救世主は、世界一ついてない男
今回は、人類の存亡をかけた、壮大なリアリティーショーの話だ。
その奇病は、静かに、だが確実に、世界を蝕んでいた。
「無気力症候群」。ある日突然、人々からあらゆる意欲が消え失せる病だ。仕事に行く気力も、食事をする気力も、恋をする気力さえも。人類は、生ける屍のように、ただぼんやりと日々を過ごすだけになっていた。
原因は、宇宙から降り注ぐ、未知の素粒子「タイクツォン」によるものだと判明した。別名、「退屈波」。
世界中の科学者が、一つの結論に達した。この退屈波を中和するには、こちらから、もっと強烈な「刺激波」をぶつけるしかない、と。
かくして、国家プロジェクト「救世主計画」が始動した。人類で最も刺激的で、予測不能で、面白い脳波を持つ人間を探し出し、その脳波をエネルギーに変換して宇宙に発射するのだ。
世界中で、候補者のテストが始まった。アクション俳優、天才コメディアン、前衛芸術家、ノーベル賞科学者。だが、誰の脳波も、「刺激的」ではあるが「予測可能」の範囲を出なかった。
僕、山田は、そんなニュースを、ぼんやりと眺めていた。僕には関係のない話だ。何しろ僕は、世界一ついてない男なのだから。
歩けばカラスのフンが直撃し、買ったばかりの傘は突風でひっくり返り、満員電車では必ず痴漢に間違われる。僕の人生は、退屈とは程遠い、小さな不運の連続だった。
その日も、僕は会社で上司にこっぴどく叱られ、トボトボと家路についていた。計画の研究所の前を通りかかった時、急に尿意を催した。
「すいません、トイレだけ……」
守衛に頭を下げて、研究所に足を踏み入れた、その瞬間だった。
僕が、床に落ちていた誰かのバナナの皮で、見事にすっ転んだのだ。
――ツルッ!ドッシーン!ガッシャーン!
僕は、そばにあった機材の山に突っ込み、ドミノ倒しのように機材をなぎ倒し、最後は、天井から落ちてきたタライを、頭に受けた。ドリフのコントみたいな光景だった。
白衣の研究者たちが、呆然と僕を見ている。そして、その中の一人が、脳波モニターを指さして、絶叫した。
「み、見ろ!この波形!なんだこれは!予測不能!完全にカオスだ!」
モニターの針は、見たこともないほど、メチャクチャに振り切れていた。
「……彼だ。彼こそが、我々が探し求めていた……救世主だ!」
こうして、僕は、世界一ついてないというだけの理由で、人類の救世主になった。
僕は、巨大な装置に繋がれた椅子に座らされた。僕の不運な日常が、脳波として増幅され、巨大なパラボラアンテナから、宇宙へと発射される。
「頼んだぞ、山田くん!君の不運が、地球を救うんだ!」
僕は、ただ、いつも通り、不幸なだけだった。椅子に座ったらネジが一本取れてひっくり返り、目の前のコーヒーをぶちまけ、その蒸気で火災報知器が作動した。その脳波が、宇宙へと飛んでいく。
数日後。宇宙からの「退屈波」は、ピタリと止んだ。世界に、活気が戻ってきた。僕は、英雄として、世界中から讃えられた。
そして、一週間後。
退屈波の発信源から、地球に、初めての通信が入った。
モニターに映し出されたのは、スライムのようにだらしない体型で、ポテチらしきものを食べている、巨大な宇宙人だった。
宇宙人は、げっぷを一つすると、面倒くさそうに言った。
『あー、地球? チャンネル、変えてくれてサンキュ。いやー、お前らの星、最近ずっと同じ歴史ドキュメンタリーばっか再放送してて、マジで退屈だったんだわ』
は?
『でも、先週から始まった、あの『山田のドタバタ不運日記』ってリアリティーショー? あれ、マジでウケるわ。最高。というわけで、放送、続けといて。じゃ』
通信は、一方的に切れた。
僕たちは、理解した。人類は、病に侵されていたわけではなかった。
ただ、宇宙規模の暇つぶしに見ていたテレビ番組の、視聴率が、悪かっただけなのだ。
今、僕の全ての私生活は、24時間、全宇宙に向けて生中継されている。今日も僕は、駅の階段から転げ落ち、パトカーに泥をはねられ、野良犬に追いかけ回される。
そのたびに、宇宙のどこかで、誰かが腹を抱えて笑っているらしい。
どうだ!くだらねえだろ? 人間なんて、宇宙から見たら、そんなもんなのかもしれねえな。…さて、俺もいつ宇宙に見られてもいいように、面白い日常を送るか。