序章 1
ふうせん本伝 「一族よ 深淵たれ」 (F.C.一C)
はじめに
ここ旧・北海道大雪山山系にもようやく遅い夏の時期が訪れました。
青々とした緑の中に燦々とした日の光が降り注いでおります。
私、山岡朝洋がこの地に住みついてから四百年の時が過ぎました。移り変わる四季の中で、永遠とも思える時間を自然と向き合い、語らって過ごして参りました。
無為に生きながらえてきたわけではございません。時々は人間の訪問もありました。そうですね……百年に一度くらいでしょうか。その度に客人を盛大に持て成し、私が知る限りの事を伝えてきました。まあその後、生きてこの地を出られた者はいないと記憶しておりますが……。ということは、誰にも伝わることのない異聞を語って自己満足しているだけですか。
草木にいくら聞かせても何も残りませんし、この際、私の知る人類の歴史をここに記していきたいと思います。お話を繋ぎ合わせるために多少の脚色を添えていることをご容赦ください。
そうですね。
何からお話していけばよろしいでしょうか。
この歳にもなれば記憶の順序というものが曖昧になっておりますから、思い出した順に書いていきましょうか……。
まずは、あの一族についてのお話でございます。
序章
1
人類が大きな変貌を遂げた西暦二千十六年九月二十六日の第一次ふうせん。
翌年には年号がAfter Christ【キリスト紀元後】からFirst Change【最初の変貌】と改められました。
それから約八十年後、F.C.八十八年のことでございます。
大和帝国西七十四域(旧日本国長野県上田市)真田村
幾つもの煙が晴天の青空に立ち上っていきます。七羽ほどの小鳥たちがそれを避けるように飛んでいきました。その向こうに千切れた雲がゆっくりと流れております。
地上に目をやると、そこは阿鼻叫喚の地獄図。
隣村の小笠原村から押し出してきた男たち六十人あまりが、手に槍や鉈を持ち真田村の住民を襲撃しているのです。
真田村の男たちはそれ以前に村境でだまし討ちにあって全滅に近い損害を受けておりましたから、村には女や子どもの他、身体の不自由な老人ばかりです。
武器を手にした男たちは狂ったような目で逆らう者を串刺しにしています。
かん高い悲鳴があちこちであがっておりました。
「ゆるせん!!これまで手を差しのばしてきた恩を忘れ、仇で返すとは……この蛆虫どもが!!」
白髪の老人が手に畑仕事用の鍬を構え、男たちの目前に立ちはだかります。
「やかましいジジイ!!」
長髪でニキビ面の若者がニヤリと笑いながら鉈を投げつけると、老人の頭にガツリとめり込みました。目を見開いたまま言葉を発せずに老人は右側に倒れます。
そのすぐ横では裸に剥かれた女が三人の男たちに凌辱され苦しげに嗚咽をあげていましたし、その向こうでは抗う女を大人しくさせて欲望を遂げようと鉈で女の右足を切り落としています。
あちらでは泣きわめく幼子が壁に投げつけられ呻いておりました。
男たちは狼藉のあまりを尽くしつつ家々に火を放ちます。その中に隠れていた少女が髪を燃やしながら悲鳴をあげて飛び出してきました。
壮健な男が最後尾に立ってその光景を眺めています。
歳は三十ほどでしょうか。身長は百八十cm以上あり、痩せておりましたが筋骨は隆々、表情も精悍ではっきりとした目鼻に口髭。青黒い革の服と茶のズボンに漆黒のベルト。手には磨き抜かれた日本刀。
偉丈夫な風格とは別に、目は悲しげな色を放っております。
名前は梶原平三。
「平三、これはあまりに酷い仕打ちだな。いくら真田村焼き討ちの上意があったとしても人間の為せる業ではない。悪魔の如き所業だ。目も当てられない」
そう語りかけてきたのは平三の親友、中村浩介でした。
村長からの命じに従って渋々ここまで来た中村は、これといった手柄もたてずに黙って仲間たちの行動を見ているだけでございました。
平三は何も答えずに前進します。
と、崩れかけた納屋から一人の女が目前に現れました。時を見計らって逃げようと潜んでいたのでしょう。まさかこんなにものんびりとした敵がいることは想像していなかったようで、平三と中村を見ると驚きのあまりに悲鳴を発しました。
見ると腹にはややがいるようでございました。身重の身体ですぐに立ち去ることもできないようです。
「おやおや一匹見逃すところだった。さすがは部隊長。殿に立って妊婦の逃亡を未然に防ぐあたりは並の男にはできないこと」
そう皮肉をぶつけてきたのは、先ほど白髪の老人に鉈を投げつけた長髪の男でした。
名を結城青江と言います。事あるごとにリーダーである平三に逆らってきた男でございました。
中村が苦々しげにその前に立ち、
