妹に代わる存在
クルコフに連れ戻されて以来、私は意外と普通の日常を送っていた。そんなうちにクルコフも帰り、私はクリスマス前のごく日常的な生活をしていた。しかしそんなある日のこと。私がいつもどおり学校へ行き、そして学校から戻ったときのことだ。
「ただいま~」
「おかえりー」
といって聞こえてきたその声に、聞き覚えがあるような、しかしはっきりとわからないような高い声があった。
しかし私は気にもせず家の中へ入り、顔を洗い、手を洗い...
「お兄ちゃんっ!」
「っ!?」
驚いて豪快に蛇口に手をぶつけた。
「~~~っ!!な、何だっ!」
「お兄ちゃん...私だよ、覚えてる?」
「ん...?」
その声のするほうへ目をやってみる。
「あっ...お前っ....」
そこに立っていたのは妹より少し育った感じの女の子であった。
彼女は親の友人の子で、その子の親が両親ともおなじ会社に勤めているのだ。
そして訳あって両親とも海外へ出るとき、仕事の都合上連れて行けないとやらで我が家で預かっている。
「また来たのか...」
「えへへ...久しぶりだねーっ」
「うちの親には迷惑かけるなよ?俺にならいいが...」
「はーいっ」
そう言って元気な返事を返してそそくさと戻ってゆく。
「はぁ...また騒がしいのが...」
彼女は何故か私のことを『お兄ちゃん』と呼ぶ。これで5回目くらいの来訪だ。
そして私は何事もなかったかのようにデスクへ。
仕事を片付ける。
「ねえ、お兄ちゃん?」
「っ!?」
居候の奴がデスクの下から顔を出していた。
あまりの驚きに蹴っ飛ばしてしまったが、幸い本気ではなかった。
「いたっ?!何するの?!」
しかも反動で重いパソコンのおいてある机に頭をぶつけたらしい、痛そうだった。
「すまない...しかし急に出てこないでくれ...」
頭を撫でながら言う。
「うぅ~...」
そんな感じで彼女が来た初日は荒れていた。いつものことだ。
数日して、ふと思いつきで彼女に妹のネグリジェを着せてみた。
「お兄ちゃん...これは?」
「ん~、言ってしまえばパジャマみたいなものかな。」
それを着た彼女はもはや妹にしか見えなかった。
「どうしたの...?そんなにまじまじと見て...」
照れくさそうに笑いながらそう投げかけてくる彼女は可愛かった。
「ねえっ!」
揺さぶられて我に返る。
「ああ、すまないな...」
結構気に入ったようだ、裾を持って嬉しそうにくるくるしている。
「よかったらそれ使うか?」
「えっ、本当!?」
「ああ、本当だともさ。」
「やった!ありがとっ!!」
そういうと飛び掛ってくる。意外と軽い。
「よしよし...じゃあ洗濯するな?」
そう言って何のためらいもなく脱がそうとする。
「ちょっ、ちょっと待って!!?」
「ん?どうした?」
その時私は不思議と妹の遺品に触れられることを拒むどころか進んで勧めていた。
そのことに気をとられ、とりあえず自分の取っている行動の説明を自分に対してしようとしていた。
「ダメっ、ダメだから!待ってて!」
気にせず脱がそうとする。
何故だろう、私はこんなにも抵抗なくしている。これまでなら妹に関するものを他人に触ることは愚か、見ることすらさせたくなかったくらいだ。
「お兄ちゃっ...あっ...」
「ほら、大人しくし....」
一瞬の、というか数秒の沈黙があった。
その直後、居候が声にならない声を上げてしゃがみこみ、顔を隠した。
....いや、おかしい。着せる時は下に1枚着ていたぞ...
「バカっ...!」
半分泣きそうな声で言っているが、耳まで真っ赤だ。どうしたんだろう。確かに今回の来訪では風呂も一緒に入っていなかったし、そろそろこの子も女の子、いや、乙女としての自覚が出てきたのかもしれない。少し寂しいなぁ...
それ以前に私は気づかなくてはならない。
こ れ は 他 人 の 子 だ
私の妹じゃないんだ、慣れがあるとは言え、対応がおかしいんじゃないか?
