九頭龍
――九頭龍の首が一晩に二本落とされた。
これは塔の街の裏社会のみならず、表世界にも伝わる大ニュースだった。
新聞、テレビの定時ニュース、ネット等々諸々全てのメディアでその情報は報道され、あっという間に広まっていった。
ただし、その実行犯についての情報は全く無く、大規模なテログループの仕業だの、塔街の利権を狙う外の街の仕業とか、はたまた組織内部の権力闘争の激化による悲劇だのと、様々な説が垂れ流され、街は騒然とし始めていた。
「全く、どういう事なんだこれは?」
怒りに満ちた声をあげるのは恐らくは五十代であろう痩身の男で通称【ミナト】。彼が今現在の九頭龍の中では一番の古株。表向きの姿は第五区域を中心に商売をする貿易商。実際の所は区域内の港の権益を一人で独占する港湾マフィアのボス。
彼が怒鳴り散らすのは簡単で、昨日殺されたハザマとは、犬猿の仲で個人的にはどうでも良かったのだが、もう一人の犠牲者である第九区域を仕切っていた九頭龍、【ヤシロ】とは長年の付き合いだった。
それだけに今回の出来事にミナトは怒りを抑えきれなかった。
互いにモニター越しではあるが、怒鳴り散らすその様に第四区域を仕切る九頭龍である【ギシン】が呆れ気味に言う。
「ミナトさん、まぁ落ち着いて下さいや。ここで我々がこうしてモニター越しとは言え、集まっているというのに、一番の顔役のおたくがこれじゃあ、話にもなりませんよ」
ギシンは元々は、塔の組織とは対立する外の街の顔役だった経歴を持つ男。前任の九頭龍を殺し、自分のいた街の持っていた技術を盗み出して土産とした事で塔の組織に接近――自分を売り込んだ結果、新たな九頭龍に就任したという異色の人物。
非常に用心深い男で、滅多に人前にその姿を見せる事は無い。誰も信用せず、また誰からも疑われる男。それ故に今回、彼がこの話し合いを企画。勿論、自分の疑惑を払拭する為であったが、彼はこの件で様々な情報を真っ先に提供、協力的な姿勢を見せていた。
「何だと、よそ者が言ってくれるじゃ無いか?」
「余所者だからこそですよ、わたしらが対立してちゃ解決するモノも解決しないですよ」
他の九頭龍は二人のやり取りを半ば呆れ気味に見ていた。
『くだらない連中だ』
そんな中で、クロイヌは一人冷めきっていた。九頭龍の【十人目】として加入してもう四年。彼なりの理想を持っての決断で、その結果、第十区域はその治安が飛躍的に改善された。そこまではいい。
だが、こうして他の九頭龍は一言で言うなら【腐っていた】。それも想像以上に。
様々な経歴の実力者がこうして集ったのだから、もう少し建設的な話が出来るはずだ。九頭龍が結集すれば、塔の街はより一層発展するはずにも関わらず、彼らは決して本当の意味で協力はしない。
その原因は、互いに対する【不信感】に起因するのだろう。
九頭龍という組織運営のシステムが産み出された背景には、一人の独裁者より合議制の方が組織の存続にはより有効だったのと、いざという時の備えという側面もあった。敢えて組織の中核をバラバラに散らす事で、敵に対する防御を固めたのだ。それは確かに上手くいき、何度か起きた九頭龍の暗殺の際も組織はすぐに反撃して相手を返り討ちにした。だが、現在ではそれも形骸化し始めていた。
クロイヌは葉巻を口に運び、頭の中で現状を考える。
今回の件の問題は大きく分けて二つ。
一つは、一晩に二人の龍の首が落ちたのが始めてだった事。
こちらは、次の首を用意すればいいだけだ。
問題は次の点だ。暗殺者がたった一人でそれを実行したという事だ。ヤシロはともかくとして、半ばサイボーグと化していたハザマを殺せる程の刺客ともなるとその候補は数える程になる。そしてその内二人、つまりカラスとは戦友。更にイタチを手駒として使っている事が九頭龍にもバレた。
それに補足を加えるなら、正確な情報が暗殺を実行する上では重要な要素となるが、その点も同じく九頭龍である自分なら問題ない。これらの事から、まず間違いなく、疑われる事は必定だと。
「そもそもあのハザマを一人で殺せる様な刺客がそうそういると思いますか?」
ギシンがそう言い出した。その口元は大きく歪み、酔っているかのの様だ。
「よく考えれば分かる事です。クロイヌさんはそれを実行するだけの殺し屋を少なくとも二人も抱えている」
