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第1話 『神事関連の求人だったけど、面接相手が“神”とは聞いてません!!……まぁいいんだけどね!!』

 ぼくの名前は――田中敏行。


 読み方は、たなか・としゆき。


 二月二日生まれの、ゾロ目男である。


 みんなからは、だいたい“たなぴー”と呼ばれている。


 ……まぁ、いいんだけどね。


 一浪して、滑り込みで地方の四年制大学に入った。


 卒論は、Wikipediaとネット記事をこねくり回して、なんとか提出した。


 教授からは、最後にこう言われた。


「田中くん、もう来年も見るのは嫌だからね」


 それは励ましだったのか。


 それとも、大学側の限界宣言だったのか。


 いまだに、ぼくには分からない。


 ただ、結果だけを言えば、ぼくは卒業した。


 卒業は、した。


 問題は、その後だった。


 正社員経験、ゼロ。


 ニート歴、二年。


 フリーター歴、八年目突入。


 履歴書の空白期間?


 それはもう、ぼくの中では“心の傷跡”と呼んでいる。


 彼女いない歴は、ほぼ年齢。


 もちろん、童貞。


 鼻をすすってごまかすのが癖で、やらかしても最後は「まぁいいんだけどね!!」で逃げ切ろうとする。


 そんな、だるくて、つかれた、アラサーフリーター。


 それが、ぼく――田中敏行である。


 ……いや、こうして言葉にすると、けっこうきついな。


 だるい。


 つかれたぁ。


 でも。


 でもね。


 気持ちだけは、まだ二十代のままなのだ。


 若者の気持ちは失っていない。


 たぶん。


 おそらく。


 きっと。


 そんなぼくにも、ついに人生の転機が訪れた。


 朝イチで、ハローワークから電話が来たのである。


『田中さんに紹介できそうな正社員求人があります!』


 電話口のお姉さんの声は、妙に弾んでいた。


 正社員。


 その三文字は、ぼくにとって、ほぼ伝説上の存在だった。


 ドラゴン。


 不老不死。


 正社員。


 そのくらいの並びである。


「ちなみに、どんな仕事ですか?」


『詳しい内容は、来所してからご説明しますね!』


「あ、はい」


 電話は切れた。


 詳しい内容は、来所してから。


 つまり、電話では言えないということだ。


 普通なら、この時点で少し警戒するべきだったのかもしれない。


 でも、ぼくは警戒しなかった。


 なぜなら、正社員という言葉が強すぎたからだ。


 正社員。


 社会保険。


 安定。


 親に説明できる肩書き。


 これらの単語が、ぼくの脳内でパレードを始めていた。


「……どんな仕事なんだろう」


 ぼくは、愛用のよれよれチェックシャツに袖を通した。


 バッグは、元は白だったはずのトートバッグ。


 今はアイボリーというか、灰色というか、人生のくすみを吸ったような色をしている。


 よし。


 今日も“まぁいいんだけどね!!”の精神で、ハローワークへ行こう。


 ◇


 ハローワーク○○、就職支援第一課。


 今日の担当は、佐藤ゆかりさんだった。


 赤いメッシュの入った髪。


 童顔。


 背は低め。


 声だけ聞くと、妙に元気な後輩みたいな人である。


 ただし、彼女はれっきとしたハローワーク職員だ。


 公的機関の人間である。


 たぶん。


「たなぴーさん、来てくれてうれしいですっ!」


「……今日は、どんな求人?」


「今回はですね、すっごく条件いいんです!」


 佐藤さんは、机の上に求人票を置いた。


「フルタイムで正社員。社保完備。しかも、寮付きです!」


「それ……前も聞いたような……」


「えへへ。でも今回は“体験型”の就業スタイルで、現場で試してから本採用が決まるらしいんですよ〜♪」


 体験型。


 現場で試してから。


 なんだろう。


 ものすごく嫌な記憶が、脳の奥から顔を出した。


 たしか以前も、似たような説明を受けたことがある。


 そのとき紹介されたのは、猛獣飼育員見習いだった。


 見習いなのに、初日から肉食獣の檻の前に立たされた。


 まあ、採用前に辞退したので、ぼくはまだ生きている。


 ……まぁいいんだけどね。


 ぼくは求人票に視線を落とした。


【求人票】


 募集職種:施設運営アシスタント


 業務内容:神事関連施設における補助業務


 勤務地:非公開


 雇用形態:正社員候補


