第1話 This Man
5月6日深夜
その夜、東海林朱李は思いもよらぬ不気味な体験をした。
一緒に住む12歳年上の姉、藍李はこの連休中に恋人宅に出かけていた為、その夜も朱李は一人で過ごしていた。
深夜1時半を超えた頃だろうか。
翌日は連休も明け高校へ登校しなければならず、そろそろ眠りに就こうと自室のベッドに入ろうとしたその時。
リビングの方から、コトリ、と奇妙な音が聴こえてきた。
「・・・・なんだ?」
朱李は今しがた潜り込んだ布団からゆっくりと起き上がり、妙にその物音が気になってその場で様子を伺う。
するとその数十秒後、再びコト、と何かがフローリングに当たるような音がやはりリビングの方から聴こえてきたのだった。
朱李と姉が住むこの部屋は地上12階建てのマンションの最上階にある。
玄関からの不審な音などはそれまで全く聴こえてこなかったので、まさかベランダからの侵入者なんて事も考えにくいが、このご時世だ。絶対に無いとは言い切れなかった。
朱李は警戒しながら手元にあったスマホを握り締めるとライトを点け、前方を照らしつつリビングの扉を開けた。
20畳ほどのリビングキッチンに明かりを当てたが、一見しただけではいつもと変わらない様子で、何かの気配などは一切感じられなかった。
『・・・・気のせいか?』
そう思ったその瞬間。
再びゴッと床に何かが当たる音が部屋中に響き渡った。
「!」
朱李はその音が、床を歩く靴の音だと直感的にそう思った。
同時に『誰かがいる!』という確信に変わった。
そして即座にスマホのライトを消すと、咄嗟に左側にあるキッチンから切り付け包丁を取り出し前に構えた。
無言のまま朱李は包丁の切っ先をベランダ窓のカーテン裏に向け、意識を集中させた。
『どうしようか・・・。先ずは警察に連絡をするか?いや、物音を出して飛びかかられたらいくら僕でも敵わないかもしれない・・・。ならば一層先手を打って相手の動きを封じてから通報か・・』
そう考えながら朱李はなるべくカーテンの正面から向かわずに、カーテン横へズレるようにリビングを回り込み、音を立てずにそろりそろりと近づいた。
背も高く運動神経も人並み以上に良いと自負していたが、いざ本当に自宅で不審者と対面となると流石に話は別だ。いくら普段は肝が据わっていると人から言われていようが、やはり不安と恐怖は相当なものだった。
『・・誰もいてくれるなよ・・』
そう祈りながら朱李はカーテン横から静かに包丁の切っ先を差し込もうとしたその時。
バッ!!
と突如カーテン内の闇から見覚えのある老いた男が出現し、大きな手が勢いよく伸びて来たかと思うと、朱李は包丁を持った右手首をグイッ!!と力いっぱい掴まれ、次の瞬間には老人とは思えない怪力でそのままカーテン奥の闇の中へと引きずり込まれてしまったのだった。
5月7日
「え?そうなんですか??・・・はい、わかりました。では戻り次第伝えますので・・。はい、はい・・・失礼します」
午後4時半
アガルタ編集部、新人編集者の酒井陽向は神妙な面持ちで受話器を置いた。
それを斜向かいで聞いていたチーフの丸早智子は、通話途中から気になっていたようで少しだけ心配そうに声をかける。
「酒井?どした?」
「え?えっと。新宿にあるオカルトラボの東海林所長からだったんですけれど。ちょっと慌てた様子で、なるはやで三枝さんに伝えて欲しいって」
「ん?三枝は?」
丸がそう酒井に質問をしたところで、すぐ右側にある編集部入口から急ぐように三枝寿々が戻ってきた。
「遅くなりました!今戻りました!」
寿々は少し焦った様子で、愛用の革製ショルダーバッグを下しながら席へと戻る。
「あれ?三枝どこ行ってた?」
「あ~、さっき昼過ぎに急にライターの柴田さんから連絡入っちゃって、駅前まで打ち合わせに行ってました。すみません、皆離席していたから何も言わずに出ちゃいまして」
そう言うと少しだけ暑そうにシャツをパタつかせながら丸に応えた。
「そっか、それはいいんだけど。何か酒井が三枝に急ぎの話があるみたいだからさ」
と言うと右手に持った赤ペンで酒井の方をクイッと差した。
「ん?俺に何か連絡とかあった?」
そう言いながら左隣の酒井を見ると。
「そうなんです!三枝さん、今オカルトラボの東海林所長から連絡があって、何やら焦った様子で至急折り返し連絡が欲しいって言われました!」
