柴犬
オスの柴犬を飼っていた。
生後4ヶ月ぐらいの子犬だったので、しばらくは2階のリビングのケージで、
大きくなってからは庭の東の端に犬小屋を置いて。
2019年2月まで17年と3ヶ月、一緒に暮らした。
最後の2年ぐらいは、眼は白内障になり、足も弱って、
何度も水路に落ちた。
引綱で引き上げると、犬を釣ったかの様な滑稽な、
しかし泥だらけの憐れな姿だった。
小さい頃、弟が野良犬を拾って来たことがある。
同じ年頃の女の子に頼まれて、我が家で飼えないかと、連れて来た様だった。
両親は僕達兄弟が世話出来ないから、ダメだと断って、
大工仕事の建設現場に連れて行って、誰かに引き渡したらしい。
金魚やセキセイインコ、それから、短期間だが野ウサギを飼った事があるが、
子供時代に犬は飼わせてもらえなかった。
40代の大人になって、ようやく犬を飼う夢が実現した。
本当は、娘(君の母親)が一番最初に犬を飼いたがったのだが、
1年もしないうちに面倒くさがって、世話をしなくなった。
朝の散歩は僕、平日の夕方の散歩は義父が、餌やりは妻が担当した。
でも、朝御飯の残りを汁かけにした物が好物だった。
特に肉の味がすると喜んで食べた。
甘い物も好きで、義父がクリームパンを分けてやると、特に喜んだ。
大雨の日も、雪が積もった日も、真夜中でさえ、散歩は大好きだった。
近所の犬と喧嘩して噛まれたり、メスの野良犬に付きまとわれたり、
鎖が外れて逃げ出し、その鎖を引きずったまま、
1kmぐらい離れた所で見つけた事もあった。
子犬時代に、車の後部座席でウンチをして、余りにも臭くて、
ドアを開けたら、真っ先に外に逃げた事もあった。
助手席に乗せたら、運転席に移動して来て、
僕の膝の上に乗ってお座りした時は、
自分が運転しているつもりなんじゃないかと、
その可愛らしさに目を細めた。
最期を迎えた2月は、内臓が痛いらしく、同じ所をぐるぐる回りながら、
頭をぶつけたりして夜通し鳴き続けた。
夜、何度も起きて、絡まった鎖をほどいたり、犬小屋に押し込めたりした。
辛かった。
治らないのは分かっていたし、安楽死は嫌だった。
それまで家族を3人亡くしていたから、
もう、死に対しての忌避感が麻痺していた。
犬という動物は、人間よりもずっと短命な生き物であるという、
自然界の法則から逃れられる可能性はゼロだから。
寝不足が続いて、家の階段の途中から下に落ちた。
背中を強く打ち、3週間ぐらい痛かった。
半年後、レントゲン画像を見た医師に、
右の肋骨がずれてくっついていると指摘された。
もう犬を飼う事はないだろう。




