目覚める最悪
男にとって、生きるとは【殺す】事だった。
それも何かを得る為にでは無く、ただただ命じられた標的を殺す為だけに。
いつからこうなったのかすら、もう覚えてはいない。
彼にはガキの頃の記憶は殆ど残っていない。
その事を尋ねた事もあったが、答えはこうだった。
――必要ないだろ、そんなもの君に。
確かにそうだ。
男は、自分がマトモな人間である実感をもたない。
自分が覚えているのは、その全てが自身による【虐殺】の光景だけ。それも一方的な虐殺。殆どの場合、相手は唖然とした表情のままこの世から消えていった。
極々稀に多少手応えのある標的もいた。
あれは、いつの事だったか? それすらも曖昧で感覚が麻痺している。だが、仕方無い。男の出来る事はただただ、命じられた標的をこの世から消す事だけだったのだから。
いつの頃からだろうか、自分という存在が果たして生きていると云えるのだろうか? という疑念を持つようになったのは。
男にとっての日常とは、今も収容されている【医療用カプセル】でのいつ終わるかも知れない【睡眠】時間と、誰かを虐殺する為の【活動】時間のみ。
この繰り返し以外の時間を彼は知らない。
それ以外にもかつては【記憶の残渣】が以前の彼には存在した。
だが、それすらも【殺戮人形】である彼には不必要と判断され――消去され、今じゃ絞りカス程度の記憶だけだ。
ここにいるのはただただ、命じられた標的を殺すだけの殺戮人形。
もはや、それ以外に彼には存在意義も無い。
殺す時だけ、生きている実感を得られるモンスター。
男はそう割り切り、余計な事を考えるのを止めた。
ふと、声が聞こえてきた。
普段、自分を管理している白衣の奴らでは無さそうだ。
耳を澄ますと、小さいながらも音が聞こえた。
パス、パス、パスッッ。
この音を聞き間違える事は有り得ない。紛れもなく【消音器】を用いた銃撃。
ここは、【塔の組織】の管轄する研究所。その警備は、軍隊でも突破は困難を極める程に厳重。
そして何より、組織に【宣戦布告】も同然の行為を試みる者などこれまでいなかった。これまでは。
だが、それもどうでもいい事だ。男はただ、眠るだけなのだから。
プシュウウウウウ。
炭酸が抜けるような音が彼の耳に入る。この音は自身が収容されている医療用カプセルの解放シークエンス――つまりは【目覚まし時計】の様な物。浸かっていた溶液が、少しずつ排水されていき、マスクも外れる。カプセル自体もゆっくりと開いていき、解放される。
ゆっくりと目を開き――口を動かし、鼻で息を吸い込む。
こうして、彼は自分がまだ生きている事を辛うじて実感するのだ。
「やぁ、初めまして」
声をかけられ、その相手を見てみる。
すると、その目に映ったのは背の低い初老の男。
傍らには恐らくは双子と思われる二人組が控えていて、油断なく彼を見据えていた。
三人ともに間違いなく只者ではない。
「おま……えはだ、れだ?」
男は辛うじて声を出すとそう問いかける。
自分を殺すつもりならあのカプセル毎殺ればいい。あの医療用カプセルは一種の【拘束具】でもあるのだから。用事が無いなら寝かしたままでも済んだ。つまり、この三人は自分に用事がある。
そう判断しての言葉だった。
初老の男は顎に手をかけて笑うと、
「自由になりたくないか?」
そう尋ねた。
その目はどこまでも暗い光を帯びていて、その本心を伺い知る事は出来そうに無い。
「あー、すまないねぇ。まず、私から名乗らなければ失礼だったよ。私は【ヤアンスウ】」
「ヤ……アンス、ウ?」
初老の男、つまりヤアンスウは自身の右手を差し出し、言った。
「君には、自由になる権利がある。…………何故か分かるかね?」
「わ、からな……い」
「君は誰よりも強いからだよ。
さぁ、来たまえ――君を【解放】しよう。この腐った街から」
こうして、男は解放された。そしてそれは、【塔の街】に巻き起こる最悪の事態のキッカケとなる。
男には名前が無いし、必要でも無い。。
何故なら――彼は【零】だから。