と酒井は寿々に対して畏まった。いや、これは酒井なりの教育担当である寿々への敬意のつもりなのかもしれないが、少しだけオーバーな言い方で伝言を伝えた。
「東海林さん?・・何だろう、今ちょうどライターの柴田さんと打ち合わせしてきたばかりだと言うのに。心霊写真の件でまた何かあったのかな・・」
寿々はそう言いながら椅子のキャスターを転がせ腰を掛けると、そのまま右隣りの秦史の席にある電話を自分の方へと引き延ばした。
史は今日は大学の授業が4コマまであるので、このあと編集部へやってくるのはおそらく2時間後くらいになる。
寿々は電話を掛けながら、誰もいない右隣りの席を一瞬だけチラッと見たが通話が繋がるとすぐに正面に向き直った。
「あ、お世話になっております、アガルタ編集部の三枝です。先ほど東海林所長からお電話を頂いてたみたいで。・・はい、お願いします」
電話先に出たのは、丁寧な対応の若い男だった。
寿々は耳に響く保留音を避ける為に少しだけ受話器を離す。
暫くして保留音が切れると、受話器の向こうから聞きなれた東海林藍李の声が聴こえてきた。
「やあやあ三枝さん、急に申し訳ない」
「どうも東海林所長。急用・・と聞きましたがどうかされましたか?」
「いやぁ、どーしても折り入って君に相談したい事があってねぇ・・」
「相談・・ですか?俺に?」
寿々は受話器の向こうから伝わる藍李の深刻そうな口調を聞いて一体どうしたものか?と疑問と不安の表情を浮かべた。
寿々はたった1週間前にも新宿に来たばかりだったが、こんなにもすぐに再びここへ来るだなんて思ってもいなかった。
藍李からの希望もあって、アポの時刻は7時過ぎという事になり、本当ならば今教育担当をしている酒井も連れて来たかったのだがなんせ場所が場所だ。
オカルトラボは、新宿歌舞伎町のとりわけ治安の悪い区画のテナントビルの最上階にある。
所長の東海林藍李でさえ、昼間はいいけれど夜10時を超える頃には一気に治安が最悪になるのでそれまでにはラボの職員全員を残業させないで帰さないといけない。と言っていたくらいだ。
寿々はがりがり痩身かつ運動神経がほぼないという、屈強という言葉からかけ離れたタイプの男だ。その上女性である新人の酒井に万が一の事があったらちゃんと対応してやれる自信もないので、とりあえず今回は連れて来るのを諦め定時で帰らせる事にした。
その代りに呼んだのが仕事の相棒でもあり、プライベートでは恋人でもある秦史だ。
史は1時間前に授業を終え、W大のキャンパスを出た後新宿駅まで歩いて寿々を迎えに向かった。
「史!」
小田急西口改札前の柱を背に史は寿々を待っていた。
それまで表情筋一つ動く事無くスマホに目を向けていたはずなのに、寿々に一言名前を呼ばれただけでまるで冷たい人形に魂が宿ったようなほころび様だ。
「お疲れ様です」
史はいつもながら通り過ぎる多くの女性達から何度もチラ見されるのを、とにかくスマホを見続ける事で無視を決め込み、寿々が改札口から出て来るのをひたすら待っていたようだった。
少し離れた場所で今まさに声をかける準備をしていたであろう数名の女子グループが、寿々が現れた途端にあからさまに嫌そうな顔をしたのを寿々は見逃さなかった。
寿々は苦笑いをしながら、
『またいつものこれか・・・。残念だけどそこの銀髪ハーフの長身イケメンは、この地味でオーラも華も無い俺にしか興味がないんだぜ?・・って声に出して自慢してやりたい気分だな』
などと反射神経のような劣等感を、密やかな優越感で補っていた。
「悪いな待ったか?」
「大学からゆっくり歩いてきたんですけど、思っていた以上に早く着いてしまったので少しだけ」
そう言いながら史も実のところ、待ち合わせは6時半だったというのに6時には改札前に到着してしまっていた。
着いた時は近場のカフェで時間を潰そうかと考えたが、やはり寿々が来たら迎えてやりたいと思い結局30分近く待ってしまった。
一緒の部屋に住み、一緒の仕事場に通い。
日中史は大学に行くので行動は別々だが、帰りもほぼ一緒に帰宅している二人にとって、どこかで待ち合わせをするという恋人っぽい流れはなかなかない事だ。
特に意味もないそんな日常ですら、今の二人にはささやかな幸せを感じられるひと時であった。
寿々は史の後をつけて来そうな女の子達からまるでガードするように少しだけ後ろを歩き、地下連絡通路を足早に市役所通りを目指した。
