詩と現実と華やぐ館
ーー 美春がお手降り練習をしている頃 ーー
「 主様、次これです 」
ノアリスが次々に書類の山を次々と積み上げていく。
ヴァンドル辺境伯領では、クレイアスが溜まっていた政務を精力的に熟していた。
一度自領に戻った彼は、王城で顔見せ後の美春が辺境伯領にいつ訪れても良い様に、部屋などの準備に取り掛かっていた。
その意気込みは、周囲が見たことが無いほどであった。
また、帰ってきてすぐに、館の者たちが集められ伝えられていた。
「 この館に、若い女性が滞在する事になるかもしれぬ。
すぐに来るわけでは無いが、滞りなく準備を進めよ。
絶対に不備があってはならぬ。
来られる様であれば、貴賓室に滞在して頂く。 腹心の侍女も連れて来ようが、こちらでも彼女付きの者を用意する。 」
館の者たちは主のその言葉に心を躍らせた。
特に乳母であり侍女長であるオーリーは、「ついに旦那様が奥方様を!」とひそかに喜びの涙を流した。
そして、その日の夜、オーリーは息子であり、クレイアスの従者でもあるノアリスからその ” お嬢様 ” の事を聞き出そうとしていた。
「 いやぁ、言いたいのは山々なんだけどさ。 いろいろと極秘事項が有って、ご身分やお名前の詳細はまだ無理。 」
ノアリスが困ったように話す。
「 では、お嬢様のお好きな食べ物や装飾品だけでも教えてもらわないと。 あと体格も。
事前に準備できるものは準備しておきたいのよ。 来られてすぐにオーダーメイドのドレスのご用意は出来ないけど、体格が分かれば近い品を先に用意して、来られたら手直しするわ 」
オーリーが食い下がると、ノアリスが思い出すように言った。
「 体格は小柄なお方だよ。
……たしか甘いものがお好きだったと思う。
主様と一緒にお茶を飲んでても、甘いお菓子は喜んで食べておられたし 」
「 旦那様とお茶をご一緒に?! 旦那様は仏頂面などしてなかったでしょうね?! 」
「 いやぁ、見た事もない様な満面の笑みを浮かべてたなぁ 」
その報告にさらにうれし涙を浮かべるオーリー。
待ちに待った慶事のために気合を入れて部屋の用意を始める。
女主人の不在が続いていた館には、華やかさが足りない。どのようにして滞在されるお嬢様に気に入っていただくか、日々話し合い、アイデアを出し合った。
そして、もともと優秀なクレイアスが、何かに急き立てられるように次々と政務を片付けていく。
また貴賓室の支度の様子を度々見に来ては口を出す。
館全体に活気がみなぎる中、領の者たちは
「 あの堅物の主がついに! 」「 やはり奥方様が! 」と確信を深めた。 館の下働きや、護衛の従者たちもその話で盛り上がっていた。
護衛の従者を務める青年もその話を一緒に聞いていた。
「 ん?どうした? 」
「 いえ、あの、閣下は女性に興味がないと聞いていたので…… 」
「 そういえばそんな噂もあったなぁ。 」
「 でも、まあ、閣下の様子を見ると、やはり噂は嘘だろ! 」
「 でも俺もその噂聞いたことがあるぜ。 乳兄弟のノアリス様と、ってうわさだよな。
ちょっと気を抜いた男がノアリス様の耳に入れちまって、手合わせだと言ってボコボコにされてたわ 」
「 しかも、一時期それを真に受けた男が何人も閣下を誘惑してきて、さらに大変な事になったとか 」
はははっ、と笑いながら青年たちは話しをしている。
聞いていた従者は一緒に笑いながらも、心中は動揺していた…… やはり最初に聞いていた話と違う。
前も違うという話は聞いたが…… やはり閣下は男色ではなかったのか……?
今、辺境伯領の領都では愛し子様の降臨の噂が広まっていた。
広場では今も吟遊詩人が人々に歌い語っている。
≪ 神殿に聖なる光が満ち、天上の音楽が響きわたる。 女神像の前に清らかな光が集まり、女神と同じ二枚の薄布を纏われた愛し子様が微笑みながら空から舞い降り降臨された ≫
美春が聞いたら「 誰それ? 」と言いかねないほど事実とは異なった ” 降臨 ” のシーンだ。
……実際は、パジャマをしっかり着込み、ワインを飲んだほろ酔いでパンツを取ろうとして「 わたしのぱんつ! 」と叫びながら落ちたのだから。
しかし、この世界の人々はそんなことは知らない。 吟遊詩人から聞く歌、そして神殿からの発表が「 事実 」として広まっていくのだ。
そんな愛し子様の話を聞き、従者たちは期待に胸を膨らませた。
「 閣下がお迎えになるのは、もしかして愛し子様かも……? 」
「 いやぁ、まさか 」
笑いながらも、誰もがその可能性あるかも… と想像をしていた。
◇◇
辺境伯家の敷地には小さな礼拝堂があり、その清掃は下働きの役目と決まっている。
そしてここ清掃を任されると、ちょっとしたご褒美があるため競争率は高く、今では順番制となっていた。
その日、礼拝堂の掃除をしていたのは若い護衛候補の従者と、館付きの下男である。
二人は埃を払い、磨き上げる作業をしていたが、扉の向こうから足音がして思わず姿勢を正した。
「 ……閣下 」
現れたのはヴァンドル辺境伯だった。
彼は何か小さな布を手にして、祭壇の前に跪き、静かに祈りを捧げ始める。
従者と下男は息を潜め、膝を折って頭を垂れた。
領主の祈りを邪魔することは許されない。
だが伏せた視線の隙間から、ふと、彼の手にあるものが目に入った。 それは赤い刺繍の施された小さな布。
……ハンカチだろうか。
しかも、どう見ても女性物に見える。
閣下はその布を見つめながら、わずかに口元を緩め、祈りを続けていた。
( 赤い刺繍のハンカチ…… 女性の持ち物……? 閣下は男色ではなく、やはり奥方を迎えられるのだろうか。
それとも後継ぎのために、義務として……? いや、あの表情は義務で誰かを迎える様な物ではないよな……)
若い従者は胸中で揺れながらも、決して顔に出さなかった。
ただひとつ、心の奥で小さく呟く。
( ……やはり、ここに来る前に聞いた話とはちがう…… )
◇◇
書類を裁き実務を熟し、貴賓室の支度に口をだして、貴賓室の支度を見て、ギリギリまで領地で仕事を続けた辺境伯閣下は、護衛を伴って王都へ移動する。
帰路よりも護衛の数は増え、まるで大切な何かを迎えに行く為に整えられた一行の行列が王都へ向かうのであった。
これを見て、領の者たちは「 やはり奥方様が! 」と確信を深めたのである。
こうして、愛し子様の王宮でのお披露目前に、館の準備は着々と整えられ、クレイアスの細やかな心配りと館全体の期待感が重なり合い、領の者たちは胸を躍らせていた。
こうして領での「 奥方様をお迎えする準備 」は整えられていった。
護衛の数が増えた事で、領にて護衛の従者をしている者も、数人同行することになり、特に従者の中でも腕の立つ者が選ばれていた。
護衛達の従者であるガレン・ルー・フィンの三人も王都へ同行する。
「 愛し子様を見られるかもしれないな! 」
従者の一人が言い、残る二人も周りもその期待に胸を膨らませる。
帰って来た時より、大所帯になりながら、一行は王都へと出発するのであった。