「とりあえず...わ、悪かった...早く何でもいいから着ろっ...」
後ろを向きつつそう言う。
「うん...」
後ろから消え入りそうな上擦った声が聞こえる。
その日は結局あまり話さず、彼女も大人しかった。目があうと逃げるように目を逸らす彼女の仕草が一時期の妹と似ていて、私が何を考えているのか自分で自分が分からなくなってきたのだ。
しかし翌日、朝から騒がしかったので仕事を中断して見てみると、非常に珍しいことに朝早くから彼女は起床していた。
「何してる?」
「にゃーっ!お兄ちゃんは黙ってて!」
「いや、とりあえずお前が黙れ...」
彼女を抱え上げ、外に連れて行く。
「落ち着け、どうした...」
「起きたら私の服がっ、服が~っ!!」
「立派に着てるじゃないか...なんだ、服が飛びついてきたか?」
「起きたときには着てなかったの!!」
「あ、お前あのネグリジェ着て寝てたっけ...」
「....」
居候から刺さるような視線が送られているが、見事に回避...
「おーにーいーちゃーんー?」
...できてない。
「いや、洗濯するって言ったろ....?」
「だからって言って着て寝てるのを起こしもせずに脱がせるのはちょっと酷くない!?」
正直そうだと思った。いや、これは下手すると私は配慮がなさすぎなのでは...なんて思ったのはそのとき初めてだった。
「悪い悪い...」
「もう知らないからっ!」
そう言うと居候はくるっと後ろを向いた。
「なあ、そう言えばさ...」
「....」
足が止まる。
「お前、名前なんて言うんだ...?」
そう、私はこの子の5回にわたる来訪があったにも関わらず、名前を聞いていないのだ。
「後で教えるよ...」
落ち込んでいる...?もはやそうとしか見えない態度で、家の中へと去っていった。
しかしその日のうちにその子の名前を聞くことはなかった。
翌日。
「お兄ちゃん、私の名前...」
すっかり忘れていた。
「ああ、なんて言うんだ?」
「字は難しくて書けないけど...『みずき』っていうの。」
「ほお...可愛い名前じゃないか?」
私はすぐに頭に手をおく癖があり、そのときも撫でながら話を聞いていた。
「可愛い...かな?」
照れくさそうに笑う。可愛い。
「ああ、みずき。」
後に私の両親から聞く限り、字は『瑞葵』と書くそうだ。難しい。以後M氏とでもしておく。
それ以来あまり目立った抗争もなく、一般的な日常生活を送っていた。
そんなある日、私は夢を見た。
『そこは、全てが変わる前の世界。』
『あなたは、ここへ連れてこられた。』
『何故、誰が、どのようにして』
『そんなものは問題ではない。』
「はぁ、出てきなよ。アイリーン。」
そこはあの日見た屋上だった。
私の家の屋上。夕暮れ時で、風一つなかった。
「お兄ちゃんは何で私って分かるのさ...」
「お前以外こんなことしないというか、できないさ。」
笑いながら言ってみる。
「そうだね、そう言われればそうかもね。」
「で、何の用だ?」
「久々に会ったのに嬉しそうにしないね...」
「正直、すごく複雑だ。」
「え?」
「いや、俺はお前にここに呼ばれるのは嬉しいさ。でもな...」
「いつか、お前の死も乗り越えなきゃって、そんな気がするんだ。」
「勝手に殺さないでくれる?」
「寧ろ勝手に生き返ってくるな...」
「う~ん...機嫌悪いね...」
「違う、俺はこのことにけじめがつけられずにいる。そんな自分がみっともないんだ。」
「つまり、私にもう出てこないでって?」
「そうじゃない、そうじゃないが...」
「というか、お兄ちゃん...薄々気づいてない?」
「ああ、薄々な。」
「瑞葵ちゃん...私と似てると。」
「はぁ...お前か...」
「お兄ちゃんがそう思うならそれでもいいけど、瑞葵ちゃんは私じゃないからね?」
「ん、難しいぞ...」
「まあ、答えが出たら答え合わせにおいでよ。待ってる。」
ああ...何をしてるんだろう...こんなところで...立ち止まってる...
