6話「移動1日目~森までの道中(夜)~」
~1日目(夜)~
昼間は特に危険もなく、時折会う『ダイネ』の街へ向かう行商人たちとだべる程度のイベントしか起きず、危険もなく退屈なものだった。
行商人たちからいくつか品物を受け取ったり、目指している『アンブルグ』の名産品などを教えてもらったり、業種のノウハウを語ってもらったりと非常に平和な道中だった。
ヒノビにはあの一件以降、魔法についての質問がやむことはなく、子どもたちは魔法についての叡智をいち早く習得しようと必死だった。特にロイスは自身の持ちうる知識とヒノビの知識で補完しつつ、彼女が放った強烈な一撃の魔法についてプチ研究していた。
プラスして、ヒノビは子供たちのどんな質問にも正確にわかりやすく答えてくれていたため、わざわざ学校に通いつつ学ぶ必要はないのではないかとロイスとエリスが会話をしていた。エリスにも同感する部分があったらしいが、やはり学校という場所に期待を寄せていたこともあり、ロイスの提案に完全に賛同してい瑠葉ではなかった。それについてオークスも深く言及することはなかった。
現在一行は、遠くに森の見える小高い丘の上で焚火を囲んで、昼間のうちに狩った野ウサギとイノシシをヒノビがさばきながら夕飯の準備を進めている。味付けには行商人から一瓶だけもらった塩を使い、素材の味を楽しむ一品になる予定だ。
子供たちはというと、焚火の近くでリュックを枕にして丸くなり、一日の疲れを癒していた。
道中がいくら安心でき、退屈なものだったとしても、普段街から出ることがない子供がかなり長距離を歩けばこの様子になるのは納得できる。加えて、道中はほとんどヒノビと話してばかりだったこと、魔法についてかなり深くまで勉強しようとしていたことも疲れの要因となっているだろう。
このあたりの気候はそれほど寒いものではないが、遮蔽物のない場所には容赦なく風は吹くもので、ひんやりと肌をなぞっている。
オークスはその風に体を冷やされ、ぶるっと身震いしてより小さくなるように縮こまった。エリスとロイスは完全に眠っているようで、寒そうにしている様子はない。
ヒノビは、スヤスヤと眠る幼い背中を見て愛想におぼれつつ、テキパキと調理を進めている。
塩で簡単に味付けをし、いくつかの野菜と肉をならべて炒め、近くにある川の水を注いでスープの完成だ。
「野宿することはわかってたのに調味料忘れたのが痛手だったかな。もう少し味をつけたいのだけど……」
ぐつぐつと煮えたスープを味見して、いつも飲んでいるものとは比べるまでもないほど薄味に調味料の重要性を再確認した。
「お、おいしそうなスープですね。こ、こ、この薬草を入れると臭みが取れて、香りがつきますよ」
鍋をかき混ぜながら焚火の番をしていると、不意に背中に声がかかった。
振り向くと重そうに瞼を開けたオークスがいた。彼は鼻水をすすりながら手に香味薬草を握っている。
「ありがとう! 薬草は刻んで入れてくれる?」
「は、はい!」
返事をしたオークスは、彼女の後ろにある小さなまな板と短刀を借りて持っている薬草を細切れにする。
「ごめんね。先生から料理の楽しさと素晴らしさを学んだんだけど、今日は調味料を忘れちゃって本領が……」
「す、すごく人間らしい一面で、僕はいいと思いますよ」
必死にヒノビのことを励まそうとしている様子が伺え、ヒノビは照れたように笑った。
「えへへ。でも、御覧の通り質素な料理になっちゃったけどね」
「大丈夫です! 僕らのご飯はいつもこんな感じだから」
オークスの顔にはカピカピに乾いた笑みが張り付いており、人見知りで無理をしている様子がひしひしと伝わってくる。
ヒノビが混ぜている鍋に切った薬草を入れる。そして、彼女の隣に座り、オークスは近くに積まれていた枯れ木を焚火にくべる。
ぱちぱちと聞き心地の良い音を立てながら燃える木を見つつ、ロイスは質問を口にした。
「ヒノさんは、故郷に帰ろうとか考えたりしないんですか?」
「んーどうだろう。今の生活に不満はないし、一度群れから離れて人に育てられた私を一族が認めてくれるかどうか不安だし、あまり帰ろうとは思わないね」
ちりばめられた星屑の空を仰ぎ見ながら、遠い目をしてそう語った。彼女にとって、先生は神様だが自分とは種族という垣根があり、根本的に違う。そのギャップを今まで一切感じてこなかったわけではないのだろう。
一度群から離れた狼は二度と同じ群れにはいることが出来ないように、炎狐族でも同じような習慣でもあるのだろうか?
