8話「移動2日目~アンブルグまでの道中2~」
「エリス、オークス、荷物を持って!」
突然のことに目を丸くしながらも、体はロイスの指示に従うべく近くにあったリュックを瞬時に背負った。その後、彼の、焦燥に歪んだ表情から危険が迫っていると分かった二人は、ロイスの指示を待った。
「ロイス、遠くでヒノさんが何か叫んでる」
指示をされる前に、オークスは遠くでかすかに聞こえるヒノビの声に耳を傾ける。
「なんて言ってる?」
「うーん……何かをして!!みたいなことを言っている気はするんだけれど、具体的な部分だけ雑音が邪魔で……
何を言っているのか完全には聞き取れないが、その声はヒノビだと確信はできていた。
耳を傾けて続けてその声を聞いていると、次第に体を揺らすほどの振動が地面から伝わってくる。地震ではないようだが、体が縦に揺られる感覚がある。
「この揺れは……なんですの?」
「足音だ。それもかなり巨大だね。鳥が飛び立っていった始点から察しているだけだけど」
「いのししかしら」
「の群れならばあり得る話だけど、こうもリズミカルだけど断続的に地面が揺れるならその可能性は低い」
徐々に強くなっていく揺れによって倒れないように、大木につかまる。ロイスの珍しく焦った表情と言葉で、何かがこちらに向かって猛スピードで近づいていることがはっきりと伝わる。それが、どんなものかはわからないが、これだけ体が揺らされるほどなのだから、きっと相当な巨体が近づいてきている。
「あっちから近づいてきてるな。しかも一直線にこっちに向かって」
木につかまったまま辺りを見回すオークス。彼が見つけたのは、うっすら立ち上る土埃とともに木々がなぎ倒されながら動く黒い影だった。
「近づいているのはわかりましたわ。でもこの揺れじゃどこかに移動しようにも私たちの体じゃ堪えられませんわ」
強くなる揺れによってバランスを保つことが困難になってきていた。支えがある状態でした移動できないほどに。それほど揺れが強まっている。
「アレの進む方向と90度違う方向に逃げよう」
そう判断したのはロイスだった。
「いや、ロイス、この揺れの中をアレだけ足場の悪い森を逃げるのは無茶だよ」
蔦によって思うように進めなかった道を思い出してオークスがロイスの提案を否定する。だが、その指摘は一理あった。
歩いていてもコケるぐらいには地面を這い、その大きさ・太さもばらばらで木々の間にも垂れているところを逃げることは不可能に近い。何より、走って逃げることができない状況では、それほど遠くまで逃げられない。
ヒノビが何を伝えたいのかは聞こえないが、少なくとも森の中を逃げるよりもヒノビの近くにいた方が安全だということは確実だった。
「確かにそうだ。ごめん、焦ってた」
オークスの指摘を受けて自身の考えの甘さを痛感し、謝った。
ならば、どうするか―――
「とりあえずはこの大きな木の後ろに移動するのはどうかしら?」
代替案を考えるよりも先にエリスが提案した。
「たしかに、それだったらヒノビとも合流できるし突進してきているのなら隠れればやり過ごせるかもしれないね。ナイスな案だと思うよエリス」
オークスは彼女の案を補完し、ロイスに意見を問う。
「確かに。それでいこう」
分厚い眼鏡の奥から鋭い眼光とともに、GOサインが出る。
それに合わせて二人は木の幹につかまりながら巨木の裏へと移動する。
「エリス!!オークス!!ロイス!!」
「ヒノさん! こっちです!」
巨木のもとにたどり着いたヒノビが子供たちの名前を順番に呼ぶ。その声を聴いてオークスが大きな木の幹の後ろから手を振って存在を伝える。
「よかった。みんな大丈夫?」
「俺たちは全然大丈夫です。それよりも、何が起こってるんですか?」
「私もよくわかってないんだけど、見たこともない巨大な生物が一目散にここを目指していたから戻ってきた」
上がる息を整えながら、ヒノビがここへ戻ってきた理由を語った。
「じゃあ今すぐにここから逃げた方がいいですね」
