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イタチは笑う  作者: 足利義光
第十三話
137/154

覚醒する悪意

 キン、キィン。

 無人のフロアに甲高い金属音が響き渡る。まるで、楽器の演奏の様に小気味良く高らかに、リズミカルに。

 それを階段から見つめているのはレイコにヤアンスウ、それから警護役の双子。

 それはおおよそ殺し合いの真っ最中だとは俄には信じられない光景だった。

 何故なら、当事者達のその表情が笑顔だったから。

 満面の笑みを浮かべながら互いの手に握ったナイフを突き出し、切りつけていく。

 互いの頬をナイフの刃先が掠め――血が滴る。

 残された互いの腕を振るい、首に叩き付けようとしていたのか交差。同時に飛び退いて間合いを取った。


「やるじゃないか、お前。……見直したぞ」

「へっ、当然だ。オレはずっと現役だったンだぜ?」


 互いにかける言葉にも殺意は欠片ほども無い。

 まるで二人でスポーツで興じているのでは無いのか? 傍目からはそう思える様な雰囲気に、あのヤアンスウですら頭を抱えている。


「何をしているんだ? さっさとケリを付けないか!!」


 怒鳴り散らすと思わず怒りを露にし、殺気を剥き出しにする。

 だが。

 それでも二人はそれをも全く気にする様子も無い。

 相変わらず、マイペースに互いに示し合わせたかの様にナイフでの演奏を続けていく。

 キィィィン。

 一際大きな音と火花を上げると、それが合図だったかのようにナイフでの演奏は唐突に終わりを迎えた。


「久々だったが、上手く出来たじゃないか。……覚えてたのか?」

「いや、全然。でもよ……不思議なもンだよな。頭じゃ覚えてなンかいなかったってのに。……身体は覚えていたってことか」


 レイジの言葉にイタチは思わず微笑んだ。


『何だ、アンタもちゃんと笑えるんじゃない。イタチくん』


 それを目にしたレイコも思わず笑った。

 レイジが言葉をかけた。


「……で、これで充分身体は暖まっただろう?」

「ああ、こンで思いっきり殺り合えるってこった」


 イタチも応じた。

 すると、それを契機にしたのだろうか。

 空気が激変した。

 それまでの和気あいあいとした雰囲気はガラリとその様相を変える。ひりつく様な緊張感が場を包み、怒りに滾っていたヤアンスウですらその表情を一変させる。


「「ンじゃ始めるか」」


 そう言うと互いに後ろに飛び退き、間合いを取った。

 左手のナイフにこびりついた血を払う。残っていた右手をそれぞれのショルダーホルスターに伸ばし――イタチは【ワルサーPPQ】を、レイジはベレッタ【Px4ストーム】を手にする。

 スウ、と呼吸を整え、互いに視線を向けた瞬間。

 パパン。

 銃撃と共に戦いは始まる。

 それはさっきまでの様なほのぼのとした準備運動(それでも充分命懸けだろう)とは違う。

 二人の発した弾丸はそれぞれの急所を躊躇いなく狙っているのが上から見ているレイコからもよく分かる。そう、これは紛れもなく【殺し合い】なのだ、そう理解するには充分だった。


 二人は事前に打ち合わせしたのでは?

 そう思わせる位にその動きが酷似していた。

 左右対称とは言え、弾丸を潜り抜け、交差する瞬間に左手のナイフで切りつけ、そうして駆け抜けると即座に右手の銃の引き金を引く。この繰り返しを延々と機械的に行っている。少なくとも傍目で見ているレイコにはそう映って見える。

