どこかの国のギルド
職人ギルドというものはあったらしいが、
この世界には冒険者ギルドがない。
魔物もいないし、討伐する獲物もいない。
最近、熊が住宅地にまで進出してきて、
麻酔銃で眠らされて森に追い返されたり、
森の中に追い込まれて銃で撃たれたりしている。
漫画やラノベの世界では、魔物や魔獣がいて当たり前のように話が進んで行く。
映画のエンドロールに、やたらと「p.g.a」と出ているので、調べてみたら、
全米監督協会の略称で、gはギルドの事だそうだ。
ギルドとはまた異世界もののラノベによくある設定で、冒険者ギルドとか、商人ギルドとか。
まあ、職能別組合といった組織の事らしい。
冒険者にランクがあったり、魔物討伐や薬草採取の依頼の受付嬢がいたり、討伐した魔物の解体場所があったり。
ファンタジーの世界なのに、現在の地球上のどこかの国に本当にあるかのように現実味のある設定である。
テレビやネット動画やコミックで、大量であふれるほどの、新鮮で詳細な、それらの情報をながめていると、もはや想像の世界ではない様に思えてくる。
歴史的事実だと言われているものとフィクションとか物語とかの間に、区別などなくなってしまっているのではないか。
フェイクニュースという言葉は、かつてはデマとかニセ情報とか言っていたのと、何の違いも無いのでは無いか。
現実との違いはと問われれば、夢は、自分の記憶に残っているけれども、曖昧で、希薄で、モヤッとしていて、
手ですくおうとしてもこぼれ落ちて行く液体の様な気がする。ギアナ高地にあるエンジェルフォールという滝の映像を見た時、
「ああ、これは夢の中に良く出てくる滝だなあ。水が滝壺に落ちる前に霧になって消えてしまっているしねえ…。」と、
そう思って、自分の過去を振り返ってみると、3歳の頃の記憶が、ふと浮かび上がって来る。
3歳の時、北海道の帯広に居たらしい。
母からそう聞いているし、3つ下の弟の母子手帳には確かに出生地が「帯広市」と記載されていた。
テニスコートの様な場所があって、白いウェアを着た人間がいた。
顔は全く思い出せない。のっぺらぼうの妖怪のような、人間らしき、動く生き物がいた。
体が小さいので、上の方の様子が全くわからなかったのかもしれない。
近くに、信楽焼の大きな狸の置物があった。
雨が降るたびにその狸が気になって、母に「あの狸は大丈夫だろうか?」と聞いていたそうだ。
それ以外は白く靄がかかった様に記憶が曖昧で、何も思い出せない。
いつの間にか生まれていた弟のことは、5歳頃、出生地である山形県の漁村に戻ってくるまで、全く覚えていない。
青函連絡船で往復したそうだが、船に乗った記憶はない。
長野県にも引っ越したことがあるそうだ。僕が、テレビと一緒にいたいと駄々をこねたため、
父が汽車の中に小さい白黒テレビを大きな風呂敷に包んで席に座っていたのを、
かすかに覚えている…ような、親に「それはそれは大変だった」と言われたので、記憶が上書きされたような…。
まあ、とにかく、テレビへの執着はこの頃から始まっている。
その証拠に、今、ウチには7台のテレビがある。すべて地上波とBS放送が映るし、4K放送を受信可能なものが4台ある。
もちろん、地上波のアンテナもBSアンテナも自分で設置し、配線も自分で行なった。もはや、DIYというよりも趣味の世界である。
これだけテレビ好きになったおかげで、標準語の習得は早かった。
周りが、方言だらけの大人達に囲まれても、全然同化することなく標準語を使い分けることができた。
高校ぐらいになると、あちこちの異なる方言にさらされるので、この能力は、とても便利で役に立った。
ちなみに、大学の寮で同じ部屋で生活した山形県出身の同級生2人は、卒業までも、アクセントが標準語とはほど遠いままだった。
まあ、2人とも内陸地方出身だったしね。
僕の生家のある日本海側は、江戸時代から北前船の航路にあたるせいで、関西文化の影響が強いらしい…。
その、帯広では顔も思い出せないほど疎遠だった弟が、夢に出てくるのだ。今も。
弟は、オタク&不良だった。
若い頃から酒、タバコ、バイク、エレキギターに手を出し、部屋に紅茶缶を並べ、
