生きる事
「しっっ」
ムジナが飛んでくる矢を刀で弾く。かれこれ、何本こうして撃ち落としただろうか。
シュバッッ。風切り音と共に矢を飛ばしてくるのは、間違いなくあの男。サルベイションのメンバーで通称【射手座】だろう。
彼は元々裏社会で殺し屋をしていたそうだ。
何故、矢に拘るのか? とムジナは一度尋ねてみた。すると、彼はこう返事を返した、
――弓矢こそ、最強の武器だと思っているからだよ。
と。
サジタリウスが言うには弓矢は古来より人類がもっとも戦場で人を殺した武器の一つらしい。
――では、またお前は何で、今時【刀】に拘っている? それはお前にとってはそれが一番しっくりくるから、ではないのか?
ワタシにとっては、この弓矢こそがそうなのだ。
無粋な銃の様に、引き金を引くだけで扱う武器とは違い、矢をつがえ、狙いを定め、そこから放つ。この手間こそが至福の時だ。
風を切り裂き、相手の心の臓を射抜くのを目にした時の興奮は他の何とも比べられないのだ。
お前には分かるはずだ、【命を奪う実感】を感じる醍醐味というモノを、な。
ムジナには仮面を着けていてもハッキリと分かった。コイツもまた、この場に来るべくして来た【殺人中毒者】なのだと。自分と大して差の無い【怪物】なのだと。
だからこそ感じるのは【同族嫌悪】。
崇高な思想も何も持たず、只々人を殺す。殺人中毒者にとって人殺しとは、呼吸と同じく極々当たり前の事でしかない。
――分かるはずだ。ワタシ達は狩人だ。狩人は他者を狩ることで生きている。
…………いや、違うな。ワタシ達は他者を狩ることで自分が世界に生きているという【実感】を得ることが出来るのだ。
分かるはずだ――お前も同類なのだから。
そこに他の生き物の様な最低限の獲物を狩って生きるという、従来の狩猟のルールは当てはまらない。
中毒者に規則等は何の規制にもならない。
何故なら、彼らは常に【餓えている】のだから。
バチィン。
今度の矢はムジナの肩口を狙ってきた。
ムジナもそれを刀で斬り落とすものの、徐々に相手の狙いがより正確にかつ、よりえげつなくなっている事を実感していた。
サジタリウスが使うのは合成弓。勿論、古来からの骨や木の破片等から作った物では無く、金属部品を組み合わせた物だ。
狩猟用のボウガンの様にスコープ等も無く、目視でここまで正確無比に狙ってこれるのは怪物ならでは、といった所だろう。
「ちっ」
ムジナは思わず舌打ちした。
どうやら、サジタリウスは事前にここら一帯に電波妨害工作をしていたらしい。
このギシンの屋敷が完全に孤立無援となっている。
別に支援要請をするつもりはムジナにはない。それはサジタリウスも同様だろう。つまりは――
『ここでケリを付ける』
それ以外の答えは無い。
ムジナが電波妨害に気付いた頃――ギシンの邸宅からおよそ二百メートル程離れた森の中。その中に無数にそびえる木々の枝の上。そこには梟や鼬等の夜行性の生き物が自身の獲物を上から眺めている。
そんな中を素早く飛び交う影が一つ。遠目からなら恐らくは猿か何かが枝と枝を往き来しているのだと思う事だろう。
だが、その影は他の野生の獣達とは明らかな違いを持っていた。
まず、その背丈は170センチ程あり、猿よりも巨大である事。
次にその影は時折、シュバッッ、という音を立て何かを放っていたという事。
そして、何よりもその影の持つ目には野生の獣ですら凍り付かせる様な静かな【殺気】が込められていた。
サジタリウスとは自分に案外あったネーミングだ、そう、彼は思っていた。とは言え、あのふざけた仮面はもう着けてはいない。
彼は本来仮面等はしない。その代わりにするのは漆黒の闇に溶け込む為の黒い化粧 。
身につける服装は、その獲物が暮らす場所ごとに変えるのが彼のポリシーだ。
――狩人が獲物を仕留める為の一番の条件は何か?