寿々と史は身長差が20㎝あるのだが。体力は無くとも他人より少しだけ足の速い寿々と、なるべくその寿々に合わせてゆったりと歩くのが好きな史は、不思議と歩調がピッタリと合っている。
その様子は例え傍からは恋人同士には見られなかったとしても、相性が良い事だけは一見しただけでも分かるほどだった。
「それでさ、編集長にはちゃんと許可をもらって来たけれど、史も本当は今日中にやらないといけない事があっただろ?」
「確かに今日やろうと分けておいた作業が残っていますね。だからなるべく早めに戻って手を付けられるといいんですが・・。と言うより今日呼ばれたのってもしかしてこの前の?」
「ああ、この前言ってたあの心霊写真らしいんだけど」
寿々が所長の東海林藍李から聞いた話によると、先週ラボに行って確認した原因不明なデータが紛れ込んだ一枚の心霊写真。その中に写っていた謎の片目の男が今ちょっと問題になっているとの事だった。
「問題・・・ですか。でもそれってラボのサーバーを壊しかけたっていう事以外にも何かあるってことなんですよね?」
「うん、そうらしい。詳しい話は電話でもちょっとできないらしくて、来たら直接話すって東海林さんがね」
「めずらしいですね。あのオカルトを信じていない東海林所長が?」
現在月刊アガルタの最終ページを陣取っているのが、寿々と史の二人で企画して初めて通った『検証スマホ心霊写真』のコーナーだ。
初回は二人で色んな怪異体験をしながら実録的な検証をした記事を載せた事で、それなりの人気票を獲得し、その後うまいこと連載まで取り付けた企画だ。
今は投稿を中心に、場合によってはアガルタでネット関連の情報に詳しい篠田の力も借りながら、SNSでバズっているような心霊写真ネタを織り交ぜ多角的な検証を行っている。
そしてそのライターを担当しているのが、寿々が昼間打ち合わせをしてきた柴田だ。
また、柴田からの繋がりで今向かっているオカルトラボ、ここは超常現象を調査してデータ化する事によって現象を科学的な証明を行っている会社なのだが。そこと提携しながら、更に実証不可だった物についてはもしかしたら本物の心霊写真かもしれない、などと面白おかしく書く事でここ2回でだいぶ人気が上がってきていた。
そんな中、次回7月号に載せる予定の写真の中に奇妙な一枚が入り込んでいたのだ。
それは投稿されてきた写真だった。
東京タワーをバックに50代くらいの夫婦が楽しそうに記念写真を撮るその背後の茂みの中に、白髪で片方の目が白く濁った作業着姿の老人がしゃがみ込み、二人を睨みつけているという写真だ。
最初これは心霊写真ではなくたまたま写り込んでしまった人なのでは?と思われたのだが、投稿者は絶対に後ろに人はいなかったと断言するのだ。
寿々と史と柴田は、それならば検証をしようと、そう考え今回載せる4枚中の1枚としてその写真を選んだ。
二人がオカルトラボのビルに着いたのは7時10分前だった。
ちょうど寿々が呼び鈴を押すのと同時に、中から数名の職員が出て来るのと鉢合わせになり、
「すみません、いつもお世話になっております、月刊アガルタの三枝です。東海林所長は・・」
先に寿々が挨拶をしたところで一番最初に出て来た青い短髪の男が二人に気づき応対した。
「あー、どうも。こちらこそお世話になっております研究員の坂口です。今所長に声を掛けますのでどうぞ中に入っていてください」
その間他の職員は軽く会釈をするとラボの玄関から出て行ってしまった。
二人は坂口に言われた通りに中へと入りその場で待機した。
するとすぐに一番奥の所長室の扉から藍李が出て来た。
「いやはや今日の今日で本当にすまない!」
少し離れた場所から美しくウェーブした特徴的な黒髪を揺らしながら、白衣を纏った東海林藍李が急ぐように入口まで迎えに来てくれた。
「お疲れ様です東海林所長」
そう言うと寿々と史は軽く頭を下げる。
「史君まで一緒に来てくれるなんて助かるよ」
そう言われ、頭を上げた寿々と史は更に何の事やらと顔を見合わせた。
「じゃあ自分はこれで上がりますので。所長お先に失礼します」
青髪の坂口が3人に会釈をするとそのまま扉を開けて退社していった。
「・・・・じゃあ早速だけど、所長室の方までいいかい?」
藍李に促され二人はその後に続く。
中に入ると応接用のテーブルに見覚えのあるピンク髪の人物が座っていた。
