病気と怪我の思い出
シナぷしゅ君、昨日は保育園に行けて良かったね。
一昨日、また熱を出したと聞いて、家族が皆んな心配していたよ。
男の子が、小さい時に熱を出すのはよくある事なので、普通なら心配いらないのだが。
君の場合、最近インフルエンザにかかり、救急車で運ばれて入院したばかりなんだから…。
僕は生まれてから一度も入院したことがないよ。
しかも、昔は普通だった自宅出産により、祖父母のいる母の実家で生まれたので、出生時にさえ入院していない。
自宅出産は田舎だけかと思ったら、大学の同級生に東京の品川生まれの男がいるのだけれど、彼も自宅出産だったそうだから、
昭和の中頃までは、都会でもまだ普通だったんだね。
だけど怪我は多かった。子供の頃も今も。
母が言っていたけど、僕は小学校入学前に両手両足すべて骨折してしまうほど「やんちゃ」だったらしい。
自分でもこんな記憶がある。
保育園でお昼寝の布団の上で相撲をやって腕か肩を脱臼した。
その後、保母さんに接骨院に歩いて連れて行かれた時に、近所のおばさんに、
「その子、どうした?」と聞かれたので、
保母さんは、黙って僕の痛い方の腕を静かに持ち上げて見せたのである。
「痛い、痛い!」と抗議したが、誰もこの野蛮な行為を非難してくれはしなかった。
なぜだろう、と考えてみると。
保育園時代で、断片的に覚えているのだが、怪我した思い出がとても多い。
2階の窓から外を見ていたら、落ちた。
下には屋根瓦が積んであった。
その瓦に向かって落下していく…。
その後は覚えていない。
またある時、ブランコで2人乗りをしていた。
立ち上がって思い切り漕いだら、座っていた男の子が飛んでいった。
その先には砂場があったので、無事だった、はずだ。
僕も飛びたかった…。その後は、よく覚えていない。
近所の女の子と遊んでいた時、僕は三角巾で腕を吊っていた。
その子に「いい匂いがするぞ」といって湿布の匂いをかがせて、自慢していた。
足を石膏で固めていたこともある。
父が大工だったので、建築現場によく出入りして遊んでいた。
ある時、板に上向きに刺さっていた釘をゴム草履で踏んでしまった。
泣きながら足をかかえていたら、近くにいた若い大工さんが、カナヅチで足の裏を叩いて止血してくれた。
不思議なことに、それだけで歩けるようになった。
この時代、蜂に刺されたり、クラゲに刺されたりは、日常茶飯事だった。
クラゲの場合、刺された部分に海岸の砂をかけてこすると痛みがおさまった。
8月中旬の旧暦のお盆を過ぎるとクラゲがよく出た。
転んで脚の傷口に小石が入っても、自分でほじくり出した。
傷が化膿しても、ヨードチンキ(赤チン)かオロナイン軟膏を塗っただけで、平気で外で遊んでいた。
カサブタを剥がしたらまた血が出てくるのだが、「ちょっと早かったかな?」と全く気にしなかった。
記憶に残る日常生活では、ガーゼの包帯と紙テープの絆創膏を体のどこかに付けていた。
後に小学校の高学年になっても、彫刻刀で版画を作る時に両手が血だらけになるほど指や手を切った。
泣くほど痛くても作るのをやめなかった。もう怪我に慣れてしまっていて、血が止まりさえすれば大丈夫だった。
鼻血も良く出した。チョコレートを食べると良く鼻血が出た。ちり紙や脱脂綿を鼻の穴に詰めて、
血が止まったかどうかを時々外して確かめた。血と鼻汁とが混じる汚い模様が面白かった。
そうだ、今日はバレンタインデーだった。
僕が子供の頃はそんな風習はなく、シュルツの「ピーナッツシリーズ」でチャーリーブラウン達が贈り物をする漫画で初めて知った。
弟はチョコレートの食べ過ぎで乳歯を虫歯だらけにし、後年歯並びが悪かった。
シナぷしゅ君、甘いものの食べ過ぎは歯に良くないのだよ。
気をつけようね。
だけど手の洗い過ぎは細菌への抵抗力(免疫力)を弱くするから、ほどほどにね。
かくいう僕は今、バッティングセンターでの打ち過ぎで、先週から両肘を痛めている。
同じところに湿布薬を貼るものだから、そこが赤く腫れてかゆくなってしまっている。
こういうのを「三つ子の魂、百まで」というのかもね。
来年は君も3歳になるから、楽しみだね。