迫ってきているヤツがここを目指しているのなら、今すぐにでも森の中に逃げなければならない。
だが、一つだけ、たった一つだけ致命的なことを見逃していたようで、それは棄却された。
その一つというのが、生物の進行速度。
ヒノビが到着して数秒。ヤツの方を彼女が振り返ると、もうすでに目前まで迫っていた。おそらく速度はヒノビと同等かそれ以上の速度が出せる怪物。木と蔦が生い茂る森の中を巨躯でありながら突き進めるだけのパワーも持ち合わせている、文字通りの怪物。
怪物を視認してからヒノビの行動は俊敏だった。三人のうち二人を脇に抱え、一人のリュックを噛み、そのまま巨木を駆け上がる。
「ふぉっふぉふぁふぇふぁふぁんふぃふぇふぇ」
「ちょっとだけ我慢してねと、ヒノさんは言ってます」
「どうしてわかるんですの!?」
脇に抱えられたエリスとロイスは、ヒノビの腕がお腹を強烈に締め付けていることによって嗚咽を感じ、顔がだんだんと青くなっていく。
ヒノビの口にくわえられたオークスは彼女が話した内容を瞬時に翻訳し、二人に伝える。三人を抱えた?状態で大きく跳躍し、落下し始める前に持ち前の脚力で巨木の幹を登り始める。
幸いなことに、巨木の表面は荒い樹皮によって構成されているようで、足場には困らないかった。ただ、口にくわえたオークスによって足元を見ることができないため、感覚だよりで樹皮に足をかけながら登らなければならないことが欠点だった。
巨木の目元から見え毛て一番最初の枝まで目測100m程、彼女が跳躍してから駆け上り始めるまでにおよそ6,7mの高さを省略した。その後は地面を走るのとほぼ同じ速度で樹皮を駆け上がり、ものの数秒で最初の枝までたどり着く。
改めて、ヒノビの人間離れした身体能力に驚かされた。いくら子供だといっても数十キロを抱えてまで垂直の幹を駆け上がれるなど、人間ができるわけがない。
昔の大戦で、この種族に領土侵略をしようとした人間が惨敗して帰るのもうなずけるほど、身体の土台が違う。
枝まで登りきると、その幅は子供一人が背伸びしても余るほどの大きさがあり、落ちる心配はなさそうだった。
「し、死ぬかと思いましたわ」
「同感……」
エリスとロイスはお腹の辺りを摩りながら、二度と体験したくないと苦言を呈した。
不思議なことに、木の上にいるというのにあの地響きは伝わってこない。バランスの取れないほどの地響きだったのなら、枝が揺れていてもおかしくないというのに、びくともしてない。
「それにしても……アレ、なんて生物かわかる?ロイス」
オークスが下をのぞき込んでみているのは、根元からこちらを見上げる四足歩行の謎の生物。
それはトカゲに近い見た目だが、黒い体に体毛が生えていることで不気味さが増している。
体長はおそらく20メートル近くあるだろうか、木々をなぎ倒しながらこちらに迫って来れるほど発達した手足を持っている。また、体の後ろに生えている巨大な尻尾を左右に振って走ってきているため、体によってなぎ倒される木よりも尻尾によってへし折られる木の方が圧倒的に多いようだった。
瞳は蛇のように瞳孔が縦に鋭く、一点を見つめているようだった。また、時折口から出てくる舌も蛇やトカゲらしさを感じる。が、知っているそれらとは明らかに違う禍々しさが漂っている。
「全くわからない。想像もできない、なんだろう、トカゲと何かのキメラみたいな感じだな」
キメラとは、一つの体の中に複数の遺伝子を持っている状態の個体のことで、こちらを見つめている怪物もそれに近いと推測できる。
「爪はないようだから、こっちまで登ってくる気配はないけど、本当にトカゲだったら普通に上ってきたんだろうな……」
「それにしてもすごい惨状ね。森に新しい道ができてるわ」
一直線に続く怪物の通ってきた跡。それはまっすぐこちらに向かってきた証拠である。
「ヒノさん、ここからどうしましょうか」
「うーん……正直どうしたらいいのか……」
オークスに尋ねられたヒノビも、この先どうしていいのかがわからずにいた。