第27話 剣の違和感
「……美桜ちゃん。本当に大丈夫なのか?」
張り詰めた空気の中、カイがそう問いかけた。
美桜は一瞬だけ言葉に詰まり、それから小さく息を吸って――
深く頭を下げた。
「……すみません。多分、大丈夫だと思います」
その声音に、震えはない。
だが、完全な自信もなかった。
カイはその様子をじっと見つめ、やがて安堵したように息を吐く。
抜き身だった剣を、静かに鞘へ収めた。
「……覚えてないのかい?」
そう言いながら、足元に落ちていた刀を拾い上げる。
指が触れた瞬間、微かに金属が鳴った。
「はい。何も……気づいたら、カイさんたちが立っていて……」
カイは小さく頷き、
「体に違和感はない? 頭が痛いとか、息が詰まる感じとか」
問いながら、美桜に背を向ける。
そして――
すらり。
刀を抜いた。
一瞬、グロスが反射的に身構える。
だがカイはそれに気づき、視線だけで制した。
「大丈夫。……ちょっと試してるだけだよ」
軽く笑ってそう言うと、
カイは二度、空を切った。
ヒュン、ヒュン。
短く、鋭い音。
そのまま鞘へ戻し、今度は自分の剣を抜く。
同じように振る。
比べるように。
確かめるように。
「……」
首を傾げ、振り返る。
「今のところ、なんともないです」
美桜は申し訳なさそうに答えた。
「なら、よかった」
カイは微笑み、拾い上げた刀を美桜に差し出した。
「……もう一度、抜いてみてくれないか?」
「え……でも……」
美桜は思わず一歩引いた。
「また、さっきみたいになったら……」
「もしそうなっても、僕たちが止める」
カイは即座に言った。
「グロスの言う通り、もし君が選ばれたなら――
使えばいいんだ」
それでも美桜は逡巡する。
「……ご迷惑になりますし……」
「ならないよ」
カイは即答した。
「本当に魔剣なら、君は強くなる。
それは僕たちの戦力が増えるってことだ」
少し肩をすくめる。
「ダメならダメで、それだけさ」
そう言って、
刀を押し付けるように、美桜の手に渡した。
――冷たい。
だが、不快ではない。
(……なに、この感じ)
美桜は心の中で呟く。
金属のはずなのに、どこか体温に近い。
カイが声を張る。
「みんな、少し離れて」
フォーエッジと母、湊が数歩下がる。
「大丈夫。君なら問題ない」
安心させるような声だった。
「……はい」
美桜は短く答え、柄に手をかける。
(お願い……何も起きないで)
胸の奥で、そう願いながら――
刀を引いた。
シャァ――。
澄んだ音。
耳に心地よいほど、静かな抜刀音。
「……軽い」
思わず、心の中で漏れる。
それに――
刃の重さが、どこにあるのか分かる。
ヒュン。
ヒュン。
二度、三度。
素振りをする。
空を切る感触が、指先から腕、肩へと伝わる。
(……通ってる)
自分が今、
どこを刃が通過しているのか――
はっきりと分かる。
美桜は、息を整え、
自然と正眼の構えを取った。
その瞬間。
「……っ」
違和感。
いつもと同じ構え。
同じはずなのに――
(……嫌な感じ)
剣先が定まらない。
意志とは無関係に、右へと逃げるようにずれていく。
「なに、これ……」
構えが、決まらない。
(竹刀と違うから……?)
美桜は構えを解き、軽く振る。
すると、違和感は消える。
「美桜ちゃん、どうだい?」
カイの声が届く。
「……あ、はい。今のところは……大丈夫です」
そう答え、
美桜は刀を鞘へ戻した。
カチン。
金属が噛み合う音が、静かに響いた。
だが――
胸の奥には、まだ説明のつかない感触が残っていた。
剣先が、
何かを拒んだような感覚が。カイはゆっくりと剣を収め、張り詰めていた空気をほどくように息を吐いた。
そして、美桜へ向き直り、柔らかな笑みを浮かべる。
「……今のところは、大丈夫そうだね」
その声音に、張りつめていた展示室の空気が、ほんのわずか緩んだ。
「美桜ちゃん。さっき、その刀を振ってみて……どうだった?」
問いかけられ、美桜は一瞬だけ言葉を探すように視線を彷徨わせた。
「え……あ、そうですね」
思い返すように、掌を軽く握りしめる。
「……軽かったです。すごく。
振りやすいというか……体に吸い付くみたいで」
刀身を握った時の、あの不思議な感覚。
重さがないわけではない。だが、重さを“感じさせない”。
「でも――」
美桜は少し言いよどみ、続けた。
「構えると……違和感がありました」
「違和感?」
カイが、眉をわずかに上げる。
美桜は頷き、何も持っていない右手を前に出した。
「私、試合の時とかは、基本的に正眼の構えを取るんです」
空中に描かれる、見慣れた構え。
自然で、淀みのない動き。
「でも……この刀だと、同じように構えようとすると……」
言葉を探しながら、胸の奥の感覚を掬い上げる。
「……なんだか、窮屈なんです。
無理やり押し込められてる、みたいな……」
その瞬間。
「なるほどな」
低く、落ち着いた声が割って入った。
グロスだった。
腕を組み、深く頷く。
「やはり魔剣だろうな」
静かな断定だった。
「魔剣はな、自分が選んだ所有者に“使い方そのもの”を教えると言われている」
美桜は息を呑む。
「冒険者の中には、元は槍使いだったのに、魔剣に選ばれて――
一流の剣士になった者もいたそうだ」
そう言って、グロスは美桜の肩を、ぽん、と軽く叩いた。
「悪くない話だろ。
……むしろ、幸運だ」
美桜は一瞬言葉を失い、そして小さく頭を下げた。
「……ありがとうございます」
その声には、戸惑いと、不安と、ほんのわずかな期待が混じっていた。
「ってことはさ!」
突然、弾むような声が響く。
「もしかしたら、僕を選ぶ魔剣もどこかにあるってことだよね?」
カイが目を輝かせ、身を乗り出す。
「その可能性は……否定できん」
グロスは鼻で笑いながら答えた。
「どこかには、あるかもしれんな」
「よっし!」
カイは勢いよく振り向いた。
「湊くん! 他にも刀ってあったかな!?」
そう叫びながら、展示室の奥へ駆けていく。
「ちょ、ちょっとカイさん!」
湊の声が追いかけるが、もう遅い。
その背中を見送りながら、グロスはふっと真顔に戻り、美桜を見た。
「……だがな、嬢ちゃん」
声音が低くなる。
「気をつけろよ。
魔剣の力に溺れて、飲み込まれた者もいる……って話もある」
美桜は、真剣な表情で頷いた。
「……はい」
その様子を見て、グロスは少しだけ表情を和らげる。
「嬢ちゃんなら、大丈夫だろうがな」
美桜は、刀へ視線を落とす。
そっと、柄を握る。
冷たいはずの金属が、不思議と温かく感じられた。
視界の端に――
床に落ちている、小さな金属プレートが映る。
展示用の名札が、表向きのまま転がっていた。
磨かれた銀色の板に刻まれた文字。
――和泉守兼定。
美桜は、そっと呟く。
「……和泉守兼定……」
その名を胸の内で受け止め、
静かに言葉を結んだ。
(私は……あなたに相応しい人間になる)
誰に聞かせるでもなく、
だが確かな覚悟をもって。
美桜は、そう心に誓った。




