三 :『DOES』
アスファルトを刺す八月の陽光は、熾烈さをきわめていた。
僕と少女――もとい純白の蠟人形は、今まさに炎天下の坂道を連れ立って登っている。店を出てから会話はなかった。ひとえに、口を開くにも億劫な暑さのせいだろう。
「僕はいったい何をしているんだ」という疑問がおもむろに浮かんで、たしかな形を結ぶまえに霧散する。そんなことを繰り返しながらも、足だけは前に進みつづけていた。
足音と、蝉の声が無秩序に混じっている。
ふいに、後ろを歩く少女が沈黙を破った。
「あの……あなたは、マツリドコロシキの友人、なんですよね?それなら、どうして止めないのでしょうか」
水溜りに飛び込む雫のような声に、僕は首だけで振り返った。
少女の息遣いには、早くも疲れの色が滲んでいる。
「わたしが彼を殺すのを、どうして止めないのでしょうか」
「殺す」――そう彼女が口にしたとき、すれ違った通行人がやにわに振り向くのを目にした。
日傘で表情は見えなくとも、驚いた様子で足早に去ってゆく。
僕はすぐに咎めるような視線を少女に投げかけたが、本人はどうも理解していないようだった。きょとんとした振れ幅のない表情に、毒気を抜かれそうになる。
僕の詭弁の粗を見抜いたわけでもなく、ただ胸に閉まっていた疑問をこのタイミングで口にしただけのように見えた。
「……友人じゃなくて、知人ですよ」
訂正に意味はないが、どうも言わずにはいられなかった。
そんな呟きを塗りつぶすように、すぐに言葉を継ぎ足す。
「まあ、なんというか……無関心ですよ。無関係じゃなく、無関心」
「……」
「たしかに、僕の急用というのは敷に会う必要があります。ただ、それはあの人に言われたからであって、あなたの殺人とは関わりない」
庇のように乗り出した木の下を通り抜ける。蝉噪に呑まれかけて、瞬間的に声を張った。
「あなたに付いてくるよう強制することもないし、付いてきたからといって口を出すこともしない。祀処敷を見つけて……としても、何も言わないし庇わない。そういう無関心ですよ」
投げやりな回答も、きっと暑さのせいだ。自分で考えるかわりに、ある人の言いぐさを拝借させてもらった。もちろん、僕に対しての言いぐさである。
僕の台詞が終わってもなお、少女は黙っていた。納得した――ということなのだろう。なんだか、答えの内容に関わらず、「空白」を埋めてくれるのならそれでいいという感じがする。
「それらしさ」が重要というか……やはり、僕たちの見ている「人殺し」は、似ているようでまるで違うのかもしれない。
額の汗を拭う。不快な感触が手に移っただけで、ほとんど意味はなかった。
あらためて見ると、少女の額にも薄く汗が滲んでいる。この灼熱のもとでは当然と思いつつ、「彼女も生きているのだ」という実感が、僕にはどうも奇妙だった。
――人形のような、少女。
「あぁ、そういえば。名前、まだ聞いてませんでしたね」
何気なく言う。言いながら、さてどう騙るべきかと考えていた。それならまず目星をつけてから切り出せという話はもっともだ。ただ、もう沈黙はお腹いっぱいだという思いが逸ってしまった。
「……こういうのは、先に名乗るのが礼儀ですかね。
僕はカタル――座名カタルといいます」
歩きながら、少女は僕の顔を見つめる。疑っているような眼差しではなかった。
足音は続く。変わることもなく。「次はあなたの番ですよ」と、僕は目で促した。
「あ――わたしは、ツムギ……はい、ツムギです」
「ツムギ……」
嘘を吐いている。すぐにそう感じたし、おそらくそれは正しい。
前もって覚えておいた、台本の台詞を諳んじるような――と言えばいいのだろうか。
もっとも、口に出して糾弾するようなことはしない。自分も偽名を弄しておいて、いったい何を言えようか。
「その、苗字……座名というのは、あのお店の名前にあったのと同じでしょうか?たしか――」
「座名堂、ですね」
自分で名乗っておきながら、この苗字を冠するというのは複雑な気分だった。
「ちなみにアレ、ザナドゥって読むそうですよ」
「桃源郷」――座名さんが自分で付けた名だそうだ。当然というべきか由来を知らなかったので、はじめて聞かされたときは反応に困った記憶がある。
「どんな意味なんですか?」
「さあ……たしか『楽園』みたいな感じだったと思いますよ」
「……よくわかりません」
「同感ですね」
と、会話は幕を下ろすものと思ったが、どうやら少女はまだ舞台に残るつもりらしかった。
「そういえば、座名という名前は交番でも聞きました。座名堂へ行く前に」
「――交番?」
その単語に、僕の眉はぴくりと反応した。別に後ろめたいことがあるわけでもなく、ただ思いがけない言葉だったからだ。歩幅がわずかに乱れる。
「人探しには、交番で聞くのがいいと思ったので」
