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イタチは笑う  作者: 足利義光
第十三話
138/154

殺戮人形

 

「………………」


 そこに立っていたのはもはや、人間では無かった。

 その場にいた全員が理解した。

 その身に纏う圧倒的な【殺意】の発露。

 その殺意は誰に向けた物でも無い。

 ただ、発している。無作為に、そうまるで人が息を吸うように極々自然に。当たり前の様に。


「な、何なの――コレ?」


 レイコは愕然とした。

 見た目こそ何も変わらない。その顔が変わった訳ではない。

 なのに。

 何かが決定的に違う。

 その表情からは一切の【感情】という物が削ぎ落とされていて、まるで精巧な人形の様ですらある。

 眼下に立っていたのは何か得体の知れない【異形】だった。


「ハハハハ、素晴らしい。素晴らしいよ」


 哄笑したのはヤアンスウだった。

 彼だけがイタチを満足げに眺めている。その目にあるのは一種の狂喜じみた何か。

 レイジの表情が険しくなっていく。その様子を見て口元を歪ませるヤアンスウが問いかけた。


「レイジ、いや【02】。君ならよぉく分かるだろう?

 …………それが一体何なのかを、ね?」


 そう言いながらさっきまでの感情の爆発は鳴りを潜めていた。

 代わりにその表情に貼り付いたのは【愉悦】の笑み。


「しっっっ」


 即座に動いたのはレイジだった。

 目の前にいるイタチだった何かに対してナイフで切りつける。

 躊躇無く喉を狙ったそのナイフは、狙いを寸分違わずそのまま切り裂くかと思われた。

 ナイフは止まっていた。無論、レイジが止めたのではない。

 イタチの姿をした何かが迫り来る刃先を指で挟んで止めたのだ。

 それはそのナイフをただじっと見ている。

 レイジはナイフを手放す。そして無防備な肋に肘を叩きつける。

 一度、二度とハンマーで打ち付ける様に。

 間違いなく目の前の相手の肋は粉々になったはずだった。

 しかし。

 それは、平然とした様子でそこに佇んでいる。

 興味があるのは、自分の左手に握られたクロウとレイジが持っていたナイフなのか、両方の刃先をしきりに確認している。

 それはまるで、小さい子供が初めて見る新しい玩具に興味を引かれる様な物だろうか。無邪気に笑う子供と違うのは、それが表情をまるで露にしない事だろう。

 レイジはさらに仕掛ける。

 今度は左右の手刀で相手の両手を弾く。そうして無防備になった相手の顎先に勢いよく頭突きを喰らわせた。さらに右手刀を首筋に叩き込む。強烈なそれは、本来であれば相手の意識を寸断出来うる威力のはずだった。

 それでも、それは微動だにしない。平然とした様子で相手に視線を向ける。何をされたのかも分かっていない、そういった様子を見せる。

 レイジは即座に飛び退く。ゾクリとした悪寒が走ったから。

 向けられたその視線に思わず本能的に【逃げた】のだ。

 それは、殺気の形をした人間とでも言えばいいのだろうか?

 それとも、殺意を身に纏った人形だとでも言うのか?


