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イタチは笑う  作者: 足利義光
第十三話
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悪魔の原点

 

 ようやくここまで登り詰めた。

 長かった、かれこれ何十年という月日が流れたのだろうか?

 私はこうして、この街の【支配者】と渡り合える様になった。だが、ここまでの道のりは決して平坦では無かった。


 私が裏社会に堕ちたのは、まだ七歳の頃だった。

 私は元々は、海を渡った異国の出身。そこで両親や祖母に育てられた。

 周囲と比して、かなり裕福な家庭だった事は覚えている。

 毎日毎日が楽しかった。欲しいものは買って貰えたし、悩み事なんか無かった。

 父は時折、家訓を私に話した。その中でも印象的なのが、


 ――欲しいものは何としても手にいれろ。どれだけ時間がかかろうともな。


 この言葉だ。正直、この言葉は好きじゃなかった。

 いつも穏やかそうに見えた父が一瞬、鬼の様な形相をしていたから。


 破綻というものは事前に認識出来るものではない。

 認識していたのなら、そもそも破綻などはしないし、何らかの対応策を取れるのだから。

 私の父はある日、事業で手酷い失敗をした。

 当時、まだ只の子供だった私には、何が原因でそうなったのかは、最早分からない。


父様ととさまのお仕事って何なのですか?」


 そう聞いた事がある。

 いつもは朗らかな笑顔を浮かべていた父は、その言葉にこう答えた。


 ――人の命を守る物を大勢の人にあげるんだ。


 その時の表情には、暗い影の様なモノが滲んでいた様に思う。

 何の事は無い。私の父は【死の商人】だったのだ。

 子供だった私にその実感は勿論無かったが、私の生活の全ては大勢の人々の命から成り立っていたのだ。恨まれても仕方が無いだろうし、敵も多かったのだろう。


 ある日、家に見知らぬ大人達が大勢押し掛けた。

 彼らは家中にあるありとあらゆる物を外に運び出し、トラックに乗せていく。見る見る内に、家の中はがらんどうになった。

 暫くして、父が帰ってきた。

 その顔は真っ青で、まるで生気が無い。

 この時に引き止めれば、まだ或いは人生も違っていたのかも知れない。だが、実際起きてしまった現実はもうどうしようもない。

 無力な子供に出来る事は、ただ己の身を委ねる事くらいだろう。


 家族は引き裂かれた。

 父は蒸発、私は母と共にしばらくは暮らした。

 だが、かつての暮らしを母は忘れる事が出来なかった。

 母は事ある事に発狂したかの様に泣き、叫び、私に手を挙げた。

 そうした日々が続いたある日の事、気が付くと私はゴミ捨て場に置き去りにされていた。

 私は【捨てられた】のだ、人生のゴミ捨て場に。

 そこは、最低の場所だった。大人も子供も関係なんか無い、生きる為なら何をしても咎められない。

 私はそこで人を殺した。理由は簡単で、殺らなければ殺られた、ただそれだけの事。

 だがそいつを殺した事で、私はゴミ捨て場の連中に狙われる事になり、毎日を怯えながら過ごした。

 いつ、誰が殺しに来るのか分からず、【死】はその鎌口を私の首筋に突きつけている――そんな毎日だった。


 転機になったのは、ある【船】の話をゴミ捨て場の連中が話していたのを聞いた事からだった。

 その船は、この国から海を越え、日本に流れるらしい。

 その船を所有しているのは、裏社会の実力者らしい。

 そして、【代金】が不要だという話だった。金は要らないが、他の【何か】を差し出す必要がある、そういう話だった。

 私は迷わなかった。いずれにしろ、もうここにいてもそのうちに誰かに殺されるだけだ。少しでも生きる可能性のある方にその身を委ねるのだ。


 私はゴミ捨て場で拾った地図を片手に、船が出る【港】を探した。最初は、なかなか見付けられなかったが、やがて気付いた。

 その道が、【輸送】している物を。

 そこは決して大きな道では無かった。狭い一本道で、そこには行列が出来ていた。

 その行列はある商品の為の道のりだった。

 その商品の出来はまちまちで、大多数は傷物だ。

 道端には、【期限切れ】の商品が捨てられていた。

 捨てられていた商品を待つのは悲惨な末路のみ。

 何で捨てられていたのかは、すぐに理解出来た。

 その【商品にんげん】の目が死んでいたからだ、彼らはどんな形であれ、生きることを放棄したのだ。

 その道は、【奴隷】を売り買いする人間が使う道だった。


 どのくらい歩いた事だろうか、私は港に辿り着いた。

 そこでは、大勢の人が慌ただしく動き、活況に満ちている。

 私は、自分から自分を売り込んだ。自分を買え、と。

 その会場にいた連中は皆、一様に驚いていた。


 結局、私は叩き出された。商品の一覧に乗らない奴が来るな、と言われて。


 ――お前、何で自分を売りたいのだ?