どういう経緯で炎狐族から離れてしまったのか不明瞭ではあるが、結果として離れたことは変わりようのない事実のため、もしその習慣があれば受け入れてもらうことは不可能だろう。
ヒノビの淡い横顔を見ながらオークスは寂しそうだと感じた。
「僕は今までに炎狐族を見たことはないです。だから、本やいろいろな人からの話を聞くと恐ろしい種族だと思っていました。例えば、出合頭に戦いを挑まれて雌雄を決するまで終わらない戦いをするとか」
「ぷっ、あはは。そんな野蛮な印象だったのか、あははは」
オークスの突拍子もない炎狐族への印象にこらえられず思わず吹き出した。
「だ、だから、最初にヒノさんに会ったとき、僕はこの小さな旅で死ぬんだって思ってました。でも一日を終えて、そうじゃないんだなって」
「どういう印象に変わったのかな?」
いたずらっぽくその先を聞こうとするヒノビ。彼女は大きな空色の瞳をのぞかせてくる。
「今は、優しいお姉さんって感じです」
「そうかそうかー。うんうん。オークス君だよね。君やっぱかわいい!!」
鍋をかき混ぜる手を止め、オークスの頭をグイっと自身の胸に引き寄せた。そして、くしゃくしゃになるほど頭をなでる。
されるがままのオークスはしばらくジタバタと無駄な抵抗をした後、ヒノビの肩を押し返して元の距離感へと戻した。少し赤らめた頬を袖で隠しながら、また焚火へと視線を落とす。
「ぼ、僕はロイスのように勉強熱心ではないし、エリスのように魔法に大きな興味があるわけじゃない。だけど、二人のために何か支えになるようなことをしたいんだ。僕が先生と出会うまで一生懸命に支えてくれたから……」
暗い過去を振り返りながら、揺らぎ対照的に明るい炎に魅入られる。
そんなオークスの横顔を見て、ヒノビと彼には似たような境遇にあることを知った。
「ロイス君は確かに歳に見合わないほどしっかりしてたり、エリスちゃんはずっと明るくて二人の元気の源になってる感じがする」
今日一日の出来事を脳内で振り返りつつ、今日だけで抱いた印象を話始める。
「道中は二人からの質問がとても多くて大変だったけど、オークス君は二人のどちらかが質問してる時にもう一人と一緒に色々話してたよね。これも二人が退屈しないように配慮しての行動だったんじゃないかな?」
オークスは無意識のうちに行っていた行動を指摘された。だが、確かに振り返ってみれば納得できる。
ロイスとは魔法について深く話し合い、エリスとは魔法の未来や夢について語り合っていた。振り返れば思い出せるが、ヒノビがそれを見ていたのは驚いた。基本的に二人のどちらかとずっとしゃべっていたからだ。ほとんど話しかけていない自分のことを意識してみていたことに少し恥ずかしさも感じた。
「それにさ、オークス君だって二人のためにおいしい料理ができるように勉強してるんじゃない?」
思いがけない言葉に、思わずヒノビの顔を見る。だが、はっとしたように目線を焚火の元へ戻した。
「ど、どうしてわかったんですか?」
「だって、私が先生に教わった薬草と同じものを拾ってきてるし、リュックの中からいろんな料理のにおいがするから調理器具を持ってきてるよね。私は鼻がいいから!」
ヒノビは、そういっていたずらっぽく笑って見せた。彼女に小さな秘密を見抜かれ、完全に赤くなった顔を手で覆う。
「二人には秘密にしててください」
「はいはい」
ヒノビは、出来たスープを小さなお椀に注ぎながら、軽く返事をした。
出来上がったスープを手に取ると自分が持ってきた薬草のにおいが鼻をくすぐり、手のひらからじんわりと温かみが伝わってくる。
「オークス君が持ってきてくれた薬草のおかげで香りがすごくいいスープになったね。味はちょっと我慢してもらうしかないと思うけど」
頬をポリポリと書きながら苦い表情で「ごめんね」と謝る。
「ぜんぜん、とてもおいしいです」
「いい匂いがしますわね。料理を作ったんですの?」
横になっていたエリスが、眠い目をこすりながら上体を起こした。
「オークス、一人だけずるいですわよ。私も食べたいですわ」
「じゃあ、ロイスも起こして、みんなで食べようか」
エリスの眠そうな表情に笑いをこらえながら、そばで寝ているロイスを起こすために持っていたスープをそばにおいて立ち上がる。
「ローイース――!! 起きろ――!! ご飯だぞーー!!」
「うぅぅん……今日は何?」
「ウサギとイノシシの入ったスープ」
「すごくまずそう……寝る……」
「だめですわ、起きなさい!」
再び眠りに入ろうとしていたロイスを同じく眠りに入りそうなエリスが型を揺らして起こそうとする。
三人の様子を横目に見ながら出来上がったスープを人数分取り分けるヒノビは、クスりとはにかむように笑った。
二人に無理やろ越されたロイスは少し不機嫌になりつつ、取り分けられたお椀を取りに重い腰を上げる。
「ヒノビさん、ありがとうございます」
「ヒノビ先輩! いただきます」
並々と入ったお椀を持ち、ヒノビの座っている丸太の横に三人が腰かけ始める。
「じゃあ、ロイス、いつものお願い」
お椀を両手で持ちながら、エリスはある合図を送るためロイスの方に笑顔を向けた。
「……わかった。じゃあオークス、もいつものやつやるよ」
「うん」
三人はお椀を自分の胸の近くに寄せると、
「「「天の恵みと大地の恵みに感謝して!! いただきます!!」」」
肌寒い夜に、スープの温かさで体を温めながら、街では珍しいウサギとイノシシのお肉を堪能した。
いくつもの星が暗い空に自分の存在を主張しているその下で、太陽のように明るい声が響き渡る。
夜も相当深けているこの時間帯だが、彼らにとっては街の外で起こるすべての経験が自分たちを輝かせる。
これほどうす味のスープをおいしいと思ったことがなかった。その後は今日あったことを談笑して終わった。明日は、ついに危険な森に入る。おそらくヒノビは護衛を継続してくれるため、それほど危険ではないだろう。
ついに街の外に出た。
三人とはこれからいろいろ新しいことをたくさん知ることになると思うけど、僕はこの経験を大事にしていきたい。
「何を書いてるんですの?」
「日記だよ。せっかく街の外に出られたからね。一日おきにどんなことがあったのか忘れないように記録しておきたくて」
「いいですわね」
彼女は隣に座って僕の手紙を読んでいる。どうにも恥ずかしいけれど、街にいたころはこうやって自分の気持ちを表すことは控えていた。だけど先生の元教え子で炎狐族のヒノビさんと話していると、不思議と素が出せてしまう。
明日からの冒険も楽しみだ