始めての戦い
結局あの場所あの時間――召喚の間――で起こったことをミルカはキルスに伝えられぬままでいた。
ぶちまければ少しどころかだいぶと楽にはなるだろうけど。
あの時にミルカの目の前にだけ世界を超越した存在――本人? は神ではないと主張していたが……――が現れた。
が、それはキルスには認識できていなかったようなのである。
あれとのやりとりを話すには自分がこの世界の住人ではないというところまでも含めて説明しなければ無理そうだったので、とりあえず胸の内に秘めることにしたのであった。
そんなこんなで神殿を後にし、キルスの案内に従ってミルカは草原から森に差し掛かろうとしている地点を歩いていた。
「えっとぉ、キルスさんは、毎日こうやってここに様子を見に来ているんですか?」
黙って歩く重圧に耐えかねたミルカが尋ねた。
「毎日ってわけじゃあない。
旅に出ていて近くにいないこともある。
そうだなぁ……、それっぽい気配、なんらかの予兆を感じた時だけ行くって感じだな」
キルスは勇者の従者という神託職を与えられたという。
たしかゲームのチュートリアルで説明されたはずだった。
勇者となるべく冒険者が最初に頭を悩ませるのが神託職であると。
剣などの武器を使う物理系で行くのか、それを決めても攻撃特化で行くのか、回避を重視するのか、盾役となるべく防御に主眼を置くのか。
クラスの決定がその後のプレイスタイルやパーティ編成に多大なる影響を与える。
ミルカは元々ゲームを継続してプレイするつもりは無かったから適当なクラスを選択したのであったが……。ノリで自分にあった特別職を選択したのであったが。
その際に『勇者の従者』などというクラスは選択肢に現れなかったような記憶もしないでもない。
自然とその会話がその話に向く。
「従者って何をするんですか? 得意な戦術とか……」
「言葉どおりだよ。付従うもの。それが従者だ。
何をするかっていえば、俺が言われたのは力になってやれってことだけだ。
もっとも俺は魔法がほとんど使えないから、勇者の背中を護って戦ったり、いざという時の壁になる。
そんなつもりではいるが?」
「つもりって……。その勇者っていうのは……」
「それが、さっきの神殿に現れるはずだっていう話だったんだがな。
何時まで経ってもなんの音沙汰もない。
まだ勇者として目覚めていないのか、あるいは、俺とすれ違いでどこかに行ってしまったのか……」
話を聞く限りでは、キルスはあまり誰からも信頼されずに、ともすれば変人扱いされているのでは? という雰囲気が漂っていた。
この世界には、古来より魔物が溢れ、魔物が異常発生するという前兆を経て『魔の根源(魔王的なもの?)』が現れるという。
で、キルス的には既にその前兆の時期に差し掛かっており、それを治めるために勇者が出現するというお告げを聞いたとのことなのだが。
世間的には多少魔物の動きが活発にはなっているが、それは時折しばしば発生していた程度のレベルであり、魔の根源などという大げさな現象の前触れではないというのがこの世界の住人の一般認識であるらしい。
というのも、そういう危機が訪れた際に真っ先に神よりメッセージを授かるべき神官や巫女たちが、口をそろえて何の受信もしていないと言い張るのだから。
確かに、世が世紀末――悪の根源の到来――になれば勇者が世に現れるという古き言い伝えは残っている。
伝説が伝えるところによると、過去にも何度か勇者による救世は行われていたらしい。
が、それが伝えるところの勇者は自らの意思で仲間を募り、討伐の旅に出で目的を達成したというのがこれまで歴史、神話での常識である。
勇者が現れる前に、それをサポートするべく従者の役割を承った何某かが存在したという事実はまったくもって伝えられていない。
「なんだか大変そうですね……」
「他人事みたいに言うなって」
「だって、他人事には変わりない」という言葉をミルカは飲み込む。
今の段階で出会った人間がキルスしか居ないという事実の前では、彼の下で保護してもらうのが一番安全なシチュエーションである。
ミルカとしてはある程度、異世界での生活を楽しんだら、元の世界に戻る方法を探すつもりではいる。楽しむというのは語弊があるが、すぐに元の世界に帰れるという状況が来ても、見物がてら異世界をぶらぶらしてみたい、もちろん危険の及ばない範囲で、というぐらいの軽い好奇心には不足していない。
ふとミルカの直観が告げる。
何かが近づいてくると。そしてその何かは、自分達を害する意思を持つものだと。
「どうした?」
突然立ち止まったミルカを見て、キルスも足を止めた。
「いえ、気配っていうんでしょうか?
