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第12話 炎影の狩り

美桜と湊は、背後の“ガサ……”という微かな擦過音に同時に振り返った。


木々の間の影が揺れ――そこから“それ”が一歩、姿を現した。


薄闇の中に浮かびあがる輪郭は、確かにオオカミに似ている。


だが、毛並みの間からふつふつと熱気が漏れ、胸元の呼吸に合わせて橙色の火線が筋のように灯っては消える。


体毛は煤で焦げたように黒く、ところどころ赤く燻っている。


目は獲物を射抜く狩人の光で、喉の奥ではジリ……ッと火花が跳ねる音まで聞こえた。


湊は、ごくりと喉を鳴らした。


「……お、狼……だよな? いや、でも……こんな……」


信じられない現実を前に、息が震えている。


美桜は乾いた笑いを一つ吐いた。


「そんなわけないでしょ……火、出てるじゃん。


もうどうなっちゃったの、日本……」


胸の奥で呟く声は震えていた。


狼は低く唸り、背中を丸め――今にも飛びかかろうとする直前の“溜め”の姿勢。


湊が、祈るような声で言う。


「……こいつも、動かなかったら襲ってこないとか……ある?」


「……そうであってほしいけど――」


その願いを嘲笑うかのように。


ドッ!


地面を蹴り砕く爆音とともに、狼が駆け出した。


「逃げろ!!」


美桜の叫びと同時、ふたりは全力で走り出す。


背後から土を削る足音が迫る。距離およそ15メートル――12メートル――。


心臓の音が耳の内側で暴れ、肺が焼けるように痛い。


「湊! さっきの、あれ投げなさいッ!!」


「わかってるってばッ!!」


湊は走りながらポーチに手を突っ込み、胡椒爆弾を引き抜いた。


だが足場は悪い。木の根が盛り上がり、土が柔らかく、走るのに向いていない。


対して狼は、獣そのものの加速で音を立てるように迫ってくる。


8メートル。


湊は焦りで呼吸を乱しつつ、振り向きざまに爆弾を2つまとめて投げた。


だが――


ヒュッ


狼は進路をわずかに滑らせただけで避けた。


「くっそ!!」


湊は叫んで再び走り出す。


5メートル。


「湊! 追いつかれる! ちゃんと当てなさいよ!!」


「む、無理だって!! あんなん投げて当たるわけ……!」


「無理でもやるの! 捕まったら“怪我じゃすまない”!!」


2メートル。


熱気と殺気が背中にぶつかる。


美桜は振り返り、狼が湊に飛びつかんばかりの距離にいるのを見た。


「湊!!」


湊は叫びながら、残る爆弾を頭上に掲げた。


「これならどうだぁぁ!!」


そのまま袋を両手で破る。


砕けた胡椒の粉が風に舞い、後方へ――ちょうど狼の顔面の軌道に流れ込んだ。


パサァァ……


次の瞬間、狼が悲鳴のような声をあげた。


「キャインッ! キャインッ!!」


鼻と目を前足でかきむしり、ふらつきながら木にぶつかる。


湊は振り返り、はじけるように笑った。


「やった!!」


「ナイス湊! 曲がるわよ!!」


ふたりは路地へ体を投げ込むようにして走り、そのまま何度も曲がり角を利用して距離を稼いだ。


やがて――木々の切れ間から空が開け、大通りに飛び出す。


湊は肩を上下させ、喉の奥で空気がひゅう、と鳴っていた。


汗が額から滴り、今にも膝から崩れ落ちそうだ。


「湊、大丈夫……?」


美桜も息を荒げながら問いかける。胸が上下し、肺が焼けるように痛い。


「……もう無理。走れない……」


湊は地面に手をつき、震える声でそう漏らした。


「ちょっと隠れて休憩しましょう」


美桜は周囲を素早く見渡し、倒れたままの車の影に湊を引き込んだ。


座り込むと、アスファルトにこびりついた土埃と焦げた油の匂いが鼻に刺さる。


(ここなら……木も少ないし、見通しはいい。来られても気づける)


心臓の音がまだ耳の奥でドクドク鳴っている。


「どう? ちょっとは回復した?」


問いかけると、湊はぜぇぜぇ言いながらポーチを覗きこんだ。


「……爆弾、もうほとんどないや。


あ、うそ……ちょっと待って……必殺の水鉄砲、どっかで落とした……」


肩をがっくり落として、半泣きのような声を出す。


「その水鉄砲も……何か入れてきたの?」


「うん。唐辛子水。目にかけるやつ」


「……ああ、催涙スプレー的なやつね」


軽口を叩きつつも、体はまだ震えている。


「そろそろ行けそうでしょ。……行くよ」


美桜は湊の腕を取り、立ち上がらせた。


その瞬間――


ゾワッ……と背中を氷柱でなぞられたような悪寒 が、美桜の背骨を駆け上がった。


反射的に振り返る。


そこに――


あの狼がいた。


炎を孕んだ双眸がギラリと光り、口元には怒りで泡立つ唾が飛んでいる。


低い唸り声が大地を震わせ、その喉奥で赤が揺らめいた。


(来る――!)


ほんの一瞬、空気が焦げる匂いが鼻を刺した。


次の瞬間、狼は口を大きく開き――


ゴッッ!!


火の玉が放たれた。


「湊っ!!」


美桜は咄嗟に湊の腕を引っ張り、二人まとめて地面に倒れ込む。


直後、背後で


ドガァァァン!!


という爆発が弾け、熱風が髪を巻き上げた。


「うぇあっ!? な、なになに!?」


湊が悲鳴を上げ、転がりながら混乱している。


「狼よ! 逃げる!!」


美桜は砂埃の中から強引に湊を起こし、再び走り出した。


だが追撃は止まらない。


背後でまた


ボッ!! ドガンッ!!


