目覚める力と動き出す闇
◇◇ 美春 ◇◇
こちらに帰って来てから二か月経った。
季節も変わり、最初の頃に感じていた現実感のなさも、少しずつ薄れてきたはずだった。
おばあちゃんの家で過ごす日々は穏やかで、異世界の出来事がまるで、長い夢の出来事の様にさえ思えてきた。
そんなある日。
美春は買い物に出かけようと、玄関を出た瞬間に足を止めた。
ーーなに、これ……?
これまで感じたことのない奇妙な感覚がまとわりつく。
家の敷地内にいるときは、まるで厚い殻に守られているかのように安心できる。
だけど、一歩外に出ると、その殻を剥ぎ取られるような無防備さに襲われるのだ。
背中がヒヤッとする様な感覚が走る。
目に見える風景は同じなのに、世界が急に広く、冷たく感じられた。
「 なに……? いまの…… 」
( おばあちゃんの家って、落ち着く場所だと思ってたけど…… 今までこんな風に感じたことなかった )
家の中に戻ると、ふっと肩の力が抜ける。
守られているーーそう理解できるほどに感覚ははっきりしている。
それだけではない。
昔から 「 なんだか嫌だな 」 と思う場所はあった。
夜道の曲がり角。
古い空き地。
人気のない公園の隅。
雑木林の奥。
理由は分からないのに、近づきたくない場所。
今はそれがもっと鮮明に分かるようになっていた。
嫌悪感だけじゃない。
ときおり薄い靄のようなものが漂って見えることすらある。
気のせいだと思おうとすれば、消える。
でも 「 意識して見る 」 と、確かにそこに靄が見える。
「 ……原因は、あの世界に行ったこと、だよね 」
そうとしか思えない。
女神の存在し、魔法があり、神力なんてものが当たり前に存在する世界。
そんな世界に関わってしまったのだから、この世界でも不思議が起きてもおかしくない。
この感覚は、日が経つごとに強まっている気がする。
「 最初は気のせいだと思ったけど…… 」
でも今は分かる。
気のせいじゃない。
( この世界にも神様はいるんだよね )
神社もあるし、日本だけじゃなく世界中にいろんな神様が祀られてる。
だけど……
( 異世界の女神さまにいきなり会うって、順番すっ飛ばしすぎじゃない? )
思わず苦笑いしてしまった。
普通は信仰とか、祈りとか、もっと段階があったり儀式が必要だったりするもんじゃないのかな。
( あ、そうだ )
買い物の帰り道、美春はふと思い立ち、いつもと違う道へ足を向けた。
そこには幼い頃によく遊んだ公園と小さな祠がある。
ほとんど人も訪れず、ひっそりと人影もない場所。
おばあちゃんが時々、手作りのみたらし団子やおはぎをもって行っていた。
「 神様もきっと甘いものが好きだと思うのよ 」
と言いながら公園の中にある祠の神様にお供えしていた。
そこでよく一緒に遊んだ子がいた。
” あきちゃん ”
「 そういえば、あきちゃんの家ってどこなんだろ 」
考えた事も無かった。
もしかしたら近くに住んでたのかもしれない。
でもあの公園以外では会った事がなかった。
なつかしい公園の入り口前に立ち、中に入ろうとした、そのとき
” パチンッ ”
「 え? 」
美春は息を呑んだ。
軽く弾かれたのだ。
そして……
「 これは、なに……? 」
公園全体が、薄い光のベールに包まれていたのだ。
ハッキリとした輪郭があるわけではないのに、それでも確かに覆っているとわかる。
目を凝らして深呼吸をし、もう一度見るとーー何もなかったかのように消えていた。
いつもの小さな公園は、ひっそりと静まり返っている。
「 気のせい……、 だよね……? 」
でも、入ろうとしたら弾かれた。
それは間違いない。
もう一回、そっと手を伸ばすと、
” パチッ ”
やはり軽く弾かれる。
美春は少し怖くなり、足早にその場を離れた。
急いで家に戻り、敷地に入ろうとした瞬間、気が付いた。
おばあちゃんの家そのものが、同じ様な光のベールに覆われていたことに。
「 この家、なに? 」
家にいると安心できる理由はこれ……?