 声をかけられた。振り返ると、そこにいたのは穏やかそうな老人が立っていた。一瞬、善人にも見えたが、そもそもこんな場所にいる奴がマトモな訳がない。


 ――答えたく無いのか? もしも、答えによっては私がお前を買い取ると言ってもか?


 老人は、表情も変えずに私の反応をじっと見ている。

 根負けした私は、一言だけ言った。

【死にたくないから】だと。


 ――カカカ、面白い小僧だ。死にたくないからこんな場所に足を踏み入れるとはな。


 老人は大笑し、私に、着いてこい、と案内した。

 そこは港に停泊していた幾つもの船の中でも一際巨大な貨物船だった。

 そこで働く船員達は、老人の姿を認めると、頭を下げ、直立不動になる。それだけで、彼が大物である事はよく分かった。


 ――お前は私が買い取ってやろう。


 老人はそう言いながら、私に見せたのは生まれて始めて見る【海】だった。私は安心したのか、そこで気を失った。


 私を拾ったあの老人は【ギルド】の長老だった。

 彼は国中を巡っては色々な商品を売り買いしていた。

 そんな中でも、彼の重要な仕事は、【ギルドの人員】確保。

 ギルドも当時は世界的なネットワークで繋がっており、人員不足を補う為にも【資質】のある子供を探していたのだ。

 正直、その時の私にどういった資質を見出だしたのかは分からない。だが、現実として私はこうして裏社会の一員となった。


 それから何年、私は老人に連れられ船で各地を巡った。

 同時に、私には、ギルドの一員足るべく【教育】が施された。

 まずは、身のこなし方を徹底的に仕込まれた。

 ギルドのメンバーの主要な仕事は【暗殺】。最新の兵器とは無縁の昔ながらの暗器による暗殺には様々なリスクが伴う。

 ギルドの一員は、そのリスクにも個人個人で対処出来なければならない。その為のまず初歩が身のこなし方だ。

 歩き方は元より、呼吸の仕方、寝る時の作法まで徹底的に訓練され、実戦でその基礎の構築を試す。

 私の場合は、船にいたのもあって、船員達との立ち回りをさせられた。船員達もまた裏社会の住人だけあって、強い。

 何度となく叩きのめされ、立ち上がっては叩きのめされる。

 そうした日々を繰り返す日々は傍目はともかく、自分自身ではそう悪いものでも無かった。実感できるからだ、自分が今、生きているのだと。

 そうした日々を繰り返す内に、私は船員達をやがて翻弄できる様になった。いくら裏社会の住人とは言え、彼らはギルドのメンバーではないのだ。


 ――フム、では次の段階だな。


 老人が次に私に教えたのは、武器の扱い方だ。

 案内された船室には、ずらりと並んだ古今の様々な武器が所狭しと並べられており、さながら武器の博物館の様だ。


 ――この中でどれでもいい、好きな武器を選ぶんだ。

 じっくり考えてもいい、すぐに決めても構わん。自分の直感に従うといい。


 それだけ言うと、老人は船室を出ていった。

 私は武器を一つ一つ見て、手に取ってはその感触をじっくりと感じた。まずは剣を手にして、次に槍を、斧を、棍を…………一通りの武器を手にしたが、違和感を拭えなかった。それらを手にする自分の姿が浮かばない。

