第8話 決意の朝、揺れる家族
「……私、水とか食料……探してくる」
その一言で、空気が変わった。
リビングの光が、わずかに揺れたように見えた。
美桜の声は震えていなかった。
でも、その瞳の奥には昨夜からずっと積み上がってきた“覚悟”がにじんでいた。
「……え……?」
母と湊の瞳が、同時に大きく開く。
「ダメよ!そんなこと!」
母が真っ先に声を上げる。椅子がキッと軋んだ。
「危険すぎるわ!助けは必ず来るの!だから……待ちましょう?」
「そうだよ姉ちゃん!」
湊も、声だけは強がっているが、明らかに動揺していた。
「外はヤバいって!あの鳥もいたし……!」
美桜は2人の言葉に、深く息を吸い込んだ。
「今日で……三日目だよ?」
静かに告げた声には、昨夜よりも冷たい現実が混じっていた。
「警察の人が“家で待ってろ”って言ってたけど……
あれから一回も来てないじゃん。
普通なら、一日に何度か巡回するはずでしょ?
でも車の音も足音も何もない。
森に飲まれてるから……来られないんじゃない?」
母の表情から血の気が引いた。
「き、きっと……ヘリコプターよ!よくテレビで見るじゃない?
上から救助して──」
「ヘリは無理だよ、お母さん」
美桜はゆっくり首を振った。
「だって……あの鳥がいるんだよ?
空から来たら……確実に襲われる」
沈黙。
冷たいものが、足元からじわりと家中に染みていくようだった。
「……ごめんね、お母さん。でも……」
美桜は母の目をまっすぐ見る。
「私たちが生きていくには、やらなきゃいけないことなの」
母の唇が震えた。
「でも……でも、もしあなたに……何かあったら……」
目が潤んでいく。
美桜はその手をそっと握った。
「大丈夫よ。私、剣道二段なんだから。
あんな鳥に負けるわけないでしょ!」
軽く言って見せた笑顔は、本当は震えている。
でも今は、母に“安心という嘘”を渡すしかなかった。
母は俯き、震える息を吸い込み──
そしてゆっくり顔を上げる。
「……まったく……誰に似たんだか……」
赤い目をしながら、小さく笑った。
そのとき。
椅子が音を立てて動いた。
湊が立ち上がり、拳を握りしめたまま、うつむいた声で言う。
「……俺も……行く……」
美桜は即座に言い返した。
「はぁ!?何言ってんの!?
あんたなんかついてきても邪魔なだけでしょ!」
湊は歯を食いしばり、悔しそうに顔を上げた。
「姉ちゃんが……また腰抜かしたら……
誰が助けるんだよ!」
図星だった。
「も、もう腰は抜かさないし!」
「昨日の“おばちゃん来たとき”もビビってただろ!
俺なんて全然怖くなかったし!」
「はあ!?ビビってませんー。警戒してただけですー。
これだからお子ちゃまは」
美桜はわざとらしく肩をすくめて見せる。
「はいはい!そこまで!」
母が二人の間に立つように手を広げた。
「湊……あなた自分の言ってる意味、分かってるの?
怪我どころじゃないの。……死ぬかもしれないのよ……?」
湊は唇を噛みしめたあと、震える声で言う。
「……分かってる。
怖いよ、そりゃ。
姉ちゃんのビビり方見ても……怖いの分かるし。
でも……この家で男なの俺だけだろ。
だったら……守るのも俺の役目だろ」
その目は、幼い顔とは似合わないほど真剣だった。
母は鼻をすすり、タオルで目を拭きながら呟く。
「……いつの間に……こんなに大きくなったの……」
「まったく……お父さんにそっくり……。
2人ともほんと、頑固なんだから……」
そして母は両手で二人の手を握りしめ、強く言った。
「これだけは絶対に約束して。
……必ず帰ってくること。
約束破ったら……本気で怒るんだから……!」
「死んでたら怒れないじゃん」
湊が呟くと、
「だから死んじゃダメなの!わかった!?」
母の声が震えて響いた。
「はーい」
美桜と湊は、いつもの調子で返事をした。
その“いつもの声”が、逆に胸を締めつけた。
「で……いつ行くの?」
湊が美桜に尋ねる。
「……昼前に出よう」
「OK」
湊は軽くうなずき、
まるで決戦前の兵士のような顔で、自分の部屋へ向かっていった。
リビングには、
決意と不安と、どうしようもない現実が
静かに沈殿していた。