……こういって許されるのかはわからないが、なんとも時代錯誤だと思った。殊にここが都内だというのも、その印象に拍車をかけているのだろう。
ああ、とはいえ、仮にインターネットで調べたところで僕の所在などわからないか。
いや……それを言うならば、交番で聞いたところで普通はわからないはずなのだが。
それに、警察官ならわかったとしても言わないはずなのだが。
「交番で聞いて、それでぼ……敷の居場所がわかったんですか?」
「はい。初めは困った顔をされたのですが、マツリドコロシキという名前を出したところ、
『それならザナさんのところで働いているよ』と」
「はあ」
公務員の殺人幇助……笑えない諧謔だが、あながち間違ってもいないだろう。件の不気味な殺人事件に代わって、明日の一面を飾るかもしれない。
そもそも、僕はおそらく、その交番の警察官を知らない。普通に考えれば向こうも同じく面識はないはずなのだが……ともすれば、これも座名巴弦の影響力の証左なのかもしれない。あるいは単に、僕の知らないところで勝手に話のタネにされているだけかもしれないけれど。
「ああ、そうだ、ツムギ……さん。もしよかったら、苗字を聞いてもいいですか?」
「…………」
沈黙。ごく自然に切り替えたつもりの流れは、きわめて不自然な形で断ち切られてしまった。にべもないというか、黙秘一つとっても「コミュニケーション力」とやらはこうも如実にあらわれるものなのだろうか。
「いえ、その……無理にでも聞き出そうという気概はないので」
停滞を早くに脱するつもりのそんな台詞は、沈黙の中から、なにか一言には伏しがたい深遠さを感じ取ったからかもしれない。
「…………」
「……もし敷を殺すなら、手足を砕いて埋めるといいと思いますよ」
「?」
「いえ……なんでも」
呟いてから、自分の意地の悪さに嫌気が差した。あるいは――幼稚さに。
――――――――
会話はぱたりと途切れ、そこからは二人とも無言で歩を進めた。暑さに曳かれた足取りの重さからか、いまだ目的地の姿は見えてこない。
横断歩道、切り替わった信号に行く手を阻まれたところで、携帯電話の地図アプリを確認しようとした矢先――それは、僕の手の中で暴れだした。
バイブレーション。なんだかデジャヴュだ、それもずいぶんと記憶に新しい。
画面に躍り出た名前も同じ。唯一異なっているのは、着信したのがメールでなく電話だということだった。受話器のマークをスライドして応じる。
『やあ、少年』
僕の耳に触れたのは、よく慣れた声色だった。ただ、それとわかるだけで、はっきりとは聞こえない。何やら正体の掴めない轟音と、風を切るような音が端末の向こうで響いているせいだった。
「あの、すいません、よく聞こえなくて……」
『おっと、ごめんごめん』
ガサガサという雑音に、重量を感じさせる摩擦音を経て、いくらか明瞭な聞こえになった。それでも、鼓動のようなものはすぐ近くで鳴っている。
『よし……キミ、いま外にいるだろう?』
「ええ」
『横断歩道かな』
「……ええ」
顔を上げると、信号はいまだ赤を示していた。当然、横断可能を知らせる装置はいかなる音も上げていない。
『それじゃ、うん、あと五六分ってところだったのか。それは少し申し訳ないかな』
「はい?何がですか?」
大型のトラックが目の前を通りすぎる。自動車がすぐあとに続いた。
『五』
「――え?」
僕の上げた頓狂な声に反応してか、視界の淵でツムギが動くのが見えた。控えめにそちらへ手を差し出しつつ、言葉を返す。
「なんですか、まるで――」
『四』
――カウントダウンみたいな。そう言おうとした言葉も半ばに、告げられる数字が一つ減る。
『三』
「だから――」
『二』
「いったい――」
『一』
零――れ落ちた息を切り裂くように、矢のような高音が劈いた。
「サイレン……!」
そう認識した瞬間、赤眼にモノトーンの獣が眼前を駆け抜ける。
対岸の信号は、もはや青色へ変わっていた。
『そのパトカーの後を追うんだ、私もそこで落ち合うから』
「座名さん――」
僕の声をかき消すように、鳴りを潜めていた鼓動がひときわ盛り上がったと思えば、通信はそのまま爆音の中へと消え去ってしまう。
それが彼女の駆るバイクの音だと、僕はようやく気が付いた。
読んでいただきありがとうございます。
以下はあとがきとなります。
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・サブタイトルについて…
ジョン・ドゥ (John Doe) は、不明な人物の仮名として使われる名前です。
身元不明の遺体や、その他匿名の人物を指して公的に使うこともあります。
対象が女性の場合には、ジェーン・ドゥ (Jane Doe) という形になりますね。
『DOES』というタイトルは、そんな「名無し」に由来しています。
それが示すのは、敷か、ツムギか、はたまた…