 それから、どのくらいの時間をここで過ごしたのだろうか。

 この船室には、船の底にある為に、窓はない。

 時間の概念を喪失した私は奇妙な感覚に苛まれた。

 武器の【声】が聞こえるのだ。

 例えば、最初に私が手にした剣からは、こうだ。


 ――私はまだ人を殺した事が無いのだ。


 次に槍へと目を向ける。


 ――私はもう誰も殺したくない。


 こうした声が聞こえ、私は改めて武器の一つ一つを確認してみる事にした。そうしている内に、聞こえた。


 ――私を手にしろ。


 その声はか細く、聞き逃しそうだった。

 私はその声を発した【モノ】を捜し、それを手にした。

 驚く程にモノは私の手に馴染む、それはもう最初から私の身体の一部だったかのように。


 ――フム、それを選んだのかね。合格だよ。


 部屋の外に椅子を置いて待っていた老人は、私の選択を褒めた。


 ――ギルドの人間にとって暗器とは手足と等しい、いつでも何処でもそれを持ち歩く事が可能で、且つ、素早く取り回せる事は基本中の基本だ。

 その点、お前のその選択は、実に合理的だ。

 それを使うといい、私が使い方を教えよう。


 老人は、その言葉通りに私に暗器を用いた戦闘方法を仕込んだ。

 そして、しばらくしたある日の事だ。

 私は、老人にある依頼をされた。

 それは、ある一家の殺害。


 ――これが成功すれば君は晴れてギルドの正式な凶手だ。

 どうか、私の期待に応えてくれ。


 その一家が住んでいたのは、その周辺では知らぬ者はいないと云われる名士の住む家だった。

 見たところ、特に悪党という訳でも無さそうだ。

 だが、私はギルドの凶手になる男だ。凶手に相手に対する同情等は必要ない。あくまで、依頼を受けたのならそれに従い、標的の息の根を止める、ただそれだけの事だ。


 私は意を決した。屋敷の敷地に音も無く忍び寄る。

 塀を乗り越え、素早く屋敷へと近寄り――近くを歩いていた屋敷の使用人の首に手を回すとそのまま全体重をかけて捻った。

 使用人は、ぴぐっ、とだけ呻くとその場に倒れた。

 こうして私は、始めて人を殺した。その実感に身を震わせる。

 冷たい何かが駆け上がってくる。心が冷えていくのが実感で分かる。少しの間、私はゆっくりと息を吸い、呼吸を整える。


「いくぞ」


 私は自分自身をそう鼓舞すると、屋敷内に浸入。

 屋敷内にいた全ての人間の息の根を続々と奪っていく。自分でも驚く程に私の身体には、他者を殺すのという行為が染み付いている。一人、また一人と命を奪っていく度に私の心は冷めていく。

 最早、誰にも止められやしない。私は暗闇の中、最後の一人へと音も無く近寄る。

 私は手足を動かすが如くに――標的の首筋にそれを近付けて触れた。標的は、うっ、と小さく呻きながら倒れ伏した。

 辛うじて動く手を伸ばし、しばらく震えるとそのまま動かなくなった。

 月明かりに照らされた相手の顔が目に映った。

 今更、何だと云うのだ、相手は死んだ、コイツが死んだところで何も変わりはしない。私には、最早何の感慨も浮かぶことは無い。


 ――よく殺れたね。おめでとう。


 船に戻った私に老人は、労いの言葉をかけた。


 ――これでお前は正式にギルドの凶手になった。

 あの殺しの意味は今のお前に分かるかね?


 よく分かっているとも。私を捨てた【母】を如何にして殺せるのか? それこそがあの試験の意味だ。

 もっとも親しき者に背を向けたあの女の、その命をあっさりと奪えるのか?

 結果は何の問題も無い。

 あの場にいた全ての人間――使用人も、まだ小さな子供も、老人も、そして自分の母をも何の遠慮も躊躇いもなく殺せるのか? そういう事なのだろう。ならば何一つ問題はない。


 ――それで、君の心には何が浮かんだかね?

「何も」

 ――何も無い、そういう事か?


 老人の言葉に私は、はいと答え、彼は穏やかな笑みを浮かべた。

 彼は、私に名を与えた。【ヤアンスウ】という凶手としての名を。


 それから私は何人もの命を摘み取った。

 特に心を乱す事もないのは、試験が良かったのだろう。

 母を、自分の一部を殺した事が私から様々な物を失わせた。

 心はこれ以上なく冷えているのが実感で分かる。

 それからしばらくしてからの事だ。


 ――おい、知ってるか? この前凶手になったあのガキ。

 ――聞いたぜ、あいつの母親を殺す様にギルドに依頼をしたのは、あいつの父親だそうだぜ。


 偶然に耳にしたその話は、私の冷えた心に微かに響いた。



 

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