 ヤアンスウはその光景に満足げに何度も頷く。

 彼はただ一言「やれ」とだけ呟いた。

 そして、それは動き出す。



 ◆◆◆



「これは何事だ?」

「知らないよ、こちらが知りたいよ」


 レオが尋ね、ジェミニは困惑するしかなかった。

 第十区域は混乱の極致に陥ろうとしていた。

 ついさっきまでは、ジェミニの部下たちとレオ、それにキャンサーはここ周辺を完全に制圧していた。

【フォールン】の亜種を投与されたであろう【アンダー】の住人を拘束し、無力化し、或いは斃した。

 彼らが入り口に使っていたであろう【旧地下街】の出入り口も破壊し、これ以上の事態にはならない。

 一方で、繁華街の中心からも銃声は途絶えた事から、あちらもクロイヌとその部下達が事態を収束させた。そう判断していた。

 後は、塔の中で決着。

 場合によってはそちらに向かわねば、とそう考えていた矢先の事だった。


 異変は起きた。

 妙な高音が辺りに響いたのをきっかけにして、拘束されたはずの彼らが一斉に暴れ出したのだ。

 いや、それは暴れ出すなどというレベルでは無かった。

 まるで野生化した獣の如く叫び声をあげ、拘束バンドを力付くで引きちぎり、傍にいたジェミニの部下に襲いかかっていく。

 彼らはただひたすらに拳を振るい、蹴りつけ、その場に落ちていた物を手にし叩きつける。

 あっという間に目の前はさながら【阿鼻叫喚地獄】と化した。

 銃声と怒号と悲鳴が入り混じる。


「これは……ヤアンスウ、まさか」


 ジェミニの脳裏に浮かぶのは、ヤアンスウがフォールンの亜種を投与していた実験の映像。あの映像で、亜種を投与されたアンダーの住人は獣の様に暴れ、殺戮を行っていた。

 ジェミニはこの時まで、ヤアンスウの事を甘く見ていた事を通巻した。あの外道ならこんな非道も平然と行える事を理解していたのに、だ。

 何処か、あの外道にも一片の情け等があるとでも思っていたのだ。でなければ、拘束した彼らを殺していたはず――だ。

 いや、出来ないだろう。それが普通の人間なのだから。


 レオは、ジェミニの表情が困惑に満ちていくのを横目にした。

 もはや彼らは【暴徒】等というかわいい者では無い。

 彼ら一人一人が、興奮した野生の獣と同様なのだ。


「キャンサーっっっ」


 顔をあげ、そう大音声を上げる。

 主人たるレオの求めに従者たる少女、キャンサーは音も立てずに姿を見せた。その死神の如きデスサイズは既に血で赤く染まっている。彼女は、静かに忠誠を誓う主の前に膝をつく。

 レオは彼女に視線を向けずに言う。


「私はコイツらを蹴散らす、お前はそこの馬鹿と私の背を守れ」


 キャンサーにとって主人レオの言葉は絶対だ。

 ただ静かに、かしこまりました、と一礼するとレオの背後に立つ。それはごく自然な動きだった。

 それは、他の人間には決して背中を預けない、獅子の名を持つ男にとってこの忠実なる従者がどれ程に信頼出来る人物なのかをこれ以上無く雄弁に語っていた。

 レオは金色の髪を振り払う。そこにキャンサーが当然の様にヘアゴムで髪を纏める。


「助かる…………では行く」


 小さくそれだけ伝えると、獅子は獰猛なる己の牙であり、爪でもある【ハルバード】をゆっくりと回す。

 右足を大きくゆっくり振り上げると同じくゆっくり踏み下ろす。

 続けて左足も同様に踏み下ろす。ジェミニはこの動きが相撲というこの国の国技の【四股】だと気付く。

 レオはその動きを何度も繰り返す。

 幾度となくズシャリ、という足音が響き、暴徒と化した群衆が一斉に振り返った。

 獅子はふぅ、と息を吐く。

 群衆がまるで獲物を見つけたジャッカルの様に襲いかかってきた。


「――身の程を知らぬ愚者共よ、地に伏せろ!!」


 そう言葉を発すると百獣の王もまた迎え撃とうと飛び出した。



 ◆◆◆



「これは、何だ?」

「どうやら、【最高傑作マスターピース】が覚醒した様だ」

「……これがイタチの奴だと?」


 カラスの呟きにマスターが応え、ああ、と小さく言った。

 その殺気はゾッとするほどに濃厚で強烈だった。

 それはまるで数万人が集結し、睨み合っているのではないのか、と一瞬錯覚させる程の物。

 これ程の殺意の塊を、たった一人の個人が発しているとは俄には信じられない。

 そんな事が出来るというなら、一体どれだけの【業】を背負っているのか、カラスにすら想像出来ない。

 マスターは「私は屈してしまった」と独り言のように言った。

 カラスが思わず、振り返るとそれは教官マスターの初めて見る表情だった。

 そこにいたのは、どんな状況下に於いても決して生きる事を諦めるな、と幾度も繰り返し言い続けた戦場での父親のそれでは無かった。ただ、一人の娘を心配する只の父親の姿だった。


「私は、ある研究者に最高傑作の完成に必要なコードを託された。自分がいなくなった後に、もしもコードが見つかれば、間違いなく誰かがあの【研究】を引き継いでしまう、それを防ぐ為に」


 カラスは黙ってその話を聞いていた。

 ただ、じっと何かを考える様に、目を閉じたまま。

 マスターもそれに気付いた。歩くのを止めると、乱れた息を整える。そして語り出す。


「そんなある日の事だった。私に【娘】がいる、そう妻だった女性が訪ねてきた。私は困惑した、私にとっては娘など負担になるだけだったからな。私の様な男が今さら、人並みに生きられるハズも無いのだから。

