悪魔の誕生
「――――くだらない話だ」
そう、実にくだらない話だ。
その武器商人は一度失脚しかけたが、持ち直した。そして、自分の家族を取り戻そうとした。
だが、妻は既に自らの子を捨て、よその男にその身を委ね、依存していた。
それを知った武器商人は憎しみに駆られ、ギルドに妻とその周りの人間全ての殺害を依頼した。
そう、そんなよくあるくだらない【愛憎劇】。
そんなくだらない案件を実行したのが、話の裏を知らなかったとある【道化】だった、ただそれだけの事だ。
分かっている、分かっているとも。今更、私に何の関係があるというのだ?
そもそも、あの男が武器商人等をしていなければよかった、それだけの事だろう。
例えば、小さな家で細々とでも暮らしていれば。そうすれば、こういう事態にはならなかったんじゃ無いのか?
……いや、そうなのか?
本当にそう言い切れるのか?
あの女は、生活が苦しくなった途端、私を【ゴミ捨て場】に捨て、裕福な別の男にあっさりと乗り換えた女だぞ?
そんな女が慎ましい生活に耐えていけるのか?
そんな女が、私の母と言えるのか?
そうだ。そんな女は、母などではない、ただの雌に過ぎない。
単なる、家畜と同じ。
私という個人をこの世に送り出す為に存在しただけ、それだけの為に存在したのだ。
彼女は満足だった事だろう、金と宝石に囲まれたまま死ねたのだから。
――じゃあ、あの男は何なの?
私を産み出した女がそう囁いた。
その女は、欲にまみれ、汚らわしく、品性の無い女。
だから、殺されて当然。そうだ、当然だ。
――あの男は、あんたの何なの?
あの女が囁いた。
五月蝿い、お前など私にはもう関係ない、ただの肉塊。
肉塊が私に話しかけるな。このバケモノが。
だから、だから、近寄るな。
――あんたは肉塊から産まれたのよ? あんたもバケモノなんじゃないの?
五月蝿い、五月蝿い、黙れ、黙れ、消えろ。消えろ、きえろ。
どんなに離れてもあの女は私にまとわりつく。
殴っても、切っても、燃やしてもいつのまにか私のすぐ傍に。
何でだ、何で消えてくれない。
――まだ分からないの? あんたも肉塊の一部だから、よ。
気が付く私は外に出ていた。うらぶれたこの漁村はいつの頃からか生活苦の為にひなびた港を裏社会に提供する事で、辛うじてその命を繋いでいた。今は、とにかく外に出たかった、息の詰まる様なあの船室に私は飽き飽きしていたのだ。
◆◆◆
国も薄々、ここが密貿易に利用されている事には感付いているらしいが、そもそもここに国に心を繋ぐ様な人間などいやしない。
私達、裏社会の人間は云うに及ばず、漁村の住民もだ。
彼らに共通しているのは、既存の国家という枠組みを信用してなどいない、この一点に尽きるだろう。
裏社会の住人は、一概にはくくれはしないが、古くから存在する反政府、反国家という流れの中で成立してきた歴史を持つ。
長い歴史は、様々な王朝や民族の侵入の連続。
そうして行われるのは、統一王朝による他の民族に対しての政策 。徹底した自分達如何に優越し存在なのであり、支配されるその他の民衆が如何に愚かで、劣った存在なのかを時間をかけて浸透させていくという、衆愚政策が程度の差こそあれ例外なく実施されてきた。
そうした支配では、現状に対する不満はやがて蓄積されると反乱に繋がる。その為に王朝側は、そうした不満を持つ人々を徹底的に弾圧する。
口を開けない民衆の大半はそうした事態にやがて口をつぐむ様になっていく。
だが、それでも完全に不満を持つ人々を押さえ付ける事は出来ない。とは云っても、表でそれを口にするのは憚れる。
そこで彼らは地下で同じ意思を持つもの同士で結社を設立する。
彼らは互いの身の証を立てる為に、儀式によって誓いをし、例え誰であっても合い言葉と符丁を持たざる者は、誓約の兄弟であろうが、結社の一員とは認めなかった。
そうして、少しずつではあったが、勢力を拡大し、やがて起こる王朝の末期に蜂起――打倒に関与し、時に新たな王朝そのものにすらなる。そうしてこの地の歴史は積み重ねられていった。
