刀使いと弓使い
『静かだ…………死んだのか? ………………いや、それはない』
サジタリウスは獲物を見失った事を自覚していた。
あの炸裂矢は強力ではあるが、爆風によりこちらの視界をも奪うという欠点があった。
もうもうとした土煙に木々のざわつきで、猛禽類に比類しる目を持っていても、下の風景は完全には把握出来ない。
『だが、間違いなく手応えはあった』
その為に伏線をいくつも張り巡らしたのだ。
その理由は、彼はサルベイションのイベントで、イタチとムジナの一騎討ちを目にしているからだ。
二人とも常人離れした身体能力を持っており、正攻法では勝てる確率は三割にも満たない。そう結論付けた。
だからこそ、炸裂矢を用意したのだ。
通常の矢はムジナには通用しない事は理解していた。
イタチとかいうもう一人はともかく、ムジナは刀を使う。あの身体能力と反射神経なら矢を斬り落とすのは予想の範疇だ。
だからこそ、確実にダメージを与える必要があった。
その為に、狙いを胴体から、爪先等に徐々に変えていき、無理な体勢に追い込む――宙に浮かせる為に。その為に矢の放つ速度まで変えながら。
如何に優れた身体能力をしていようが、その起点である足が地面から離れれば問題では無い。そこに矢を放つ事で選択肢を狭めた。ムジナに出来るのは二つ。
一つは、そのまま矢を躱せずその身に受ける事。
もう一つは飛んでくる矢を刀で斬り落とす事だ。
結果は予想通り、ムジナは刀で矢を斬り落とす方を選択し、爆風をその身に受けた。
とは言え、致命傷ではない。だが本調子には程遠い状態である事は容易に想像出来る。
『焦る事は無い。この森はワタシの味方なのだから』
そう思索しながら、彼は闇に溶け込んでいく。確実に獲物を仕留める為に。
一方、ムジナは焦りを強めていた。この森の中、この中で敵を探し出す事の困難さを実感していた。
怪我は大した事はなかった。だが、全身がズキズキと痛む。ひょっとしたら内出血しているのかも知れない。
【リミッター】を外せば、痛みは誤魔化せるだろう。
だがその場合、体力の限界が近付く。
長期戦にするつもりは無いが、短期戦になる保証もない。
気配を探ろうにも、相手の気配が分からない。
森にはあまりにも無数の生き物がいる。
バサッ。
物音がし、ムジナは刀を向けた。茂みから出てきたのはウサギだった。敵が弓使いである以上、接近戦を挑む可能性は限りなく低い事は分かっている。それでも、警戒してしまう。
気を張りすぎるのも消耗の原因になる。敵はそれも込みでこうして待っているのだろう。こちらから仕掛ける事は出来るだけ避けなくては――そう考えたムジナはただ静かに地面にその身を伏せた。
這うように動きながらその時を待つ。反撃のキッカケを。
ムジナの脳裏に浮かぶのは、あの男の言葉だ。
◆◆◆
――ふむ、君はいい素質を持っているね。だが……!
あっという間の事だった。少年は気が付くと空を見上げていた。さっきからこの繰り返し。
「くっそ、ざけんな」
少年――ムジナは吠えると、跳ね起きた。それをあの男はフムフムと興味深けに眺めていた。
――身体能力は合格だね。
男は、ゆらりと手足を揺らしてムジナの目の前に進み出た。
すかさずその出足を踏みつけようと足を出す。
男は、ムジナの思惑を読んでいたらしく、出足を戻した。勢い余って転びそうになるムジナを男の手が支えた。
――駆け引きはまだまだ、と。
「手を離せよ、離せってば!」
――ん? ああ、そうだね。
「ととっ、わわっっ」
男が突然手を離したのでムジナは地面に飛び込む様に砂場へと突っ込む。口にはジャリジャリとした砂の味が広がり、とても苦くて不味い。
ペペッ、と口から砂を吐き出すと、起き上がって再度男へと向かっていく。男は突っ立っている様にしか見えない。だが、さっきから何回ムジナが仕掛けてもその攻撃は悉く躱され、流され、それから押し返された。
まだ子供のムジナでも理解していた。目の前にいる男がこれっぽっちも本気を出していないという事に。それ位圧倒的な差があるという事だろう。
これ迄にムジナが出会った連中なんか、束になっても目の前の男には手も足も出ないだろう。
ムジナは喰らえ、そう言いながら両手に掴んでいた砂を男に投げつけた。砂は狙い通りに男の視界を塞ぎ、ムジナは背後に忍び寄ると、飛びかかった。
だが、気が付くとまたも空を見上げていて、それを見下ろすのは手でパンパンとかかった砂を落とすあの男。
――見た目よりも実戦向きの様だね。
「じゃあ、なんで俺はあんたに手も足も出ないんだよ?」
――知りたいかね?
