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イタチは笑う  作者: 足利義光
第十三話
141/154

最悪の肉食獣

 キィン。

 その凶刃は寸分違わずに獲物の心臓へと突き立てられたはずだった。

 彼、殺人鬼がこうしてハッキリと自我を持つのはこれで三度目。

 最初は、実験とかという名目での皆殺し。


 あの時は無我夢中で殺して、殺して、殺しまくった。そう、初めて実行する遊戯さつじんに彼は子供が玩具に夢中になるように心を踊らせた。

 あの時は、自分の事を把握していなかったのと、まだまだ器が完成していなかった。だから、最後に返り討ちにされた。


 二度目はつい先日。

 器の蓋の自我が大きく揺らいだのが、いいキッカケになった。

 蓋の人格はこの数年間ずっと解放出来る機会を与えなかった。

 ずっと待っていたからこそ、今度は満喫し、次の為の布石をしておいた。

 殺した人数こそ前回よりずっと大した事は無かったが、丁度いい準備運動になったのと、それから蓋の人格に気付かれない様に出入り口をこっそり作れた。

 蓋の人格は、その際に大きく自我を揺るがせた結果、以前よりも蓋は随分と弛く、そして脆くなっていた。


 そうしてついに三度目。

 キッカケになったのは、一度目同様の妙な音だった。

 あの音は蓋を強制的に開けるらしい。

 こんな事ならわざわざ出入り口を用意する事も無かった。


『ま、あいいか。いずれにせよ、もうこの身体は≪おれ≫の物なんだからな。だから――』


 まず、あの女を殺す。

 そう考えた。本能的に察したからだ。この蓋の人格に強い影響を与えている、そう分かったから。


『それに、この女が死ねば何もかもメチャクチャだ』


 そう思ったからこその凶刃。心臓めがけて一直線なのは、せめてもの情け、とでも言うべきだろうか。

 だが、その銀色の狂気は遮られた。

 殺人鬼の注意が微かに弾かれた刃先に向く。その一瞬、レイコが動く。クルリと回転しながらの後掃腿。鋭い一撃は殺人鬼の膝裏を叩く。相手が態勢を崩すのを確認してレイコはそのまま後ろにまるで猫の様に飛び退く。