 採用形式:トライアル採用あり


 応募資格:健康で、ある程度“順応性”のある方


 備考:現地までの交通手段は指定されます


「……あの」


「はいっ!」


「“順応性”って何?」


「臨機応変ってことですっ! 柔軟さが求められる現場らしいですよ♪」


「“交通手段は指定”って書いてあるんだけど」


「はいっ。現地への行き方は、先方が手配してくれるそうです!」


「勤務地、非公開なんだけど」


「守秘義務がしっかりしてる職場なんですね!」


「それ、本当にいい意味?」


「大丈夫です。ちゃんと求人票に書いてありますからっ!」


 出た。


 ちゃんと書いてあります。


 この“ちゃんと”が、一番あぶない。


 ぼくは、これまでの人生で学んでいた。


 人が「ちゃんと」と言うとき、だいたい何かがちゃんとしていない。


「神事関連って、神社とか?」


「そうですね。神様に関係するお仕事、ということだと思います!」


「神様に関係する……」


 ぼくは鼻をすすった。


 神様に関係する仕事。


 つまり、神社の雑務とか。


 お守りを並べたり。


 参拝客の案内をしたり。


 掃除をしたり。


 そういう感じだろう。


 正社員で、社保完備で、寮付き。


 それなら、多少変わった職場でも悪くない。


 ぼくは自分にそう言い聞かせた。


 むしろ、神事関連なら、なんとなく縁起がいい気もする。


 人生が詰みかけているぼくには、神頼みくらいがちょうどいい。


「じゃあ……受けます」


「ありがとうございますっ! では、今日このまま面接会場へ向かってください!」


「今日!?」


「はいっ。先方が、すぐに会いたいそうです!」


「急すぎない?」


「チャンスは鮮度が命です!」


 佐藤さんは、満面の笑みで言った。


 チャンス。


 鮮度。


 正社員。


 社保完備。


 寮付き。


 ぼくの中の冷静な部分が、小さく警報を鳴らしていた。


 でも、その警報は、正社員という単語に押し潰された。


 よし。


 行こう。


 人生、変えるなら今だ。


 たぶん。


 ◇


 指定された場所は、駅前のロータリーだった。


 送迎車が来るらしい。


 ハローワークを出たぼくは、求人票を握りしめたまま、駅前で待った。


 五分ほどすると、黒塗りのバンが音もなく停まった。


 窓は黒い。


 ナンバーは見たことのない地域名だった。


 運転席から、スーツ姿の男が降りてくる。


「田中敏行様ですね」


「え、あ、はい」


「どうぞ」


 それだけ言うと、男は後部座席のドアを開けた。


 無言。


 笑顔なし。


 説明なし。


 ぼくは一瞬、乗っていいのか迷った。


 しかし、ここまで来て帰る勇気もない。


 ぼくは鼻をすすって、バンに乗り込んだ。


 車内は妙に静かだった。


 座席はふかふか。


 空調は快適。


 なのに、なぜか落ち着かない。


 運転手は一言もしゃべらない。


 ぼくもしゃべれない。


 窓の外の景色だけが、どんどん見慣れないものに変わっていく。


 市街地。


 住宅街。


 畑。


 森。


 やがて、車は郊外の奥へ入っていった。


「……あれ? これ、本当に面接ですよね?」


 運転手は答えなかった。


 聞こえていないのか。


 聞こえているけど無視しているのか。


 どちらにしても怖い。


 鼻をすすった音だけが、車内に妙に響いた。


 やがて、バンは大きな施設の前で止まった。


 白い大理石風の外壁。


 正面はガラス張り。


 空に向かって伸びるような柱。


 妙に神々しい。


 普通に考えれば、宗教施設か、謎の研究所か、高級結婚式場である。


「……やけに立派な建物じゃない?」


「こちらです」


 運転手は正面玄関ではなく、建物の横へ回った。


 そこにあったのは、鉄製の古びた扉だった。


 非常口みたいな扉。


 その横に、手書きの札が貼られている。


『面接会場:こちら』


 字が、雑だった。


 施設の立派さと、札の雑さが釣り合っていない。


 ぼくの中の警報が、今度こそ大きく鳴った。


「……お姉さん、話が違うじゃん」


 しかし、ここで帰るのはもっと怖い。


 ぼくは意を決して、扉を押し開けた。


 ◇


 中は、広い会議室のような空間だった。


 いや、会議室にしては広すぎる。


 壁も床も白い。


 天井は高い。