かつて、彼の父親はそう尋ねた。
彼の家族は先祖代々【マタギ】の一族だった。
自然と共に生き、自然の中に死する。
日々を自然と闘い、そして恵みを与えてくれる自然に感謝し、共存共栄する。そう物心ついた時から周囲に教えられ、子供だった彼もその事を信じて生きていくはずだった。
それが本来の彼の人生のはずだった。
彼の一族郎党が暮らしていた山々には希少価値のある鉱物資源が眠っているという論文が出た。
平時ならば、政府等もきちんとした実地調査にその地を守るマタギ達にも事前交渉をしていたことだろう。
だが、大戦の泥沼化はそうした理性の働く余地を小さくした。
戦争に勝つ為に! この都合のいい大義の元に欲にまみれた者達が山に押し入った。
鉱物資源は地中深くにあると推測した学者を調査団の隊長に、平時ならば絶対にこうした調査団にいるはずの無い人種が混ざっていた。傭兵達は長年かけて築き上げた自然との調和を躊躇なく踏みにじり、そして破壊した。
山に住む色々な野性動物は銃弾に沈み、彼らを守ろうとしたマタギ達もまた同様に命を奪われていく。
死人に口無し、とはよくいった物だ。
わずか数日の間に彼の世界は、歪んだ欲望の前に焼け落ちた。
豊かだった木々は灰に返り、賑かだった命の声は無になる。
家族は皆死んだ、彼一人を残して。
最期の父親の姿が目に焼き付いた。
父親は銃弾をその身に受けながらも、一歩も引かなかった。
彼の父親は、最後まで自然との調和を訴えながら、頭を吹き飛ばされて死んだ。
連中は、火をかけた。彼を燻り出すのが目的ではない。
どうせ地中に資源があるのだから手っ取り早く、山を掃除してやろうぜ、という悪意に満ちた提案による【放火】だった。
これだけの参事が起きたと云うのに、メディアはこの事件を単なる山火事として片付けた。
しかも、その原因を彼の父親が火の始末を怠った事によると結論付けた。
世論はその報道を真に受け、容赦なく彼の父親及びに一族全てを嘲笑した。
――前時代に生きる、愚か者。
――生きてる価値も無い連中。
――自然の破壊者。
こうした言葉を聞くにつれ、彼の中で何かが音を出して崩れ去った。
自分達はただ、自然と対話しながら日々を暮らしていければそれで良かったのに。
――狩人に必要なのは一体化する事だ。山と一つになれ。そして、山の声を聞いて、山に溶け込め。
気が付けば彼は、複合弓をその手にしていた。新しい狩り場へその一歩を踏み入れた彼がまず実行したのは、山を汚した連中の始末だった。幼い頃から弓矢の使い方を学んだ。その技術はそのまま連中へと応用出来た。
いつしか、彼の目に映る人々全てが獣に見える様になった。
自然と共生する意思を持たない、破壊者達に。
いつしか、彼は失った。
心の一部と、言葉を。
『くだらない事を思い出したな』
サジタリウスはそう思って苦笑した。
心など、とうに失ったと思っていたにも関わらず、こうして稀に昔の出来事を思い出す。それは所詮、感傷に過ぎない。
今更、何なんだと云うのだ。
今、自分は最高の獲物を相手にしているのだ。
世の中の仕組みなら子供の頃に理解した。
この世は結局、強いものが弱いものを虐げる。
悔しかったら強くなればいい。弱いものが強いものに抗いたいのなら、その姿を同化させるんだ。自然と一体に、溶け込む事だ。
どんな人間も自然には抗えないのだから。
『しかし、それにしても、だ』
彼は内心、ムジナに感心していた。
あれだけの矢を放って生きているのは初めての事だ。
やはり、化け物じみたスペックを持ち合わせているからだろうか。
だが、手応えが無い訳では無い。
獲物の動きのパターンはほぼ完全に読める。これだけの時間を費やし【観察】したのだから。
『そろそろ詰みだ』
彼――サジタリウスは微かに笑みを浮かべた。
獲物はこちらに、森へと走り込んでいる。
確かに悪くない手段ではある、あのまま明るい邸宅にいたのでは猛禽類に匹敵する【視力】を持つ彼のいい的だからだ。
『だが、森もまたワタシの庭だ。お前は、ワタシを捉えられるか?』
ズザザザッッッ。
勢いよく、茂みにムジナが飛び込んだ。さっきからムジナは【スイッチ】を定期的にオンにしていた。
身体が熱い。熱が身体中から溢れ出しそうな感じだ。
スイッチにも欠点がある。
長時間使えないのは、この能力が潜在能力を引き出しているから。普段は眠る脳の機能を引き出す事で、驚異的な身体能力を引っ張り出すツケは大きい、という事だろう。
限界までスイッチを使い続ければどうなるのか? 以前試した事があった。しばらくの間、動くこともままならなくなる。
シュバッッ。
風を切り、矢が飛び込んでくる。今度は爪先狙い。
かろうじて躱す。
こちらも、ゆっくりと見えている。だが、想像以上にえげつない狙いだ。相手は暗視装置でも装備しているのか? そう思える程に正確に見えているらしい。
シュッ。
更に矢が飛んできた。こちらがさっきの一撃を躱す事を予測でもしていた、という事なのだろうか?
