【閑話】潜む者たち
ここは王都の大通りから少し離れた場所にある、そこそこ賑わう居酒屋。
外見はどこにでもある普通の店だが、常連の間では
「落ち着いて話ができる場所」
として知られている。
その奥の席に、学園で教鞭をとる男――エナウスが座っていた。
彼はこの店の常連であり、普段は窓際で一人酒と軽食を楽しみ、静かに帰っていく。
「おー、エナウス、久しぶりだな。元気だったか?」
声をかけてきたのは、商人風の男ダットだった。
「おお、ダットか! お前こそ、商売は順調か?」
「まあ、いつも通りだな。……どうだ、奥で飲みなおさないか?」
「いいな。たまにはゆっくり話すか」
二人は顔なじみらしく、店主に別料金を払って奥の個室へと入っていった。扉を閉めた途端、ダットの表情が一変する。
「……作戦は、失敗だったようだな」
エナウスは短く息を吐き、低い声で答える。
「あの女が余計な事をしまして……目的の相手ではない王子に近づきました」
――この二人は他国から送り込まれた間者。
エナウスは王都の学園に潜り込み、そこで第一王子・ヴェルトラムと特定の女生徒を引き合わせる工作を行っていたのだ。
本来の目的は、女を王子の側室に据えること。そうなれば自国の息がかかった者を従者や侍女として王宮に送り込み、カシェリアス王国の中枢にまで食い込むことが出来る。
「役に立たんな……」
ダットが苦い顔で言う。
「ええ。あの女は、弱い魅了の力を持っていた。だから利用できると踏んだのですが……」
数年前、仲間の一人がとある歓楽街の一画で容姿端麗な若い娘を見つけた。
その娘はーーミーシャは弱いながらも魅了の力を持っていた。
「あの女を唆し、王子篭絡の計画に引き込んだ。わざわざドレイバーン男爵の養女にまでして、男爵令嬢として送り込んだというのにか」
エナウスは苦々しく吐き捨てた。
彼は学園内で偶然を装い、第一王子とミーシャが2人きりになる機会を何度も作った。
「ですが第一王子は慎重でした。ミーシャに必要以上に近寄らなかった……」
ダットが眉をひそめる。
「……それで?」
「篭絡予定ではない第二王子がミーシャに興味をもちました」
「……その上、女は王子一人では満足しませんでした。」
事態はそこから悪化していった。
女は身分ある者を自分の意のままに出来た事で調子に乗り、複数の高位貴族の子息、商家の跡取りなどへも手を伸ばし始めたのだ。
ある程度の教育を受けているとはいえ、思春期の若者である。
魅了の力に加え、女の笑顔と甘えた態度、手練手管にたやすく落ちてしまった。
結果――第二王子を含む複数の高位貴族の子息たちが女に夢中となり、婚約者への不満を公言する者まで現れた。
学園内は騒然とし、王家の面子も揺らぎかねない状況となった。
「第一王子だけを目標にしていれば良かったものを、近くにいた第二王子にまで手を伸ばしたため、第一王子からは一層警戒され近寄れなくなり……
それに第二王子が愚かすぎたのも計算外でした。
あっさり引っかかった挙句、ミーシャを正妃に添えようとするとは……」
エナウスは机を指で叩き、悔しげに言う。
「……それで、どうなった?」
「王や子息の親たちは、息子たちを女から引き離そうとしました。だが、恋に盲目となった子息たちは抵抗し、状況は悪化した。最終的に、神殿が動きました。」
神殿は彼女の魅了の力を把握すると、その力に封印を施し、修道院での生活を命じた。
彼女に群がっていた子息たちは、再教育を受けることとなった。
「……完全に失敗だな」
ダットが肩をすくめる。
「次は、もっと制御できる者を選ばねば」
エナウスの声は低くつぶやいた。