41話「ラズを追いかけて」
「ラズ! 待って!」
彼女の背中を追いかけてオークスも玄関の扉に手をかける。
「あ、オークス!」
今にも飛び出していこうとするオークスの背中に向かって声を掛ける。
エリスもその背中を止めようと手を伸ばしたが、触れる直前で手が止まる。
「どうして彼女を追うんですの? 理由を教えてくださいまし!」
エリスの必死の訴えに、オークスはドアノブにかけた手を止め、ゆっくりと振り返る。
「僕はそれを確かめるために彼女を追いかけるんだ。直感……なのかな、いつも内気な僕がなんでこんなにも必死になっているのか自分でもよくわからないんだよ」
「そうですわ! オークスらしくないですわよ!」
いつものオークスならば、知らない人とスラスラと会話することは難しい。声は頻繁に上ずり、目線は忙しなく動き、落ち着きのない手癖が顕著に現れるはずだ。だが、そうはなっていない。
それが偶然によるものなのか、必然だったのか、確認するためにも彼女のことをもっと知る必要がある。だからラズを追いかける。このもやもやとした理由なく彼女を信用した理由が知りたいと思ったから。
「帰ってきたら納得できる理由を話せると思う。ロイスには……その時もう一度ちゃんと謝罪と話をするよ。だからエリス、追いかけさせてくれ」
「……」
ここでオークスを見送ってもいいのだろうか。ロイスが感情的になり、彼と喧嘩をしたのにもかなりの衝撃を受けたが、彼も少女を追いかけるという、いつもとは違う行動をしていることが引っかかる。
掴みどころのない不安感とどこからか湧く焦燥感に苛まれる。オークスの背中が扉の影で見えなくなる様子を眺め、唇を強く噛む。
ロイスの意見、オークスの意見。そのどちらでもないという中途半端な立ち位置にいる自分に腹が立つ。
仲間割れが怖いから、嫌いになってほしくないから、敵を作りたくないからなどの保身に走っている自分にため息が出る。
私はどちらの味方をしたいのだろう。俯瞰して考えれば、いまオークスを追いかけないのはロイスの意見に納得しているからだろうか。オークスの見えない目的に賛同できていないからだろうか。
いや、それは違うと首を横に振る。
オークスとロイスの修羅場を思い出す。途端に胸がキュッと苦しくなり、痛みが走った。それは嫌だと心が拒んだのだ。
私は二人が仲良くしていることを望んでいる。それは二人どちらかの考えに同調するのではなく、第三の意見として私の果たすべき目的だ。ならば私は、二人ともの意見を尊重するために、どちらの考えも理解しなくちゃいけない。
すでに閉じた扉のガラス部分にエリスの憂慮と期待の混ざった、複雑な感情を抱いた瞳が写っている。
ふとなにか気配がして後ろを振り返る。
「あれは……」
ソファーの下に銀色に輝くペンダントが落ちている。精巧な薔薇の花が彫られ、情熱を象徴する真っ赤なルビーが中央にはめ込まれている。名の知れた彫金師による作品でなければ作り出せないような美しさと華やかさが、狭く薄暗い部屋の中でひときわ輝いている。
それは、少女が盗んだものであるとすぐに気づいた。
「これ……どうしたら……」
エリスは2つのことで悩んでいた。
一つは、これが盗まれたものであることからこっそりと店に返しに行く。その際には姿が見られないように、最新の注意を払って返却する。
もう一つは、このペンダントを持って少女を追いかけ、少女からお店に返却するよう促す。
どちらも善い行いのように思えるが、1つ目は大きなリスクがある。
「よし、あの少女を追いかけて、返却してもらうよう説得してみますわ」
エリスはペンダントをそっと持ち上げ、ポケットへ突っ込むと玄関の扉へと手を掛ける。
その時――――
ラズは相変わらず足が早かった。
裏路地で生活している人たちは大抵足が速い。理由は単純明快、盗みを働くときに重要な要素となるため、自然と鍛えられていることが多いからだ。
ラズの行き先はわからないが、おそらく裏通りに入っていないはずだ。
少し前に起こった出来事によって、ラズの情報はかなり出回ってしまっているだろう。
裏路地の人間は、獲物を逃してもハイエナのように虎視眈々と次のチャンスが巡ってくることを待っている。また、逃してしまったことでスイッチが入り、個々の士気は以前とは比べ物にならないほど上昇しているはずだ。再び足を踏み入れようものなら以前よりも逃げにくくなっていると考えるのが妥当だろう。
