はしがき
私がその封筒を見つけた日は確か初夏の夕暮れだった気がする。橙色の気味の悪い空が視界を覆い、無遠慮にセミがけたたましく鳴いていた。
私にとってこの街は既に死んでいて、私はその死んだ街を徘徊する若きリビングデッドの気分で過ごしていた。そうしていつも通り浜辺を歩き、素足で砂を踏んでいた。潮風を食み、髪が揺れ、指の隙間に入り込むぬるく湿った砂にわずかばかりの心地良さを抱いていた。
なんてことのない日常、灰色の感受性によって無駄を切り落とされた無意味な日々の中にソレは突如として現れた。怪物の叫び声のような、またはセイレーンの歌声のような酷く荒れた海の傍でやや汚れた革靴が目に入った。
靴の中には茶封筒が入っており、奇妙に思って近づいてみれば大きく「遺書」と書かれていた。
好奇心に突き動かされ不躾に茶封筒を切り裂いて中を読んでみるとごくありふれた普遍的な内容であった。先立つ不幸をお許しくださいだの、この封筒を見たあなたは〇〇(この死んだ街ではなく、どこか遠く離れた街なのだろう)の△△(住所であろう、漢字と数字の無機質な羅列が非常に印象に残っていた)まで届けてくださいだの、平凡で凡庸、灰色の日常の中でさえなんの刺激にもならないありふれた内容だった。
ただしかし、この「遺書」はそこから何日経っても、私が破棄したとしても決まって浜辺に行けば置いてあったのだ。
内容は、どれも違っていた。悪戯を疑ったがこの街には私以外若者がほぼいなく、そしてなによりこんな手の込んだ悪戯をするほどの知性を持ち合わせた人間などいなかったため、私はこの奇妙な「遺書」は自殺してしまった人間が地獄(私はそれを信じていないが)から送ってくるいわば後悔の念の具現化なのではないかと本気で信じてしまうようになった。
娯楽もなく、ただ音楽と本を幾分か貪り、起きてるのか眠っているのかの境界線すら曖昧になってきた自分にとって、その「遺書」は名も無き死んだ彼を想起させ、思いを馳せさせてしまうものになってしまったのだ。
これはシェイクスピアのような悲劇であるのか、もしくはダニエル・キイスのようにヒューマンドラマであるのか、それは私にはついぞ分かることはなかったがただひとつ言えることがあるとするならば私はこの「遺書」を見つけたことはこの私の人生において最も大きな幸福であったと言えるだろう。
私は初夏某日の夕暮れに好奇心によって生き返り、わずかばかりの答えを得て死ぬのだと確信してしまった。