そう言いながら男は手を差し出す。ムジナは黙ってその手を握りしめた。
――ならば、まずは私を教官と呼びたまえ。いいかな?
そうしてムジナは、マスターに鍛えられた。
他の連中とは違ってムジナは個人での授業が多かった。それは何故なのかと聞いた事はある。それに対する回答はこうだ。
――ふむ、まずは君には協調性がないからかな。
君に問おう……自分の長所が把握できているかね?
「俺の長所? …………さぁ、何だろう」
――負けん気の強さだよ。他の子供達よりも君はハングリーだ、それ自体は悪いことじゃない。だがね、長所は短所にもなりうる。
しかし、君のその負けん気の強さは、これ迄アンダーで君の事を幾度となく救った事だろう。
だがね、それでは先が見えている。君はあまりにも【自己主張】が強すぎるのだから、ね。
「何だよそれ? 訳わかんないよ」
――理屈よりも実践だね、特に君の場合は……。
◆◆◆
「チッ、つまらない事を思い出したな。だが――」
そう、さっきから矢はムジナには飛んでこなかった。
さっきまでは、あれだけ森の中でも矢が飛んできたというのに。
ムジナは今、草むらに伏せている状態だ。もしも今、矢がここに飛んできたら――それがさっきの爆発する矢であれば万事休す、アウトだろう。
しかし、矢は向かって来ない。これはいくつかの事を実証した。
まず、サジタリウスは暗視装置等でムジナを捕捉していたわけでは無い、という事。
次に、森の中でもあれだけ正確に矢を射れたのは、奴自身が夜目が利くという証である事。
最後に、恐らく今、的を見失った最大の理由は、【殺気】を抑えたからだという事。
『おかげで、ガキの頃に散々やられた事を思い出しちまったな』
ムジナはかつてマスターから手解きを受けていた。その際に散々教えられたのが、【殺気】を抑える事だった。
今の今まで思い出せなかった。あれだけ散々、身を持って教えられた事だったのに。恐らくそれは【人格統合計画】の影響だろう。他の二人の記憶を植え付けられる段階で、消えたはずのいくつかの記憶の一つ、それがさっきのマスターとの一連の出来事だったのだろう。
『何にせよ、身を持って染み付かせた【記憶】ってのは簡単にゃ消えないってこった。あの授業もこんな森の中だったからな』
ムジナは苦笑した。以前のムジナは自分には何も、誰もいなかったと思っていた。
友達だと思った02は身代わりになった。
自分だけでも救う為だとは理解していたが、ムジナは見捨てられたと感じた。後に彼が死んだと知りショックを受けた。そして、その原因である少年があろうことか02であるかの様に振る舞い、生活している事に怒りを感じた。だからこそ、殺してやると思った。
だが、それよりもずっと以前に、ムジナは救われていたのだ。
マスターはムジナを何だかんだで可愛がっていた。
だからこそ、だろうか。イタチとやりあう前にマスターに出会った際に、彼は聞いた。
――君はいつまでそうして生きるのかね?
この言葉の意味がわからなかった。記憶を失っていたのだから。マスターはそれでも手合わせしてくれた。
先日、クロイヌが話していたが、あのマスターという人物は厳しいながらも、自分の生徒を本当の子供の様に可愛がるらしい。
つまり、ムジナにもそう思いながら接していたのだ。
今でこそ、複雑な立場ではあるが、育ててくれた事には感謝すると、そう言っていたクロイヌの言葉も記憶を思い出すキッカケになったのかも知れない。
『何にせよ、ここからが勝負だ』
ムジナはゆっくりと動き出した、この暗闇と同化するかの様に静かに。
サジタリウスは静かに呼吸を整えた。ゆっくりと、あくまでも静かに。そして目を見開く。暗闇を見通すその目で周囲を確認。
無数の動物の姿を捉えた。だが、肝心の獲物の姿は未だ見つからない。ここまで来たら間違いないだろう。
『奴は気配を絶てるのだな』
さっきまで何故それを実行しなかったのかには疑問を抱いたが、現状を確認する限りは間違いないだろう。
そして、こちらが目視で獲物を追っているのにも気付かれたはずだろう。
『どうやら、勝負時だな』
サジタリウスには炸裂矢に加え、もう一つ【特殊な矢】があった。
矢筒にはそれは一本しか入ってはいない。迷わずにそれを手にするとつがえて射る。狙いはこの森で一番の巨木の幹。
シュバン!!