「お嬢!!」


 飛び込んできたのはカラスだった。

 珍しくベレッタを両手で構えての精密射撃だったのは、すぐ側にいたレイコに間違っても弾丸を当てない為の配慮。

 あくまで牽制であって、相手をどうこう出来る物では到底ない。

 パパパン。

 残った弾丸を撃ち尽くす。

 相手はもうイタチとは思っていない。

 あれだけの殺意を人間が、一個人が持てるはずが無い。そう判断したから。

 相手は、無造作にそれを身に受けた。ぐらついていたとは言え、全弾が狙い通りの場所に着弾。その身体が前後に小刻みに揺れ、倒れるかと思わせた。


「気を抜くなッッッッ」


 そう叫ぶのはレイジ。カラスも気付いた。

 相手は、まるで身体にバネでも仕込んでいているかの如くに背筋だけで崩れた上半身を起こした。


「くはははっはっっ」


 そして大笑する、まるで無邪気な子供の様に。

 カラスは違和感を感じた。

 相手の様子がおかしい、さっきの着弾は間違いなく弾丸がその身を撃ち抜いた反応だった。演義だとか防弾装備のそれとは違い、生身での着弾。


「こんな玩具ベレッタでおれは殺せないよ、オッサン」


 そう言いながら、何を思ったのか右手を傷口にめり込ませる。

 グチグチュ、という血と肉が潰れる不快な音をしばらく響かせて――そして、カラン、という乾いた音を立てながら、先端が潰れたベレッタからの九ミリ弾が床に落ちた。


「痛覚がないのか? いや、違う」

「へぇ、冷静だな。……もっと焦ってくれたら愉快なのに。

 おれは簡単には死なないのさ、あんたらとは違って」

「だが、不死身ではない。充分だ」


 あくまで冷静なカラスと、笑顔の絶えない殺人鬼。

 そのやり取りの間に、マスターが静かに回り込む。

 見事にその気配を消していた。

 フロアには非常灯と、月明かりしか照明は無い。

 カラスが敢えて正面から相手にぶち当たり、注意を引く。

 そして、気配を絶ったマスターが月明かりが雲に隠れた瞬間を狙い、一気に相手に回り込み――仕留める。


 相手は気付いていない、今なら倒せる。

 マスターは背後からの手刀を首筋に振り下ろした。文字通りに刀の様な鋭利さを漂わせる一刀が襲う。


「そう来ると思ったよ、せ・ん・せ・い」


 だが、その必中と思われた手刀はすんでの所で止められていた。

 殺人鬼は右手で背後を覆っており、肘が受け止めている。

 背中越しでも分かる。あの殺人鬼は以前と同じく無邪気な笑顔を浮かべている、と。

 あの時は相手は自分の性能を把握していなかった事で制圧出来た。だが、今回は違う。相手はあの時よりも遥かに強い。

 あの時は、ただ殺意を駄々漏れにしていて、まだ付け入る隙があった。

 今は違う。完全ではないにせよ、溢れんばかりの殺意を【敢えて】撒き散らしている。

 そうする事で、マスターや、カラスの様に相手の細部を細かく把握しながら戦う相手に対して優位を保っている。

 それは、明らかに学習し、進化している事の証左だった。


「しゃああっっ」


 雄叫びをあげながら殺人鬼が振り返り様に左手で殴り付ける。

 マスターはそれを半身になりつつ、右手で反らす。そうしておいて、左手を滑らせる様に最短距離で突き出す。

 それを相手はまともに受けた。だが、止まらない。

 そのまま頭を振り上げ、顎をかち上げる。ゴツン、という鈍い衝撃が脳を揺らす。思わず、足元がぐらつくマスター。

 そこを逃す事なく、殺人鬼は左手に握ったクロウを横に一閃。

 銀色に輝くその刃先は、相手の喉元めがけて迫る。


 そこへカラスが突っ込んで来る。肩を前に押し出し、そのままぶち当てる様に迫る。クロウは空を切る。相手は意図的に自分から倒れ込み――斬撃を避けていた。

 マスターは倒れながらも左足で敵の膝を蹴りつける。

 踏みつける様なその攻撃に、反応が鈍らされた殺人鬼にカラスがぶち当たった。

 衝撃は一つの巨大な鉄塊の直撃、とでも言えばいいだろうか。

 勢いよく宙を舞い、床にドサリと落ちたその身体はズタボロだろう。

 少なくとも普通の人間であれば、だが。


「くはははっは、かかかかか」


 笑いながら殺人鬼はゆらり、と起き上がる。それは口から血の混じった泡を吹いている。カラスの強烈な一撃により、その腹部は歪にへこんでおり、威力の凄まじさをこれ以上なく雄弁に語っていた。間違いなく普通の人間ならば、何らかの臓器が破裂している。


「ビックリしたよ、凄いんだなオッサン達。でもま……」


 言いかけながら、殺人人形のぐらりと身体が倒れ込んだ。

 正確には違う。前傾姿勢を取る為に前に飛び出したのだ。たった二歩。二歩でカラスの目前に相手は迫っていた。勢いをつけた飛び蹴りが腹部を直撃。それを反動に身体を反転――空中からマスターへと飛びかかりながらの右拳を振り下ろす。強烈な拳は受け止めた相手を力押しでガード毎弾き飛ばした。思わず、くぐっ、と呻くマスターに更なる追い撃ち。右足で地面を蹴り再度宙を舞う。回転を加えての左中段回し蹴り。痛烈な一撃は狙い澄ました様に目標の腹部を直撃。そのまま壁に叩き付ける。


「……おれの敵じゃないけど、な」


 レイコはその光景に身体が硬直していた。

 相手の異常な回復力はもう認識していた。現に、歪にへこんでいた腹部は見る見る内に元に戻っていく。

 だが、それ以上に理解したのはイタチの姿を奪ったそれの異常な身体能力だった。今の一連の動きだけで充分すぎた。全身がまるでバネの様な柔軟さ。そこから繰り出されるのは化け物じみた速度とそれを加味した圧倒的な攻撃力。

 それは全身凶器。世界最悪の肉食獣プレデターといって差し支えないだろう。


「さて、あとはレイジ兄ちゃんに、そこのレイコ……だっけ?

