転落
「く、かはっっ」
真っ二つになった橋が落ちていき、ザブウゥンと沈んでいく。凄まじい水飛沫が飛び散り――降り注ぎ、まるで雨が降るかの様だ。
更に橋が落ちた影響で、川の水位が急激に変わり、水面を大きく揺らし、その余波である大波が河川敷を飲み込んでいく。
「く、ぐうっっっ」
その大波も利用し、俺は水の引いた河川敷に何とか辿り着く。
爆発の直前で、飛び込んでみたは良かったが、全身が悲鳴をあげている。流石に無傷とはいかなかった様だ。
河川敷はまだ定期除草の前だからか、こうして倒れこんでいると姿を隠せる。とはいえ、パトカーのサイレンも聞こえる。ここにいつまでも留まるのは危険だ。
ゆっくりと、だが、出来うる限り急いで這うように草むらを進んでいく。周囲の音を確認すると、声が聞こえてくる。
――おい、誰かいるのか?
――こっちに生存者がいるぞ。
一瞬、救助かとも思ったが、あまりにも早すぎるのに不信感を抱いた俺は草むらから、その様子を確認する事にした。
声の主達は叫び声を聞き付けてそちらに駆け寄っていき、後手に隠していた銃でそいつを射殺した。空気の抜けるようなパスパスという音から察するに消音機能付きの銃を使っているらしい。
どうやら、この事故に巻き込まれた連中を敵は一人残さず始末するつもりらしい。
しかも、警察がもう、目の前まで近付いているのにも関わらず始末している。ここから予想される答えは簡単だ。
俺は、物音を立てない様に慎重に地を這い、更に川の中に入り、中洲まで泳ぎ着く。
中洲にも水は入っていたが、こちらの方が隠れるのに適した葦などがうっそうと繁っており、すぐに見つかる事は無いだろうとの判断からだ。
そこから、さっきの連中の様子を確認してみると、パトカーから降りてきたであろう警官と敬礼を互いにしており、しれっとした様子で生存者の捜索に加わっている。予想通り、あの連中は警官。
ますます、見つかる訳にはいかない様だ。とは言え、このままではここにいても見つかるだろう。覚悟を決める必要がある。
一応、スマホが使えるかを確認してみるが、やはり、水に浸かった影響か、電源が入らない。或いは、電波を遮断しているのかも知れない。
そうこうしている内に、警官達が捜索を始めた様だ。
流石に全員が、敵と繋がってるとは思えないが、それでも危険は冒せない。慎重に様子を伺いつつ、移動するタイミングを待つ。
『ち、身体が冷えてきたな』
俺の身体が震えだした。当然の事だが、身体が濡れれば体温は下がる。ウエットスーツを着ている訳でも無いその服に水が染み込んでいき、そこから、肌を冷やし――熱を奪っていく。
更に事態は悪くなりそうだった。警察だけでは無く、どうやら軍隊まで出動してきた。連中は捜索用に熱探知装置を装備しているだろう、そうなれば見つかるのも時間の問題。
今すぐ逃げようにも、身体が動かなくなっていた。どうやら、【低体温症】なのかも知れない。
『マ、マズイ』
俺はそう思いながら、そのまま意識を失った。
◆◆◆
「う、うぐっっ」
俺が目を覚ますと、そこには何人かの男の姿が見えた。
薄目で様子を伺ってみると、救命士らしき男が二人。それから警官の姿。舌打ちしたい気分に陥る。その警官二人はさっき生存者を殺していた奴らで間違いない。幸いな事に、俺が目を覚ました事には誰も気付いてはいない。聞き耳を立てて、状況を把握するとしよう。警官と救命士の会話が聞こえてくる。
――それで、どうなんだ?
――全身にかなりの打撲傷があります。それに酷く身体が冷えてます。
――助かるのか?
――それは大丈夫です、命に関わる様な怪我では無いので。
どうやら、救命士は本物らしい。警官はちっ、と小さく舌打ちした。こいつからするなら、俺は死んだ方がいいのは間違いなさそうだ。相棒の警官と何やらヒソヒソ話をしている。
どうも、嫌な予感しかしない。動くならそろそろだろう。
俺がそう思った時だった。
「悪いな、これも仕事なんだ」
そう言いながら警官は内ポケットから銃を取り出し、救命士にその銃口を向けた。
【ウェルロッド消音拳銃】。イギリスが第二次世界大戦で開発した特殊部隊向けのボルトアクション式拳銃で、銃に消音器が一体化しており、銃口を相手に密着させた状態で撃てば、発射音はほとんどしない代物だ。完全に暗殺前提の銃だと言える。
こんな代物を組織の手下は用いない。用いるのは【ギルド】の手先位のものだろう。敵がハッキリした。
「何をするんだ?」
「あんたにゃ恨みは無いんだが、目撃者は始末しないとな」
警官はそう言いながら、下卑た笑いを浮かべ、引き金を引こうとした。
キキキーーーーーーッッッッ!!!!
