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ある兄の話  作者: フーデリッヒ
取り戻せない日常
8/14

妹の影

それは突然の出来事だった。


私が仕事で家を出たとき、普段は異常に睡眠時間の多い瑞葵が私の後をつけてきたのである。


不覚にも私はそれに気づかず、最寄の職場まで歩いていった。


到着して、私がゲートをくぐったとき、背後で怒号が聞こえた。


「ダメだっ!ここには入っちゃダメだ!」


慌てて振り返ると、警備の自衛隊員に捕まった少女がいた。


「誰だ...こんな夜中にこんなところに...」


「離してっ...!」


私はその子が瑞葵である事に気づいて驚いた。


「お、おいっ!何でここにいる?!」


普段は家でとっくの昔に寝ている時間だった。


「お兄ちゃんがこんな夜遅くに外に行くから何かと思って...」


「離せ!」


「は、はいっ...しかし中には入れられませんよ?」


「構わん、入れるつもりはない。」


それを聞くと彼らは渋々そいつを離した。


「お兄ちゃん...」


「まったく...ついてくるんじゃないよ...」


「どうして...?」


「見ただろ?ここでは兵隊さんが集まってるんだ。子供は来るところじゃない。」


「そんなこと言っても...」


『お前も子供じゃないか』という目でこちらを見上げる。


「はいはい。寂しかったのか?」


「それもそうだけど...心配だったの...」


「あははっ...俺の心配をする必要はないさ。」


「でも...」


「俺は車に轢かれたって、銃で撃たれたって死なないからさ。な?」


そう言いながら彼女の頭に手を置く。


「う...うぅ....ごめんなさい...」


「よしよし...」


そして撫でながら振り返る。


「おいっ!内線で5018、会議室に私は急用で参加できないと伝えておけ!」


「5018...第3小会議室ですか...?」


「そうだ。私は急用で行けない。」


「そこは確か...」


「飲み会に持っていく口実を作るだけの会議さ。いいから。」


「は、はっ!」


「さ、じゃあ帰るか。」


彼女の方を向いて言う。


すると彼女は黙ってこくりとうなずく。


「よしよし......」


しかしその直後、私は非常に驚いた。


「お~い、帰るぞ?」


彼女の手を引く。


刹那、彼女が傾く。


「なっ...!?」


なんと彼女は立ちながら寝ていたのであった。なかなか頑張ったものである。


寝てしまった彼女を背負って家に帰る。


彼女を背負うと不思議とそれまで冷たい外気に晒されていた背中が暖かみを帯びる。


それはどこか懐かしい感覚で、耳元で聞こえるその寝息も...私の中の何かに呼びかけているようだった。


「アイリーン...?」


そう、それは妹のそれそのものであった。


「ん...」


その返事、その声は最早瑞葵なのかアイリーンなのか分からないものだった。


気づいたら私は泣いていた。


この懐かしさ、この暖かさ、彼女が私に与えた全ての感覚が私の記憶を呼び覚ましてゆく。


妹と過ごした楽しかった日々が私の脳裏を駆け巡る。


それは走馬灯のようで、それでもって儚い記憶だった。


「俺は...」


何を考えてるんだろう。


そう思った。特に何も考えてはいなかった。ただただ背中で彼女を感じていただけだった。


もしかしたら私は一生こうなのかもしれない。


そんなことを思った。



家に戻ると、当然家族は全員寝ていた。


起こさないように細心の注意を払いつつ、寝入っている瑞葵を布団に置く。


「似て....ないよな...。」


自分に言い聞かせるように力なく言い放ち、そのまま呆然と彼女の寝顔を見ていた。


気づけば5時。日は昇っていた。


「フーデっ!フーデーっ!!」


私はその声によってこの世に呼び戻された。まあ死んでいたわけではないが。


留守電から少女の声がする。


少々頭が回らないが、受話器を取る。


「フーデっ!!!」


恐らく120dbはあるだろう。その声は私を完全にこの世に戻した。死んではいないが。


「うるさいっ!朝から何事だ!俺に何の用だ!」


負けじと叫ぶ。


「あっ...ごめん...」


「はぁ...何だ...」


「シュタイナー君、って呼んで分からないかな?」


「いや、今思えば声で分かった。」


「さっすがシュタイナー君!」


「あれだ、あの~...雪だるま職人。」


「いつから私が雪だるま職人になったの!確かに昔作ってたけど...吹雪ですぐに頭がなくなっちゃうんだよね...」