 さっきとの違いは今度はその動きが格段に上がっている事。

 二人ともに【スイッチ】を入れていたのだ。

 常識離れした速度でぶつかり合い、そして血を流していく。


 ヤアンスウはさっきとはうって変わって、その殺し合いを何処か楽しげに眺めている。満足そうな笑顔を浮かべながら。

 レイコには二人の動きは観えていた。

 それは、普段から【手合わせ】でイタチが時折、スイッチを使った事がある為で、体験済みだったから。

 最初こそ面食らったものの、結果的には慣れればいくらでも対処出来た。

 理由は確かに瞬間的に最高速に達するその身体能力は驚異的ではあったが、決して時速数百キロで向かってくる訳では無い事。

 と言っても、至近距離での発動させれば驚異的な加速ではあるが。


『でも、凄い』


 以前、カラスがイタチについてこう評していたのを思い出す。


 ――奴は実戦で初めて本領を発揮するタイプの男です。

 こういう形でやりあう内は、俺やお嬢には勝つ事はまず無いでしょう。


 そう言っていた。

 確かに、とレイコは実感した。

 彼女自身は、イタチやカラス程に裏社会に精通している訳では無い。だから、本当の意味で【命懸けの危機】という事態に陥った事はこれまで無かった。

 でも、今なら分かる。

 こうして、イタチの戦いを傍目で見ていると嫌でも分かる。

 自分が如何にこれまでこの世界を知ったつもりでいたのかを。

 自分自身がこうして人質にされ、周囲の皆を巻き込んでみて嫌でも知らされた。

 自分がこれまでどれだけ多くの人の犠牲の上に生きてきたのかを。自分がどれだけの人に守られて何も知らずにのうのうと生きてきたのかを。

 歯をギリリと噛み締める。悔しかった。今ここで動けば、ひょっとすれば不意を突き、ヤアンスウを捕まえる事は可能かも知れない。

 でも、その前にあの双子の護衛が立ち塞がってしまえば終わりだ。分の悪い賭けはこれまでも沢山してきたと言う自負はある。

 今は全員があの二人に釘付けだ。チャンスは今かも知れない。


『でも…………』


 そう、でもレイコ自身があの二人の激突に強い興味を引かれていた。あの二人が何処まで強いのかを見てみたいという強い好奇心が行動を踏み止ませる。

 更に気付く。ヤアンスウの視線が微かに自分にも向いていると。

 抜け目なく周囲に気を配っている相手を察知し、彼女は何もしない事を選択した。



「「しゃああっっっ」」


 そうこうしている内にも二人の獣の激突は継続していく。

 最初こそ、互いの動きはまるで同じで、ピタリと息が合っていたが、ここに来て徐々に差異が生じ始めていた。

 その差を生んだのは二人の体格差だろうか。

 イタチがその身長が一六〇強であるのに対し、レイジは一七〇代半ば。ほんの十センチ程度の差ではあったが、銃撃は別として、ナイフでの攻撃はリーチ差が出る。

 ほぼ攻撃速度が互角である以上、このリーチ差がモノをいい始めた。更に付け加えるなら、身長差はそのまま体重差にも繋がり、最初こそ全くの五分五分でもこうして時間経過と共に同じ攻撃のぶつかり合いでも、イタチが押され始めていた。

 もう間もなくこの膠着状態は崩れるだろう。

 イタチがこのまま押し切られる様なら一気に決着する事も充分に有り得る。

 仮に持ちこたえるにしても、間違いなくイタチの方が体力の消耗は激しい事から不利な状況は恐らく変わらない。

 つまり、自身の敗北を後回しにするだけ、と言う事になる。


『――イタチ君、思い出しなさい。こういう時はどうすればいいのかを? ……あなたは知ってるはず』


 ギイィィン。

 これまでで一番の音が鳴り響く。レイジが力押しでナイフを押し込み、イタチを弾き飛ばしたのだ。

 それでもナイフ、つまりクロウを離さなかったのは意地だろうか?

 いずれにしても、力負けしたその身体は大きく姿勢を崩される。

 たたらを踏みつつ、何とか倒れるのを拒む。

 そこにレイジが肩を突き出して直撃。鳩尾に強烈な一撃が入った。イタチの身体が後ろにぐらつく。

 そこにストームを突き付け――弾丸を発射。完全に態勢を崩されたイタチにその弾丸を躱す術はもはや無いかと思われた。

 だが。

 イタチの身体がそこで大きく動いた。まるで何事も無かったかの様に身体を戻す。弾丸を半身で避けながら逆に相手に肩をぶつける。逆にレイジの身体が後ろに大きくぐらつく。そこにイタチがワルサーPPQの銃口を向け――PPQ独自のダブルタップ射撃により、殆ど一発にしか聞こえない速度で二発の弾丸が放たれた。

