がむしゃらな男
とある廃工場跡。
いつ崩れるかも知れず 、もはや誰も近寄らないこの場所に彼らはいた。
「やれやれだ。全く無茶苦茶だなお前さんは」
闇医者は、そう言いつつ苦虫を潰した様な表情を浮かべた。
いつもなら夜中は彼にとって、繁華街のいざこざ等で怪我人が次々に運び込まれる時間。つまり、一番儲かる時間帯。なのに、ここ数日間は、たった一人の患者を見ているだけ。
確かに、貰った前金は多いが、こう何日もたった一人の患者相手では、売り上げは間違いなくマイナスだろう。そう思うとやり切れない気分になる。
それでもこの闇医者が患者を見ているのは、彼がその相手に借りがあるからだ。
それは、闇医者がかつて繁華街に来た頃の話。
当時の繁華街――無法地帯だった頃の話。
今でこそ第十区域と呼ばれているが、当時この区域はまだ【第零区域】と言われていた。塔の街の中で組織が統治できない場所はここだけだった。何の利益も出さない売り上げ【零】の区域。それがそこの実態だった。
当時は、今よりもずっと悪党が繁華街で好き勝手暴れていて、正直者は泣き寝入りするしかなかった。だから、悪党ばかりがここに住み着き、また一段と治安を悪化させる。
こんな最低の場所ではあったが、それ故に医者にとってはここは稼ぎやすい場所でもある。金づるが勝手にやって来るのだから。
無論、正規の病院ではない。だから治療費は思いきりぼったくる。
それでも商売が成立するのは、患者が悪党だらけだったから。
勿論、悪党である奴等の中には大人しく治療費を払わない者もいた。それどころか、逆に金庫の金を奪おうとした強者もいた。
そういう輩への対策として、護衛を雇った。
そいつは軍人崩れだったが、腕も経ち――そこいらの有象無象じゃ話にならない強さを誇った。無論、その分の料金もかかったが、それ以上に儲かっていたので気にもしなかった。
だが、それも長くは続かなかった。肝心要の護衛が金を奪っていったのだ。最初から、金庫の金が貯まったら盗むつもりだったのだろう。普通なら、警察沙汰だが、ここで闇医者として無許可で開業している身ではそんな事は出来ない。犯人を捕まえる処か警察から金をむしりとられかねない。泣き寝入りするしかない、と諦めかけた時に患者が言った。いい奴を知ってると。
そこで紹介されたのが、【カラス】で――あっという間に金は戻って来た。
謝礼を払おうとしたが、カラスは断り――結果的にカラスが窮地の際にその借りを返すという形になったのだ。
いざ、カラスを見てみたが酷い状態だった。全身にガタが来ていた。三週間も意識不明に陥っていた重傷患者が、目覚めた直後から身体を酷使したのだから当然と言えた。
にもかかわらず、カラスはすぐにでも飛び出そうとしたのだ。
鎮静剤を打ってようやく眠ったのがついさっきの事。怪我人で、弱ってはいてもカラスはパワフルで、リスとたまたま来ていたホーリーの二人ががりで押さえ込み、ようやく鎮静剤を投与。今に至る。
「何をそんなに生き急ぐんだ? お前さんは?」
すっかり眠った患者にそう問いかける。
闇医者も事情は大まかには知っていた。バーのオーナーであるレイコは繁華街の云わばアイドルだった。
口も悪く、乱暴で、トラブルメーカーだったが、愛嬌があり憎めない。カラスが彼女をずっと守っていたのは知ってるし、理解もしている。
『だがな、だからって自分が死んだら元も子も無いんだぞ。分かってるか?』
答える筈もない患者を残して闇医者は廃工場の外に出た。
「カラスさんは大丈夫ですか?」
闇医者の姿を認めて駆け寄ってきたのはリスだ。
彼がここにカラスを運んだそうだ。
最初は、断ろうかとも思った。確かに【借り】はあるが、だからと言って自分の身まで危険にする事は無い、そう思った。
だが、その目を見た時に感じた。
目の前の青年の目には【打算】や【裏表】は一切無かった。
只々、尊敬している人を助けたい――それしか考えていない。
そんな目を見たのはいつ以来だっただろうか?
自分が医者になりたかったのは何故だったか?
理想があったはずなのに、何でこうなった?