「かくして職人は強風にも耐えうる強靭な雪だるまの開発に着手し...」


「話を聞いて?」


きっと電話の向こうの彼女は今最高の笑顔だろうと思った。


「で、どうした」


「昨日、会議欠席したときに...」


「あ、ああ...」


「妹さん...連れてたって...」


「.....え?」


「いや、だから...」


「待て、待て待て、誰がそんなこと言った」


少し焦った。


「いや、正門に立っていた警備の人が...」


「きっと見間違えだ...」


「私もそう思ったんだよ...でもね...」


「でも...?」


「シュタイナー君、そこにいた女の子の2mくらい右に向かって話しかけてたって。」


その話を聞いて背筋が凍った気がした。


「何言ってるんだ...あの日は視界良好だったぞ...」


「でも...」


その瞬間、激しい頭痛と耳鳴りが私を襲った。


まるでフラッシュバンが目の前で炸裂したような感覚だった。


目が覚めて時計を見るとすでに5時間が経過していた。


「ん....ぅぁ...」


激しい頭痛が残っているが、とりあえず状況を確認しなければならない。


立ってあたりを見回すと、何の変哲もない日常の光景だった。


そこで、恐る恐るクルコフに電話することにした。


「もしもし」


少し待ったら、さっき聞いた声が聞こえてきた。この声はもうトラウマになりそうだ。


「ああ...さっきの話だが...」


「ん?」


なんとなく首をかしげる彼女の姿が見えるようだった。


「ん?じゃなくてだな...」


「何の話...?」


「とぼけるなよ、雪だるま職人さん...」


痛む頭を押さえつけながら、必死に明るい口調で話す。


「雪だるま職人って...シュタイナー君...」


「ん?」


「まあ確かに昔はよく雪だるま作って遊んだよね...職人とまではいかなかったけどっ」


おかしい...明らかに何かがおかしかった。


「さっき...電話かけてこなかったか...?」


「何の話って...?」


そうか、分かった。


「あはは、気のせいか、悪い悪い、じゃあな!」


「え、ちょっ...」


そう言うと受話器を置き、自己満足した。


「夢を見てたのか...」


彼女の寝顔を見てるうちに自分が寝ていて、それで倒れこんで寝たのだろう。


そう思うと確かに掛け布団の上から寝ていたし、納得がいく。


気にしないことにした。


しかしそれ以降、どうもフラッシュバックなどの現象が多くなった。


夢では彼女と会うこともなかったが、彼女は現実世界にいるのだ。


などとどうでもいいことを考えて生活をしていると、案外安定したものだと思う。


そんなことを考えていると決まって「お兄ちゃん...?」といわれる。


難しい顔をしているらしい...


とにかく私は「難しい顔してるよ?」といわれるたびに今を生きなくてはと考えるのだ。


しかし平和な日常は続くものではなかった。



ある日、私が会議から帰ってきた朝方、再び瑞葵が暴れていた。


しかし今回は前とは少し違っていた。


一度、一度だけ彼女の口から「助けて」という言葉が放たれたのだ。


「しっかりしろ!大丈夫かっ!」


「お兄ちゃん...!近づかないで...!!」


それでも彼女は私を否定し続けた。


「やめてっ!」


とりあえず彼女の口を押さえ、抱えこむようにして隣の部屋へ連れて行く。


どうせ噛まれるだろうと手先に神経を集中させていたら案の定噛まれた。


そのまま口に手を当てたまま降ろし、なだめる。


少しして大人しくなった瑞葵は、ゆっくりと目を開け、こちらを見据えて言った。




『お兄ちゃん』



ただそのお兄ちゃんという若干10文字にすら満たないその言葉で、私は恐怖とも、哀愁ともとれない感覚を覚えた。


「どうした...?」


しかしそこから沈黙が続いた。


私はこのことについてまったく原因が分かっていない。


医者へ行かせる気もないし、かといって私がいない間に暴れて家族に迷惑もかけられない。


「なあ、瑞葵。」


「え...?」


きょとんとした様子でこちらを見直す。


「何で俺が近づくのが...ダメなんだ...?」


「なにか...嫌なの...」


「嫌....?」


「私に誰かが話しかけてくるの...」


その後も淡々と話を進める瑞葵。


しかし私にはどうしても引っかかる点があった。


彼女の話を簡単にまとめると、夢の中に突然誰かが現れ、彼女に向かって私が死神だという話をするらしい。それで色々な映像を見せられて、私に対して恐怖を抱く、という話だった。


