闇に潜むモノ
固い地面と木の根の枕。カビまでは生えていないが多少汗臭かったりする粗末な布での寝床は現代人であるミルカにはきついものがあったが、疲労がそれを緩和させる。
交代での見張りを申し出たものの、一人旅慣れたキルスに
「火を焚いておけばまあ滅多なことじゃあここらの魔物はよって来ない。
火の番くらいは寝ながらでも俺がするから心配すんな」
と、状況を気にせずの休息を勧められたミルカは、浅くも深くもない眠りに落ちてた。
木の幹を背に座った姿勢でキルスも器用にうつらうつらと眠っている。
時刻は深夜。闇と静寂が支配する刻。
静まった闇夜を引き裂く遠吠えにキルスははっと身を震わせた。
すぐさま手元に置いてある剣を取り、立ち上がる。
同時にミルカにも声を掛ける。
「おいっ、起きろ……」
「なに? 朝?」
「朝じゃねえ。
念のためだ。何かが来るかも知れない」
寝ぼけ眼のミルカは目をこすりながら自然と周囲の気配に意識を凝らした。
どういうだけだか、ミルカには周囲一帯に対する感知能力が備わっているようで、日中の魔物の接近も全て事前に察知して言い当てていたのだ。
キルスはそのミルカの能力に期待している。それがなければ自分一人で警戒態勢を取り、ミルカはぎりぎりまで寝かせていたかもしれない。
「どうだ? 何か感じるか?」
「確かに。何かいるね。複数じゃない。多分ひとつだけ?
なんやろう? 魔物とはまた違った感じもするっちゃあするけど」
ようやく頭が冴えてきたミルカは、感じたことをありのままに告げる。
「獣の吠える声を聞いた。
野犬であれば問題ないが、この辺には狼系の魔物も出るからな」
「うーん、そこまでの細かい判断できひんな。
でも近づいて来てるのは確か」
と、そこで再び遠吠えが聞こえる。歌うような静かな物悲しくもあるような吠声。
荷物を纏めて逃げだすほどの危機でもなく。
かといって、再び眠りに戻れる状況でもなく。
二人は静かに状況を探りながら、じっと息をひそめる。
「こっちに向ってるのは間違いないみたい。
そこまで来てる。もうじき」
小声でミルカがキルスに警戒を煽る。
キルスは木々の乱立する森と街道の境から移動し、街道の中程でミルカを背にして待ち構える。
やがてその気配はキルスの五感にも感じられるものとなった。
小さな足音と、草木のこすれる音。それが徐々に近づいてくる。
ゆっくりとした足取りから、距離が間近に迫るとその移動音が一気に加速する。
「出てくる!」
「ああ、わかってるさ!」
木陰から黒い影が飛び出してくるのが見える。
動きは早く、月明かりの下ではその全貌は明らかではないが、四足歩行の獣のようである。大きさは小柄な人間ほどか。
獣はキルスやミルカを無視するように、炎への恐怖を微塵もあらわさずに、さっきまで二人が寝ていた場所を徘徊する。
炎に照らされたその姿は、獣にしてはいびつで、人間と犬の中間のような形態である。
「何あれ?」
「わからん……。が、襲ってくるわけでもなさそうだな。
食べ物を探しているのか?」
言いながら、キルスは干し肉を取り出し、正体不明の相手に向って放ってやる。
「がるるるぅぅる」
小さく唸ると干し肉へ駆けより、ひょいと咥えてどこかへ走り去ってしまった。
「オオカミ……少年?」
ミルカが思いついたことを呟く。その概念はキルスの中には無かったらしい。
「なんだそれは?」
「えっと? 知らない? 狼に育てられた赤ん坊が自分を人間だと思わずに、そのまま野生化しちゃうって奴」
「聞いたこともないな。
だが、体に毛も生えていたし、耳だって人間のそれではなかったぞ?
どちらかというと魔族に近い。それにしては俺達に敵意を抱かず向かってこなかったのが不自然と言えば不自然だが」
「獣人みたいなのって居らへんの?
人間と動物のあいのこみたいな種族」
「神話の中では語られているが……」
「ふーん。じゃあ月夜の晩に狼に変身する狼男なんてのももちろん……」
「ああ、俺の知る限りではそんなけったいなものはいないな。
やはり可能性があるとすれば魔族か。人の姿と魔物の姿の両方を備えた存在だと云われているからな」
「それも見たわけじゃなくって伝え聞きなんだ?」
「多少の絵なんかは残っちゃいるが、最後に実際に魔族が人間の前に姿を見せたのはもう何百年も前だからな」
「そんなのが現れたってなったら大事ちゃう?」
「ああ、間違いなく世界を揺るがす大ニュースになるな」
キルスは興味無さそうに吐き捨てた。
ここ最近、魔物の分布や出現率に異常が生じていると、ギルドへは何度も報告しているものの一向に取り合って貰えない。
そんな状況で魔族出現の情報などを流しても信ぴょう性に乏しく、相手にされないどころか自身の信頼を損ねることにもなりかねない。
違った意味での狼少年――童話にある羊飼いのうそつき少年――に仕立て上げられかねないという嬉しくない未来予想図を思い描いていたのだ。
「襲ってこなかったけど、やっぱり食べ物探しに来てたのかな?
お腹がペコペコだったとか?」
「あれくらいの動きができれば、わざわざ人間の持つ食料を狙わずとも、この辺りには獲物となる小動物は幾らでもいるはずだがな」
「結局よくわかんないってこと?」
「そういうことになるな。
またやってきて襲い掛かってこないとも限らない。
どうせ明日は村で泊まる。
俺は起きて警戒しておくから、ミルカは寝て体力を回復しておいてくれ」
「すみませんねえ。何から何までお世話かけっぱなしで」
起きていても気配はキルスよりも早く察知できるものの、それ以外ではお荷物でしかないということを自覚しつつあるミルカは、素直に従うことにする。
口調はあれだが、ちゃんと感謝の意を表しているつもりだ。少なくとも本人の中では。
「いつもの一人旅でも同じことだ。気にするな」
キルスの言葉を聞きながら、ミルカは再び自分の寝床に入りなおした。
さすがにすぐには寝つけなかったが、それもしばらくの間。
やがてまた、浅い眠りに落ちてゆく。
陽はまだ昇る前だが、徐々に辺りが薄明るくなってくる。
寝ずの番をしていたキルスはおもむろに立ち上がりミルカにそっと声を掛ける。
「おい、ミルカ……」
「うにゃ……」
「ミルカ!」
「あっ、はい! えと、えっと。
さっきの奴がまた来た?」
ビクンと体を震わせながらミルカが覚醒する。
「いや。どうやらあれっきりだったようだ」
「ってことは……」
「起きる時間だってことだ。
そろそろ陽が昇る。朝飯を食ったら出発だ。
時間を稼いでおかないと村に着くのが遅れるからな。
昨日みたいに魔物と何度も出くわすかもしれんし」
「了解。あらためましておはようございます」
「ああ、おはよう」
ミルカは大きく伸びをする。本来であれば顔を洗って、朝シャンして……。なんだったらシャワーも浴びたいところであったが、野宿の身ではそのいずれにもありつくことはできない。
朝食と言っても固いパンと干し肉の定番メニュー。
(まだ異世界三日目やからいいけど、そのうち抜本的な改革せんと……)
女子でしかもアイドル目指す彼女としては、肌荒れや、髪の傷みが気になるお年頃であった。
二人は簡単な簡単な朝食を済ませるとすぐに出発する。
そろそろ山の峰に陽が顔を出し、明るくなりつつあった。