ラズの特徴は非常にわかりやすく、捕まえやすい獲物だ。次、狩り場に入れば、確実に襲われてしまう。
行き先が裏路地でないことを願いつつ、未だに人の絶えない大通りを捜す。
「この人混みの中じゃ、ラズの身長的に隠れて見えないな……どうしよう」
まだ成長期も迎えていないような年齢のオークスにとって、大人の身長は壁も同然。視界が悪いを通り越して、見えない。
どこか高い場所から探そうにも周辺に自由に上がれる建物はない。商売の街において在庫を管理する倉庫は、レストランの食材室のようなものよりももっと重要で、商売の命と言っても過言ではない。そんな場所に上がらせてもらえるとは思えない。
ではこのまま人をかき分けながら捜すとなるのも、骨が折れる。
さて、どうしたものかと頭を悩ませる。
「あのペンダントみたいに淡く光ってくれたら、一発でわかるんだけどな……」
モノクロの世界で、色のついた存在は非常に目立つ。太陽が照りつける時間帯は世界が白く染め上がっているため、色の濃淡はより一層深みを増す。
そうあってほしいと希望的観測をしながら、大通りを無策に歩いていく。
数十分前にも同じような場所を通ったなと感じつつ、人を避けながら進む。
「はぁ、こんな広い街でどうやって探せば……」
「おい、オークス。ちょっと頼みがある」
突然頭の中から声が聞こえた。それは、暗く荒々しいドスの利いた怪物の声。いくら協力関係にあるからといって、そう頻繁に手を借りるのには抵抗があるが……以前助けてもらった恩がある。
「どんな頼みなの?」
「そこの角を曲がって左側の壁を見てみてくれないか?」
ラズの捜索で忙しい(適当に歩いているだけ)が、それぐらいの頼みならば全然問題はない。
言われるがままに、少し歩いたところにある商店と商店の間にある路地に向かう。
肉厚で香辛料の効いた獣肉を焼いているワイルドな店と種類が豊富できっと色とりどりの野菜が並んでいる活気のある店の間。境界線のようにポッカリと開けられたその間は、二つの世界を分断するように存在している。
「うーん……なんの変哲もなさそうな壁だけどな」
触ってみても、叩いてみてもただのレンガ造りの家。所々に剣で切られたような傷が見られるだけで、怪物の期待しているものはなさそうだ。
そう思って、少し奥に進むと、
「あれ、これ……森で見た紋様と同じようなものだ……」
森の中でオークスを苦しめた、魔法を発生させる紋様が一つのレンガに小さく書かれていた。それは、淡く青く光っており、オークスの目にもその色が投影されている。
「どんな紋様か、教えてくれないか?」
興味深そうに怪物は聞いた。
「『明日』『闇』『光』『道』っていう文字しか読めないけど、この文字が書かれてる丸みたいなやつだよ」
森の時と同様に、ぼんやりと文字が浮かび上がってくる。しかし、読めない文字のほうが多く、読めたとしても単語のみであり、その文章全体の意味は到底理解できない。
オークスの手を近づけると淡く光っていた紋様も、次第にその光度を増していき、人の手に反応していることがわかる。
「その紋様に触らないほうがいい。それは――――」
紋様に人差し指が触れようとする直前に、怪物が脳内でその動きを静止させる。
体を共有していることで、ある程度操作されることは理解している。しかし、意識のある状態で体を操作されるのはこれが初めてだ。
動きたいのに動けない、以前よりも自由に体を動かされることがわかり、一瞬オークスの表情は曇った。
「オレと同じ存在が残した、マーカーだ。触れるとろくなことが起きないだろうから、警告しておくぞ」
「……やけに親切だな、あの時僕達を襲った怪物の中身とは思えないような変貌ぶりだね」
一度、本気で死を覚悟した激闘の一幕を思い出して、訝しげに眉をひそめる。
「他意はない。ただの老婆心だ。それに、体に何かあれば、オレの命も脅かされるしな」
運命共同体のように、体一つを共有しているため、その体になにか支障が起きれば当然怪物にもその影響が行くことになる。もし、本当にこの紋様に触ってろくなことが起きれば、困るのは怪物も一緒だ。
そうならないための自己防衛。オークスはそう納得付けることにした。