第22話 最後の晩餐
「私も──魔法を使いたい。」
美桜の声が、ロウソクのゆらぎを震わせるように室内に落ちた。
一瞬、誰も言葉を返せない。静寂がリビングを支配し、影だけが壁に揺れる。
「……何言ってるの、美桜。魔法なんて……そんな危ないわ」
母の声はかすかに震え、戸惑いがそのままにじみ出ていた。
だが美桜は一歩も引かず、まっすぐ母を見る。
「お母さん。今日いろいろ経験して……わかったの。
戦える力が必要だって。魔法でも何でもいい。強くなれれば。」
言葉は決意の硬さを帯びていた。
母は視線を逸らし、押し黙る。
美桜と湊が今日経験した“現実”──命の危険と隣り合わせの世界。
その全てを聞いた母は、胸の奥でずっと恐怖を抱いていた。
この子たちまで失ってしまうんじゃないかという恐怖を。
「この世界は……もう私たちが知ってる日本じゃないの。
カイさんだって日本人だけど、戦ってた。
だから、私も戦える力が欲しい」
静かに告げた言葉に、湊が勢いよく乗っかった。
「俺も!」
即答だった。目は真剣そのもの。
「……あなた達はまだ子どもなのよ!」
母の叫ぶような声が、ロウソクの火をふるわせた。
「それでも!」
美桜が立ち上がる。椅子がかすかに軋んだ。
母の肩がビクリと震える。
「それでも……私たちには力が必要なの。」
(皆を守るために。絶対に。)
母は唇を噛み、何かをこらえるように視線を落とした。
静寂が再び降りる。
湊もカイも、フォーエッジの三人も黙って見守っている。
そして──ゆっくり、母は顔を上げた。
「ふぅ……そうね。戦う力、か。
……うん。わかったわ。やるだけやってみなさい」
美桜の顔に、ぱっと光が差したように笑みが戻る。
「ありがとう、お母さん!」
カイは気まずそうに頭をかきながら、
「えっと……それで、どうする? 行くのか、残るのか……?」
美桜と湊は迷わず声を合わせた。
「「行きます。」」
母は、カイの方を向き
「……私も一緒に行っていいですか?」
「もちろんですよ」とカイは柔らかく答えた。
美桜は待ってましたと言わんばかりに前のめりになりかける。
「それじゃあ魔法について──」
そのとき、母が手のひらをすっと前に出して制した。
「その前に。」
全員の視線が母に向く。
母はふっと息を抜き、微笑んだ。
「ご飯にしましょ」
次の瞬間、
――ぐぅ~~っ。
湊の腹が盛大に鳴り響いた。
静寂が一転、全員が笑いに包まれる。
ロウソクの火が柔らかく揺れて、
その笑顔を温かく照らしていた。
母は机の上に置かれた食料の箱をじっと見つめ、
「何にしようかしら……」と小さく呟いた。
薄暗いリビングのロウソクの光が、母の横顔に揺らいで映る。
湊も箱を覗き込み、ひょいと白い束を取り上げた。
「──あ、素麺!」
弾む声に対して、美桜が即座に肩を落として言う。
「水がないんだから作れないでしょ」
「あっ……そうか」
湊は気まずそうに素麺を箱へ戻した。
そんな兄妹のやり取りを見ていたエナが、控えめに手を挙げる。
「あの……私、必要なら水を出しましょうか?」
その瞬間、
美桜・湊・母の三人が バッ と振り返った。
「ぜひお願いします!」
母は身を乗り出して答え、
美桜と湊は同時に勢いよく頷いた。
エナは思わず苦笑する。
「は、はは……じゃあ、お手伝いします。どこに出せばいいですか?」
母はキッチンの棚やシンク下を探していた。
「あ、これでいいわ」 と言ってシンク下の収納から大きな寸胴鍋を取り出した。
「こんなのあったの?」と美桜が目を丸くする。
「随分前に安かったから、つい買っちゃったのよ」
母が照れ笑いを浮かべる。
「じゃあ、この鍋に出しますね」
エナは寸胴の前に立ち、深く息を吸った。
──その瞬間、美桜は空気の変化に気づく。
(……え? なんだろうこれ。
エナさんが“濃くなる”ような……空気が静かに、引き締まる感じ)
ロウソクの炎がわずかに揺れ、部屋の温度が一瞬下がった気がした。
エナの声が静かに響く。
「穢れを払い、清らかに満ちる水となれ──」
柔らかく澄んだ声だったが、その奥に確かな強さがある。
そして息を整え、はっきりと呟く。
《ピュアウォーター》
次の瞬間──
エナの前の空間に、水が“集まってくる”気配が生まれた。
最初は細い糸のような揺らめき。
それがふわりと空中に漂い、光を反射しながら形を変えていく。
水滴が空気から生まれるように集まり、結合し、
不定形の塊がやがて“巨大な水球”へと変わっていく。
「ちょ、ちょっと待てエナ……」
カイが青ざめた声で言う。
「大きすぎないか?!」
グロスも目を見開いて割って入る。
「......…」テルマも目を見開く
エナは目を閉じたまま、ようやく異変に気づいた。
「え? ……あっ、ああっ!? どうしましょうこれっ!」
その瞬間。
ズバァァァァァン!!!
