第29話 ヴェルナへの道
「――今よ、湊!」
美桜の声が、張りつめた空気を切り裂いた。
「うん! これでも喰らえ!」
湊は叫ぶと同時に、水鉄砲の引き金を引いた。
細い噴流ではない。左右に大きく腕を振り、半ばやけくそ気味に乱射する。
放たれた唐辛子入りの水は、点ではなく――面となって広がった。
「ギャウッ!!」
鋭い悲鳴。
コボルトは即座に顔を両手で覆い、よろめく。
目と鼻に焼けつく刺激が入り込み、視界も呼吸も奪われたのだろう。
――今だ。
美桜は、迷わず踏み出した。
一歩。
地面を噛むように、深く、強く。
身体が自然と沈み込み、刃先が低く構えられる。
意識では、上段から振り下ろすつもりだった。
――なのに。
刀は、下段から走った。
逆袈裟。
低い軌道から、斜めに切り上げる一閃。
空を裂く感触すら、ほとんどなかった。
「……え?」
美桜の内心の声と同時に、
コボルトは短い断末魔を上げ、前のめりに崩れ落ちた。
どさり、と鈍い音。
動かない。
美桜は、思わず足を止めた。
――今のは。
刃の重さも、衝撃も、ほとんど感じなかった。
ただ、通った。
そこに刃を置けと言われた場所を、なぞっただけのように。
周囲を見回す。
――すでに、戦いは終わっていた。
グロスが血を払うように武器を振り、声をかけてくる。
「嬢ちゃんたち、大丈夫か?」
「……はい。大丈夫です」
自分の声が、少し遅れて聞こえた。
「すごいね。一撃か」
カイが苦笑混じりに言う。
「僕なんて、一体倒すのに何太刀も使ったよ」
美桜は、カイの足元に転がるコボルトを見る。
身体には幾重もの傷。
速さと手数を積み重ねた、正真正銘の剣戟の痕だった。
「テルマ、他はいないか?」
グロスの問いに、テルマは弓を背負い直しながら短く答える。
「……もう、いない」
「皆さん、怪我はありませんか?」
エナが周囲を見回しながら声をかける。
「かすり傷ひとつないな」
グロスがそう言い、
カイも「戦闘終了だね」と剣を鞘に収めた。
静寂が戻る。
美桜は、そっと自分の刀を見る。
刃には血が薄く付着し、陽光を鈍く反射している。
(上段から、斬るつもりだったのに……)
胸の内で、言葉が零れた。
(踏み込みも、いつもより深かった。
……また、あなたなの?)
問いかけても、答えはない。
ただ、刀の重みだけが、確かにそこにあった。
「姉ちゃん、行くよ」
湊の声で、美桜ははっと顔を上げる。
「……うん」
美桜は静かに刀を鞘へ戻した。
カチリ、と小さな音。
それは――
彼女が、もう一歩“戦う側”へ踏み込んだ証のようにも聞こえた。
休憩を挟みながら歩き続け、
日が傾き始め、空が橙色に染まりだしたころ――。
「……あと少しだぞ」
先頭を行くグロスが、前を見据えたままそう言った。
森の木々は次第にまばらになり、足元の土は固く締まっていく。
湿った土と草の匂いが薄れ、代わりに、どこか無機質な匂いが混じり始めていた。
「やっとかー……長かったー……」
湊が肩を落とし、思わず愚痴をこぼす。
「ほんとね。お母さん、足パンパンだわ」
母も苦笑しながら、ふくらはぎをさすった。
そして――
一行が森を抜けた、その瞬間。
目の前の景色が、はっきりと変わった。
割れた舗装ではあるが、確かにアスファルト。
コンクリートの建物。
電柱、ガードレール、標識の残骸。
木々がコンクリートを突き破っているわけでもなく、
異様な融合でもない。
それは――
美桜や湊にとっては、あまりにも見慣れた光景だった。
「……あ」
思わず、美桜の口から声が漏れる。
グロスが、低く唸るように言った。
「……やはり、そうか。
もしやとは思っていたがな」
「どうした? 何かあるのか?」
カイが首を傾げる。