いきなり救急車は急ブレーキをかけて止まった。
思わず、中にいた救命士も警官もその勢いで激しく身体を車の壁にぶつける。今だ!!
俺は一気に起き上がると、まず手前にいた警官の頭を左手で掴み―そのまま壁に後頭部を叩きつける。さらにもう一人の警官に飛びかかると搬入用のバックドアに身体を打ち付け、さらに肘を顔面に叩き込む。
身体は本調子には程遠いものの、贅沢は言っていられない。
唖然としている救命士の頬を叩いて目を覚まさせると、警官を拘束するように伝え、運転手に運転再開を頼む為に壁を叩く。
『妙だ?』
俺は救急車が急ブレーキをかけたのが引っ掛かった。そして危険を察知した。俺は、降りろッッ、と叫び救急車から飛び出す。
その瞬間――――バララララララララッッッ。
猛烈な轟音と共に救急車があっという間に蜂の巣に変わっていき、逃げ出そうとした救命士達は元より、警官二人もあっという間に全身を撃ち抜かれて絶命した。
俺は、そのまま路面を転がりつつ、場所を確認。どうやら、第十区域に戻る途中だったらしい。見覚えのある道路だった。
ガシャン、いかにも重量感のある音を立て、それを手にした相手が姿を見せた。
ソイツは異様な存在だった。【ミニガン】を構えながら物陰から飛び出してくる。俺は咄嗟に茂みに隠れたものの、相手はお構いなしにその化け物の引き金を引く。
再度、轟くその轟音はたまたまその場にいた民間人を乗っている車毎、お構いなしににその弾丸で撃ち抜いていく。
凄まじいまでの破壊音は容赦なく周囲の人間を飲み込み、その命を強制的に刈り取っていく。
『ちっ、今更ながら俺にもまだ【良心】というものが残っていた様だな』
その一方的な殺戮ショーを目にした俺はそう自嘲しながら、動き出す。
一方で、ミニガンを手にその銃弾を辺りに撒き散らした巨漢――つまり零は、手応えの無さに標的は、まだ生きていると確信する。拠点への先制攻撃や、大勢の敵の殲滅にはその破壊力は役に立つものの、たった一人の相手が素早い判断でこうして姿をくらませると、途端に手詰まりになるのが、このミニガンの欠点だ。
相手は、元特殊部隊のメンバーらしいと資料には書いてあった。
『油断はしな、い。だが、それだけ、だ』
零は、持参していた暗視装置で自分の周囲の確認をする。【時間】が止まって見える彼にすれば、相手が見えてしまえばこちらのものだ。一方的な攻撃で相手を確実に始末できるだろう。ミニガンをその場に残すと、腰にくくりつけていた愛用のサブマシンガン――【ベレッタM12】を手にする。
殆どの【記憶】を消されてきた零だが、戦闘に於けるソレは消されずにそのまま残されている。その為、いつしか、仕事を繰り返す内に使う武器もある程度パターン化されていく。
彼の場合は、先制攻撃用のミニガン。それから乱戦対応のベレッタM12。敵をまとめて吹っ飛ばす為の擲弾発射器である【RSAFアーウェン37】。それから、一番のお気に入りであるリボルバー拳銃――【フェイファーツェリザカ】 。
後は、弾切れや、弾の節約に用いる為の【アジャ・カティ】。元々はインド南西部の人々が用いた刀の一種――こいつで叩き斬ればいい。
一応、今の依頼主からは好きにすればいいとは言われている。
だが、今回は最低限の武装しか持ち合わせてはいない。敵は一人だから。零は目を凝らし、敵を探る。だが、その気配は薄い。まるで野生の獣のよう。
クロイヌは零の注意を引こうと石を投げる。
カツン、その小石が地面に落ちるや否や――零のベレッタM12がその周囲を撃ち抜く。凄まじい反応速度に驚きつつも、クロイヌは動く。
殆ど足音も立てずに距離を詰め、零の背後から襲いかかる。
それに対し、零は振り向きもせずにベレッタの銃口を自分の背後に無造作に向けると、迷わずに引き金を引いた。
パパパパパララララ。
サブマシンガンの銃弾は寸分違わずにクロイヌを直撃――射殺したかと思われた。だが、
「舐めるなッッッ」
いつも着ていた黒の【防弾】トレンチコートを盾の様にしながら、クロイヌは気合いを込めた声をあげるとそのまま飛び膝を零の背中に放つ。意表を突かれた零は、振り抜き様に左フックで迎撃。