全てのモニターに映る九頭龍の視線がクロイヌに向けられる。その視線は様々で、ハッキリとした憎悪を向けるミナト、疑惑をこちらに向けた事で優越感に浸るギシン。他の九頭龍はそこまでハッキリとした感情を露にはしないものの、いずれも好意的とは到底言い難いものだった。
その理由はハッキリしている。本来、九頭龍は文字通り九人。だが、異例の十人目である自分を他の龍の首は、成り上がり者として見下しているからだ。もっとハッキリと言い切るならば、様々な経歴を持つ九頭龍の面々ではあるが、クロイヌとは決定的に違う点がある。それは、クロイヌがこの世に存在しない人間という事だ。
大戦での出来事で、クロイヌは全ての過去を消された。その過去については闇の中にあり、調べる事は不可能。
つまりは氏素性の知れない何処の馬の骨かも知れぬ――【得体の知れない】人間と同列として扱われる事に強い不満を抱いていたのだ。
ギシンの糾弾は続く。
「我々、九頭龍は互いの手の内をある程度開示する事で均衡を保ってきました。勿論、手の内全てを見せる必要は無い。
だが、クロイヌくんの場合は手の内を殆ど開示して来なかった。これでは、我々にあらぬ疑惑を抱かれても仕方が無いのでは無いのかな?」
ギシンはそう言い終わると、満足そうに口元を大きく歪めた。
続いて、ミナトがそれを受けて糾弾を始める。
「どうなのだ? クロイヌ? 返答次第では、貴様を九頭龍から【除名】する必要が発生する。……言葉は慎重に選ぶんだな」
ミナトの口から出た【除名】という言葉に静観していた他の九頭龍達がどよめく。除名とは、簡単に云うなら組織からの【死刑宣告】に等しい。それを受けた者の末路はその全てが無残な末路を辿っている。
クロイヌは少しの間、押し黙っていたものの、やがて葉巻を取り出すと口に運ぶ。そして、ふーー、とゆっくり煙を吐き出すとモニターに視線を向けて話を始めた。
「確かにミナトさんや、ギシンさんのいうとおりです。俺は、自分の手の内を隠していた。理由は単純です、俺みたいな未熟者が九頭龍に選ばれた。
俺には皆さんの様な立派な経歴も無く、元々は何処の馬の骨なのか自分でも分からない。
そんな俺にとっては、信じられるのは力だけでした。街のワルどもや、外の街の顔役達に九頭龍が舐められない為に手駒を集め、時には力づくで片付けてきました。皆さんの懸念は重々承知ですし、ごもっともです。――ただ、ご理解下さい。俺は自分の私欲の為に力を行使した事は一度たりともありません。これまでも、これからもです。…………責任を取れと仰るなら取りましょう、ですがその前にハザマさんにヤシロさんの件を片付けなくちゃいけません。――違いますか? ミナトさん?」
クロイヌは朗々と語り、その場を黙らせた。実際問題として、今優先すべきは九頭龍二人を殺したイカれた殺し屋の始末だった。
ミナトはチッ、と舌打ちをし、ギシンは目を反らした。
「クロイヌ君の言い分は尤もだ。我々は所詮、こういう血生臭い世界の住人。その最後はロクでもない事は覚悟の上ではあるが……舐められっぱなしじゃ、いかんわな」
話の流れを変えたのは、第九区域を仕切る九頭龍の一人、【キリュウ】。クロイヌを九頭龍に推薦した人物で、塔の建設に携わった建築会社の会長でもある。ミナトよりも年上で、以前は部下として使った事もあったが、紆余曲折の末に先に九頭龍となったのはミナト。ミナトがその影響力を強める事に懸念を抱いた他の首によりその後九頭龍に就任。そういった経緯で九頭龍内では唯一彼に対し、まともに意見を返せる男でもあった。
「た、確かに。これは私が先走りし過ぎました。キリュウさんの言う通りです、今、最優先事項なのは、我々に対して挑戦状を叩き付けた奴の始末。…………クロイヌ君、すまなかった」
ミナトもキリュウの言葉には露骨な反発出来ない様で、渋々ながらもクロイヌに頭を下げた。キリュウは続ける。
「それに、だ。ミナトさん、君は肝心な事を見落としているよ」
「私が何を見落としていると仰る?」
ミナトは困惑を隠さない。キリュウの強みは【情報網】。彼は塔の区域にも強固なパイプを築いており、そこから得られる情報は時に切り札になり得る。ミナトがキリュウに一目置かざるを得ない理由の一つでもある。
「九頭龍に害意を持つ可能性のある勢力の事だよ」
「? 例の【サルベイション】という一団の事ですか」
ミナトの問いかけにキリュウは頷く。ミナトが言葉を続ける。
