無理もない、指揮官である自分は今まで気を失っていたのだから。指揮系統の乱れた集団は脆い事を誰よりもクロイヌ自身、よく理解していた。散々、大戦中に自分達が仕掛けた事だ。
住民の大半は避難済みではあったが、それでも残った住人には悲惨な結末が待っていた事になる。
『これで少しはマシになったか?』
クロイヌは、引き倒された装甲車から救急キットを引っ張り出すと、中に入っていた鎮痛剤を飲み込む。
カメレオンの警告射撃のおかげで、左腕はもう使い物になりそうもない。ピクリとも動かせない。
『どうやら、奴は動けない様だな』
念のために、と用意し伏せておいたカードが役に立ったらしい。
奴の力は未知数ではあったが、ムジナからの話を聞く限りでは間違いなく超一流の射手だろう。
「さて、どうするか」
そう思考を巡らせていると、潜り込んでいた装甲車が突然揺らされた。
影が見える、それも人数は三人。
クロイヌは舌打ちしたい気分だった。
自分のミスだ。痛みで思考や警戒心が鈍ったのだろう、この中に潜り込むのを獣が見ていたに違いない。
ガタガタ、と装甲車はいよいよ強く揺らされる。
普通なら人力で装甲車を動かすのに、たった三人ではどうにもならないだろう。だが、こいつらはそんな事などお構い無しだ。
そもそも、【フォールン】の亜種によりマトモな思考を奪われているのだ。
その上、連中からはリミッターが外されている。火事場のクソ力という物を躊躇いなしに使い続ける事だろう。所詮は【使い捨て】の存在なのだ。
痛覚というのは大事な感覚だ。これが無ければ近付く危険に気付かない可能性があるのだから。だが、それが存在しない連中はただ湧き上がる【殺意】のみに突き動かされ、こうした殺戮を行うのだろう。これはもう、戦闘ではない。単なる【虐殺】でしかない。
だからこそ――。
『だからこそ、俺はまだ死んではやれんな』
そう判断し、クロイヌは呼吸を整える。
脳に酸素を巡らせ…………動き出す。
「ああああぁぁぁ」
「ぐうううううぁぁああ」
「るるるるおおあああ」
三人はこれしか声をあげない。いや、声というにはあまりにも獣じみている。彼らはただ唸っているだけだ。互いが声を出し、物音に反応して集まったに過ぎない。
だが、これでも意志疎通はとれているのかも知れない。原始的な人類のコミュニケーションとはこの様な物だったのかも知れない。
しかし、この三人とかつての人類の祖先を比較しても、彼らの方がより異質な存在であった。
彼らには【感覚】が無いのだから。本来、人が持つべき生きる為に必要な情報を受容する生存機能が欠損した彼らには明日は無い。
残されているのは只々湧き起こる【攻撃性】のみ。
その点だけを著しく高められ、それ以外の本能を根こそぎ削がれた歪んだ怪物達。それがこの獣の群れだった。
いよいよ、装甲車の車体は大きく動きます始める。たった三人、三匹の獣は、全身から血を吹き出している。既に限界を越えているのだ。
カララン。
そこに不意にアスファルトに転がる甲高い音。
彼らは、ミスを犯した。尤も、ミスを犯したという概念も失っていたのだから無理もない。
彼らの注意が音に向けられた隙を突き、クロイヌが装甲車から飛び出す。
扉を手前の獣に叩きつける。分厚い鉄板は簡単に脳震盪を引き起こしたのか、その獣が大きくぐらついた。
次にクロイヌが投げた空ビンに近付こうとした一人に、後ろから手を回し、体重をかけながら一気に締め上げる。獣が如何に化け物じみていようが関係ない、酸素供給を絶たれれびひとたまりも無い。ガクリ、と首が落ち、崩れる。
