24話「再びダイネの街へ」
「さて、何から取り掛かろうか」
ネモの一言で、部屋の空気が引き締まった。決意を固めた三人は、次にすべきことを確認するため、小さな会議を開いていた。
「オークスはヒノさんを探したいと思っているけど、手掛かりが全然なくて、どこから手を付ければいいかわからない」
ロイスがそう言うと、オークスは小声で答えた。
「……そ、そうだね」
彼は俯いたまま、手元で指先を動かしていた。
「エリスは、自分の魔法をもっとコントロールできるようにならないといけない状況だ」
「そうですわね」
エリスは少し真剣な表情で頷く。
「そして、一番大きな問題――――エリスが今、魔法研究者たちに狙われているという現実だ」
「ええ。ロイスが見た調査員を、私はまだ直接見ていませんけれど……」
彼女は眉をひそめ、静かに息を吐いた。
三人は一つ一つ、現状を整理していった。
調査員が店を去ってから五分ほど経った今でも、緊張感が空気を支配している。部屋の中には三人の気配だけが響いていた。
「正直な話だけど、今俺とオークスは魔法が使えない。使えるのはエリスだけだけど、その魔法もまだ十分にコントロールできてない。こういう状況なら……戦うより、逃げた方がいいと思うんだ」
ロイスの声には迷いがなかった。
「賢明な判断だな」
ネモがロイスの意見に賛同すると、三人の視線が彼女に向けられた。
「どれだけ決意が固くても、力がなければ何もできない。それに、相手は貴族の後ろ盾を持った研究者たちだろ? 子ども三人でどうにかなる相手じゃない」
彼女の指摘は辛辣だったが、事実だった。
オークスはその言葉にさらに肩を落とし、顔を両手で隠した。その様子を見たエリスがそっと肩に触れると、オークスは小さく首を振るだけだった。
「ならば――――」
ネモが静かに言葉を続けた。
「今すぐ逃げろ。そして、強くなって戻って来い」
三人の中で、特にエリスの胸にその言葉が重く響いた。彼女は一瞬だけ迷ったが、決意を込めて頷いた。
「でも、ネモさんは……どうするんですの?」
エリスが恐る恐る尋ねると、ネモは鼻で笑った。
「私のことは心配するな。店を守るのが店長の仕事だ。それに、こんな危機に慣れてるからよ」
その言葉に、エリスとオークスもようやく小さな声で礼を言った。
「さて――――」
ネモは手を叩いて気合を入れる。
「お前たち、さっさと荷物をまとめてこい。その間に逃げ道を準備しておく」
三人はネモの指示に従い、急いで二階の部屋に戻ると、それぞれリュックを手に取り荷物をまとめ始めた。
「この魔法師セットは持っていこう。先生からもらった大事なものだからね」
ロイスが机の上に置いてあった黒い箱をリュックに詰めながら言った。
外はまだ太陽が顔を出さない早朝。空には星々が輝き、深い闇が街を覆っている。部屋の中は小さなろうそく一本の明かりだけで、暖かな揺らぎが三人の影を壁に映し出していた。
「必要最低限のものだけでいいって言ってたけど、どれが必要かわかんないな……」
エリスがリュックの中身を広げ、選り分けていた。
「着替え、水筒、食べ物……それと、マッチやろうそくもいるわよね」
彼女が言うと、ロイスは頷きながらリュックに手を伸ばした。
「お金も少しだけ持っていこう。もしもの時に役立つかもしれない」
「了解」
エリスとロイスが慌ただしく荷物を詰める横で、オークスはほとんど無言で作業を進めていた。彼の手は震えているようにも見えたが、二人に気付かれる前に荷物の整理を終えた。
わずか三分ほどで全員の準備が整うと、三人はリュックを背負って一階へと駆け下りた。
「よし、早いな。さすがだ」
ネモが三人を見て短く褒めると、彼女は大きなテーブルの上に広げた地図を指差した。
「ダイネの街は商業の中心地だ。そこに向かえ。大陸中から商人が集まる街だし、逃げる先を選びやすい。それに、もし追われていても隠れる場所は多い」
「確かに――――合理的ですね」
ロイスが地図を見つめながら答えた。
「この街からだと白北門を通って森を抜けるのが最短ルートだ。ただし――――」
ネモは資材箱をゴソゴソと漁り始めた。
「ほら、これだ」
彼女が取り出したのは、小さな布袋に入った団子のようなものだった。
「これは獣除けの薬品を練りこんだ団子だ。あの森にはオオカミが多いからな。食うなよ、間違っても」
ネモは半ば冗談を交えながら団子を三人に手渡した。
「ありがとうございます」
三人はそれぞれ礼を言い、慎重に袋をリュックに詰めた。
「森を抜けるときは絶対に油断するなよ。特に、夜中に音を立てるとオオカミに気づかれる可能性があるからな」
「はい!」
三人は声を揃えて答えたが、その声には緊張がにじんでいた。
「……さて」
ネモは小さく息を吐き、三人に向き直った。
「これからお前たちがどうするかは、お前たち次第だ。でも、約束してくれ――――必ず生きて戻ってくることを」
その言葉に、三人はしばし無言で頷いた。ネモの目の奥にある真剣な光に、彼らも自然と心を引き締められる。
「よし、時間がない。すぐに出発しろ。私は研究者たちをここで食い止める」
「でも……」
「いいから行け!」
ネモの声は強く響き、三人の背中を押した。
店を出る直前、エリスが振り返った。ネモの背中が小さく見えたが、その存在感は彼女の胸に深く刻まれていた。
「……必ず戻ってきますわ! また会いましょう!」
エリスのその言葉にネモは笑みを浮かべ、小さく手を振った。
三人は夜明け前の街を抜け出し、暗闇の中へと足を踏み出した。