「・・?えっと確か・・」
寿々がそう言うと、紺のブレザーとスラッと伸びる長い脚に似合う灰色のスラックスを着た高校生、東海林朱李が寿々へと近づいた。
「妹さんの朱李さん、でしたよね?」
そう言うと朱李は先週会った時とは違った様子で、難しそうな顔で眉をひそめたまま頭を下げた。
「わざわざ来てもらってありがとうございます。三枝さん・・」
寿々はその真剣かつ重々しい態度から更に何があったのかと疑問に感じた。
「え?どうしたって言うんですか?確かあの心霊写真の件で呼ばれたかと思うのですが・・・」
寿々も史もその時点では本当にたかだが心霊写真くらいでこんなにも深刻な雰囲気になるとは思っておらず、その後語られる話に更に驚かされるなどとは全く想像していなかったのだった。
4人は対面して座ると、藍李がタブレットでサイトを開き二人に差し出してきた。
「これを・・」
寿々と史は顔を合わせると寿々がタブレットを持ち、表示されたニュースサイトの記事を読んだ。
「・・・5月7日午前8時。国立T大学附属高等学校の校舎から3年の女子生徒が屋上から転落・・・。心肺停止の状態で近隣の総合病院へと緊急搬送されたが、その後死亡した。・・・・これってまさか朱李さんの?」
寿々も少しだけ険し表情になり、顔を上げるとそのまま朱李の方へと目をやった。
「はい。僕のクラスメイトです」
朱李はまだ少しだけ動揺しているようだったが、比較的冷静に返答した。
「そ・・うなんですね。クラスメイトの方が亡くなるなんて・・今はまだショックの方が大きいかと・・。しかし・・この転落事故が先日の写真と関係が?」
そう言うと朱李は再び苦々しい顔をしながら
「薄情かと思わるかもしれませんが。実は僕はクラスメイトの転落死についてそこまでショックを受けているわけではありません」
とはっきりと断りを入れた。
『え?・・・そういうもんなのか?』
寿々は自分がもし同じ立場だったら数日は落ち込んで立ち直れないだろう、と考えてしまったので朱李の返答に少しだけ驚いてしまった。
「実は問題は今日転落したクラスメイトだけじゃないんですよ」
そう言いながら朱李は一枚の紙を差し出した。
そこにはずらりとリストアップされた場所と人物を分ける性別・年齢・職業一覧。
そして時期でカウントされたグラフがまとめられていた。
「これは?」
その紙を見ながら寿々は朱李に質問をした。
「これは今年に入ってからの都内で起きた10代から20代の原因不明の飛び降り事故の件数です」
「今年?・・・え?3月4月ってこんなにも?」
そのグラフは3月と4月の部分が1月2月の3倍以上になっている。
「あくまでもこの数字はネットで確認できて公表されている都内で起きた件数だけです」
史もそのグラフの数字を見て異常な数になっているのを不審に感じていた。
「・・時期的なものもあるだろうけど、さすがにこんなにも増えるものなのか?」
朱李は一瞬だけ史を見たが、すぐに寿々に視線を戻し、
「それとこれを」
と言って今度はSNSをそのままスクショした画像が沢山写ったコピー用紙を差し出した。
寿々はそれを一枚一枚目を通す。
「・・・・・」
〘今日見た夢めちゃくちゃ怖かった~!知らない白髪頭の片目のお爺さんがニタニタ笑いながら手で4本指出していてキモすぎだし怖くて飛び起きちゃった〙
〘マジで嫌な夢見たわ・・・何だよあの白髪片目のジジイ・・・〙
〘ねぇねぇ最近皆噂になっている片目のジジイ知ってる?実はあたしの夢にも出てちゃった・・〙
など、10数人がSNSで同じことを言っている内容がまとめらていた。
「・・・白髪片目の・・・。そんなまさか」
寿々もようやくここで朱李が何を言いたいのかに気づいた。
「このSNSのアカウントは実際に名前が公表されて転落事故で死亡した人物と一致する人だけを集めたものです。・・・つまり一致はされていないものはもっとあります。ネット上で〘白髪、片目、老人〙と検索すると思っている以上の発信がヒットします」
寿々はその話を聞いて隣の史を見た。
大学に通う19歳ならば何か知ってるかと思ったからだ。
「史は知っていたか?」
「いえ、残念ながら学校ではそういう話を聞いた事はありません」
史は毎日女子生徒から付け回されるのを避ける為に、とにかく男女関係なく人と関わるのを避けてこの一ヵ月間を過ごしていたのも原因かもしれない。故にいまだに周りの学生とそこまで馴染めずに学生同士の情報にはだいぶ疎かった。