リスの真っ直ぐな目は闇医者を動かした。
いつからか煤まみれになっていた曇っていたその目に見えるのは、昔の自分が目指した立派な男の姿。
「あ、ああ。とりあえずは峠は越した。しっかり休めば大丈夫だ」
闇医者はリスの目を見ないよう、顔を横に向けて答えた。正直言ってリスの真っ直ぐな目が苦手だったのだ。
勿論、リスはそんな事情等知る由もない。
よかった~、と素直に喜んでいる。
「じゃ、無理はさせるなよ。まだ数日は安静にさせるんだ」
それだけ言うと、車を停めた場所まで歩いていく。
遠目で後ろを振り返ると、リスはまだ頭を下げていた。
『ま、なんだ。まだこの御時世にあんな奴がいたんだな』
闇医者はそう思いながら、世の中捨てたもんじゃ無い。と呟きながら歩いて去っていく。
◆◆◆
「やれやれだね。君は本当に愚直だよ、リス君」
物陰にいたらしく、ホーリーは苦笑いしながら姿を見せた。
その手には缶ジュースが二つあり、その一つをリスに投げて寄越す。
「ぷはーーーー」
「少しは気も晴れたかい?」
炭酸を口にしながらホーリーはリスに尋ねた。
ここ数日のリスは只々、がむしゃらだった。
ウサギは、ホーリーのつてで第一区域の総合病院に入院させた。
カラス程では無いにせよ、彼女もまた酷い状態だった。
全身に、拷問の痕が生々しく残されていて、切り傷や骨折も複数あった。更に、衛生状態の良くない場所にいたせいだろう、傷は化膿していて、下手をしたら死んでいたそうだ。
それに何より、リスにとって辛かったのは、彼女の心の傷だった。
本人は大した事無い――そう気丈に振る舞っていたのだが、彼女は向こうに拘束された際に肉体的にも精神的にも暴行された。
ホーリーは偶然だが、見てしまった。
病室で、激しくうなされる彼女の姿を。必死で耐えようと声を挙げず、だが、悶えながら歯を食い縛る彼女を。
どれだけの拷問を受けたのか、彼女のその様子で僅かながらに理解出来た。
『どうやら、僕も覚悟を決めるべきだね』
ホーリーは元々第十区域、つまりは繁華街の近くに住んでいた。
子供の頃から繁華街の様子を見て育った彼は、世の中をバカにしていた。悪党ばかりが好き勝手に生きれるここは最低最悪の場所。
彼がホストになったのも、自分の容姿なら手に汗かく必要も無く、手っ取り早く金を稼げるだろうという、打算からだった。
学校を中退し、ホストの世界に飛び込んだ彼だったが、未成年である事はすぐにばれ、叩き出されそうになった。
そこに来たのが、カラスとクロイヌだった。
二人が【掃除屋】をしている事は知っていた。彼らはここいら一帯から【クスリ】を無くそうとしていて、売人や、その元締めを次々に蹴散らしていた。連中も抱腹に出たものの、二人の前に完膚なきまでに叩き潰され、いつの間にかいなくなっていた。そのお陰で、最近じゃ、繁華街の様相が変わってきた。
昼間から表通りにたむろしていた悪党の数は激減し、裏通りのジャンキーもいなくなった。
その代わりに、よその区域や、よその街からの客が増えて、繁華街は賑わいを取り戻しつつある――そうだ。
二人は、ホーリーに話しかけると、事情を聞いた。
その上で、ホストはまだダメだが、ウェイターとしてなら雇ってくれると聞き、反発した。
余計な事をすんな、と叫び、暴れようとした。
だが、カラスにあっさりと止められて、カラスが言った。
「お前はまだガキだ。背伸びせずに、世の中を真っ直ぐに見るんだ」
「そう言う事だ、もう少し我慢しろ。ちょっとは住みやすい街にしてやる」
クロイヌはそう言い、笑いながら夜の雑踏の中に消えた。
時は経ち、その言葉通りに繁華街の状況は変わり、繁華街は組織の最高幹部、九頭龍になったクロイヌが仕切るようになった。
それまで、悪党どもに法外なショバ代を搾取され、今度はどうなるかと皆は警戒していたが、ショバ代は月に一回、それも微々たる物だった。
「その代わり、よそでちゃんと使え」
そうクロイヌは部下に伝言を託した。
予想外の展開だったが、皆は喜び、残ったお金の何割かは地元で回った。そうこうしている内に、繁華街は前よりもずっと明るくなり、栄えた。ホーリー自身もホストになり、今の地位を築いた。
彼の常連は殆どがよそからのお客。以前は決して繁華街に来なかった様な人々だった。
それから、ルールを決めた。お客から不必要に金をむしり取らないと。それを自身から、同僚に守って貰える様に頼んだ。
最初は、周囲から馬鹿にされた。だが、礼儀を守る店として、評判が起ち、お客は増えた。
そうして、いつの間にか彼は一番のホストに。店もここらで一番の人気店になったのだ。
それもこれも、あの時にカラスとクロイヌに言われた言葉がキッカケだ。
住みやすい街。皆が楽しく出来る場所。
彼にとって、二人は【恩人】だった。
その恩人が窮地に立たされている。
カラスは自分と同じくレイコをすくう為に奮闘し、傷だらけになった。
クロイヌもまた、行方不明。一説ではもう殺されたとすら言われている。
状況は日増しに悪くなっている。今、恩返しをしなければいつその恩義を返すのか?