何かが襲ってくるような……」
「魔物の気配か?
見る限り何も居ないが……」
キルスは、念のためにと周囲を改めて見渡すが、
「気のせいじゃないのか?」
「いえ、来ます。確かです。
あっちの方から……」
ミルカの指す方向、木々が茂る森の奥には未だ何も見えない。
が、ミルカにはそれは確実に接近していると感じられた。
「基本的にこの辺りには魔物は近づかないようになっているはずなんだ。
いたとしても森の奥に対して強くない魔物が少数群れている程度さ。
もし仮に現れるようなことがあったらそれこそ世紀末がやってきたっていう……」
体を反転させ、気にせず歩を進めようとしたキルスの体が硬直する。
彼の耳に、ミルカの耳にも届いた大きな叫び声。
人間が発するものでもなく、ミルカの元居た世界の獣が発するとも思えない絶叫。
「まさか!」
数瞬のみの遅れでその声の主が姿を現した。木々をなぎ倒し、その全貌をあらわにする。
ティラノサウルスのような二足で歩行する爬虫類。ややもすればドラゴンの眷属とも思しき形態をしている。
赤茶けた皮膚は岩のようにごつごつと不規則なパターンで隆起している。
巨大な尻尾と背には背びれがついている。
ミルカの中でそれは怪獣としてラベリングされた。
「逃げろ!」
キルスが叫ぶ。が、恐怖でミルカの足は動かない。
馴れからなのか、元々の性質か。修行の成果か。
キルスは、即座に行動を開始した。
ミルカに逃亡を促しながら、自らもその魔物との距離を開くべく駆け出し始めていたのだ。が、彼は同時に、ミルカの状況を把握する。
とっさに引き返し、彼女の腕を取って無理にでも動かそうとするが、彼女の体はそれでも動かない。
「ちっ!」
抱えて逃げようものなら、速度は出せない。小柄な少女とはいえども、移動速度に多大な影響を受ける。
あっというまに追いつかれてしまう。
そう判断は下せたものの、次善の策が思いつかずに、無意識にキルスはミルカと魔物の間に体を滑り込ませて剣を構えた。
「気を取り直せ! 走れるか?」
もうキルスの目前に魔物は迫っている。
勇者を求めて旅を続ける者として。後には勇者の力となるべく者として。多少は腕に覚えのある彼も、これほどの巨大かつ、見るからに厄介そうな魔物を一人で葬る自信など微なりとも存在しない。
時間を稼ぐことすらままなるか、ままならないか。
敵対の意思を示して武器を持つ自分を見て一瞬なりとも魔物は警戒するはずだ。
その間にミルカが持ち直して共に逃げ出す――全速力で――算段であったのだが……。
「ち、違うんです! 怖くて動かないとか、腰が抜けたとかじゃなくって。
多分違うんです! 何故だか体が動かないんです。
逃げようと思っても足が……」
弱音にも似た言葉を吐きだしながらも不思議とミルカの心に恐怖はそれほど湧いてこなかった。
キルスの存在に活路を見出していたわけでもない。
キルスの背中を挟んで目の前に居る魔物が御しやすいいわゆる雑魚であるなどと感じているわけでもない。
勇者が突如現れて危機を救ってくれるという期待をしているわけでもない。
だが、これがゲームを模した世界であるなら。
自分が特別な存在であるのなら。
乗り越えられる術はあるはずだと確信していた。
「キルスさん? 時間稼ぎってできます?」