64話「孤児院」
次の作戦は、孤児院までの逃走劇を演じること。
外傷を見ればそれなりのことがあったとひと目見てもわかるような風貌になったため、あとは必死に孤児院に駆け込む様子を演じることで潜入調査の第一関門である『潜入』部分を達成することができる。
ぼろぼろになった服についた余分な汚れを払い落としながら立ち上がり、痛みに鈍感になった脳みそを呼び起こすように全身の打撲痕から電気のようなものが流れている。いくら数年前に受けていた事だったとしても痛みに慣れる速度だけは変わっていない。むしろ、その経験があったからこそ痛みに鈍感になれるのかもしれない。
「ふぅ……」
軽く息を吐いて初めの一撃で吹き飛ばされた眼鏡を探す。
「アンタ、やっぱ異常だよ。普通そこまで殴られたらどう考えても気絶してるぜ?」
ロイスの痛々しい傷の様子を見つつ、子供を殴るという言い逃れの出来ない暴力をしたことを若干後悔しながら問いかける。
何故子供を殴るような依頼を受けてしまったのか。否、協力をしてほしいと仰がれたためにここにいる。その内容まで聞いていなかった自分が悪い。そうわかっているが、子供を殴るという行為がいくら依頼だったからと言われても納得できるものでもなければ、ましてや断るべきだった案件だ。
矛盾した考えのどちらかが優勢になるように腕を組んで考えたところで、その思考は平行線をたどるのみで、ただの現実逃避と何ら変わりはない。
目の前にいる自分の子供と同い年と思える依頼主を殴った事実は、本人からの申し出だったとしても確実に後ろめたい記憶として脳内にこびりつく。
「気絶しなかったのは人間の強さでしょう。俺自身殴られ慣れていた部分もあるとは思いますが、やはり殺意を持った攻撃とお願いされた攻撃とでは決定的なダメージになりにくい。人間らしさや同情なんかの想いが無意識のうちに力を制限するんだと思います」
手探りで地面をなで、メガネを探しながら誠実な返答をする。
コツンと腕に当たった硬い感触を拾い上げ、装着しながらかがめていた腰を立たせて軽く眼鏡を押す。
「子供らしくない答えだな。ゴッドゥさんから聞いていたよりもずっと大人びてる」
こういう時子供ならば、オレは我慢強いからなと言って強がる場面だ。的確な分析と論理立てた回答をするような子供は子供らしくない。同義で可愛らしくないともいうだろう。
ゴッドゥから聞いていた情報でも頭の切れる子供と言われていたから、一般的な子供と比べれば切れるという意味合いで受け取っていたが、この様子だとゴッドゥとまともに話ができるぐらいには頭が良い。
「そんなことより、次の作戦を」
急いだ様子で協力者の男性に告げると、ロイスは孤児院の方へと走り出した。
「お、おう……オラァ!!」
男性は少し動揺した様子を見せたが直ぐに仕事モードへと切り替わり、与えられた任務を遂行し始める。
ナイフを持った右腕を振り上げ、家から逃げた子供を殺す勢いで追いかけ続けるという役。それを完璧にするために、表情は険悪さを全面に出しつつ声もできるだけ荒々しいものを追加し、焦点の合わない虚ろな目でロイスの背中を追う。
人間は内側だという人は多いが、外側から見て取れるヤバさはその人間の本質を表してもいると思う。内面を見ることは外面をみて合格だった場合に限りだ。ナイフを持って子供を追いかけてくるような親は、危険人物にほかならない。
実に役に忠実で、今回の作戦の成功率を上げる人材だとロイスは好感を得ている。やりすぎぐらいがちょうどいい。
孤児院までは距離が短いと踏んでいたが、いざ走り出してみるとその大きさ故の錯覚から近いと感じていただけだったとわかった。街一番の大きさだと言われるだけのことはある。
もはや城門と遜色ないほどの重厚感と存在感を放つ鉄門を叩くまでにかなりの時間を要してしまった。
「助けて!! お願いします!! 開けてください!!」
取ってつけたようなありきたりなセリフを大声で叫ぶ。焦りや恐怖、神にでもすがるような思いを込めて門を大きく叩く。中にいるであろう人にその声が届くように。
声の返答はすぐにでもやってきた。鉄門がゆっくりと開くと、中から腕が伸びてきたかと思えば勢いよくロイスの体を中へと引き込んだ。それからすぐに門が閉じられると、外からは協力者の男の怒声が小さく聞こえる。
すんなりと門の内側にはいることが出来たため、少し拍子抜けした表情を浮かべているロイス。
腕を引っ張った張本人はモノクルを付けた白髪の男性。立派な顔立ちと良い歳の取り方をしたことがわかるような柔和な笑顔が備わっていた。服装は平民のよく着るウール製のシャツだが、彼が着ることによってその風貌は高級品と遜色のないオーラを醸し出している。彼が選んだ服ではなく、服が彼を選んだと表現するにふさわしい。
門の中にも外と同様に草原のような庭が広がっており、その敷地の広さがうかがえる。
「危ないところでしたね。あの方はご両親で?」
ロイスが周囲を興味深く観察していたところ、男性が物腰柔らかな声で話しかけてきた。
「父親です。今日はいつもよりも気分が荒れているようで、限界で……」
「その様でしたね。ここまでくれば安心ですよ。お怪我もひどいようですので、治療に参りましょうか」
全身の打撲痕を見やり、男性は眉を下げて優しくロイスの手を引いた。
「申し遅れました。私は、この院内で働いております、ククと申します。皆様からはクク爺と呼ばれておりますので、同様にお呼びください」
「俺は、ナベル……です。あんまり家から出たことがないから、友達もいなくて名前を呼ばれたことがないのでクク爺が好きなように呼んでください」
「おやおや、さっそく呼んでいただけるとは光栄ですね。ナベルくんとお呼びしましょう」
ロイスは小さく頷いてクク爺の優しそうな顔に安心感を抱く。
「クク爺はどうして俺に気づいたんですか?」
「ちょうど門前を掃除しておりました。ですので、偶然です。ナベルくんはきっと、神様が救ってくださったんだと思います」
後ろの指さした方を見ると、そこには山のようになった落ち葉や草が積まれており、横には箒が転がっている。