 レイジは逆に勢いを利用。自分から後方に大きく飛ぶ。意図的に距離を外し、二発の弾丸をもそのまま床を転がる事で躱し――即座に跳ね起きる。


「ヒュウ、やるじゃないか。……さっきのは何だ? 俺は知らない動きだったな。自分からその姿勢を崩したのか、わざと」


 探る様な目でイタチを凝視する。

 イタチはそれに対して軽く頷く。そして視線は外さず、少し顔を反らす。


「ちょいとした古武術の動きでね……オレにゃ、他にも【師匠】がいるって事だよ」


 そう答えると、レイコにその視線を向けた。イタチにとってのもう一人の師匠に。手合わせで散々やられてきた、その際に彼女が用いた動きが咄嗟に出たのだ。


「オレとレイジ兄ちゃんの違いだよ。多分、レイジ兄ちゃんの方がオレよりも単純には強い。今だって、オレの方が体力を消耗してるんだろうしさ。

 でも、オレにはアンタよりも優ってる部分があンだよ」

「へぇ、何だよ?」

「オレには、この何年かの積み重ねがあるンだ。……これは、コイツだけは誰かの記憶じゃあない。

 押し付けられたデータとは違う、オレだけのオレしか知らない経験きおくなンだよ!」


 イタチは強く言い放つ。

 レイジは確信した。相手のその目は、もう昔の自分を無邪気にただ追いかけてきた弟のそれでは無かった。

 そこに立っているのは、自分にとっての最大の好敵手ライバルとなった愛すべき敵。


「そっか、良かったな……【イタチ】」

「レイジ兄ちゃん」

「もうお前は、立派に育った。……そろそろ兄貴離れしなきゃな」

「だよな」


 二人はまたも笑う。互いを心底認め合うからこその笑みを。



「いい加減にしたまえ!!!!」


 その空間に介入したのはヤアンスウだった。

 そこには、どんな事態をも見通し、裏でほくそ笑む【黒幕】の姿は無かった。

 そこにいたのは、怒りの感情を隠す事も無く露にする初老の男がいた。彼は、感情を抑えきれないのか、全身をふるふる震わせる。

 その目にも、これまで出す事が無かった感情の吐露が伺える。


「敵同士で、いつまで茶番劇を繰り広げるつもりかね!

 違うだろう…………君達は所詮、殺戮人形キリングマシーンでしかないのだ!!

 だったら――殺し合え。何も言わず、何も考えずに只々目に前に立ち塞がる敵を、さっさとな!!!!」


 怒号をあげるヤアンスウ。

 彼にとって、彼の人生にとって、他者は全て自分の目的の為の【駒】でしか無かった。全ては自身が生きる為にあらゆる手を尽くし、へりくだりおもねり、強者にへつらい、忍従。

 そうしておいて、機会を得るや否や強者を踏みつけ、排除。自分がその位置を奪う。こうした権謀術数の中で生き抜いてきた。

 だと言うのに。

 目の前の二人は何故、互いをああも信頼出来るのか?

 ああやって殺し合っていても何故笑い合える?

 理解出来なかった。

 ずっとこれまで文字通りヤアンスウ――つまり土竜モグラとして生きてきた。機会を得るまで地面に潜り、ずっと待った。

 それでも得られなかった【何か】をあの二人は持っている。

 欲しくて欲しくて仕方が無かった何かを、赤の他人同士が。

 その何かが何だったのか、もう彼には思い出せない。

 だが、それを目にして彼は感情を剥き出しにした。

 抑えきれない感情に身を焦がし、全てを壊してやりたいと思った。

 ……そして、彼には【それ】を行える手段があった。


「もういい、ここまでだ」


 ヤアンスウはそう呟く。その着ていたスーツの内ポケットからスマホの様な端末を取り出す。それを手にし、ようやく落ち着いたらしい。その表情が元の黒幕らしい、ふてぶてしいものに戻る。


「これが何か分かるかね?」


 そう言いながら、ヤアンスウは端末を操作。

 次の瞬間。

 キイイイイィィィィィィン。

 耳をつんざく様な不快な高音が響き、その場にいた全員が思わず膝を着いた。


「な、何今の?」

「何のつもりだ、ヤアンスウ?」

「ハハハハ、【最終段階ファイナルシークエンス】だよ。…………君には分かるだろう――昔これを聞いたはずだよ?」


 ヤアンスウの勝ち誇った笑みを見て、レイジはハッとする。

 この音には聞き覚えがあった。

 そう、それはかつて自分が弟たるこのイタチに【殺された】時に。

 イタチが暴走し、集落の住人を殺戮したあの夜に。

 そして、イタチは無言だった。苦しむ様子も無く、ただ立っている。


「て、てめぇ――――」

「さぁ、見たまえ、【最高傑作マスターピース】の完成だ」


 ヤアンスウは愉悦に満ちた表情を見せた。











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