36話「お願い」
「その情報は確かなの?」
いまだに信じられないという表情で訝しむジーナは、その情報が信用できるものなのかを問う。信用できない情報を元に研究を進めると、後々面倒なことになりかねない
「まぁ、100%信用できるかと聞かれれば、正直頷くことはできないが、ある程度は信用できる情報だ」
偽オークのことを思い出して苦笑する。アレを本気で信用するにはまだ経験値が足りていない。
だが少なくとも嘘を言っているようには思えなかった。本気でこちらと協力する気があるのかは、判断しかねる部分ではあるが……
「それで? 私も悪魔の研究に加われってことかしら?」
「あぁ、そのとおりだ。ジーナのような頭の冴える研究員が欲しいと思ったんだ」
「私を褒めても何も出ませんよ?」
普段、先生は誰かを褒めるようなことはしない。今まで彼と一緒に魔法の研究に携わっていたからこそ、彼の言動は新鮮なものだった。
少し緊張のほぐれた表情で、再び先生の方へ向き直し、話の続きを聞く姿勢を取る。
「悪魔の研究を本格的に始動しようと思う。だから、ジーナには俺の補佐になってくれ」
ジーナは嬉しさを押し殺して、静かに先生の目を見つめている。
この話は、彼女にとって出世を意味していた。一人の魔法研究員として研究に没頭していた彼女だが、プロシェクトの最高責任者補佐の誘いだからだ。分野は少し違えど、そのステップアップに頬がゆるむ。
もう一つ、表情には出さないが嬉しさを噛み締めている事があるとすれば、それは彼の存在が大きいだろう。
元魔法研究の第一人者であり、主に魔法開拓の分野で大きな功績を残している。だが、数年前に突如として研究を投げ捨て、このダイネの街で暮らし始めていた。彼の背中を密かに追っていた彼女にとっては、連絡をもらえたこともだが、彼のもとで働くことができることが嬉しかった。
恍惚な表情を浮かべつつも、それを表に出さないようにしている。
「……いいですよ。先生のもとで働けるなんて、光栄ですもの」
うっとりとした視線を向けられ、先生は思わず目をそらす。
ジーナは魔法の研究者であり、とある魔法のエキスパートだ。
彼女の風鈴のような声と見るものすべての目を奪うような艷やかな瞳、そして何より彼女の顔は、神の最高傑作であるかの如き美しさ。着ている服も相まって、お姫様であると信じる人は多いだろう。彼女がなぜ魔法研究という職についているのか甚だ疑問ではあるが、いつかその答えを聞いてみたい。
そんな彼女の研究している分野は、精神に干渉する魔法。例えば、不安を煽るような魔法であったり、好意を自在に引き出す魔法であったり、逆に嫌悪感を増幅させるような魔法など多様である。
齢18にしていながら、その研究にかける熱量は他の研究者に引けを取らない。
困ったことがあるとすれば、ジーナの柔らかな話し方とサファイアのような瞳、加えて完璧に整った顔立ちから放たれる、感情の一挙手一投足によって魅了されかねないということ。彼女のほんの僅かな行動であっても、内面から擽られる。なので、定期的に顔を背け心をリセットしてからでなければ、そのまま沼にハマってしまうだろう。
「まぁ……なんだ、ジーナも自分の研究が忙しいだろうから、激務を押し付ける気はない」
彼女の斜め右下にある、机の木目を見つめながら言う。
「先生のためでしたら、どんなことだって協力します」
その妖しい言葉を聞いた先生は、即座に自分の足を殴る。危うく邪な考えに思考が囚われてしまうところだった。脳にそれ以上の刺激(痛み)を与えることによって相殺し、どうにか難を逃れる。
次からはできるだけ筆談で会話を試みようと決心した。
「えー……悪魔の研究は俺が主に進める。ここでようやく最初の話に戻るのだが、悪魔を使役して『使い魔』にしている女性が研究所内にいないのか探ってほしいんだ」
「最初からそうおっしゃってくれたら、素直に協力しましたのに」
ふてくされて右頬をふくらませるジーナ。もちろんその様子を先生が直視することはない。もうすでに、彼女の術中に体が半分以上浸かっているような状態だと自負しているから。
「特徴は、この紙に書いておいた。正直、情報が少ないから、探しても見つからない可能性が大きいし時間もかかる――――が、どうか頼む」