 あんたらを仕留めるだけだ」


 心底楽しそうに破顔しつつ、殺人鬼は二人へと迫る。


「このナイフじゃ、やっぱり物足りないなぁ。素手で殺してやる。その方が楽しめるんだし♪」


 そう呟きながら、クロウをヒップホルスターに戻そうと手を動かす。そこをレイジは見逃さない。【リミッター】をONにし、痛覚を遮断。肉薄しながらの左を肘打ちを放つ。

 殺人鬼はそれを右肘で受け止めた。身体を捻り半身になり、衝撃と勢いを殺す。互いに頭突きを放ち激しく衝突。互いに後ろに身体を崩す。

 殺人鬼は勝利を確信した。自分の上半身を引き起こし、一気に反撃。それで終わりだ。このレイジ兄ちゃんを殺せば、蓋の人格は大打撃だろうし、あのお姫様を殺せばだめ押しだろう。そう思った。

 だが、奇妙な事にレイジの表情にはしてやったり、の笑みが浮かんでいた。頭がおかしくなったのか? そう思ったがすぐに違うと理解した。


 何故なら、背後に風を感じたから。

 それはまさしく一陣の風の様に吹き抜けた。

 ハッキリと見えるのは銀色に鈍く輝く刀身。

 それは見事に一刀で殺人鬼を切って捨てる。


 ムジナがそこに立っている。

 殺人鬼は予期せぬ斬撃に肩口から一刀を受け、崩れる。

 レイジはムジナの姿を認めた。そこからの連携だった。

 完全に入ったその一刀は、間違いなく肩口から心臓にすら達した。

 ナノマシンによる回復力が増大していようが、心臓を殺られたら終わりだろう。


「ハハハハ、君たち今ので仕留めたつもりかね?」


 ヤアンスウは嘲笑う。切り札たる殺人鬼は倒したのに。依然、余裕を見せている。黒幕たる男は言う、口元を歪めながら。


「――あれくらいで、最高傑作マスターピースが死ぬとでも思ったかねぇ?」


 その笑みにムジナとレイジは身構える。

 最高傑作、殺人人形、殺人鬼。

 それをどう表現しても足りなかった。

 あまりに理不尽だった。

 人間に限らず、あらゆる動物は心臓を持っている。心臓は決して替えの利かない臓器だ。それを斬れば死ぬはずだ。

 その筈なのに。

 相手は起き上がる。肩口からばっくりと開いた斬撃の跡はほぼ塞がっている。


 瞬間的に、ムジナが動いた。銃口が向けられていた。金色のオートマグから弾丸が放たれる。それを横っ飛びで躱すとムジナはお返しに刀で薙ぎ払う。火花が上がる、殺人鬼は左手にクロウを握りしめ、刃先を反らす。そのまま滑るように接敵。零距離で金色に輝く死神を相手の顔面に突きつけ、引き金を引く。

 相手の頭部を粉々にする弾丸は最早、確実な【死】を与えるかに見えた。

 バアン。

 弾けたのは、ムジナの右手だった。特殊仕様の義手にはゲル状の緩衝材が使われている。これは、【オートマグ対策】だった。

 クロイヌが最悪の場合を想定して備えたものだった。

 ムジナは思わず苦笑。

(いらねぇ、っていったがまさか、活用する事になるとはな)

 右手はビキビキ、と音を立てながらそのまま破壊。というより、自爆。飛び散った細かな破片が殺人鬼の視界を塞いだ。

 ムジナは左手での必殺技を身に付けようと試み、会得したのは左手一本からの渾身の突き。

 視界を奪った今、ここしかチャンスは無い。

 相手の顔の位置は完全に把握している、これで仕留める。

 渾身の突きは間違いなく、決まったはずだった。


 思わず洩れたのは「馬鹿な」と言う驚愕の声。

 殺人鬼はあろうことか首を傾け、その突きを避けていた。

 ほんの、あと一センチ。それ位の距離。

 銃声が轟く。

 ムジナは宙を舞う。避けたのではなく、着弾の衝撃で、だ。

 腹部から夥しい血を吹くのが見える。

 レイジは最後の力を振り絞ろうと試みた。

 だが動かない。もう体力が底を突いていた。


 向き直った殺人鬼はこう口を動かす、ハッキリと宣告した。

「しね」と。


『これで終わりかよ、クソッタレ』


 そう思いながら、迫る死を受け入れようとした。

 だが、その死神の鎌は振るわれなかった。

 すんでの所で金色の鎌は、切っ先を跳ね上げられていた。手刀でそれを実行したのは、あのお姫様――レイコだった。

 思わず、ヒュー、と殺人鬼は口笛を鳴らす。


「何のつもり? すぐあんたも殺してやるさ、レイコ……!」


 パアン、甲高い音が響く。

 頬を平手打ちが炸裂したのだ。キョトンとした顔のそれをレイコは鋭く射抜く様に見据えた。


「うっさいわよ、アンタ」

「何だと」

「いいからイタチ君に身体を返せ――このくそ野郎」


 そう言いながら、彼女は構えると吠えた。


「ザコに用事は無いのよ、消えな三下!!」


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