「ですが、サルベイションの戦力はクロイヌ君が【ジャッカル】を用いて拠点もろとも撃滅したと聞きます。首謀者とされる男も死亡し、関係者も抑えました、油断は出来ませぬが、九頭龍に挑む程愚かでは無いはずです……」
「うむ、まずそこだな。確かにサルベイションは拠点を失った。構成員もかなり失った、だが、それは【主力】だったのかね?」
キリュウはクロイヌに視線を向ける。
「いえ、正直断言出来ません」
クロイヌも正直に答える。キリュウの前で嘘をつくのは文字通り【命取り】だからだ。
「だ、そうだ。彼らがもしも【ジャッカル】のような特殊部隊を持っていて、それを温存していたらそれは、充分に我らに対して驚異では無いかと思うが、どうかな?」
キリュウの言葉は完全に空気を変えた。いつの間にかクロイヌの糾弾になりつつあった会合の流れを断ち切り、その主導権をミナトやギシンから自身と、クロイヌに。
「先日、塔の区域のある施設が襲撃を受けました。
それは、ご存知ですね?」
キリュウの問いかけに全員が頷く。
「その施設にはある【殺し屋】が収容されていました。皆さんも一度は使った事のある組織の切り札……」
その言葉にミナト、ギシン、他の九頭龍もざわめく。
クロイヌだけが何の事か分からない為に、困惑している。
「あ、あれが殺ったという事か?」
「確かに、あれならそれも可能だな」
ミナトが絞り出す様に言い、ギシンの顔は青ざめた。
どよめく九頭龍達をよそにキリュウが言う。
「ともかく、詳しい情報を集める必要があります。
事態は、我々にとって良くない方向にむかっているのですから」
◆◆◆
「はあ、やれやれだ。キリュウのオッサンのお陰で、クロイヌを蹴落とすはずだったのにな」
ギシンがボヤきながら煙草を口にした。
で、と言いつつ――すぐ横にいる人物に振り向く。
「アンタにとっちゃ、これも予想の範囲なのかい、ミナトさん」
横にいたミナトは無言でもう、画像の切れたモニターを睨み付けていた。
「まぁ、構わんさ。連中が暴れる内にこちらは、欲しいものを手に入れるだけなのだからな」
ミナトはそう苦々しげに呟き――モニターを床に叩き付け壊す。
そのまま立ち去るミナトを呆れ気味に見ながらギシンは薄ら笑いを浮かべ、
「ま、お互い今は協力しましょうや。今は、だがね」
高笑いをあげた。
◆◆◆
一方で、クロイヌは第十区域から隣の、第九区域に向かっていた。キリュウの協力を得る為に。その途上――。
クロイヌを乗せたベンツが止まった。
「どうした?」
クロイヌはそう言いながら、前方に視線を向ける。
第十区域と第九区域の境目となる橋の途中で止まった様だ。
窓を開けるとクラクションの音が聞こえてきた事から、前の方で事故でもあったのかも知れない。
「ボスはお待ちください」
そう言いながら、一台前の車に乗っていた部下が様子を見に行った。クロイヌは葉巻を取りだし、窓の外の景色に視線を向け、ふと気付く。そう言えば、渋滞なら事前に連絡がカーナビに表示されるはずなのに、自分の乗るこのベンツのナビにはそれが反映されていない。単なる予報システムの故障かも知れない、だが、嫌な予感がした。クロイヌがベンツの後部座席から降りた瞬間だった。
ドドオン!!!
轟音と激しい揺れがクロイヌを襲う。膝をついたクロイヌは地震かと思い、反対車線のある横の橋を見たが、あちらには何の問題もない様だ。
ズズズン!!!
クロイヌの視界が縦に揺れ、目が眩む様な感覚を感じた。この感覚にクロイヌは覚えがあった。
『こいつは――爆破か』
クロイヌは素早く周囲を見回す。そして気付く。前方から火柱が上がるのを。車がその火柱に巻き込まれ、吹っ飛ばされる様を。
更に前方に向かった部下が慌ててこちらに走って来て――その頭を吹き飛ばされる様を目にする。
クロイヌが上空に目を向けると、そこにはパラグライダーと一人の人物が見えた。
キラリ、パラグライダーから僅かに光りが見え、何かがこちらに向かってくる。
ヒュバッッッッ。それは風を切りながら真っ直ぐにクロイヌへと向かってくる。クロイヌはそれが【矢】だと気付き、ベンツから離れるべく走り出す。
カツン。
矢は、ほんの一瞬違いでクロイヌのいた場所を通過し、そのままベンツの車体の突き刺さると――火花をあげ、即座に爆ぜた。
激しい轟音と、悲鳴が響き渡り、真っ二つになった橋はやがて川に沈んでいった。