『今しか無いじゃないか』
だからこそ、こうして情報を集め、必要な物を買い、ここにいる。
些細な事かも知れない、だが、それでも。
その一心だった。
そんなホーリーにとってもリスの存在は眩しかった。
彼は本当にがむしゃらだった。自分に出来る事を全力でやり、あの曲者の闇医者をここに連れてきたし、眠っているカラスの傍にいて、常に気を張っていた。
いつ眠っているのかも分からない。ひょっとしたら寝ていないのかも知れない。でも、その目に宿っている強い意思は一向に衰えない。
『全く、頭が下がるよ。本当に君は凄い』
だからこそ、彼は【味方】を捜した。一時は死んだと云われていたが、最近、姿を見せた彼を。
リスの耳に音が聞こえた。
それはこの不整地なデコボコした地面を車が走る音。
こんな何もない場所に車が来るはずは無い。となると――!
「ホーリーさん、工場に入って」
傍で仮眠していたホーリーを起こすと、自分は外に出た。
彼がここにカラスを運んだのはいくつか理由がある。
ここは周囲に誰もいない。ここいらはすっかり荒れていて、車が通ると音で気付ける。そして何より、子供の頃からここを知っている事だった。
リスは素早く草むらに身を隠し、来訪者の様子を確認する。
車は三台。人数は恐らく六人。
全員、銃を構え、廃工場に近付こうとしている。
まともにやりあえば間違いなく返り討ちに合うだろう。
だからこそ、【ここ】を選んだ。
連中は伸びた草むらを踏みながら廃工場へとまっすぐに向かった。
すると、突然――先頭の男が何かを踏んだ。
カチリ、という音。それが何かを知る前に彼は吹き飛んだ。
更にもう一人も同様に吹き飛んだ。
そこは【地雷源】だった。ホーリーに頼んで調達して貰った【地雷】をそこいら一帯に仕掛けたのだ。
大戦時に開発された旧式地雷。その特長は、殺傷能力を持たない事だ。簡単に言えば、強烈な衝撃波を放つその特性から、現在でも使われる事があるらしい。
思わぬ反撃に連中が動揺した。動きは止まり、ゆっくりと戻ろうとした所にリスが仕掛けた。
手にしたのは、【レミントンM870】ショットガンだ。
迷わずにその銃口を向けて――撃つ。
混乱し、不意を突かれた集団は脆い。なす術もなく倒れていく。
「はぁ、はぁ。やった」
全員の無力化に成功し、ようやく一息付けた。
倒れた連中はいずれも呻き声をあげている。誰一人として死んではいない。
リスが撃ったのは非殺傷用のゴム弾。それでも至近距離から喰らえば骨の数本は軽く折れるし、痛みで気絶もする。
リスが突っ込めたのは、地雷の場所を把握していたからだ。
そこいらにはもう仕掛けてはいなかったからの判断。
「何とかなったか」
とは言え、もうここは使えない。別の場所に移らなくてはならない。リスは無力化した連中を拘束すると、廃工場へと走る。
暗かった空には太陽が昇り始めていた。
『あと、数日。絶対守ってみせる』
リスは決意を新たにする。
だが、彼は知らない。
その一連の流れを観察している人物に。
「行け」
号令と共に新たな敵が放たれた。