狙いは、またも爪先。宙に浮いた状態では躱しきれない――迷わずに刀を振る――寸分違わず刃先が、矢を捉えた。
だが、それこそが彼の【狙い】だった。
『――確かにお前は最高の能力を持っている……だが!』
瞬間、矢が爆ぜた。
その爆発にムジナは巻き込まれる。
宙に浮いた状態では爆発には対応しようにも無い。
その身体はまるで人形の様に吹き飛ばされて、地面に転がりそのまま一本の巨木の幹に激しく打ち付けた。
「くはっっっ」
息が出来ない、今の衝突で酸素が抜けたのかも知れない。横隔膜が上がっている。全身に痺れる様な痛みが走った。
それでも、何とか身体を動かし、その巨木の幹の裏へと回り込むと、ようやく呼吸が出来た。酸素が肺を満たし、そこから血管を回り、脳へ。思考を取り戻す。
『さっきの矢は爆薬付きか? 俺が迎撃しても確実にダメージを与える為に、か』
改めて、身体の状態を確認する。骨や臓器に影響は無さそうだ、身体も動く。だが、痛みは激しい。無理もない、火薬量は少なくとも、爆発に巻き込まれたのだから。もしもあれが自分の身体に入っていればバラバラにされていたかも知れない。
そう思うと、震えた。
『そうさ、俺は怖いんだ。死にたくない、まだ』
ムジナはいつの頃からかそう思う様になった。
あのイタチと殺り合った時にはそんな事は露程にも思わなかったはずだ。なら、いつから?
『いや、分かってる。あの女――キクの面倒を見ると決めてからだ』
記憶を一時的とは言え失った彼女。もしも記憶を取り戻したらどうなるのか? 正直言って不安はある。多分、敵になるのだろう。
だが、それでも構わないと思う。
今の歪な関係から、マトモな関係を築こう。
何かを求めるつもりは無い、所詮自分は裏社会の住人。大勢の人間を斬り殺した殺人狂なのだから。そんな自分に、救いなんかは必要じゃない。その時だった。
――おいおい、俺達みたいなのでも、人並みの幸せってやつは追い求めてもいいんじゃ無いのか?
そういえば、かつて02がそんな事を口にしていた。当時ムジナは馬鹿馬鹿しいと思い、聞き流していた【日常】って物に奴は強く憧れていた。
――だってよ、俺達もいつかはここから出るんだぜ? そしたらさ、世界を旅して回るってのはどうだ? 昔は世界中に飛行機で往き来出来たらしい。羨ましいけど、呆気ないよな。
正直、大変なんだろな。ンでも、自分の足で世界に立ってる実感ってのは昔よりも感じられそうじゃんか。
お前は馬鹿馬鹿しいと思うか?
ムジナは息を吐いた。ゆっくりと静かに。
そして、言葉を返した。かつての友に。
「いや、馬鹿馬鹿しくなんざねぇな」
そう何年か越しの質問に答えると、静かに立ち上がった。
生き抜く為に。