 中央には長机があり、その向こうに三人の面接官が座っていた。


 三人とも、黒いスーツ。


 三人とも、無表情。


 三人とも、まばたきをしていない。


 空気が重い。


「田中敏行さんですね」


「は、はい」


「どうぞ、お座りください」


 言われるまま、椅子に座った。


 その瞬間、背後の壁一面が光った。


 スクリーンだった。


 そこに、雷雲の映像が映し出される。


 ゴロゴロゴロ、と低い音が鳴った。


 いや、なんで面接に演出があるの?


 ぼくが混乱している間に、面接官の一人が履歴書を手に取った。


「履歴書を拝見しました」


「は、はい」


「職歴に空白が多いようですが、この期間は?」


 来た。


 面接で一番聞かれたくない質問ランキング、堂々の一位。


 空白期間。


 こいつは、どこに行ってもぼくを追いかけてくる。


「……自己分析を、していました」


「“していました”とは?」


「自分の特性とかを……整理して……」


「“整理”の成果は?」


「……いや、特に……」


 ピシャァァァン!!


 雷鳴が響いた。


 同時に、足元が揺れた気がした。


 演出が強い。


 面接の圧が、物理になっている。


「あなたにとって、“働く”とはなんですか?」


「えっ」


「お答えください」


「社会と……つながること……ですかね」


「では、今までに社会とつながったことはありますか?」


「……ないです」


 言ってから、ぼくは終わったと思った。


 これは落ちた。


 完全に落ちた。


 社会とつながったことがない人間が、働くとは社会とつながることだと答えたのだ。


 矛盾の塊である。


 しかし、面接官たちは静かに頷いた。


 そして――拍手を始めた。


 ぱち、ぱち、ぱち。


「回答の誠実さを評価します」


「え?」


「一次面接、通過です」


「……通ったの?」


 通った。


 なぜか通った。


 社会とつながったことがないと正直に言ったら、通った。


 人生、何が評価されるか分からない。


 まぁいいんだけどね!!


 ◇


 次の部屋へ移動してください、と言われた。


 ぼくは係員に案内され、白い廊下を進んだ。


 廊下は長かった。


 やけに長かった。


 途中から、床の材質が変わった。


 壁の色も変わった。


 照明も変わった。


 さっきまでの施設感が薄れ、だんだん神殿みたいになっていく。


 いや、神事関連だから?


 神事関連だから、神殿風なの?


 そう自分に言い聞かせながら、ぼくは次の扉をくぐった。


 そこは、体育館ほどの広さの空間だった。


 ただし、床がない。


 いや、正確には中央に一本だけ、細い板がかかっている。


 板の下は、真っ暗な奈落。


 その先には、小さな鐘が吊るされていた。


 壁に文字が浮かび上がる。


 《第二選考:通過儀》


 《制限時間:五分》


 《合格条件:渡橋成功、および鐘を鳴らすこと》


「これ……まさか……鉄骨渡り!?」


 ぼくの声が、広い空間にむなしく響いた。


 床下から風が吹き上がる。


 暗闇の底は見えない。


 落ちたら終わり感がすごい。


 求人票には、こんなこと書いてなかった。


 いや、書いてあったかもしれない。


 “多少の精神的負荷あり”とか、そういう曖昧な文言で。


 ああいう言葉は、だいたい現場で牙をむく。


「無理無理無理無理……」


 帰りたい。


 めちゃくちゃ帰りたい。


 でも、後ろの扉はいつの間にか消えていた。


 もう、前に進むしかない。


 ぼくは鼻をすすった。


 足が震える。


 手汗がひどい。


 それでも、一歩目を踏み出した。


 ギシッ。


 板が鳴った。


「ひっ」


 下を見るな。


 下を見たら終わる。


 ぼくは鐘だけを見る。


 鐘を見る。


 鐘だけを見る。


 二歩目。


 三歩目。


 板は細い。


 風は強い。


 体が横に持っていかれそうになる。


 ぼくは両手を広げて、必死にバランスを取った。


 正社員。


 社保完備。


 寮付き。


 正社員。


 社保完備。


 寮付き。


 念仏のように唱えながら、ぼくは進んだ。


 残り、数歩。


 鐘が近い。


 手を伸ばせば届きそうだ。


「うおおおおおおおおおおおっ!」


 最後の一歩を踏み込んだ。


 そして、鐘に手を叩きつけた。


 カァァァァァン……!!