 正直、知らないふりをしようとも思った。私が否定さえすれば、二人とも守れる……そう思った。

 だが、笑ってもいい。出来なかった、どうしても娘を見てみたくなったのだ。一度でいいから、と。

 後は、お決まりのパターンだ。妻だった女性は私をかばい死んだ。なんとか娘は助け出したが、私自身が狙われた以上、一緒にはいられない。だから……託した」


 すまん、そう教官の目が言っていた。

 カラスは歯を噛み締めた。自分のかつての判断ミスが今の状況を産み出したのだから。

 ヤアンスウを殺せたのに、見逃した。

 何故、あの時殺さなかったのか?

 理由は分かっている、【疲れていた】からだ。

 いつまでも続く何の【意義】も無い血と硝煙の日々に。

 戦場での日々は自分が生き延びる為という大前提があった。

 だが、塔の街で組織に雇われ実行しているこの行為に何の意味があるというのか?

 ここは戦場では無い。

 自分がやっている事は只の誰かの尻拭いの為の殺しや、または誰かを貶める為の殺し。殺っては殺られ、殺られては殺って――この終わる事の無い無限に続くかも知れない悪夢の様な螺旋。

 無為に過ぎ行くそんな日々に生きる気力すら失いつつあった。

 それを救ってくれたのは、紛れも無く、目の前にいる教官ちちであり、そのまだあどけない小さな【女の子】。

 気が付くと、思わず反論していた。


「勘違いしないでくれ! 俺は一度だってあの子を負担に思った事なんてない。あの子は、レイコがいてくれたから俺は生きる事が出来た。レイコがもしいなければ、俺は本当の意味で【生きる意義】を見出だす事なんて出来やしなかった。

 だから、あんたにも感謝してるんだ――――有難う。

 そもそもあんたの【教え】が無かったら、俺はずっと前に野垂れ死んでいたに違いないんだ。…………感謝してる」


 それは、カラスが初めて言った【感謝】の言葉。

 マスターは思わぬ言葉に言葉も出なかった。

 自分はずっと恨まれてると思っていた。様々な技術を叩き込んだのは過酷な戦場を生き抜く為ではあったが、それでも数多くの息子達おしえごを死なせてしまったのだ。

 その上、目の前にいる男には更なる【重荷】を背負わせてしまったと、ずっと思っていたのだ。本来なら自分がやらねばならなかった事を押し付けたのだから。

 思わずその目に大粒の涙が溢れていた。

 感情のほとばしりを堪える事が出来なくなっていた。


「私こそ、だ。…………お前は最高の【息子】だよ」


 そう涙声で言う、不器用な男の感謝の言葉は、カラスの心に強く響いた。自分こそ責められるべきだと思っていたのだから。

 恨まれこそすれ、感謝なんてされるとは露ほども思っていたのだから。

 だから、その目をうっすらと涙が流れた。

 自分が泣いた事に驚きながら。

 自分にはずっと【何か】が欠けている。そう思いながら生きてきた。その何かが無いからこそ、非情にも徹する事が出来たのだ、と。

 でも違ったんだ、そう気付いた。

 欠けてなどいなかった。そもそも、もうずっと前に欲しかった物を貰っていたのだ、と。当たり前の事に慣れてしまい、気付けなかったのだと。


「――行きましょう。あんたの娘を、いや俺達の【家族】を助ける為に」

「……ああ。それにお前の【息子】も助けないといけないしな」


 二人の男は互いを見ると大きく頷きあった。



 ◆◆◆



「笑えるな、ほんと笑えるぜ。……ちくしょうが」


 ムジナは一人呟く。

 こんな殺気を感じた事は無かった。

 いや、そもそもこれを殺気等と言えるのかも怪しい。

 殺気と言うのは向ける【相手】がいてこそ成立する。だが、これはあまりにも大きすぎる。こんな巨大な何かは一個人が持つ物では無い。持てる奴がいればソイツはもう、人間とは言えない何か別の生き物だ。或いは…………。


「零の奴、こんなんを俺にどうにかしろって言うのか?

 ったく、冗談キツいぜ。――――やってやるよ、上等だ。

 俺は死なねぇし、あの馬鹿も死なせねぇさ」


 痛む身体を引きずる様にして、彼もまた向かう。

 かくして、最後の戦いが始まろうとしていた。


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