そういう結社の中でも【ギルド】は異端である。
彼らは決して表社会に直接関わらない。
あくまでも、裏社会での厳然たる力の維持以外には目的を持たず、悠々たる時間を過ごしてきた。
当時、まだ世界が【大戦】により決定的な疲弊を起こさず、国同士の、人々の繋がりもまだ残っていたこの頃、ギルドは世界中に暗殺者――凶手の人員を派遣しており、その力は世界中の裏社会から恐れられていた。
徐々にキナ臭くなる世界情勢を背景にギルドは移住者に紛れ込み、その活動範囲を拡げていた。
暗殺なら次々に来る。しかし、凶手の数は限られている。
そこで、実施されたのは凶手の担い手の【現地調達】。
各地で、素養のある子供をある時は引き取り、ある時は何処からか強制的に連れ出し、鍛えた。
今、ギルドはまさに絶頂期にいたのだ。
◆◆◆
それからさらに数年経った。
私は、日本に新たに設立された国家経済特区、通称【九頭龍】に潜り込み、実績を積んでいた。
活発な経済成長は金を動かす。金が大きく動く場所には人が集まる、裏社会も同じく。
我々ギルドはここでも着実にその基盤を築き、私も気が付けばここでそれなりの立場に就いていた。
私をギルドへと引っ張り込んだあの老人、彼は今ではギルドの仕事から引退。悠々自適の生活をしていると手紙を貰った。
私の今の仕事は、あの老人と同じ。
各地から有望な素材を捜しだし、鍛える事だ。
私は世界を回った。そうして肌で感じてきた。
世界の闇はこれまでより深くなりつつある。
各国が徐々に高まる戦争に向け緊張の度合いが高まっていく。
そうして各地を巡り、私は出会った。
冷静に考えれば、有り得る話だったのだ。
あの男の仕事、武器商人という立場を考えれば、十二分に有り得た話だった。
あの男は、かつての、いや、それ以上に巨大な権力をその手にしつつあった。
今や、国を相手にしているらしい。
――あなたがギルドの幹部ですな。
奴はヘラヘラとした笑みを浮かべながら、媚びへつらう様にこちらに話しかけてきた。
私の記憶よりも幾分か老けた印象で、髪には白いものが入り混じっている。
何よりも変わったのは、足を引き摺っていた事だ。
――この足ですか? まぁ、ちょっとした事故で少し。
奴は聞いてもいない事をべらべらよく喋る。
私の正体にも気付く気配も無いらしく、へりくだる。
努めて感情的にならない様に、私はなるべく表情を変えずに冷静に対応した。それでも込み上げる不快感に我慢出来ない時は代理の者に話し合いを任せ、波風を立てない様に苦心した。
凶手になった際にこれ迄の人生及びに、個人の感情を抑える事を徹底的に教え込む。
凶手となる者に余分な感情など必要無い。
それが、ギルドの掟。
だが、私は今や【怒り】にこの身を支配されつつあった。
生の感情を剥き出しにする事など有り得ない。
なのに、何故だ? 何故こうも感情が溢れ出しそうなのだ。
顔を見たくもない、同じ空気を吸いたくない。
最悪な事に、今、私もあの男も船の上であり、遠くに行くことは不可能。とにかく、出来うる限りあの男とは顔を合わせない。それしか出来る事は無い。
だが、それでも無理だった。
私はあの男を殺した。鮫の泳ぐ海域に奴は沈んでいった。
我を忘れたのだ。
あの海域ならまずもう捜索など無意味だ。
奴は何故か足掻こうとしなかった。
それどころか、何一つ抵抗らしい行動を見せなかった。
もう、どうでもいい。奴は死んだのだから。
奴の船室に入り込み、偽の遺書を仕込む為に。
船室はちょっとした書斎になっており、私は机の上に遺書を置
いた。
それは一枚の紙切れだった。
何故か気になった私はそれをてにとっていた。
そこに書き連ねられていたのは【後悔】及びに【懺悔】。
それは、私に宛てた物だった。
何故なら、宛名にはかつての私の名前が書かれており、悔恨の燃が滲んでいた。
全身に震えが走る。
生の感情が今にも吹き出そうだ。
それから私は、もう一人の行方を捜した。
程無く、何処にいるのかも潜伏先も発覚、そこを訪ねる。
――来たか。意外と遅かったな。