巨大化した水球がふっと浮力を失い、重力に従って落ちた。
そして──
「うわあああああ!!!」
湊に直撃した。
床に広がる水しぶき。
湊の髪がへにょりと張り付く。
シャツから滴る水が、ロウソクの光を受けてキラキラ光る。
美桜は数秒だけ固まり──
「……ぷっ……ふはっ……ははははは!!」
腹を抱えて笑い転げた。
「な、何やってんのよ湊っ、ははははは!!」
「俺のせいじゃねぇだろ!! 下から覗いてただけだよ!!」
湊は完全に拗ね顔である。
「あらあら大変!タオル取ってこなくちゃ!」
母は慌てて脱衣所に走っていった。
全員で床の水を拭き終えるころには、
エナは肩をすくめて何度も頭を下げていた。
「本当にすみません……!」
「いいのよいいのよ。むしろ家を離れる前にお掃除してあげたかったしね。」
母は笑って返すが、その笑みにほんの少しだけ寂しさが滲んでいた。
そして再びキッチンへ。
「今度はここにお願いしますね」
母は寸胴鍋を軽く叩いてみせる。
「……はい、気をつけます……!」
エナの頬は赤く、目はどこか申し訳なさげ。
今度は慎重に詠唱を行い、
今度こそ理想的な“清らかな水”が寸胴鍋いっぱいに満ちていった。
エナはほっと胸を撫でおろす。
「ありがとう、これだけあれば十分ね」
母はそう言って水を別の鍋に移し、蓋を閉めた。
テーブルの上いっぱいに白く輝く素麺が並べられた。
ほのかに漂う出汁の香りが、薄暗い部屋にやさしく満ちていく。
「すげー量……」
湊がぽつりと呟く。
母は湊の頭を軽く撫でながら笑った。
「こんなに男の人がいるんだもの。これくらい必要でしょう?」
みんなが席につき、母が手を合わせる。
「さあ、食べましょう」
「いただきまーす!」
美桜と湊は一斉に箸を取り、勢いよく食べ始めた。
久しぶりに味わう冷たい出汁が、喉を滑りお腹に落ちていく感覚が心地いい。
「カイさんたちも、遠慮せず食べてくださいね」
母は微笑んで声をかける。
「はい、いただきます」
カイも箸を伸ばし素麺を口へ運んだ。
しかし──
「おい、カイ……これはどう扱うんだ?」
グロスは箸を器用にはさんでみるが、麺をつかむことができず苦戦していた。
エナも戸惑いながら箸を指にはさみ、
テルマに至っては箸を縦に持っていた。
「こんな細い棒でよく食べ物を挟めるな……!」
グロスは真剣に感心している。
「僕も改めて言われると……よく使えてたな、これ……」
カイは苦笑しながら自分の指先を見つめる。
「あら、ごめんなさいね。フォークのほうが良かったかしら?」
母が立ち上がり、急いでフォークを取りに行く。
「すまない、助かる」
グロスが深く頭を下げた。
フォークを受け取った三人は、ようやく安心したように麺を掬いあげた。
「……わぁ、見てください。全部の細さが同じなんですね」
エナの瞳が輝く。
「ん。均一だ……すごい」
テルマが珍しくはっきりと声に出した。
「素晴らしい職人技だな。どれだけの技術がいるんだこれは……!」
グロスも舌を巻く。
三人は同時に麺を口へ運ぶ。
──次の瞬間。
「……っ! なんだこれは……! う、うまいッ!!」
グロスの衝撃の声が響いた。
「ほんと……美味しいです……こんなの初めて……!」
エナが目を細める。
「……うん。好き」
テルマは無表情のまま、しかし手が止まらない。
湊は得意げに胸を張った。
母は微笑む。
「気に入ってもらえたなら良かったわ」
素麺をすする音、出汁の香り、ロウソクの揺れる光。
暗い家に、久しぶりの“温かい日常”が広がっていく。
「ごちそうさまでした!」
美桜、湊、母、そしてカイが声を揃えた。
「よく食べたわね、美桜。美味しかった?」
「うん、すごく。ひさびさに“ちゃんとしたご飯”って感じだった」
「な? やっぱり夏は素麺だよな」
湊がどや顔で言う。
母は少し笑って、ぽつりと呟く。
「……最後の晩餐ね」
「ちょ、ちょっとお母さん! なに縁起でもないこと言ってるのよ!」
明るく言い返した声の奥で、ほんの少し胸が締め付けられる。
「だって……ここで食べるのは……もう最後でしょ?」
母の言葉に、食卓の空気がすっと静まる。
ロウソクの明かりがゆっくり揺れ、
壁に映る影が少し長く伸びる。
「……また、戻って来れるよ」
美桜は静かに言った。
テーブルの上の丼に残る数本の白い麺を見つめながら。
「ほんの少し、留守にするだけ」
その言葉に、母は柔らかく目を細めた。
「そうね……」
思い出を胸に抱くような、そんな目だった。
こうして──
美桜たちが育った家での、最後の夜がゆっくりと更けていった。