「お兄ちゃんは優しい人。だからきっと彼女にも好かれるよ。」
「何が言いたい...」
「そうしたら...私を振って。」
「...出来るわけないじゃないかよ.....」
「私はもう死んでるんだよ?それなら私に似てる彼女を好きになったほうがよっぽど幸せ...」
「黙れ....」
「えっ...」
「俺はお前が好きなんだ...例えお前が別人みたいになっても...そんなお前が好きなんだ...分かるか...俺は『お前』が好きなんだよっ!!」
気づけば叫んでいた。
「ありがとう...お兄ちゃん...でも....現実を直視しないとね...私はもういない...」
「......ああ。」
「でも私はまたお兄ちゃんに会いに来るよ...ごめんね...」
「いいさ。俺だって会いたい時はあるからさ。」
「....またね。」
「ああ。また。」
そういうとその穏やかな景色は崩壊してゆく。
「そうだ、お兄ちゃんには言わなきゃいけないことが....」
「何だ....?」
そして妹は笑った。しかし崩壊する世界の中で、彼女もまた消えつつあった。
口だけ僅かに動かし、彼女は消える。
取り残された私は、ビルの淵から飛ぶ。
そして、目が覚めたのは再び同じ場所。
しかしそこに妹はいなかった。
そこには本当に何もいなかった。
しかしふと思った。
「朝....?」
日の方向は東。朝だった。
それに気づいた瞬間、私の目の前を鳥の集団が掠めてゆく。
「っ!?」
驚きのあまり後ろに落ちる。一瞬ビルから落ちる錯覚に襲われたが、後ろは床だ。
どさっ、とそこそこ強めに背中を打った。
「いてて....」
鳥は申し訳なさそうな顔一つせず、飛び去ってゆく。
「俺が進路妨害してただけだもんな...悪い悪い...」
そういいながら痛む背中をさすりつつ、家に戻る。
時刻はもうそこそこなものだった。
「ご飯...作ろうか...」
その日、その直後、瑞葵が私に気がかりなことを言った。
私がいつもどおり瑞葵を起こそうとしたとき。
「お兄ちゃんっ...!」
うなされていたのだろうか、冷や汗をかきつつ私が起こそうと肩にかけた手を激しく振り払った。
「うわっ、落ち着いて?」
「ダメ...ダメだよ...近づかないでっ!」
「大丈夫だから...」
そういって私が再び彼女の肩にかけた手を彼女は握り締めた。
しかしその握力は恐ろしく強く、伸びてもいない爪が私の手のひらに容赦なく突き刺さる。
「っ...!」
痛がる私をよそに、彼女はさらに力を強め、咄嗟に飛び起き、反対の手で私の顔を引っかこうとした。
間一髪のところで回避したが、どうも普段と様子が違う。これは皆に知られてはいけない。
そして私は暴れる彼女の口を押さえ、抱きかかえながら屋上までつれてきた。
手を離すと、手のひらが血だらけだった。彼女に噛まれていたのだ。
「おいっ、どうしたって言うんだ!」
「お兄ちゃんっ!」
「ん?俺ならここにいるぞ!」
「来ないで!私に触らないで!」
それは寝言にしてはハッキリとしすぎていた。しかし目はまだ閉じている。
「私に近寄らないで!」
「起きろ!起きろって!」
疲れたのか、そこから急に動きが鈍くなった。
「大丈夫だって...!」
そう言って恐る恐る肩に手をかける。
刹那、何かが私の右の肩にぶつかる。
「っ!!」
鳥だった。
私に衝突した鳥は、痙攣しながら地面に落ちている。
しかし何か様子がおかしい。私の右腕も動かない。
「何だ....?」
「お兄ちゃん...」
不意に瑞葵に呼ばれた。
「どうした?」
「何...してるの...?」
その目は私を捉えていた。見ていたのではない。その瞳には私が映っていた。
「何って...外の空気を吸いに来たら鳥が...」
「その鳥さん、このあたりのじゃないね。」
確かにそうだったが、この子が何故ここまで冴えているのか。
「そう言われれば...」
「でももう死んでる。どうしたの?何があったの?」
「...いいんだ。戻ろう。」
「....」
その日はそれ以来話していない。
しかし翌日以降、私たちは何事もなかったかのような接し方をしていた。
以前通りお風呂も一緒に入るし、一緒に出かける時は手を繋いでいた。
これでこの子に関する問題は全て解決したのだろうか?
いや、これはまだほんの序章である。
ここからが本当の異変、いや、私に課せられた課題なのだ。