受け継がれる啓示
クレイアスは王都にある自らのタウンハウスにいた。
高位貴族である彼には王都にも邸宅があり、通常であれば滞在の拠点として使っている。
だが、ミハルが神殿にいる間は、彼女の傍を離れず神殿に泊まり込んでいた。
ーーだが、今は違う。
領主である以上、放り出しておくわけにはいかない仕事がある。王都で処理できる政務だけでも片付けようと、久しぶりに執務室へ籠ったものの……
机の上は、白いままだった。
筆をとる気力が、どうしても湧かなかった。
ーー 守れなかったという後悔。
ーー 恐ろしい思いをさせてしまったことへの悔恨。
ーー そして、いなくなってしまったという絶望。
心の奥で、さまざまな感情が絡み合い、重く沈殿している。
この感情を自分でも、どう扱えばいいのか分からなかった。
クレイアスは、ふと懐に手を入れた。
取り出したのは、赤い布。
あの時……
彼女が襲われた瞬間。
この布は、はっきりと熱を帯び、彼女の危機を伝えてきた。
だが今は、ただの美しく、肌触りの良い小さな布切れだ。
ぬくもりも、鼓動も、なにも伝えてはこない。
あのあたたかく柔らかい手。
驚いた時にみせるあどけない表情。
耳に残る、愛らしい声。
( すべて…… 失ってしまった )
女性に、ここまで心を奪われたのは初めてだった。
ただ見ているだけでも満たされる
もっと触れたいと自然に思える。
そんな感情を知ったばかりだったというのに。
( もう二度と…… 会えないのだろうか…… )
そう考えた瞬間、胸が締め付けられ息が詰まりそうになる。
その時。
「 閣下、大神官様がお呼びだそうですよ 」
軽い調子の声が、部屋に響く。
乳兄弟であり、側近でもあるノアリスだ。
領地への行きかえりにも常に同行し、あの赤い布が現れた経緯も知っている。
神殿での滞在もともにしていたため、ミハルの存在もーーそして、主が彼女に心を奪われたことも、すべて承知していた。
「 ……なんだ……? 」
クレイアスは低い声で応じる。
「 さあ? 詳しいことは存じません。 ただ、大神官様直々のお呼びですよ。 どうせ、このまま布を眺めているだけなら、出かけた方が体にも精神にもよろしいかと 」
「 ……今は無理だ。 忙しい 」
「 ほう 」
ノアリスは机に目をやり、肩をすくめた。
「 机の上は空っぽですし、閣下の手にあるのは帳簿ではなくその赤い布の様ですが? 」
「 ……貴様、言いたい放題だな 」
「 事実しかいておりませんよ? 」
にやり、と維持の悪い笑みを浮かべる。
「 ほら意地を張らずに準備してください。 大神官様のお呼びなんですから、さっさと行きましょう 」
ノアリスはそう言うと、外出の支度を整えて戻ってきた。
「 もう、門前に馬車を用意しております。 逃げ場はありませんよ、閣下 」
「 ……勝手なやつだ 」
憮然としながらも、結局クレイアスは外套を羽織り、馬車へと向かった。
その背中を見送りながら、ノアリスは小さく息を吐く。
――布に縋るよりも、外に出た方がよほど救われるはずだ。そう信じて。
* * *
神殿に着くと、クレイアスは大神官の私室へと通された。
「 では、自分は外で待機しております 」
ノアリスはいつものように扉の外に控える。
「 ……大叔父上、クレイアスです 」
声をかけると、「入れ」と短く答えが返ってきた。
中に入ると、王と第一王子ヴェルトラムが大叔父の対面に座っていた。
「 クレイアスよ、ここに座れ 」
アルセルドは静かに促す。
クレイアスが腰を下ろすと、重い沈黙ののち、アルセルドは口を開いた。
「 では、陛下、第一王子ヴェルトラムに聖姫エリエゼルの真実を伝えることとしようかの 」
王は眉をひそめ、思わず声を上げた。
「 ……! お待ちください、大神官殿! ここにはクレイアスもおります…! 」
その一瞬、王の頭に疑念がよぎった。歴史を知る者として、真実を聞かせる理由が何か特別な意図ではないかと、無意識に考えてしまったのだ。アルセルドは微動だにせず、冷静に答える。
「 問題ない。クレイアスはすでに知っておる 」
王は一瞬、目を見開き、息を呑む。
「 それは…… 」
アルセルドは鋭く、しかし落ち着いた口調で続けた。
「 勘違いするなよ? クレイアスを王座に就かせるために伝えたわけではない。
クレイアスは女神の加護を持つ。 その関係で知っておかねばならなかっただけだ 」
クレイアスは小さくうなずき、静かに答える。
「 はい、すでに承知しております」
「 ミハルさまは、わしの私室に降臨されたと言ったのを覚えておるか? 」
「 はい…… 」
「 しかし、正確には、わしの私室にいた “ クレイアスの元に ” 降臨されたのだ」
「 愛し子様は、クレイアスの元に降臨されたと…… 」
王は目を見開き、わずつぶやく。
「 ミハル様が降臨される数か月前より、クレイアスの元に啓示があった。
それが、聖姫エリエゼルと無関係ではないと判断した。聖姫の縁者である愛し子と関わっている以上、真実を知っておく必要がある 」
ヴェルトラムは真っすぐにアルセルドを見て、拳を軽く握りしめた。
「 ……私もその真実を知るべきということですね 」
「 その通りだ。 今日そなたを呼んだのは、 正式なこの国の世継ぎとして、知るべき事柄だと判断した 」
ーー 聖姫エリエゼルの真実。
それは歴史で語られるものとは全く異なる内容だった。」
大神官アルセルドの語る真実を、ヴェルトラムは黙したまま最後まで耳を傾けた。
「 ……大神官様 」
やがて。静かに問いかける。
「 もしミハル様が戻られなかった場合……
この国に、再び神罰が下ることもあり得るのですか? 」
「 分からぬ 」
アルセルドは厳しい表情で答えた。
「 しかし、可能性は否定できぬだろう 。
ただし前回と違うのは、 ” 一部の愚か者を除き ” 、人々が愛し子様に不遜な態度を取ることはなかったという点だ。
……だが結局、守り切れなかった。 それは同じだがな」
ヴェルトラムの瞳がわずかに揺れる。
「 ……クレイアスが女神様からの加護を受けている事は知っておろう? 」
ヴェルトラムは無言で頷いた。
従弟のクレイアスは生まれてすぐに何らかの加護を与えられているというのは国にも報告されている事だったからだ。
「 その導きのもと、これがその前兆として舞い降り、クレイアスの命を刺客から守った。 」
そう語ると、アルセルドは精緻な装飾が施された箱を開いた。
そこに納められていたのは、光を透かすように白く繊細な布ーー
” 白き祝福の布 ”
「 そしてミハル様は ” 聖姫エリエゼルの私物 ” を手にして現れた。
それ故、両者は無関係ではないと判断した。 」
アルセルドは息をついて話を続けた
「 聖姫エリエゼルが女神の導きを受けた際、この世には彼女の持ち物は一つも残されなかった。 女神は愛し子を虐げた者どもに、痕跡すら与えなかったのだ。
またエリエゼルの時、神託は大陸全体に響いた。
だが…… 今回は違う。
ミハル様が消えてもこの布が残された。神託も城の中の一部の者たちだけに下された。 」
「 つまり、我らの行いが今、試されているのだ 」
これからの行動次第で、再び祝福を賜るか。
……あるいは神罰を受けるのか。
答えは、これからの行動にゆだねられていた。