残った三人目が背後にいた敵に気付く。獰猛に口から泡を吹きつつ掌を振るう。易々とクロイヌは躱す。ボクシングのダッキングの要領で詰め寄り――右掌底で顎をかち上げる。ガクン、と三人目が身体を揺らがせる。だが、それでも意識を失わずに噛みつこうと口を開く。半身になりつつ躱すクロイヌ。そのまま通り過ぎる相手の背中を左肩で押し込みながら回り込む。そうして右手で後頭部を押さえると幾度となく装甲車の分厚いドアに打ちつけた。
一度、二度、三度と激しく顔面を打ちつけられた獣から力が抜け、そのまま崩れ落ちた。
「く、ちっ」
クロイヌは舌打ちする。ホッとする暇も無かった。今の戦闘の音ででどうやら気付いたらしく、他の獣達も向かってくるのが見えた。
クロイヌは今更ながらに、武器を捨てた事を笑う。
だが、同時にこれも仕方が無いこと、とも考える。
これまでに自分で、他人を使って大勢の命を奪ったのだから。
自業自得、因果応報。
やったことのツケは自分に反ってくる、当たり前の事実。
「それでも、まだ死なないがな」
そう一人呟くと、迎え撃とうと飛び出した時だった。
「伏せてください!!」
声が聞こえ、倒れ込むクロイヌ。その頭上を何かが飛んでいく。
バサッッ、という音。前方に視線を向けると、あの獣達が網に捕まり藻掻いていた。
「良かった、無事ですか?」
そう言いながら近付いて来たのは、リスだった。
確か、カラスはこれ以上この戦いに関わらないように言い含めていたはず。奴も従い、一線から身を引いたはずだった。
「謝らないですよ」
だが、機先を制し、リスは先に言い切る。
その目には【強い意思】が宿っている。
「……俺だってこの街を守りたいんです。皆だって同じ気持ちなんですから」
その言葉に思わずクロイヌが振り返る。
そこにいたのは大勢の住民達だった。彼らはお世辞にも立派な武器を持っている訳ではない。あくまで申し訳程度の棒切れや、捕縛用の刺又などで牽制しながら背後から他の住民達が組みかかり、そのまま押し潰す様に押さえる。そうしておいて、頑丈そうな荒縄で手や足を結んでいく。
「ああ、言っときますけど、これは僕達が自主的にやってる事ですからね♪ 止めても無駄ですよ」
飄々とした物言いで前に立つのはホストのホーリー。
彼も流石にこの戦場にキラキラしたド派手スーツは着ていない。
代わりに着用するのは、特殊部隊用の戦闘服。
彼の【かつての姿】そのものだった。
その目こそ笑っているが、漂わせる雰囲気は明らかに数多くの修羅場をくくって来た歴戦の戦士のそれ。
伸縮性の特殊警棒を左右に二本握りながら前に進み出る。
「リス君は、クロイヌさんをここから安全な場所に連れていってくれ。クロイヌさんは、散り散りになった部下をもう一度纏めて下さい。それまでの時間稼ぎは――」
僕が引き受けますから。そう言葉を吐き、ホーリーは無数の獣達の前に躍り出た。
獣達も新たに現れた活きのいい獲物へ関心が切り替わったらしく、続々と殺到していく。
一見すると、線の細い優男にしか見えないその男は、微かに微笑みすら浮かべている。
特殊警棒を上下左右、縦横無尽に巧みに操る様は彼がこの武器に熟達している何よりの証左であり、獣達は喉を突かれ、首筋に強烈の一撃を喰らい倒れていく。
更に、巧みなのは足技も同様。トントン、と軽やかなステップを刻みながら間合いを上手く取りつつ――顔面めがけローリングソバットを命中させ、倒していく。
「つ、強いですね」
リスが思わず呻く。それも当然の反応だろう。繁華街に来てからの彼はチャラチャラとした軽薄ながらも人気ナンバーワンのホストで、ついでに腕利きの情報屋。そういう役割を演じ続けていたのだから。
実際には、彼はアンダー出身のかなり悪名高い男だったのをクロイヌが経歴を作ったのだ。