 澄んだ音が響いた。


 その瞬間、足元の板が光に包まれた。


 奈落が消える。


 部屋全体が白く染まっていく。


 《第二選考、通過》


「……え、また次あるの!? これで終わりじゃないの!?」


 ぼくの叫びは、光に飲み込まれた。


 ◇


 気がつくと、ぼくは光の階段の前に立っていた。


 そこは、もう施設ではなかった。


 少なくとも、ハローワーク経由で来る場所ではない。


 床は雲のように白く、空には金色の輪がいくつも浮かんでいる。


 遠くには、巨大な玉座。


 その玉座に、誰かが座っていた。


 人影は、まぶしすぎてよく見えない。


 ただ、分かる。


 あれは、人事部長とかではない。


 施設長でもない。


 面接官でもない。


 もっと上だ。


 上司とか、役員とか、そういうレベルではない。


 たぶん、世界の上の方にいるやつだ。


 光の中から、声が降ってきた。


『田中敏行』


「はいぃっ!?」


『よくぞ、ここまで辿り着いた』


 声が、骨に響いた。


 ぼくはその場にひざをつきそうになった。


 いや、待って。


 待ってほしい。


 これは、神事関連の求人だったはずだ。


 神様に関係する仕事だとは聞いた。


 でも。


 でもさ。


 面接相手が“神”とは、聞いてない。


『汝に問う』


「いや、あの、すみません!」


『なんだ』


「辞退します!!」


 光が止まった。


 空気が固まった。


 浮かんでいた輪まで、ぴたりと動きを止めた気がした。


『……辞退?』


「はい! 最終選考、辞退します!! ぼくには無理です!! 生身で来るところじゃないです!!」


『まだ何も問うておらぬが』


「問われる前から無理です!!」


 ぼくは立ち上がった。


 そして、全力で逃げた。


 どこへ逃げればいいのか分からない。


 出口も分からない。


 でも、逃げた。


 正社員。


 社保完備。


 寮付き。


 そんな言葉では、もうぼくを引き止められなかった。


 背後から、神の声が響く。


『田中敏行よ』


「すみませんでしたぁぁぁぁぁっ!!」


 ぼくは叫びながら、光の中へ飛び込んだ。


 ◇


「完全に神域だったよ!?」


 気がつくと、ぼくはハローワークの相談窓口に戻っていた。


 目の前には、佐藤ゆかりさん。


 いつもの赤メッシュ。


 いつもの笑顔。


 いつもの公的機関とは思えない軽さ。


「光と輪が浮いてて、玉座に誰かいたよ!? まじで生身で挑むところじゃないよ!!」


「たなぴーさん、それ……“最終選考辞退”扱いになってますね」


「いや、無理だって! 常識的に考えて!」


「でも、“多少の精神的負荷あり”って、ちゃんと求人票に書いてありましたよ?」


「負荷っていうか、“神”だったの! “神”って何!? お祈りする側じゃなくて、される側じゃん!」


「そこも“神事関連”って書いてありますから♪」


「広すぎるよ、神事関連の範囲が!!」


 ぼくは鼻をすすった。


 シャツは汗でぐしゃぐしゃ。


 トートバッグはどこかで角が折れている。


 履歴書は、たぶん神域に忘れてきた。


 でも、生きて帰ってきた。


 それだけで、今日はもう勝ちでいいと思う。


「……話が違うじゃん!!」


「次は、ちゃんと探しておきますね♡」


「その“ちゃんと”が一番信用できないんだけど!?」


 佐藤さんは、にこにこと笑っていた。


 ぼくは深くため息をついた。


 だるい。


 つかれたぁ。


 そして、最後にこう言った。


「……まぁいいんだけどね!!」

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