28話「因縁の相手」
「どう……なったんだ?」
オークスの体に謎の液体が消えてから、しばらく彼は空を仰ぎ見て動かない。赤黒い液体すべてをその小さな矮躯に収まったのだ。いくら考えても、普通ではない。
「オークス……?」
接触するのは危険だと分かっていつつ、動かない彼の体に再び近づき、恐る恐る声をかける。
じりじりと彼との距離を詰め、いつでも逃げられるように。
友人であるオークスのことは心配だ。だが、それ以上にこの奇妙で奇怪な現象に説明がつかず、オークスが味方であることすら揺らいでいる。
誰に操られるわけでもないが、もし仮に今動き出したとしてもそれがオークスとは限らない。人間になせる業ではない光景を目の前にしたのだ。少し常識から逸脱した考えが脳を巡ったとしても、何らおかしいことではない。
「大丈……夫か?」
肩にそっと手を置く。ゆっくりと、そっと、警戒しながら、表現は何でもいい、ただその行為に固唾を飲んで見守っているエリスがいる。
その瞬間、全身に冷たく嫌な感覚が走った。だが、オークスは相変わらず何も反応を見せない。
次に腕を触ってみる。空を仰ぐように広げられたその腕を触ると、石のように固くなっている。彼の細く、色白で、女性のような腕に石ほど固くすることができる筋肉はついていない。
空を向いている顔を覗く。瞼を閉じ、口を大きく開け、硬直している顔を。
「オークス? 生きてるか?」
疑問を投げかけると同時に、オークスの首に手を当て生きているのか確認をする。
友人の脈を確認するなど、一生に一度だって経験したくない。それが、森での出来事を含めればこの短期間で二度目。
もし脈が無かったら? 森で助けられたのも奇跡同然だが、あの時誓ったことはすべてがこの数時間で無駄に終わるのか?
震える指をそっと首の動脈に押し当てる。
――――その時。
『よぉ、若造ども』
オークスの口が不意に動いた。その声はオークスの口から発せられていた。しかし、唸り声のように低く、ドスの効いた声。明らかに彼の声でないことは明白だった。
『一年ぶりに見た顔だな』
ゆっくりと顔を正面へと戻し、目の前にいたロイスの驚愕と警戒によってひきつった表情を見ながらオークスは言った。
「……誰だ」
ロイスは一歩後ずさりをして聞き返す。
一年ぶりという言葉に奇妙な違和感を覚えたが、今それを思案する余裕はない。
目の前にいる、オークスの皮を被った『何か』が接触を図っているのだ。今一番に考えることは、いかにしてこの場から逃げるかという問題。
建物や村は近くにはなく、木すらほとんど生えていないこの平原において、遮蔽物となるようなものは存在しない。そんな中を逃げることが可能なのだろうか。
ヒノビのような俊足があれば可能なのかもしれない。
『グゴァァァ。この声に聞き覚えは?』
「なっ!? あの時の怪物!」
聞き覚えも何も、その忌々しい記憶はおそらく死ぬまで忘れない。
街を出て二日目に遭遇した、すべてにおいて謎に包まれた『怪物』と呼称する、謎の生物。トカゲのような見た目でありながら鱗に毛が生えていることや知能が人間と同等程度、姑息で執着心が強く、巨大な体躯など、数々の要素がこの世界のどの生物にも当てはまっていない。
その怪物に、ヒノビは勝利した……はずだ。
怪物の死体がないことやヒノビが失踪したことなど謎は多く残っている忌々しい事件。その当事者である怪物が、オークスの体を使って言葉を発している。
「ヒノビの次は、俺らってことか!」
怒りを隠す気はない。隠す必要性がない。ヒノビを失い、次はオークスを失う可能性がある。そんな状況で冷静になれるほど、まだロイスの心は育っていない。
『あーあーちょっと待て、襲う気はない。ただ、少しだけオークスの体は借りさせてもらうだけだ』
「その言葉をどれだけ信用できると思う? 俺たちを襲った張本人が目の前で友人の体を人質にしてしゃべってるんだぞ」
一歩足を踏み出して掴みかかろうとするが、踏みとどまる。間合いはしっかり考えなければ、本当にあの怪物だった場合、一撃でやられる可能性がある。
『確かにそうだ。だが、それでいい。一つだけ話がある。それだけだ』