目的は、自分の息のかかった男に街の様子を把握してもらう為。
とは言え、クロイヌが実行したのは経歴だけで、後の部分は彼の独力による物だ。
「しばらくは持ちこたえるだろう、あいつなら、な」
それよりも、とクロイヌは周囲を見回す。
問題は、獣達と化したアンダーの住民だけでは無いのだから。
◆◆◆
ホーリーが孤軍奮闘を始めた頃。
繁華街のビルの屋上部分では、死闘が繰り広げられていた。
とは言え、この死闘により、どちらにも深刻な負傷は無い。
何故なら、二人の射手は未だ一回も互いを狙撃していないのだ。
両者は互いの気配を殺しながら、仕掛けるタイミングを狙っていた。とは言え、カメレオンの扱う獲物が【USSR VSS】自動小銃であるのに対して、サジタリウスは【複合弓】という点。それで、サジタリウスは相手の獲物が狙撃銃と知っているのに対して、カメレオンは相手の獲物が何かを知らないというのがこの膠着状態の最大の理由だ。
カメレオンという男は、基本的に慎重である。
狙撃手という兵種は戦場に於いて異質な存在である。歩兵とは絶対的に違うのは、彼らとは違い、狙撃手は相手を狙って撃つ。歩兵の場合は用いる武器は突撃銃であり、最前線で戦う彼らは極端に言えば、弾丸をばらまく。
よく言えばそれだけ戦闘に於いて大勢の敵と交戦する以上、偶然ばらまいた銃弾が敵に命中するという事も往々にしてある事だ。
だが、狙撃手にそういった偶然はまず有り得ない。
彼らは狙った相手を確実に殺害するのがその役割だから。
彼らはスコープ越しに標的を捉え、引き金を引く。高速で射出される弾丸は確実に脳漿を撒き散らし――相手を無力化していく。
それゆえに戦場に於いて狙撃手は敵から畏怖され、同時に憎悪の対象にもなる。敵に捕まった狙撃手が無惨に殺されるのは裏返せば、狙撃手がどれだけ恐るべき存在であるのかを如実に物語っているのだ。
それ故に彼らの戦闘は、先手必殺。
相手に捕捉された瞬間に待ち受けるのは逃れられない【必死】。
見つからないように、気配を殺しながら、相手を捕捉する。
この静かな戦いの原因は互いが同じ事を考えていたからに他ならない。
『さて、どうしたものか』
サジタリウスは思案していた。
正直言うと、彼は戦闘出来る様な状態では無かった。
ムジナの強烈な峰打ちで、肋は複雑骨折。
その影響からか、手足にも力がキチンと入らないのだ。
クロイヌからの【依頼】は、敵の狙撃手を【足止め】してくれ、という物だった。
それでこうして、足止めにはとりあえず成功したものの、どうやら相手は化け物だったらしい。
一部の隙も無い。
先手をとるべく狙いを定めれば瞬時に射殺されるだろう。
かといって逃げに入ってもその僅かな気配を察知され、同じ結末だろう。
弓の利点は銃よりも優れた静音性。
欠点は撃ち合いには脆い、という事だ。
一度矢をつがえる弓矢に対し、銃は引き金を引くだけ、その差は歴然としている。まして、敵が化け物だったらどうしようも無い。
さっきの狙撃音を聞いたが、あれはまず間違いなく【特殊部隊仕様】の狙撃銃だった。銃身自体に消音装置がついているタイプの。
装弾数も実用的にそれなりの物で違いない。
『不利なのはワタシだ』
そう思うサジタリウスに対し、もう一方。
『どうやら、相手はどうしても先手を打ちたくないらしい』
カメレオンは膠着状態のなかで一つの結論を導きだしていた。
本来ならば、最初に気配を察した段階で自分が死んでいてもおかしくなかったからだ。
にもかかわらず、相手は仕掛ける事も無くこうした状況になった。これは、相手に何らかの不都合があるからに違いない、と。
『なら、話は早い――仕掛けるだけさ』
カメレオンの眼光が微かに光る。