彼は私を待ち受けていた。
報告を聞いてはいたが、私は改めて驚いた。
以前貰った手紙では彼は悠々自適の暮らしをしている、そう書いてあった。てっきり、それなりの生活を甘受している、そうとばかり思い込んでいたのだ。
だが、今、私のいるここは今にも崩れるのでは無いのか? と、そう思わせる様なボロ家。まともな照明機器すら付けていない。
質素倹約では無い。これは貧困に喘ぐ人間の暮らしだ。
「あなたには感謝している。理由はどうあれ、あなたが私を育てた。おかげで今も私はこうして生きている」
これは本音だ。私にとっては、目の前にいるこのギルドの長老こそが命の恩人であり、育ての親なのだから。だからこそ――聞かねばならない。
「あなたなんですね? 私の生活が激変した一件に関わっていたのは?」
あの男、あの男、父の身辺整理をしていた時に見つけた資料。
そこには、あの男の非合法の仕事についての記述と共に気になる物があった。
ヤアンスウ――とは云っても私の事では無い。
先代のヤアンスウと呼ばれた男が、国の依頼である武器商人の失脚に関わっていたのだ。
その男は、父の元を訪れて、母の現状を教えた。
怒りと憎しみに支配された愚者が、狙い通りに刺客を放つ様に仕向ける為に。
そうして、私を刺客に、試験として実行させた。仕上げとして。
つまりこの一連の出来事には、先代、この老人が裏にいたのだ。
「何故だ? 私を何故拾った? 何故…………」
私だったんだ? 喉まで出かけたその言葉。
老人は、特に表情も変えない。
やはり、彼にも【拷問】をしなければならないのか。
そう思いつつ、私が覚悟を決めようとした時だ。
――知りたいか?
老人はゆっくりと、だがハッキリとそう問いかけてきた。
私は一度大きく頷く。
彼は、ゆっくりとした動作でその場から立ち上がる。そして、奥へと姿を消す。いつもの私ならば、ついていったに違いない。だが、あの老人は逃げない。何故かそう確信出来た。
しばらく、奥の小部屋からガサガサと何かを探す様な物音が聞こえた。そして、老人は私の目の前に封筒を置いた。
私がその封筒を手にすると、彼は中を見ろとばかりに目配せをし、私もそれに従う。
「これは、私か?」
中に入っていたのは、子供の頃の私の写真だった。
奴の家にいた頃の写真。
一番新しいものは私が六歳の頃の写真、大きなぬいぐるみを貰い、大喜びの写真だ。
何でこんなものを持ってるんだ? そう聞きたい、だが、聞くのが恐ろしく感じた。信じられない、私が恐ろしい、と思うとは。
――何故かと聞きたそうだな。ならば、言おう。
私がお前を拾ったのは偶然では無い。全ては必然だったのだ。
老人の話は私を驚愕させた。彼が初めて私を見たのは三歳の時らしい。
一目見て理解したそうだ。私の中に潜む、【殺人者】としての素養を。私を育てれば、一流の凶手になるだろうと。
だから、全てを仕組んだ。あの父を競合相手を利用し、失脚させる。母を薬で正気を失わせ、私を捨てる様に誘導。
ごみ捨て場でも、わざとあの船の話を聞かせ、そうして私を買い取った。あくまでも、私個人をその手にするため、その為に全てを仕組んだ、と。
気が付くと、私は老人を殺していた。骨を砕き、肉を裂いて。
怒りに身を任せた訳では無い。ただ、【殺していた】。
老人の顔には満足気な笑みがこぼれている。
その笑みからは、これでお前は完全だ。そう言われている様に感じた。
「くだらない、世の中は実にくだらない。私は全てを手にいれよう、欲しいものは、どんな手段であっても躊躇わずに使おう」
そう、私は手にいれる。全てをだ。
「ヤアンスウ、【最高傑作】を連れてきました」
あれから数十年、時間はかかった。だが、私はもう間もなく目的を達する。この塔の街を皮切りに、全てを手にいれるだろう。
「入りなさい」
くだらない世の中をそこそこに楽しくして見せよう。
甘い幻想など介入する余地も無い、無慈悲に、徹底的な世の中にして見せよう。
――あなたも私と同じ、肉塊なのよ。
誰かの、懐かしい声が聞こえた様な気がした。