その話を聞いて脳裏に浮かんだのが妹の姿だった。


「アイリーンが...嫉妬している...いや、怒ってる...?」


そう思った瞬間だった。私は激しい耳鳴りや様々なものに襲われ、一瞬にして屋上へと呼ばれた。


「お兄ちゃん...」


「お前...何をしてる...」


「私ね...寂しいの...」


「あれからずっと私はお兄ちゃんのことだけを見て、ずっとお兄ちゃんの横にいて、それでお兄ちゃんだけを想って、そうして私は過ごしてきたの。確かに私はあの時、彼女のことを好きになってとは言った。それでもお兄ちゃんは嫌だと言った。私はそのまま消えようと思ってたの。そうすればお兄ちゃんは幸せになれたわけだから、私はこの世に未練はないし、お兄ちゃんに付きまとうこともない。そうすれば万事解決すると思ったの...でもお兄ちゃんはそれが嫌だと言った。あのね、お兄ちゃん。私あのときすごく嬉しかったんだよ?泣きそうで、泣きそうで...でもここで泣いちゃいけないって思ったから雲隠れしたの...あの時お兄ちゃんに言いたかったことって、すごい単純なこと。ただ 『ありがとう』 、それだけだったの。お兄ちゃんは私を引き止めた。でもそれなのに...それなのにお兄ちゃんは私を振った...最近お兄ちゃんは瑞葵ちゃんしか見てない...私は見てて思うの。『ああ、お兄ちゃん私のこと忘れてるなぁ』って。前までだったらそれで私は少し心残りだけどお兄ちゃんのためと思うと幸せだった。でもね?お兄ちゃんはきっとまだ、それでもまだ、私を好きでいてくれる。私を愛してくれるっていう希望を持って私はずっとここにいたの。でもお兄ちゃんはついには私を忘れるときすらあるようになった。やっぱり身体がないと人って消えちゃうものなのかな?ねえ...お兄ちゃん...何か言ってよ...私を嫌いになったなら嫌いになったって、ハッキリと言ってよ。でないと私、このまま何年も、何十年も、何千年も、お兄ちゃんの口からハッキリとした言葉を聞くまで待ち続けるから。お兄ちゃん...お兄ちゃん....」



私はその話を聞いて、何も言えなかった。


彼女の存在を蔑ろにしていた自分がいたのは確かだ。


一時たりとも忘れたことがないなんて言うと嘘になる。


悲しいことで、私は忘れたくなくても、頭は、脳は、記憶を更新していく。


私が人間であったことを恨んだ。


私は曖昧な気持ちで彼女に「愛している」や「好き」という言葉を投げかけていたのかもしれない。


甘かった。


それは人の一生を変える言葉だった。


そう思った上で。


「俺は...お前を...最高の妹だと思ってる。」


「またそんなことっ!」


妹は泣いていた。


「お兄ちゃんはそうやって...誰も傷つかないように図る...!でもね...お兄ちゃん...それは違うよ...お兄ちゃんがそうやって振舞うことによって傷つくのはお兄ちゃんを含めた全ての人だよ...!虚偽の言葉を受け取って本当に幸せになれる人なんてそれこそ真の幸せ者だよっ!お兄ちゃんは甘く考えすぎてる...。私が聞きたかったのはそうじゃない...。知ってる...お兄ちゃんは優しいから、背負えるだけ自分で背負って、背負いきれなくても自分で背負おうとして、他人はその荷物が見えてて手を貸そうと手を伸ばすのに、迷惑になるだろうと思って笑顔を作る。それでその手を伸ばした人が安心してると思うのっ!? ...お兄ちゃん。お兄ちゃんがそれをやめられないのは知ってる。お兄ちゃんからすれば他の人は苦しみを背負わずに、負荷が減って、幸せだと思うんでしょ?でもね...お兄ちゃんがそんな状態で笑ってるのを見るとね...誰一人として幸せじゃないんだよ...その姿を見てるほうはすっごく苦しいんだよ!『私では彼の力になれない』『私は彼を助けてあげられなかった』みんなそう思ってるの!お兄ちゃんはそんなことも考えずに、ただひたすら自分の身を削って他人を楽にしようとする!最初の話もそうだよ!皆あやふやな答えで返されて、本当の気持ちを語ってくれない...万人に好きと言ったところで、誰一人としてお兄ちゃんを好きにはならないよ!お兄ちゃんが本当に好き...いや、愛してるって言っていいのは世界で一人だけ、たった一人だけだよ!もしかしたら私のこの考えも間違えてるかもしれない...でも私はそう思ってる。好きでもない人に好きって言うのは間違ってると思ってる。だからお兄ちゃん...お願いだから、お願いだからこれ以上一人で生きられると思わないで...」


あぁ、私はバカだ。


生まれてからずっとこんなこと考えたことなどなかった。


私は...人の役に立っているつもりが...


人を苦しめていたのか。


そうか...


何も言うことはなかった。ただ1つを除いて。


「アイリーン」


「.....」


彼女は黙って涙を流していた。




「...愛してる。」


「私の言っていたことがっ...!」


「愛してるんだ...前にも言っただろ...俺はお前しか愛さないって...!」


「じゃあ瑞葵ちゃんとは...」


「見てれば分かるだろ...あいつは世話してるだけだ。別に好きなわけじゃない...嫉妬しすぎだって。」


半分笑いながら言った。


「お兄ちゃんっ...バカ...!」


アイリーンも笑顔を返してくれた。


「私も...お兄ちゃんのこと...愛してるから....」


「これからも、よろしくな。」


「うん...!」



それ以来、瑞葵が暴れることはなくなったし、今まで以上に妹の存在を強く感じるようになった。


もしかしたら彼女は生き返るんじゃないか、そんな希望まで持ってしまった。


そんな日の夜、星と月は暗黒の中に輝き、その世界に希望を与えていた。

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