風を切り、矢が幹に刺さった瞬間。激しく輝いた。まるで照明弾の様な眩しい光は暗闇を瞬時に切り裂き、すべてを見通す。
そして、見つけた。獲物の姿を――ムジナを。
風を切る音が聞こえた。間違いなく矢の風切り音だろう。サジタリウスがミスでも犯したのかも知れない。
そう思ったムジナは、思わず振り向いた。
直後だった。突然の光が目を包み込んだ。暗闇に慣らされた目にその眩さは凶器と同じ。身体がくらりとよろめく。
シュバッッ。
再びの風切り音。今度は間違いなくこっちを狙っている。ぐんぐん近付くのを耳で捉え、迷わずに刀を切り上げた。これが爆発するなら終わりだろう。
バシュ、という手応え。同時に右太ももに痛みが走る。
目を開くと、切り落とした矢の矢じりが刺さっていた。
だが、迷っている時間はない。振り返り様に刀を横一文字に薙ぎ払う。カツンという音と共に矢が地面に落ち――その先にいたのは紛れもなくサジタリウス。
「仕留め損なったか」
「生憎だったな」
一歩にじりよるムジナ。サジタリウスは静かに獲物を見据えている。矢筒には二本の矢が見える。ギリギリまで引き付けるつもりだろう。サジタリウスが尋ねる。
「一つ聞いてもいいか?」
「何だ?」
「――お前の気配が変わったのは何故だ? さっきまでは野生の獣以上に殺気を放っていたというのに、今はまるでその殺気を感じない。おかげで今、こうしている訳だが」
サジタリウスの言葉はムジナの推測が当たっていた事を認めるものだった。恐らく殺気からおおよその位置を割り出して、矢を放っていたのだろう。
「俺からも聞きたい事がある」
「――何だ?」
「そういうあんたこそ、何故そこまで静かなんだ――今、この状況下ですら気配が無いのはどういう訳だ」
「……ワタシのは一族伝来の技法だ。気配を抑えるのではなく、自然と一体化するのだ。ワタシの気配はこの森と同じ、だからこそ、誰も気配を感じ取れない。ワタシの気配はここ全体にひろがっているのだからな」
「納得した」
「では……来い」
それだけだった。互いに手の内はハッキリしている。
ムジナは刀を鞘に納め、いつでも抜き放てる様に手を添える――つまり【居合い】の構え。
サジタリウスは一見すると不用心ともとれる程にダラリと手足を揺らしている。だが、タイミングさえ合えば即座に矢筒から矢を取り、つがえて放つだろう。
互いに、ほんの十歩程の距離が途方もなく遠く、険しく感じられる。
ムジナが左足で一歩踏み込む。あと九歩、サジタリウスは動かない。
右足を踏み出す。サジタリウスは微かに目を細める。あと八歩。
互いの間合いが近付いていく。
ムジナの居合いなら三歩。
サジタリウスの弓なら六歩。
にわかに風が吹いた。木々は震え、葉を散らばせる。
ムジナの足が止まる、サジタリウスの射抜く様な鋭い視線が獲物の動きを見逃すまいと、向けられた。
サジタリウスの手足の揺れが小さくなる。小刻みにリズムを取るかの様に小さく早く……臨戦態勢に入った。
ムジナが一呼吸入れ――動き出した。素早く両足で踏み込む。
その刹那にサジタリウスが動いた。信じられない程の速度で矢筒から矢を取ってつがえ、引き絞った。その早さは間違いなく【スイッチ】をONにしたムジナの踏み込みにも劣らない。
これまでで最速の矢が襲いかかり、獲物の眉間へと向かう。
ムジナはそれを待っていた。姿勢を低く構え、躱すべく動いた。
本来なら躱せない最速の矢。だが、来ると分かっていれば話は別、そのはずだった。
矢は二本向かっていた。その軌道は寸分違わず同じ。
かわせるはずの矢にもう一本の後追いの矢が追い付くのが見えた。
そして――ムジナの目の前で二つの矢は爆ぜ、爆風が至近距離で襲いかかる。
『勝った、終わりだ』
一本目の矢は炸裂矢だった。同時に二本の矢を取り、一本ずつ、微かに速度を変えて放った。獲物――ムジナが一本目の矢を躱せると確信した上で。だからこその二本目の矢だった。彼の正真正銘の最速の射抜きで炸裂矢を誘爆。火薬が少なくとも、一歩未満の距離ならば人を一人殺すのも容易い――――はずだった。
「見事……だ」
サジタリウスは一言だけ呟くとドサリと倒れた。
ムジナが神速といって過言ではない居合いを炸裂させていた。
「俺の勝ちだな」
ムジナはそう言うと刀を鞘に納める。
闇夜の対決はこうして決着した。