と爆炎が咲いた。


爆風に押され、湊の体がよろける。


「湊、避けて!!」


美桜の声が張り裂ける。


湊が振り返ると、狼がすでに跳びかかる直前だった。


燃えるような赤い毛並みが逆立ち、爪が閃く。


「うわっ!!」


湊は思わず体をひねり、転がるように避ける。


ぎりぎりでかわした――が。


ブチッ。


狼の爪が湊のポーチの紐を裂いた。


ポーチは地面に転がり、中身が散乱する。


湊は背中から地面に倒れ込み、息を呑んだ。


美桜の心臓が跳ね上がる。


(まずい……! この距離は……殺される!)


アスファルトに爪を食い込ませ、狼は再び湊に狙いを定めた。


喉の奥で熱がうねり、赤い光が増していく。


「湊っ!!」


美桜は叫んだ。


「どうしよう……!」


美桜の喉がひきつる。握った木刀が汗で重い。


足元がふらつき、脳裏にいくつもの“死”のイメージがよぎる。


――ダメ。ここで折れたら、湊が死ぬ。


視界の端でガラス瓶が光った。


美桜は反射的に手を伸ばし、それを握り、狼へ向かって全力で投げつけた。


ガンッ――パリン!


瓶は狼の顔面に命中し、破片が飛び散る。


狼は吠え、怯んだその目を美桜に向ける。


「こっちよ、アホ犬ッ!」


美桜は叫び、車の影へと身を滑り込ませた。


その隙に湊は木の陰へ転がり込み、体を縮めて息を潜める。


「湊! 投げられるものがあったら、なんでもいい! そいつにぶつけて混乱させて!」


美桜は車の影から声を張り上げた。


直後――


ボッ! ドゴォォン!!


火の玉が飛来し、路地に爆炎が咲いた。


熱風が頬を叩き、焦げた臭いが一気に広がる。


しかし、湊からの援護はない。


美桜は歯を噛み、周囲を必死に探った。


そのとき――


マンションのエントランスの影から、湊が必死に手招きをしていた。


狼の死角を巧みに移動していたらしい。


美桜は大きく頷き、周囲を見渡す。


近くには、1階だけが商業施設になっているマンションが見えた。


(確か……裏路地の入口と、大通り側にもう一つの出口があったはず)


(あそこにおびき寄せて、抜け道からマンション側へ戻れる……!)


美桜は息を呑み、車の影から飛び出す。


足元に落ちていた木の棒を掴み、狼へ向かって思いきり投げつけた。


「ほら! できるもんならやってみなさいよ、アホ犬!」


挑発に、狼の耳がピクリと動き――次の瞬間、美桜へ向かって突進し始めた。


「よし……!」


美桜は路地へと走り込み、商業施設の入口へ一直線。


背後で迫る足音――グルルルと唸る低音が、地面を震わせる。


美桜は扉を乱暴に開け、中へ滑り込んだ。


すぐ横の死角に体を押し込み、息を殺す。


――キィ……


扉が軋む音。


続いて、獣の低い唸り声。


「……入ってきた」


喉の奥で音にならない声を呑み込み、そっと足音を殺して出口側へ移動する。


静かに扉を押し開け――外へ飛び出し、大通りを横切る。


植木の影から湊が手を振っている。


美桜は滑り込むように湊の隣へ戻った。


「やばかった……マジで死んだと思った……」


湊は声を震わせながら吐き出す。


「危なかったね。でも、これからどうするの?」


美桜は木刀を握りなおす。


「あいつなら……これでも、もしかしたら倒せるかもしれない。あのサイとは違って、攻撃が通りそうだし」


「でも……火の玉、飛ばしてくるぞ……」


湊が青ざめた声で言う。


「確かに……あれを避けながら近づくなんて無理だよね。やっぱ、逃げましょう」


「うん……。もう道具もなんもないし……」


ふと、美桜が訊く。


「そういえば湊、リュックは?」


「あぁ……囮になると思って置いてきた……へへ……」


湊は苦笑いした。


「大事なもの入ってなかったんでしょ?」


「うん。大丈夫。特に――」


ガシャァン!!


ガラスの砕ける音が響く。


2人は反射的に植木の隙間から外を覗いた。


あの狼が、店のガラスを割って現れた。


道路の中央へ進み、空へ向かって吠える。


アオォォォオオォォォーーン……!


その声は森の奥へ吸い込まれながら、空気さえ震わせるほど重かった。


数秒後――遠吠えが止む。


「……仲間呼んだんじゃ……」


湊が呟く。


「だったら急いで逃げなきゃ。あんなのが何匹も来たら、本当に終わりよ……」


その瞬間、狼の視線がピタリと植木に向いた。


「……っ!」


2人の体が同時に震え、植木の影へ縮こまる。


「今……絶対こっち見たよね……?」


美桜の声が震える。


「うん……見た……絶対……」


湊の額から汗が滴り落ちる。


ボゥ……ボボボボ……


チリチリチリ……


狼の周囲で炎が渦を描き始める。


路面の雑草が焼け焦げ、甘く苦い煙の匂いが漂う。


美桜は恐怖のまま顔を上げた。


狼の身体から、炎の線が何本も立ち上がり、中心へ収束していく。


先ほどの火の玉の――五倍はある。


巨大な炎塊が、空気を歪めながら形成されていく。


美桜の全身から冷や汗が噴き出す。


危険だと叫び続ける本能が頭の中で鳴り響く。


「湊……! 全力で走れッ!!」


美桜が叫んだ瞬間――


2人が飛び出す。


同時に、狼は炎の塊を放った。


ゴォォォッ!!!


巨大な紅蓮の塊が、大気を裂いて美桜たちを追う――。

読んでいただきありがとうございました。

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