陰謀とお守り
(遅いな……)
クレイアスは、化粧室から戻らぬ美春を気にかけていた。
だが、女性の身支度に口を挟むことなどできない。
焦燥を胸の奥に押し込みながら、王や貴族たちとの歓談に応じていた。
その時だった。
「……!?」
全身を貫くような、得体の知れぬ不吉な感覚。
胸元の赤い布が焼けつくように熱を帯び、警鐘を打ち鳴らす。
(ミハルに何か……!? 手遅れになる前に行かねば! )
「陛下、大神官殿。 愛し子様が戻られません。 迷っておられるやもしれぬ。 迎えに参ります」
そう言って立ち上がろうとした刹那、一人の側仕えが人目を避けるように大神官へ近寄り、低く告げた。
「愛し子様と侍女が戻られません。 別の者が後を追いましたが…… 侍女の一人が廊下の陰で気を失って倒れておりました。 愛し子様のお姿は…… 」
その報告に、クレイアスと大神官の顔色が一瞬で変わる。
美春には常に護衛を付けていたが、王宮内では王家への不信と受け取られることもある。
神殿の立場として王家から不信と思われようが関係は無いが、わざわざ波を立てる事もない。
今日だけは、彼女が最も心を許す侍女ふたりを傍に置いただけだった。
二人とも護身術の心得があり、また王城内で武力が必要になるような事態はまず起きない。
忠誠心の強い侍女二人だけで十分なはずだった。
……本来ならば
「……なんということだ……!」
アルセルドが椅子を弾くように立ち上がる。
その目は血走り、声は地を這うごとき低さで王を射抜いた。
「陛下。 愛し子様に、何をなされた……?」
「 な、何を言うのだ叔父上。 ミハル様は化粧直しにーー 」
「 ミハル様の侍女には護身の心得がある者を付けていた。それが抵抗も出来ぬまま倒れていた……。 そんな真似ができるのは、腕に覚えのある者だろう。 王宮でそのような暴挙に出る事が出来るのは王族、あるいはそれに準ずる者の命を受けたもの以外におらぬ! 」
大神官の怒声に、場の空気が張り詰める。
( ぬかった! 王妃が第二王子と共に席を立った時点で警戒を強めるべきだった。 まさか王宮で堂々と仕掛けて来るとは……! )
その時、耳に直接声が響いてきた
〖 …ここから出してよ! 〗
〖 こっちに来ないで! 誰か…! 〗
〖 無駄ですよ。人払いをしてますから、って言っても分からないのでしたね 〗
〖 母上は一晩一緒にいれば何もなくとも娶れると言っておられたが、いっそ、フリじゃなく実際に関係を持ってしまえば確実かな?
よく見ると可愛い顔をしているじゃないか。どうせ私の妻になるのだから、早いか遅いかだけだ 〗
〖 …! 来ないでってば! 〗
〖 ああ、ほら愛し子様の為に用意された髪飾りを投げるなんていけない方だ。 もっとしとやかな方が好みだが……これから私好みに躾てやろう。
時間はあるんだ楽しませてくれよ? その清廉な服をはぎ取ったらどんな鳴き声を聞かせてくれるのか楽しみだな 〗
あざ笑う様な第二王子の声と、必死に助けを求める美春の声。
その声は別の場所での事なのに、歓談の場にいた者たちの耳へと直接響き渡る。
美春はこちらの言葉は分からないはずなのだが、響いた ” 声 ” は不思議な事にこちらの言葉に変わっていた。
「 っ……ミハル! 」
クレイアスの顔が蒼白に変わる。 無意識に剣の柄へ手を伸ばした。
「 馬鹿な、宮中でこのような真似を! なんという愚か者……! 」
王は椅子のひじ掛けを握りしめ、怒りに声を震わせる。
第一王子は歯を食いしばり、吐き捨てる様に呟いた。
「 ……あの、馬鹿者が……! 」
張り詰めた空気の中、扉を蹴破りクレイアスは走り出していた。
◇◇
「 ……ここから出してよ……! 」
自分でもびっくりするくらい低い声が出た。
ここは ” 嫌だ ” ! この人は ” 嫌だ ”! 早く出ないと…!
( …落ち着け… 落ち着ちつくんだ… )
室内を見回す。
ドアは固く閉ざされ、ノブを回しても開かない。
どうにかしてここから出ないと…!
窓がある。
……でも、ここは2階? 下を見れば石畳。
飛び降りたらケガじゃすまない。
異様に甘い香りが部屋に充満している。 気持ち悪い…
これは…… お香?
笑顔の第二王子がじりじりと近寄ってくる。
嫌だ!
「 こっちに来ないで! 誰か…! 」
もう一度室内を見渡す。逃げ道はない。家具は重そうで盾にもならない。
震える手で、近くの花瓶をつかんで、窓に向かって投げた。
ーー ガシャン! ーー
結構大きな音がしたけど、誰も来ない。
『 無駄ですよ。 人払いをしてますから、って言ってもわからないのでしたね 』
王子の笑顔が歪んでいる。 こちらを見たまま窓際まで追い詰められていく。
『 母上は一晩一緒にいれば何もなくとも娶れると言っておられたが、いっそ、フリじゃなく実際に関係を持ってしまえば確実かな?
よく見ると可愛い顔をしているじゃないか。 どうせ私の妻になるのだから、早いか遅いかだけだ 』
第二王子はニヤリと嗤った。
「…! 来ないでってば!」
美春は煌びやかな髪飾りを投げつけた。
カシャン! と音を立て、壁にぶつかった。
『 ああ、ほら愛し子様の為に用意された髪飾りを投げるなんていけない方だ。 もっとしとやかな方が好みだが…… これから私好みに躾てやろう。
時間はあるんだ楽しませてくれよ? その清廉な服をはぎ取ったらどんな鳴き声を聞かせてくれるのか楽しみだな 』
嫌だ! 来ないで!
部屋の中に充満する甘い香りが鼻につく。 気持ち悪くて、めまいがする。
周りを見渡してもどこにも逃げ道がない。
第二王子から距離をとろうとしてるのに、足がもつれてうまく歩けない。
震える指で小さなポケットからおばあちゃんのお守りを出して握りしめた。
” ーーちゃん、みぃちゃん、もしもね、帰れなくなった時があったらね、このお守りをもって*****って言うんだよ。 そうしたら美春が ” 自分のお家 ” だって思っている所にもどれるの ”
おばあちゃんのお守り。 おばあちゃんが教えてくれた、お家に帰るおまじない。
おばあちゃん助けて! おばあちゃん!!
” *****って言うんだよ ”
「ーーーΩ∮Ѧ∽✧∰ψϞ✠⟁≒(クァエトゥン)!」
空気が震えた。
ーー ドゴォォンッッ!! ーー
王宮の一室で爆発のような音が響いた。
木彫りのお守りが青く光り、その光が、美春の体を包み込んでいく。
その時、ホールにいた数人の頭に直接、凛とした、そしてハッキリとした ” 声 ” が響いた。
《 過ちを繰り返すか…… 愚かなり 》
その声は60年前に ” 愛し子を導いた時と同じ声 ” であった
第二王子の驚愕の目の前で、美春の姿は光に飲まれ、消えた。