「平三は先の真田村の男とたちの戦のときには最前線に立ってこれを指揮してきた。いざ戦になって怯えて最後尾に後退したどこかの腑抜けとは違うのじゃ」
言われて青江は蛇のような目で睨みつけます。腑抜け扱いされているのが自分だと察知した様子でございました。
青江は怒りの矛先を目前にあった妊婦に向けると、その髪を掴むなり引きずり始めました。女が絶叫しながら暴れ出します。
「待て、青江。その女には腹に子がいるようだ。放してやれ」
低く太い声で平三がそう言いました。
青江はその声を無視し、広場の方へとどんどん引きずっていきます。
平三の額に青い筋が浮かんだかと思うと、ダッと走り出し、日本刀を抜くやいなや青江の首元に突き付けました。
「俺の命令が聞こえなかったのか。もう一度言うぞ。その女を放せ」
青江はギロリと睨み返し、
「なんだ、腹に子がいるから情が沸いたか。あほらしい。この村の人間は全員血祭にあげるよう命じられているはずだ。お前の方こそ命令違反だろうが。だいたいこいつらを生かしておいて何の得がある。生まれてくる子が俺たちを恨み、復讐を企むのは明白。お前のくだらない情が、最後は俺たちの子どもたちを危険に晒すことになるんだ。どけ!!」
それでも平三は瞬きひとつせずに青江を見つめております。
青江の首元の刃は皮を裂き、そこから一筋の血が流れて地に落ちました。
平三の決意が変わらぬことを知り、青江は女の髪を放すと目の奥で卑しい炎を灯しながらその場を去りました。
残された女は自らの腹をさすりながら涙ながらに平三に頭を下げます。
離れた場所で眺めていた中村がほっと溜息をし、空を眺めました。
翌日、平三の指示で命を救われたはずの女が、全裸のまま串刺しになって広場に晒されておりました。
腹は裂かれ、取りだされた赤子が投げ捨てられ、砂にまみれておりました。
青江たち数名の若者たちの仕業でございます。
平三は青江を探し出すなり問答無用でその首をはねました。そしてその首を広場に晒し、今後狼藉を働く者は斬るという意思を皆に示したのでございます。
青江に加担した若者たちは村に戻ってからの沙汰ということになり、焼かれずに残った家屋の一室に閉じ込められました。
中村が心配して平三に忠告します。
「お前の怒りもわかるが、青江を殺したのはまずかったぞ。あいつは村長の血族だ。いかにお前がこの部隊の責任者だとしても許されることではない。村に戻れば必ず言及されお前は殺される」
「結城の一族なぞ関係ない。俺は人の皮を被った蛆虫を処理しただけのことだ」
「お前の武功は比類ないものだが、相手が悪いぞ。残った若者をこの際全員殺してしまって、青江たちは戦死したことにしてしまえ。そうすれば誰も真相など話はしない」
「いや、あいつを死なせてしまってはどちらにしても責任は取らされる。であれば、あの蛆虫に名誉の戦死なぞ華々しい最後は必要あるまい。士道不覚悟で打ち首。これで結構だ」
それを聞いて中村は唸って何も言い返しませんでした。
村に戻ってから村長の結城友兼は青江の取り巻きの若者たちから事の真相を聞き、大いに怒り平三を束縛するよう命を出しました。
平三は村の片隅で妻と二人で暮らしており、取り囲んだ兵たちに逆らうこともせずあっさりと捕まったのでございます。
友兼の前に連れ出された平三は表情ひとつ変えずに向き合います。村一番の勇猛を誇る男でこれまでも数々の武功をあげており、村の守り神として住民たちから崇められているほどでしたから友兼もそう易々と平三を断罪できません。
「青江はわしの甥じゃ。平三、お前はそれを知っていて首をはねたな」
「知っていましたが、それが何か」
「ではわしがお前の妻の首をはねよう。そうすればお前にもわしの痛みがわかるじゃろ」
「青江は隊長である私の命令に背いたから罰したのです。罪ある故に罰したのです。それが咎であるのであれば、私も罰を受けましょう」
理は平三にあるので友兼も恨めしい目で見返すだけで何も言葉を続けられません。仮に無理に自分の意思を貫けば、この村の法はバラバラになり、村長である自分の命に従わぬ者も出てくるはずです。
しばらくの静寂の後、友兼は急に笑い出し、
「そうじゃ。そうじゃった。中央から力ある男をひとり差し出せという命が届いていたのじゃった。忘れておったわ。よし、この村からはお前を行かせよう。拒否することはかなわぬぞ。国の命令じゃ。背けばお前の妻共々打ち首じゃ」
「…どこへ…」
「フフフ……永遠に夜だけが続く街『夜玉』じゃよ・・・平三よお前の墓標にピッタリな場所じゃな……ハハハ、ハハハ……」
さて、この続きはまた後ほどとさせていただきます。