「俺たちの知っているヴェルナの周辺は、平原だった。
こんな建物は、なかった」
「あぁ……なるほどな」
カイは辺りを見回し、納得したように息を吐く。
「だから、この辺には木がなくて、
俺たちにも見覚えのある建物が残ってるのか」
グロスは短く頷いた。
「とりあえず、町へ行くぞ」
そう言って、歩き出す。
近づくにつれ、荒廃の痕はより鮮明になっていった。
横転した車両。
砕けたガラスが散乱する道路。
シャッターの降りた店、ひび割れた窓。
「この荒れよう……」
グロスが、低く言う。
「魔物がどこかに潜んでいても、おかしくないな」
「あぁ」
カイも周囲を警戒しながら答える。
「住人は……どこに行ったんでしょう」
美桜の問いに、グロスは即答しなかった。
「避難しているか、
……立てこもっているか、だな」
そのまま進んでいくと――
「あ、あれ見て!」
湊が声を上げ、前方を指さした。
そこにあったのは、
視界を遮るほどに高く、厚い塀。
「……あれが、ヴェルナの外壁だ」
グロスが言った。
近づくにつれ、その大きさが実感として迫ってくる。
石を組み合わせた巨大な壁。
幾重にも補強され、戦を前提とした造り。
「……すご……」
美桜は、思わず息を呑んだ。
「めちゃくちゃデカい……」
「ヤベーよな、これ」
湊が見上げながら言う。
「戦国時代とかにも、こんなのあったのかな」
「どっちかって言うと……中世でしょ」
「あ、そっか」
そんなやり取りをしながら、外壁沿いを進む。
「美桜ちゃん、湊くん。こっちだよ」
グロスの声に、美桜は顔を上げる。
「あ、すぐ行きまーす!」
軽く返事をし、二人は走り寄った。
外壁の影に差し掛かったとき――
人影が見えた。
門の前に、二人の門番。
こちらに気づいた瞬間、
彼らは同時に槍を構えた。
金属が擦れる音が、空気を張り詰めさせる。
グロスは、慌てることなく片手を上げた。
それを見ると、
一人の門番が目を細め、もう一人に小さく合図を送る。
やがて、二人とも槍を下ろした。
「……よう、レオン」
グロスが声をかける。
呼ばれた男は、実用一点張りの鎧を身にまとっていた。
装飾はなく、使い込まれた金属には細かな傷が走っている。
鍛え上げられた体躯。
短く整えられた黒髪に、混じる白。
右頬には、古く深い傷跡が一本、斜めに残っていた。
「おう。グロスか。戻ってきたな」
レオンは、淡々とそう言った。
「あぁ。色々あったがな」
グロスは肩をすくめる。
「しかし……なんでお前が門番なんかしてる。
隊長だろう?」
「異常事態だからな」
レオンは即答した。
「隊長も一兵卒も関係ない。
それに、政治だの何だのは性に合わん」
視線を町の内側へ向け、続ける。
「人々の安全を守る。それが俺の仕事だ」
「……ふん。変わらんな」
グロスは鼻で笑った。
「中に入れてくれないか?」
「お前たちはいい」
レオンは視線を一行へ移す。
「だが、後ろの連中は見ない顔だな。
帯剣もしている。冒険者か?」
「いや、この異常事態で知り合った連中だ」
「異界人、か」
レオンは一瞬考え、言った。
「通っていい。
だがまずは冒険者登録だ。
異界人だけでは、この門は通せない」
「わかった」
そう答えた瞬間――
重厚な音を立て、門が開かれた。
「中に入ったら、色々あるだろう」
レオンは最後に、グロスへ声をかける。
「……頑張れよ」
グロスは片手を上げ、そのまま中へ入った。
それに続き、
美桜たちも、ヴェルナの中へと足を踏み入れていった。
――都市ヴェルナ。
異世界と現代が、歪な形で重なった場所へ。
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