ブリティッシュロック(特にクイーンとケイトブッシュ)と少女漫画やアニメが大好きなオタクだった。
スポーツはからきしダメなくせに成績は抜群で、東北大学工学部の大学院修士卒である。
勉強している姿など見たことがない。小学時代は、いたずらばかりして、しょっちゅう担任におこられていた。
中学時代、教科書はカバンに入れたまま学校に置きっぱなしだったと母が言っていた。
中型バイクを買ったばかりの時、田んぼに落ちて泥だらけで帰ってきたこともあった。
その時のセリフは、「曲がりきれなかった…。」だった。
そう言えば、父も、酒とタバコとパチンコ、バイク、カラオケ好きで、そっくりの遊び人だった。
婿養子に来た時、アコーデオンを持ってきたそうだ。
僕が幼児の頃に、父が、山形の生家の畳の部屋でアコーデオンをひいている姿を見ていたことを覚えている。
触らせてもらったこともあったが、難しくて、音もまともに出せなかった。
母によると、ギターも持っていたらしいが、(おそらく義母に)捨てられてしまったらしい。
酒に酔うと、NHKのど自慢大会の地区予選で2位になったと、長い間ずっと自慢話をしていた。
哀れな奴である。
小さい頃、90ccのバイクの後ろに乗せてもらった。
後ろに乗っているはずの僕の姿が見えないので不安なのか、時々片手を後ろに回し、
僕の手を触って、落ちたりしていないか確かめていた。
ある時、突然、大声で「あっ!」と叫んだので、何事かと身構えたら、
「蛇をひいてしまった!」
なんと返事をしたら良いかと、しばらく無言で考えた。
夏の日中に風邪を切って走ると、あたりにはバイクの爆音だけが響く。
すると心配になって、ますます頻繁に手を触って来るので、うっとうしかった。
小学生の時、弟に怪我をさせてしまったことがある。
テレビで、テーブルの上に手のひらを置き、指を開いて一呼吸おく。
そのあと、アイスピックのようなキリを、指の間にすばやく突き立てるのだ。
そう、映画「エイリアン2」でアンドロイドの男がやってみせる、あの危険な曲芸である。
もちろん、失敗して指を刺してしまい、弟が大泣きし、母親にはこっぴどく怒られた。
唐辛子や胡椒を鼻にかけるとクシャミが出るという実験を、寝ている弟で試したこともある。
胡椒の瓶で試したが、全然ダメだった。
小学生の頃は親が共稼ぎで帰りが遅かったので、オヤツは袋菓子が多かった。
弟の分が別にないと、いつも僕が独り占めするので、やはり怒られていた。
オヤツの取り合いでは、負けたことがない。
後年、弟が洋風の菓子ばかり好きになったのは、和風の袋菓子を僕が独り占めするので、食べれなかったからだろう。
今になって思えば、かわいそうなことをしたものだ。
そんなかわいそうな弟が、社会人になってからも、かわいそうな思いをしていたとは。
今でもまだ、信じられない。
弟が28歳、僕が31歳の夏。
死んでしまったと、母から電話があった。
いつでも僕の予想外の行動をする奴だ。
推理小説はエラリー・クイーンが好きだったし。
僕らを偽装トリックでだまそうとしくんでいるのでは。
半信半疑のまま、ノロノロと新幹線に乗って現場に行った。
アパートの部屋はひどく散らかっていて、消毒薬の匂いがした。
警察署に安置された死体は、茶色く顔はパンパンに腫れていて、別人に見えた。
真夏なので、翌日すぐに火葬場に運ばれ、遺骨を渡された。
あれから何度火葬場に行ったことだろうか。
父と母、義父、そして叔母。
火葬場で泣いたのは弟の時だけだった。
子供の時から泣き虫だった僕が、もう死体を見ても泣けなくなった。
多分、予備タンクの涙が枯れてしまったのだろう。
泣いても誰も生き返らないのに、それでも泣きたくなる。
自分のために泣いているからだ。
ストレスをかけ過ぎると脳にダメージが残るので、安全弁としてこの反応を利用するのだろう。
それでも、傷は残り、記憶となって保持される。
源義経が平泉では死んではいなくて、大陸に渡ったという伝説も、悲しい記憶を上書きするための物語なのだろう。
僕は宗教が嫌いだ。
悪徳政治家もヤブ医者も嫌いだ。
もちろん、詐欺師も嫌いである。
死んだ人間が別の世界で生きていて、今も魔物と戦っている。
そんな物語が今は大好きである。