寿々はすぐに自分のスマホを取り出し言われた通りのワードを検索してみた。
すると朱李が言っていたとおり、色々なSNSでそれに関連するような発信が沢山出て来た。
「・・・本当だ」
朱李はそこで改めて語り始めた。
「実は今日転落したクラスメイトのアカウントでも連休中に同じような事を呟いていたんです。〘どうしよう。今噂のアイツが私の夢にも現れた。怖い〙と」
寿々はそれを聞いて一気に寒気を感じた。
何となくあの心霊写真の男が少しずつ自分にも近づいてきているような、そんな錯覚を覚えたからだ。
「まるで都市伝説の This Manみたいな話ですね・・」
隣で何かを考えるようにしてSNS画像の資料を見ていた史がふと呟いた。
「This Man?」
寿々は何となく聞いた事があるワードであったが、どんな内容だったのか思出せずに史に聞き返した。
「はい。都市伝説のThis Manは、2006年にニューヨークの精神科医が患者の女性から、夢で頻繁に同じ男を見る悪夢に悩まされているという訴えから始まり、精神科医が似顔絵を作成したところ、全く関係ない他の患者もその男に見覚えがあると話した事から発展してゆき、更に似顔絵を知り合いの精神科医にも送ったところ、その患者達も同じ男を夢で見た事があるという事実が発覚したという話です。これは最終的には世界中で2000人以上もの人がその似顔絵の男と同じ人物を夢で見たことがあるという訴えがあったそうなんです」
そう言いながら史はスマホで都市伝説の This Manの似顔絵と言われている画像を検索すると机の上に置いた。
「ああ、この顔なら俺もネットで見た事ある!」
普段から都市伝説に疎い寿々でも何とかその話は目にした事があったようだ。
「 This Manならば結局企業のフェイク広告の一環だった、とThis Man.orgのドメインを所持する企業の共同経営者の一人が認めて全てが終わっている。第一都市伝説のThis Manはただ夢に出てくるだけで命まで奪ったりはしないからね・・」
一取り話を聞いていた所長の藍李が眉を寄せながら史の話に続けた。
寿々もそれを聞いて、どうすればそんなに不特定多数の人間を転落死なんてさせられるのだろうか。と考えながらも原因が想像の範囲を超えている為全く思いつきもしなかった。
「で・・ここからが本題なんだけど」
そう言って朱李が両手を組み前屈みになって肘を足の上に置くと、グイっと二人に顔を近づけた。
「?」
「?」
「・・実は僕も昨晩、この男の夢を見てしまったんだ・・」
「え!?」
「!!」
テーブルの上に置かれたタブレットをスライドして出てきたのは、寿々と史が依頼した50代夫婦が夜の東京タワーをバックに撮ったあの心霊写真だ。
朱李はその背後に写ったその片目の男を拡大して二人に見せた。
【新規File No.124】
202X年4月頃から都内の10代から20代の若者の間でとある奇妙な噂が囁かれ始める。
それは夢の中でとある男を見ると転落死する、という内容の噂話だ。
その夢の中に出て来る男というのは、小柄な中肉中性の五,六十代で、髪の毛は白髪交じりのボサボサとした長髪。そして格好は汚れたグレーの作業着姿。
特徴的なのはその男の右目が白く濁り見えていないと思われる事だ。
男は若者達の夢に出て来ると恐ろしい光景を見せ、最後には指で死までのカウントダウンを行うと言う。
不思議なのはこの夢を見た若者達は、夢から覚めた後もその男の顔を鮮明に覚えており、知人やSNSでその様子を語っている証言が多く見られる。
そして何よりも不可思議なのはその夢の中の指示したカウントダウンの通り、その夢を見たと思しき若者達は皆その後、奇妙な転落事故死をしているという事だ。
4月中だけでもこれに該当する事例が97件起きている。
また都内の若者の転落死の統計を確認したところ、昨年の11月から緩やかに増加し今年1月以降は急激な変動が見られた。実際はこの97件以外にも酷似した現象に合った後に亡くなっている事案も多くあると推測される。
現在ネットではこれを〖令和のThis Man〗と称し、巷の若者の中でにわかに騒ぎ立てるような兆候が見られる。
この事態がこのまま続けばこの事件に便乗した犯罪がこれからどんどんと増えていく可能性も大いにあり得るだろう。