「これ、いったいなんなの……?」
美春の中で、静かに目覚め始めたもの。
それは 「 神力 」 と呼ばれるものだった。
それは結界や穢れ、そして魔までも感じ取り、時に 「 見える 」 ようになっていた。
だが美春自身はまだ、それが何であるかを知らないーー
知らないままに、美春の中に眠る異世界の ” 古き一族 ” の力が目覚め始めていた。
◇◇ クレイアス ◇◇
「 閣下、報告です 」
執務室に控えていた部下が頭を下げた。
クレイアスは書類から視線を上げ、短く頷く。
「 人の行方不明に関する調査報告でございます 」
「 聞こう 」
辺境伯領内では、幸いにも大掛かりな失踪事件は起きてはいない。
それでも、最近になって耳に入ってくる断片的な報告は、どうにも胸騒ぎを覚えさせるものだった。
「 王都より東部にかけて、人の失踪が集中しております。 いずれも共通していることは、前日には確かに存在が確認されていたのに、翌朝には忽然と姿を消しているという点です 」
「 ……部屋から出ていった形跡は? 」
「 ございません。 施錠もされたままの例が多く、窓や裏口からでた様子も確認されておりません 」
報告を聞きながら、クレイアスの眉が深く寄せられていく。
「 さらに奇妙なことに、部屋には人が生活していた痕跡がそのまま残っております。
食事の途中、脱ぎ捨てられた上着など。
争った形跡もなく、血痕もなく、まるでーー 」
部下は一瞬言葉を切るも、話をつづけた
「 ーーまるで、存在そのものが突然消失したかのようです 」
クレイアスは低く唸った。
「 以前、フェルガント公爵殿が言っていた内容と一致するな。 魔獣の仕業とも思えぬ……
人が痕跡ひとつ残さず消えるなど、常ならぬことだ 」
さらに調査を進めていた公爵家からの調査も再度寄せられている。
「 近隣住民への聞き取りによれば、不審な物音や悲鳴も聞かれていないそうです。 また、失踪が起きる時期はーー 」
「 闇夜の前後、だろう 」
クレイアスが言うと、部下は頷いた。
「 はい。当初からその傾向がみられます。
魔の活性化が、何らかの影響を及ぼしている可能性は否定できません 」
彼は指で机を軽く叩きながら呟いた。
「 ……説明がつかんな。 魔の囁きだけで済む話ではない。
ここまで痕跡が残らぬのは異常だ 」
部下はさらに口を開いた。
「 加えて、魔獣の動きが活発化しております。 北の森や山岳地帯でも異常が報告されております 」
「 魔獣も、か…… 」
魔獣が山で増えれば、やがて麓に降りてくる。
人里への被害が出るのは時間の問題だ。
失踪事件と魔獣の活性化。
直接の因果関係は不明だが、同時期に起きている以上、偶然と片付けるわけにはいかない。
椅子に深く身を預け、クレイアスは深く思案する。
カシェリアスとダルカニアの間には高い山脈。
そしてダルカニアと国境を接するのは、他ならぬヴァンドル領――彼自身の領地だ。
「 我らは常に北、ダルカニアばかりに目を向けてきた。
奴らはたしかに敵国、戦を仕掛けてもきた。
しかし…… 」
独り言のように呟きが漏れる。
「 本当に、敵はダルカニアだけなのか? 」
心の奥底に、妙な不安が渦巻いていた。
「 もし……他国の工作だとしたら?
我らが北ばかりを見ている隙に、足元を掬われることもあり得る 」
確たる証拠はない。
だが、長年戦場と政の場に身を置いてきた直感が、警鐘を鳴らしていた。
報告を聞き終え、部下を下がらせると、執務室には静寂が戻った。
一息ついたクレイアスはそっと机の引き出しを開ける。 そこに収められた “ 赤い布 ” を両手に取り上げた。
「 ……女神よ 」
祈るように瞳を閉じる。
「 どうか、この国を、我が領を、そしてーー 」
目を閉じれば浮かぶ一人の女性の顔。
「 ……そして、愛しき彼女をお守りください 」
祈りは静かに、だが切実に捧げられた。
敬愛する女神へ。
そしてーー彼の心を占めて離さぬ女性へ。




