第10話 破犀の巨獣
美桜たちは、太い木の幹の陰に身を寄せるようにしゃがみ込み、周囲の気配に全神経を尖らせていた。
ズシン……
ズシン……
その振動は、地面の奥底から突き上げてくるような重みを帯びている。
やがて──
ズドドドドッ、と明らかに速度を増した衝撃が大地を揺らし始めた。
同時に、木々の間から小さな影が横切る。
「……ネズミ?」
美桜が呟く間もなく、生き物が逃げてきた方向の奥で、森ごと揺れるような轟音が爆ぜた。
“何か”が、木をなぎ倒しながら一直線にこちらへ突進してくる。
巨大な影は、ほとんどトラックの暴走のような質量をまとい、そのシルエットは加速に合わせてどんどん膨れ上がる。
美桜は見上げるように目を見開いた。
(……な、何よ……あれ……?)
次の瞬間──
暴走してきたそれは、美桜たちから数メートル先のマンションの壁にドガァンッと激突した。
衝撃で壁はひび割れ、コンクリ片が大量に落下し、マンション全体がぐらりと揺れるほどだった。
重い土煙が周囲に広がり、砕けた木と土が空中に舞う。
やがて、ゆっくりとその姿が露わになる。
それは、現実に存在するサイに“似ている”だけの、まったく別の怪物だった。
黒鉄色の皮膚は石板を幾重にも重ねたように硬質で、動きに合わせて“ギシ……ッ”と岩の擦れる音が微かに響く。
肩から腹にかけて分厚い装甲の盛り上がりが走り、
鼻先には刃物のごとく鋭い一本角。
背中には不揃いな突起が列をなし、いくつかは小さな角のように尖り、まるで武器の塊のように見えた。
脚は太い柱のように発達し、一歩踏み込むたびに地面が沈むほどの重さを感じさせる。
美桜は息を呑み、湊は固まったように見つめた。
「……なんだよあれ……サイ、か……?」
「サイに……背中の棘なんてあったっけ……?」
震える声を抑え、小声で囁き合う。
「倒すの……?」
「倒せるわけないでしょ!!」
湊の問いは本気か冗談かわからない。しかし、言葉が出るほどには、恐怖より“動物”として認識してしまっている奇妙な感覚が美桜にあった。
(なんで……あまり怖くない……? あの鳥の時とは違う……)
だがそんな分析をしている時間はない。
「静かに……逃げるわよ……!」
美桜が立ち上がろうとした瞬間──
サイはゆっくりと歩き出し、美桜たちの進路を塞ぐ方向に進み始めた。
「うそでしょ……これじゃ進めないじゃない」
湊が囁く。
「ちょっと……待ってみる?」
「のんびりしてたら、別の生き物が来るかもしれないでしょ……何か考えないと……!」
そう言ったとき、湊が“ふふん”とした顔でウエストポーチをごそごそとまさぐり、妙なものを取り出した。
「……キッチンタイマー?」
「これをサイの向こう側に投げんの。音で釣る!」
美桜は思わず感心し、受け取ったタイマーを起動させた。
「……なるほどね」
カチッと音を鳴らしてから、サイの反対側へタイマーを放り投げる。
草を弾きながら転がっていき──やがてピピピピピ……と鳴り始めた。
「動いたら、走るわよ……」
美桜と湊は身構える。
…………動かない。
サイは音が鳴っている方向へ一瞥すらせず──
ドスン、とその場に腰を落とし、
そのまま寝た。
「……え?」
「……おい、耳聞こえねぇんじゃね?」
呆然としたまま、二人は見合う。
「……まぁ……好都合よ……寝てるうちに行くわよ!」
美桜は慎重に歩き出す。
湊も続く。
距離は徐々に離れ、木々が視界を遮り始める。
「もう……大丈夫……かな……?」
美桜が振り向いた──その瞬間。
木々の隙間から、
サイの黒い目とばっちり目が合った。
(──ッ……!)
全身に冷たい悪寒が駆け上がる。
あの鳥と対峙した時の、あの感覚。
「湊……! やばいッ!! 逃げてッ!!」
叫ぶと同時に、サイの全身が弾けるように地を蹴った。
ズドォンッ!!!!
地面が跳ねあがる。
質量の暴力が一直線に迫る。
美桜は走ろうとするが、足が震えて動かない。
「この……っ、くそッ!!」
歯を食いしばり、腕を振るようにして強引に身体を前へ押し出すと──足がようやく地面を蹴った。
だがサイはすでに目前に迫っている。
「危ない!!」
湊が美桜の腕を強く引いた。
直後、サイは暴走トラックのような勢いのまま彼らの横を突き抜け、
ドォンッ!!!
と巨大な大木に激突して止まった。
その衝撃で幹は大きく裂け、木屑が雨のように降り注ぐ。
「はぁ……はぁ……危ねぇ……!! もうちょいで轢かれてた……!」
湊が息を荒げながら言う。
美桜は木に手をつき、震える足を無理に支えながら立ち上がった。
(……助かった……でも……)
手には、気づけば木刀を強く握っていた。
切っ先をサイへ向ける。
だが、その先端は大きく震え、息も荒い。
(怖くない……怖くない……湊を……守らなきゃ……)
湊が横に立ち、低い声で言った。
「姉ちゃん、走れるか? 俺に……いい考えがある」
「な、何よ……そんなのいいから……先に行きなさい……私があいつを……止める……!」
「無理に決まってんだろ!」
湊は震えながらも、ウエストポーチから二つの物体を取り出した。
その手も震えているのに、それでも美桜の横に立つことをやめなかった。
サイは、大木の破片を振り落とすように首を振り、
ゆっくりと二人へ向き直る。
鼻息が“フオォン……”と荒く鳴り、
その巨体の全重圧が、美桜たちへ向けられた。
次の一歩を踏み出せば──
大地ごと押しつぶされる。
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