机の上に四つ折りにされた紙を引き寄せ、ジーナは紙を裾の中へとしまい込む。
思わず「そこに入れるのかよ」とツッコみたくなるのを喉元で押止め、一呼吸するとともにその感情を押し流した。
「それで?」
「ん?」
「ないんですか?」
「何がだ?」
ジーナからの問いかけの意図がわからず、困惑気味に問い返す会話が続いた。
「報酬は」
「あー……すっかり忘れていた。要求はなんだい?」
誰かに物を頼むのならそれなりの見返りを準備するものだ。
ジーナに協力を要請するまでは、偽オークスからの情報を元にして様々な仮説を立てることに集中していたため、忘れてしまっていた。
忘れていたということを考慮して、できるだけジーナの求めるものを提供しようと、何が欲しいのかを聞き返す。
「一緒に……に行きたいです……」
もじもじと体をくねらせ、顔を赤らめながら口ごもりながら答えた。
「ごめん。肝心な部分だけ聞き取れなかった」
「一緒に、グランドープにある技具店に行きたいです!」
ほんの一言しか発していない彼女だが、何故か肩で息をするほど呼吸が乱れている。
紅潮していた頬も真っ赤に染まり、頭から湯気でも出ていそうなほど恥ずかしそうにしていた。
「いいよ。行こう。遠いから今すぐにってわけには――――」
「いいえ!! 今すぐ行きましょう!!」
ジーナは先生からのOKの返事を聞くと即座に立ち上がり、興奮した様子で詰め寄る。
「いや、流石に今からって……」
「なら、この話はなかったことにしましょう。私の要求はそれだけです」
「無茶苦茶な……」
彼女の強引さに気圧され、戸惑いを隠さずに少し後ろにのけぞる。
いつも静かでおとなしいイメージのあるジーナが感情をあらわにしているとことは珍しい。よっぽどその店に欲しいものでもあるのだろうか。
「はぁ……わかった。仰せのままに、ジーナ様」
圧に負けて渋々了承する。
「ふふっ。では早速行きましょう。時間は惜しいものですからね」
「まぁ、アズマの魔法研究所でもその女性を探そうと思っていたから良しとするか……」
もともと全ての研究所の研究員と偽オークスの情報を照会しようと思っていたため、それが早まったと思えばいい。
この世界には4つの大陸それぞれに魔法研究の派閥が存在している。派閥と言っても厳密に分類されているわけではなく、大陸ごとに違った特色を持っている程度だが……。
技神の大陸では『魔法道具』、博神の大陸では『魔法に関する実験』、漢神の大陸では『身体強化』、そして女神の大陸では『精神干渉』である。分けられているからといって、その分野しか研究できないわけではない。ただ、その分野が他よりも秀でていることは確かである。
アズマの魔法研究所は主に道具を扱っていることから、何か魔法道具が欲しいのではないかと考えたのだ。だが、どのお店においても魔法道具が店頭に並ぶことは一年に一度ある程度。ニーズに合った商品が出店されることなど一生に一度あるかどうかだ。
ジーナも研究者の伝手でもあるのだろう。先生はそう結論づけた。
「安心してください。私の最も信頼している仲間に、探すよう頼んでみますから」
「ほお、ジーナが信頼する仲間……ねぇ? きっと頼もしい人なんだろうよ」
ジーナは先生が思案していることの一つを杞憂に終わらせる。
彼女が信頼をおいている人はきっと役に立ってくれるだろうと確信を持てる。それだけ彼女のことは信頼しているから。
「返ってくるまでに吉報が家のポストに入っているかもしれませんね」
ジーナは唇の端を釣り上げ、喉の奥でくぐもった笑いを漏らした。
仮に彼女の言う通り担っていれば、ことはトントン拍子に進むことになる。
ヒノビの無事を確認できれば御の字、戻ってきてくれれば歓迎パーティーを盛大に開くことになるだろう。そうなることを祈っているが、果物が服にシミを残すように、心の何処かで決して消えない不安がこびりついている。
タラレバで話していても先に進めないことはわかっているが、やはり子どもたちのためであり、何より自分の教え子が行方不明というのは毎日が息苦しいものになっている。
どうにか無事に、元気な姿を見せてほしい。今はただ、それを願う毎日だ。