零の目はクロイヌの動きを完全に捉えていた。だが、すでに遅い。
クロイヌはコートを零に投げつけており、その視界を殺していた。
フックは虚しく宙を舞い、クロイヌは零の膝元に潜り込む様に着地する。即座にコートを左掌底で押し出し、零の視界を更に殺すと、自身はしゃがんだ状態から突き上げる様に右肩から零に当たる。クロイヌがかつてカラスと共に闘っていた頃は、手合わせでカラスをこの肩当てで何度かぶっ飛ばした事もある。
だが、零は少しよろめきこそしたが、踏みとどまり――その強烈な攻撃を堪える。だが、それもクロイヌの計算の内。
クロイヌの右手が零から素早くベレッタを奪う。更に左手はそのままコートを払いのける。即座に奪ったベレッタの引き金を引き、一気に零に叩き込む。
『いくら、反射速度や、動体視力が良かろうと』
不意を付けば、何より見えなければ反応しようも無い。流石の零も至近距離からのサブマシンガンの斉射には抗えず、その巨体がぐらつき、後ろに倒れる。だが、クロイヌはそのまま倒れた零に対しても容赦なくサブマシンガンを喰らわせた。
ものの数秒で全弾を撃ち尽くしたベレッタを投げ捨てると、更に腰に手を回し、そこから仕込んでいたナイフを抜き出す。そのまま心臓めがけて振り降ろし、突き刺す。
ごぼっ、零はかすかに呻いてその身体はビクンと動く。
『ちっ、遂に手を汚しちまったか』
クロイヌは不快感に満ちた表情を浮かべた。彼はこの四年間の自身の掟を破った。
イタチという、優秀な【ナイフ】を手にした事を機に、自分はもう手を汚さないと【不殺】の誓いをしていたのだ。それを、緊急時とはいえ、破ったのが何とも云えず、不快だった。
今の一連の動きは、イタチとかつてやり合った時に使った攻撃をアレンジしたものだった。
『噂では聞いていた。組織は、最悪の殺し屋を飼っていると。ソイツの目は全てが止まっている様に見え、その肉体は不死身とすら思えるタフさを誇ると』
全てが止まって見えるという点を聞き、クロイヌは零と呼ばれる殺し屋が実在すると確信した。それはまさにイタチから聞いた【スイッチ】の話と合致したからだ。
『不死身とかいうのは流石に眉唾物だったな』
クロイヌは心臓に突き立てたままのナイフを見てそう思った。
だが――――!!
零は、起き上がった。まるで今まで寝ていたとでも言うかの如くに。ゆっくりとした動作だったが、その目は完全にクロイヌを捉えている。
クロイヌは内心、驚愕しつつも、素早く飛び退き、態勢を整えようとした。だが、動けなかった。クロイヌの身体は既に限界を越えており、疲労の極地だったのだ。
『く、ここまでか!』
零は目の前の相手が動けないと理解し、確実に仕留めるべく、腰のホルスターからファイファーツェリザカを抜くとそのデカイ銃口を向けた。信じられない光景だった。クロイヌの知る限り、ファイファーツェリザカは片手撃ちするような代物では無い。だが、こいつはあのミニガンを一人で運用する様な化け物なのだ。零は言う。
「――死ね」
そのまま引き金を引こうとした刹那。不意に気配を感じた。
そいつの気配は今、この瞬間まで完全に消えていた。零は、突如現れたこの敵に脅威を感じ取る。
「遅ぇよ!!」
耳元にそう囁かれた瞬間、零の顎に衝撃が走る。更に、左右の脇腹にも強烈な攻撃。最後に鳩尾に何かがめり込むと、たまらず、零は飛び退き――その敵を見据える。
ソイツは、【ケモノ】だった。見た目は、背も低く、さして脅威を感じる様な相手には見えない。
年齢も、少年から青年になりかかっている位に見える。恐らく、何も分からない連中から見れば、区域の何処にでもいる様な有象無象のガキの一人に見えるだろう。
だが、その印象もその筋の人物ならば、相手の【目】を見れば、吹っ飛ぶだろう。
その目は、まるで肉食獣の様な鋭さを持っていて、油断なくこちらを見ている。瞬間に理解出来た。
『コイツは俺とおなじ、だ』
同類だと。
そして、ソイツは標的にこう言った。
「よ、面白そうじゃないか。オレも混ぜてくれよな――クロイヌさんよ」
そう言って、ソイツは――イタチは歯を向いて笑った。




